第45話 秋暁、恋慕と蒼狼
「………………は?」
間の抜けたヴィッキーの声が通りに響く。
イーヴァンは身じろぎ一つせず姿勢を保っており、その様子は紳士そのもの。
彼の覚悟の程が窺い知れる。
突然の婚姻の申し込み。
普段のヴィッキーであれば一蹴に付す所だが、なにせ相手はヒベルニア辺境伯。
紛う事無きこのヒベルニアの統治者であり、広く名を轟かす円卓の騎士の末裔。
地位、名声、財力、更にはつい先程目にした強さ。容姿の方も端麗とまではいかないが、充分に好感を持てる爽やかな整い。
ヴィッキーが冒険者となった理由。金銭や商いの為という事を考えれば、結婚に関しては思う所もあり得るが、一足飛びでの目的達成と言えなくも無い。
気を落ち着けたヴィッキーは普段通りの冷静さを取り戻し、返答を待ち微動だにしないイーヴァンに問い掛ける。
「……初対面のはずだし、一目惚れって事で良いんだね? あたしは見てくれだけで選ぶ様な男に身を任せるつもりは……」
「仰る通り、直接お会いしたのは今日が初めてです。ですが、こちらのグラスから貴女達の事はかねがね……。その話の中で貴女に惹かれていた事は、どうか知っておいて頂きたい」
イーヴァンの傍でふよふよと浮かぶ人魂形態のグラス。確かにフィオン達とは幾らかの接点が有り、それが辺境伯の耳にまで届く事は、別の形で期待していた。
決して裏目という訳ではないが、思惑が斜め上に実ったヴィッキーは、不意にその様子を変える。
威嚇する様に試す様に、冷酷な魔導士然の空気を纏い、深紅の左目で跪くイーヴァンを見据える。
「なら話が早い、あたしは知っての通り魔導士で混ざりものだ。そんな血を栄えある円卓様の家に入れちまって良いのかい? それとも妾のつもりかい?」
返答を誤れば即殺す、とでも言う様な殺気を放つ魔導士。その手にはしっかりと、どこか妖気さえも感じる短く赤い杖が握られている。
通りの空気は甘美なものから一転、怖気の走る寒厳なものへと様変わりする。
だが、それを真っ向から受ける青年は快活な笑みを浮かべ、全く何も気にする事では無いと笑いを響かせた。
「何を言うかと思えば、魔導士が混ざりというのは当然知っています。そして我らが王、コンスタンティヌス家の当主も魔道を扱い、その力を以って魔操具を創り出したと聞いております。当然、私は正妻として貴女を迎え入れたい」
全く応えず、王が魔導士であるという事を引き合いに出し気にするなと言って来るヒベルニアの長。暖簾に腕押しと、ヴィッキーは肩を落として殺気を収めた。
どうしたものやらと再びヴィッキーが思案を始めた所で、二人の間に割って入り、何やらロンメルがしつこく咳払いしてくる。
「ぇー、うぉっほん! ……いや、わしらは今日はもうへとへとでなあ……おっほん! ……この話はまた後日に、ん゛ん゛っ! 一先ず今日の所は……」
「これは、もしや……ヴィッキーさんのお義父さんでしょうか?」
更に斜め上の解釈を示すヒベルニアの長。
勘違いされたロンメルも「ま、そんな所じゃ」と適当な相槌を打って誤解を深めようとする。
ロンメルに殺気を放ちつつ思案するヴィッキー、からかうでもなく話をはぐらかそうとするロンメル、あくまで真摯な態度で返答を待つイーヴァン。
三者の小芝居が終わるのを待ちつつ、フィオンはアメリアに声を掛ける。
「今日のやつは、戦場って言ってもいいものだった。魔物が相手だが、大勢を殺して大勢が殺されて……。お前が行くって決めた場所はこの何倍も惨くて相手は人間だ。……それでも、考えは変わらないか?」
今日の現場はまさしく戦場であり、それはアメリアが決意を固め向かう場所。
それを止める気や否定する気は無いフィオンだが、それでももしかしたら、実際に目の当たりにして心変わりしてはいないかと考えていた。
問われたアメリアは、僅かに思案した後にしっかりと首を横に振る。
「私の力はちゃんと役に立って、感謝もされた。……助けれなかった人もいて、それは凄く悲しかったし、戦いは怖かったけど……。それでも、私がいた事で助かった人がいたのは変わらないから。……うん、考えは変わらない。私も戦場に行く」
フィオンを見上げる緑の瞳は、一切の濁りは無く心なしか以前よりも強い。
小規模であり相手は魔物ではあったが、それでも実際に経験した戦場は少女の決意をより強く、より確かなものへと鍛え直した。
それを受け取ったフィオンは、もう少女の決意に口を出す事はしまいと自らを律する。決意を尊重するだけではなく、せめて手を出すならばその背を守ろうと。
「解った、もうごちゃごちゃ言わねえよ。お前の好きな様にやってみろ。さて……いつまでうだうだやってんだよ? あっちで宴やってなかったら怒られてんぞ。そもそもプロポーズとかすんならもうちょっと場所選べって……」
通りの騒ぎは程無く終え、イーヴァンは村の外の陣へと戻る。
返答は気長に待つとヴィッキーに言い残しつつ、あくまで本気であると言う事を最後までアピールしていた。
