第46話 予定通りに、予想外に
暖流の影響もありヒベルニアの西と南は冬でもそう寒くは無く、積雪も少ない。
南部の町コークに宿を取ったフィオン達は、既に海岸線調査の依頼の為、東西二手に分かれている。フィオンはアメリアとオリバーと共に、町から東への調査に。
来たるカリングとの開戦を前に、襲来の可能性は低いがヒベルニア南部の海岸線を、冒険者目線から調査して欲しいとの依頼。
兵を用いて調査をすれば領民やカリングへの刺激にも成り得ると、辺境伯の配慮もあってフィオン達が受ける事になった。
「しっかしこいつは……町の周囲は兎も角……。こりゃ心配し過ぎだな」
コークの町を出て程無く、海岸線は断崖絶壁のみが連なり出す。
町の周囲は交易や漁の為に整備されていたが、それ以外の場所は凡そ人の行き来が出来る地形では無い。
元々ヒベルニアはカリングの標的になるとは考え難い地。攻め取っても益は少なく、大陸からヒベルニアのみの保持は何とも手が掛かる。
当然、辺境伯イーヴァンもそれを承知の上での今回の依頼。
あくまでも国に報告する為、調査の既成事実の為と言う依頼であり、幾らかの内情はフィオン達にも伝えられている。
「そうは言うガ、ちゃんと地図を出さないとダメなんだろウ? ボヤいてないでしっかりやろうゼ」
新たに仲間として加わったオリバー。
幾らか日常生活において人とワーウルフで差異はあるものの、頭を悩ます様な事は起こっていない。一日の食事数が四食、野菜も食べれない事は無いが肉が中心、入浴は週に一度程度で毛繕いを優先する。
フィオン達以外とは積極的にコミュニケーションは取らず、偶に絡んでくる輩に対しても取り合わずに受け流している。
他にも細々とした人との差異や摩擦はあるが、そう大事には至っていない。
「まあこの依頼は安全そうだけど……。あんまり気を抜きすぎて崖から落ちたりしないでよね? 私の治癒だってそれは流石に……」
アメリアの治癒の力も有り、通常の冒険者パーティよりも早い回転で依頼をこなしてきたフィオン達は、戦争に際しての傭兵依頼にも先行きが立っている。
本来依頼で怪我等を負えば、長い療養期間や医療費代の負担も掛かる冒険者稼業。アメリアの治癒はそれらを丸ごとチャラにしてしまっており、ヴィッキーの見立て通りにフィオン達に大きなメリットを与えてくれた。
「幾ら何でもそんなヘマしねえって。……戦争行く前に死んじまったら、それこそ元も子も」
「それなんだガ、戦争で初めて殺す事になるっていうのハ……色々危ういと思うゾ。俺達でさえ人を殺して後に引き摺る奴もいるくらいだからナ」
以前にもロンメルと話した事のある殺人の経験の有無。戦争に行く以上は避けては通れず、フィオンも戦争に行く前に何かしらの依頼で経験しておく予定だった。
だが、戦争を間近に控えた冬になっても未経験のまま。今回の依頼を終えたらダブリンに戻り、傭兵依頼を受けてブリタニアに戻る予定である。
聞けばオリバーは野盗の撃退等で数回人間との戦闘経験があり、その中で幾らか殺人の経験もあるという。
アメリアを除けばフィオン以外の三人はその経験があり、戦争で初めて経験する事になるフィオンを危ぶんでいた。
「とは言われてもなあ……冬は野盗共も動きが少なくなって依頼は少ねえし、そもそももう依頼を受けてる時間も残ってねえしなあ。……魔物や動物なら幾らでも仕留めてきたし、何とか飲み下せるだろうよ」
「……まあ個人差が出るものだからナ。全く動じず引き摺らない奴もいれバ、中身が変わったみたいに影響される奴もいル。こればっかりは実際に手を下してみるまでは判んねえガ……」
頭を巡らせた所で、既に時間も機会も無くなっている。
破れかぶれとまではいかないが、腹を括って戦争に臨むフィオンと、諦めながらも案じるオリバー。