ヴィッキーもそう無碍には扱わず「考えておく」と曖昧に先送りにしておく。
死闘の一日は終え、フィオン達は宿で心身を癒やす。
着いた当初の、刺々しいものであった村の空気は今は面影も無い。
僅かに人間達への態度は柔くなり、村の中心では様々な感情が行き交う宴が催されている。魔物が消えた事への喜びの声。散って逝った者達への哀惜の嘆き。
それは朝方近くまで続き、ワーウルフ達の心を繕った。
翌朝、フィオン達は朝早くから族長ビアスの家を訪れている。
報奨金についての話と、村を発つ前の最後の挨拶の為に。
当初集める予定だった六パーティ分全てとはいかないが、三パーティ分の報酬と、討ち取った魔物達の半分がフィオン達の実入りとなった。
双頭の巨人はイーヴァンが討ち取ったので軍の取り分となったが、村への保証と諸々の補填は確約されており、村の冬越えに問題は無い。
「すまんが、発たれる前にもう一つ宜しいか? ……オリバー、入って来なさい」
奥から姿を現したのは、青灰の人狼オリバー。
まだ面持ちに幾らか影が差しているが、昨日の話し合いの直後よりは前を向けている。その装いは戦支度ではなく、大きなバッグと共に旅支度を整えていた。
族長ビアスは改めて説明しながら、フィオン達に一つ頼み事を言ってくる。
「昨日の一件……オリバーをこのまま村に置いておくのは、村の為にもこやつ自身の為にもならん。わしも庇ってやりたいが族長としての立場もある。……勝手な申し出ではあるが、連れて行ってやってはもらえんか? 勿論、受けて貰えるのなら残りの報酬も加えよう」
「……何を今更とも思うだろうガ、どうか宜しく頼ム。戦いや冒険者の仕事でもしっかり働いてみせル。足を引っ張るつもりは無イ、だかラ……」
実父が逃げ出した事で村に居場所が無くなったオリバー。
それを見るフィオンは、他人の様には見えなかった。
かつて、自身の理解が及ばない理不尽によって居場所が無くなり、逃げる様に故郷から離れた自分。目の前のオリバーを自身の過去と重ね、胸が苦しくなる。
フィオン以外の三人も、否定を顔に浮かべるものはいない。
既に一度は命を預け合い生死を共にした仲。その居場所が無くなったと言う窮地に対し、見て見ぬふりをする事は出来なかった。
ロンメルは頷きつつもフィオンの肩を叩き、先に聞いておくべき事を促す。
「異論はない。……じゃが、わしらが冒険者をやっておる理由の方は、まず先に聞いておくべきじゃな。後になってこじらす訳にはいかん」
「そうだな。……なあオリバー、俺達は近い内にドミニアとカリングの戦争に参加する、傭兵としてな。亜人のワーウルフにまで徴兵が掛かるかは解んねえが……。俺達に付いて来るって事は、それにも参加するって事になるぞ?」
戦争への参加を問われ、ビアスとオリバーは見合わせて顔をきょとんとさせる。
ワーウルフ達に国からの動員が掛かるかは未知数だが、それに自ら踏み込む覚悟はあるのかと。問われた二人は僅かに言葉を交わし、すぐに頷きを返す。
「今の所国からは何も無い。徴兵や協力要請は未知数じゃ。……じゃが、オリバーは腹を決めておる。人同士の争いに思う所は無いでも無いが……。自慢すべきではないが、それにも遅れを取る事はなかろう」
ビアスとオリバーは二人共に強く頷きを返す。人同士の、ワーウルフ達と直接関係の無い争いにも手を貸す気概はあると。
二人の覚悟を受け取ったフィオン達は、張り詰めた空気を崩しオリバーを受け入れる。窮地に追い込まれてではあるが、とっくに仲間として共に一戦を潜り抜けた彼を、拒否する事は無かった。
「じゃあな爺チャン、行ってくるヨ。……ほとぼりが冷めたラ、一度帰ってくル」
「イダリスの行方が判ったら報せを送ろう。死んでいようが生きていようが、どちらでも嘆かわしいが……。好きな時に帰って来い、皆もいつかは許してくれよう」
族長ビアスに別れを告げるオリバー。
もしかすれば今生の別れになるかもしれず、肉親との別離を惜しむ二人。
しかしその中の一言に、フィオン達は首を傾げる。
「……じい、ちゃん? それってつまり」
「ビアスさん、つまりオリバーはあんたの……族長の孫って事なのかい?」
詰問という訳では無いが、ヴィッキーの問う声は少し固い。
族長の孫オリバー。失踪したイダリスが彼の父ならば、それは次期族長の行方不明を示し、繰り上がりで次期族長になるのはオリバーとなる。
それも含めて頼んでいたビアスとオリバーは、二人して首をひねり暢気に返す。
「なんダ、気付いてなかったのカ。毛の色とか爪とカ……結構似てるだロ?」
新たな仲間を得てフィオン達はカルバー、ワーウルフ達の村を出立する。
馬車に加わったのは青灰の人狼、ワーウルフ族の次期族長オリバー。ロンメルに続き二人目の前衛は、フィオン達の心強い助けとなる。
更に得たものはもう一つ。ヒベルニア辺境伯イーヴァンからの直々の依頼。
内密に調べて欲しいと頼まれたのは、ヒベルニア南部の海岸線。
冬を目前に控えた短い秋。戦争の足音はすぐそこまで迫っていた。