アメリアは話を耳に入れながら、まだ戦争そのものへの納得は出来ておらず、難しい顔で海を睨んでいた。遥か水平線の彼方にある大陸、そこに君臨するカリング帝国と、本当に血で血を洗い合うしか道は無いのかと。
「……本当に、戦うしか無いのかな? 魔物と違って言葉も通じるんなら、話し合いで何か別の、もっと違う形で……」
「難しい話だナ。ドミニアの王だって色々交渉してるだろうシ、向こうだってそれには応じてるだろうガ……。カリングが欲しいのが領土ってんじゃあナ、それに見合うものを差し出す位じゃねえト」
実際には、ドミニア王ウォーレンティヌスは領土以上に価値の有る譲歩や売国行為を裏で行っていた。水面下での交渉であり、候や伯でさえ知らぬ事。
だがカリング帝国はそれらを跳ね除け、あくまで領土に拘った。
その末の武力衝突を避けうる手段があるとすれば、無条件での領土割譲か全面降伏位しか道はない。
ちょくちょくヴィッキーやロンメルと、戦争に関し話をしていたアメリア。
領土の貴さや国家同士の関係性等の理解は深まっていたが、それでも直接干戈を交えての命のやり取り、それも数万規模での戦争には納得が出来ていなかった。
「そうは言うがよお、向こうが襲ってきたらこっちもやり返すしかねえだろ? こっちのが強いってんなら脅したり何なりで時間は稼げるが、カリングの方が国はでけえし兵も多いし……そもそも向こうの方が弱かったら襲ってこねえか」
フィオンはあくまで現実的に、やられたならばやり返すしか無いと、黙って何もせず殺される方がそれこそ納得も出来ず、諸々の摂理に反すると主張する。
アメリアは互いの望みや条件を理解しつつも、それでも何か別の手立ては無いのかと、あるかどうかさえ朧気な理想論を追い求める。
オリバーは人とは別の視点に、亜人という人とは似て非なる存在の立場から、双方に意見や同意を差し込む。
気付けば退屈だと思っていた地図の作成は、議論と共に粗方までが済んでいた。
フィオン達の担当はコークから東の隣町グレンジの近くまで。そこからはまた別に雇われた者達が地図を作成しているという。
議論は少々片道に逸れ「ドミニアがもっと大きかったらどうなのか」等と言う取り留めの無い例え話にまで足を突っ込んでおり、話の区切りには丁度良かった。
「いつの間にかこんなとこまで来てたか。仕事はこれで充分、戻るとすっか」
「そうだナ……話の方も有意義だっタ。面白い内容……?」
踵を返し戻り掛けた所で、オリバーが何かに気付き鼻をヒクつかせる。
獣の狼程では無いがそれでも人を凌駕する五感を備えたワーウルフ。その中でも最も鋭敏な感覚器である嗅覚は、潮風に混ざったソレを感じ取っていた。
「オリバー、どうかしたの? ご飯なら帰ってから今日はヴィッキーが」
「……初めて嗅ぐ、土の臭いだ。それに鉄……これは」
オリバーは屈み込んで崖下を見やる。
東西にびっしりと並ぶ断崖絶壁は来るものを拒み、軍隊等の通行は不可能。
だが少数であれば、ロープを掛けれる取っ掛かりはそこかしこに有り不自由しない。登攀に手慣れた者であれば決して登れぬ事は無い崖、その一端に見つける。
「フィオン、あそこを見ロ。岩肌にくっ付けて隠してあるガ……」
「……マジかよ。ったく、見つけちまったからには放置できねえな。オリバー、臭いで追えるか?」
岩肌の一角にはしっかりと、真上からは見え難い様に隠されたまだ真新しいロープが張られていた。離れた場所から崖を覗き込んでようやく見つかる巧妙な手口。
オリバーは臭いを辿って四方を睨んだ後、はっきりと北の方角を示す。
「今ならまだ追えるガ、潮と風が厄介ダ。追うなら急がねえと流石に」
「お疲れ様と言うつもりでしたが……何か火急の事態ですか? 何やら慌しい雰囲気ですが」
やって来たのは人魂の精霊グラス。グレンジの町からフィオン達を労いに来たが、すぐさまその空気に気付く。
時間は無いとして手早く、フィオン達は不審なロープとオリバーが捉えた臭いの事を報せ、二手に分かれて行動を開始する。
「解りました、私は周辺の町から人手を集めましょう。貴方達もお気をつけて」
「無理しねえ程度に追って、出来るなら捕まえておくよ。いても数人程度だとは思うが……そう大人数って事はねえだろ」
平穏のままに終えるかと思われた海岸線の調査。
それはオリバーの手柄によって潮目を変え、密入国者の追跡へと移る。
グラスと分かれたフィオン達はオリバーの鼻を頼りに北へと向かい、程無くして街道上に旅人らしき二人組を見つける。
軽い荷物と使い古したマント、深くフードを被っており顔はよく見えない。
それだけならば判断に迷う所であるが、嗅ぎ慣れない土と鉄の臭いを辿っていたオリバーは、はっきりと断言する。
「あいつらがそうダ、鉄ハ……たぶん武器だろうナ。どうすル? 増援が来るまで待つカ?」
「その方が良いだろうけど……。こいつは、ちょっとミスったかもな」
街道上を追っていたフィオン達は特に姿を隠してもいない。フィオン達が相手を見つけた時点で向こうもこちらには気付いている。
怪しまれない様には振舞っているが、ゆっくりと歩き追い越させようとする二人組みを相手に、全く怪しまれずに後ろを尾けるというのは無理があった。
かといって今更距離を広げては、行方を眩ませられる恐れがある。
「ねえフィオン……これは、バレてるんじゃ……?」
「やるしかねえか。オリバーは周りを警戒しててくれ、他にもいるかもしれねえ」
オリバーをアメリアの傍に残し、フィオンは進み出て二人組みに近付く。
十中八九当たりではあろうが、心構えはしつつまだ武器を手にはしない。出切れば大人しく拘束されて欲しいと願い、相手を刺激する行為は躊躇われた。
意を決して近付くフィオンに、二人組みもまた警戒して向き直る。
フィオンからはそのマントの下に何が有るのか見えないまま、十メートル程の距離を隔て声を掛けた。
「ちょっと良いですか? 俺達は依頼を受けてここらを探ってる冒険者ですが、さっき海際の崖で妙なロープを見つけまして……何か心当たりとか不審者を見たとかはありませんか?」
「……いや、知らないな。不審者……そっちも見てないね。そもそも崖際には寄ってないんだ、力になれなくて済まない」
はっきりとした受け答えで無関係を主張する男性。だがフィオン達はオリバーの鼻によってある程度のアテが有る。
用心はしたままに、シラを切る二人組みに対しフィオンはもう一歩踏み込む。
「うちの連れが、ワーウルフなんですがね……そいつが妙な臭いを嗅いだとか、知らない土の臭いだとか言ってまして……身分証を見せて貰っても良いですか? 俺は目が良いんで、この距離で翳してもらうだけで良いんですが」
「…………」
身分証と言われ、二人組みは急にその様子を怪しくさせる。
深く被ったフードと身を包んだマントで何をしているかよく判らないが、荷物を漁っているか武器を構えようとしているのか、フィオンからは判別が付かない。
途端、受け答えをしていた男はマントからフィオンに杖を向け、フィオンもそれに反応して弓矢を構えた。
男は魔法の行使まではせずフィオンも矢で弦を引いたまま、両者の間にはしっかりとピリピリとした殺気が張り詰める。
膠着の中で最初に動いたのは、フィオンからの言葉であった。
「落ち着けよ、あんたらがそうだとして捕まえて即殺すなんて事はしねえ筈だ。……ちゃんと口を割ってくれるなら第六軍はそう悪くは」
「…………ッ……!?」
男はフィオン達の後方から近づいて来る一団に気付く。
精霊グラスが連れて来た周囲の町や村の自警団達だが、緊張と遠目故に、それは男の目には軍に映る。
いよいよ余裕の無くなった男は最後の手段に訴えながら、仲間の逃走を促した。
「逃げろアイナ! こいつは俺が――アルームサ」
「ッチ、っくそが!!」
男の決断に合わせ、フィオンは矢を放つ。
予め狙いは男の手元、杖を持つ右腕に定めていたが――常に狙い通りに飛ぶとは限らないもの。僅かな手元のズレや風の揺らめきで、いとも容易くズレる。
矢は吸い込まれる様に男の喉下へ、鏃は首を深く食い千切り街道を朱に染める。
詠唱は止まり、魔法の発動は不完全に留まったものの、フィオンはそれ以上の何かを深く心の奥に味わう事になった。――何か、ごっそりと魂が削れた感覚。
倒れ様にフードははだけ、既に感情の消え去った男の目と、フィオンははっきりと目が合った。そのまま断末魔も無く、男は地に伏せ血溜まりに沈む。
それを見下ろすフィオンは、目を離せず足は動かず、指先は凍りついていた。
「おいフィオン、何をボサってしてやがル。もう一匹が逃げル、追うゾ!」
「……ぁ、あぁ、先に行っててくれ。アメリア、そいつの治癒、を……?」
振り返った先のアメリアは、顔を青くして首を横に振っている。
それは何かを否定するものだが、フィオンにはそれが何なのか理解を拒絶する。
自身でも自覚無く顔が真っ青のフィオンを、オリバーは軽く肩を叩いて足を動かさせる。いずれ手を染める事が、少し早まっただけだと。
逃げたもう一人、アイナは二人より一足早く森の中へ。
見通しが悪く土地勘も無く、二人はオリバーの鼻を頼りに後を尾ける。決してぞんざいには出来ない事だが、フィオンは今は心に蓋をして目の前の事に集中した。
そう時間を掛けずアイナを補足するが、予想外の事態に二人は身を強張らせる。
「近イ、ガ……止まっていル……? この藪の向こウ――!?」
「ってえ!? いきなり何す……?」
藪の中でオリバーに押さえつけられたフィオン。二人は身を伏せたまま藪の隙間からそれを目撃する。
軽装の鎖帷子の女剣士が二匹の魔物に囲まれているが、どうにも妙な様子に見え、囲まれたアイナは硬直したまま動けずにいる。
アイナを囲みにじり寄る二匹の魔物。
全身が石像の様な石造りに見える、鳥の様な形態。全長は三メートル程は有り、吠えも威嚇もせずに連携して包囲を狭めて行く。
「オリバー、知ってる魔物か? 俺は見た事ねえが」
「俺もダ。どうにも相手が悪そうだガ……しかしあの女……!?」
二匹の魔物は息を合わせた様にアイナに飛び掛り、片腕ずつを捕まえて飛び去って行く。アイナも抵抗しようとするが、二匹はビクともしない。
藪から飛び出たフィオンは撃ち落すかと矢を構えかけるが、一瞬で射程外まで飛んで行ってしまった。
森を突き抜け飛び去った魔物は、そのままアイナを運び南へと飛んで行く。
「何だったんだあリャ。あっちハ……海の方角だガ」
「……魔物の考える事が解るかよ。こっちは……それ所じゃねえっての」
落ち着いたフィオンは、思いがけずに初めて手を染めた事を振り返る。
初めての殺人は、狙いを誤った矢での結果。
故意で狙ったものではなく、そして自身の意によって放たれた矢。反射的に現実から目を背けた己に、今更になって自己嫌悪に似た感情が湧く。
「気ニ……するなとは言わねえガ……。俺は今の内で良かったと思うゾ。戦争とかのゴチャゴチャした中で初めてをやっちまうト、心の整理を付ける前に次から次とかになっちまウ。ダブリンに行くまでにまだ何日か有るだろウ? ……今の内で良かっタ、後になってそう思えるっテ」
オリバーに背を押されながら、フィオンは帰路に着く。
フィオンが射抜いた人物、リヴィオの遺体は軍が預かる事になったが、彼の身元を証明する者等は一切無く、その死と遺体がドミニアとカリングに影響を与える事は無かった。只フィオンにとって、忘れらない最初の経験としてのみ残る。
依頼を終えたフィオン達はダブリンへと戻り、ブリタニアを目指す。
それは帰郷の為でも周遊の為でもなく、本来の目的。自らの意思を以って戦争に足を踏み入れる為に。




