第42話 魔性の嗜み
「オリバー! 一度戻れ、死んじまうだけだぞ!!」
双頭の巨人が猛威を振るう嵐の中へ、突っ込んで行くオリバーとフィオン。
フィオンの訴えをオリバーは頑として黙殺しているが、必死に食らい付くフィオンを完全に無視は出来ていない。喧しく身を案じる声に対しピクピクと耳だけは反応してしまい、吠え声交じりに返してしまう。
「ッ――お前らには関係の無い事ダ! さっさとどこへなりとも消え失せロ!!」
「関係あんだろうが! お前らを助ける為に俺達はここにいんだよ! 今更逃げ出すなんざ出来るかあ!!」
売り言葉に買い言葉。オリバーを力付くでも引っ張って逃げる気だったフィオンだが、つい勢いのままに言葉が飛び出す。
逃げる気は無いと言われたオリバーは、自身こそが自殺行為をしている事を忘れ、無謀を張るフィオンを呆れ笑う。
「ッハア! そいつは頼りになんゼ。だったらあのデカブツを早いとこ……」
ほんの一瞬の気の緩み。そこに巨人の、何気無い一振りが噛み合う。
フィオンに向かって空笑いするオリバーの死角から、棍棒の横薙ぎが、不可避の一撃が迫り来る。地を抉り草木を散らし、人体なぞ掠るだけで消し飛ばす岩の塊。
どう足掻こうが人に止める事は能わぬ悪夢の具現。
気付いていないオリバーに対し、フィオンは破れかぶれで飛びつき伏せさせる。
「こんっ――のボケエ!! さっさと伏せ――――……」
押し倒しながら地に伏せさせ、目を強く瞑り奇跡を信じる。
……が、何かおかしい。幾ら待とうが痛みも衝撃も、外れたにしても風圧も何も飛んでこない。
痛みを感じる間も無く即死したのか? 存外に死というものは安らかなのか?
望み得る最良の最期が脳裏を過ぎりつつ、ゆっくりと目を開く。
「…………あ? なん、だこりゃ……?」
目の前には紛う事無き岩の塊。フィオンの背丈よりも遥かに巨大な棍棒。
それが冗談か何かの様に、ピタリと静止している。
それを掴む双頭の巨人も、自身が押さえつけたオリバーも、まるで描かれた一枚絵の様にその時を止めている。
周囲を見渡してもワーウルフ達や、ロンメルとヴィッキーもまるで動かない。
気付けば二人は割りと直ぐ近くで、どうやら逃げ出さず追って来ていた様子。
静止した巨人の顔。喜悦と狂気に歪んだ二つの頭をまじまじと睨み、冷や汗が背に伝わるのを感じながら、フィオンは動かないオリバーを引っ張り距離を取った。
「何が……どうなって……。こんな」
「見てるだけでも良かったんだがねえ。ちょっと呆気無いかと思っちゃって……」
静止した戦場の中で、不意にフィオンは声を掛けられる。
以前にも聞いた覚えのある聞き取り易く、それでいて不安を煽る軽い声。
「でも君にとっては、この方が良かっただろう? あんなもので轢き潰されたくは無いだろうしね」
振り返るとそこには、無残に転がるワーウルフの死体が一つ。首と四肢はあらぬ方へと捻じ曲がり、肘と膝からは鮮血と共に折れた骨まで突き出ている。
有り得ざる状況に、更に有り得ざる事が重なる。
死体はその目に光を失いながら、悍ましく折れ曲がった関節を強引に稼動させ、首をだらりと立ち上がった。
「おや? 驚かないのかい? ……おかしいな、君達はその……。死体が動くなんて事には、慣れてない……はずだよね?」
だがフィオンはこの異常に対し、一つの心当たりが思い浮かぶ。
決して気を許す事は無く、身構えながら死体に化けた魔性に問い掛ける。
「てめえ……エステートの時の奴か? 妙な杖と、角の……」
「おや、覚えてくれていたのか。それは嬉しい……何事も始まりは互いの認識からだ。まあ私自身も、そう影が薄いとまでは思っていないからね」
フィオンの反応に対し死体は嬉しげに手を叩き、独りで愉快そうにしながら正体を現す。その表面から深緑が舞い散り消えていき、一瞬で姿が置き換わる。
目穴さえも無い木の仮面と植物の服。捻じ曲がった角を備えた金の髪。垣間見える素肌は生気を感じさせない白色の、凡そ人には有り得ざる存在。
満月の下、静寂が包み込む戦場での再会。
片やフィオンは腰の剣に手を伸ばし、魔性の男は仮面の上から顎に手を当て、何か面白がる様に肩を揺らしている。
「お前が、これをやったのか? ……何考えてるか解んねえが、助けたって事は」
「勿論、私の為だよ。こんな山崩れに飲まれて終わりだなんて拍子抜けだからね。回りくどいのは好きじゃないし……本題に入ろう」
男は杖を虚空に向けて翳し、軽く先を振るった。
蛇頭の杖はその先から金砂の髪の少女、アメリアを瞬時に出現させる。
「!? アメ……ッ――。何のつもりだ? ……そいつから離れろ」
フィオンは一瞬動じかけるが、走っている様なポーズのまま静止した少女。それが無傷である事を確認し、下手に動けば逆効果だと考え踏み止まる。
フィオンには取り合わず、男はすたすたと、無慈悲に話を先に進める。
「さて……この少女とそっちのワーウルフ、どちらかを選びたまえ。選んだ方とそこのエッティ……巨人を消してあげよう」
アメリアとオリバー、片方と共に巨人を消すと言う魔性の男。
突拍子も無くからかう風でもなく、男は非道な提案をフィオンに突きつける。
消すというのがどういう事を意味するのか、説明されるまでもなく、男の気配はその真意を語る。
「……は? てめえは、何を……。何を言ってんだ?」
静止したままの人狼と少女。どちらを見る事も出来ず、フィオンは凍りつく。
必死に理解を拒絶し、頭ではしっかりと理解していまう。
「難しい質問じゃ無いだろう? 今日出会ったばかりの亜人と、大事に守ってきた可愛い女の子。君の中で優劣や序列は付いてるんじゃないのかい? それを正直に、口にするだけで良いんだ」
男は飄々と、しかし抑揚の無い声色でフィオンの言葉を急かす。
人は他人と関わる中で必ず、例え意識せずともその存在に順位を付ける。
容姿、財力、性格、能力、出生……基準は様々。決して悪い事では無い、人が人の中で生きて行く上で必要な、社会的本能に属するものの一つ。
己の内を問い掛けられるフィオン。回答を拒みつつも、脳裏に思い浮かぶ。
命の恩人であり半年の間を共に過ごしてきたアメリア。庇護すべき存在。
今日会ったばかりのワーウルフのオリバー。反目し、敵意さえも交えていた。
嫌な汗と共に、傍で地に伏せたまま動かない人狼。オリバーへと意識が向く。
「……何を迷っているんだい? そもそもこうなった原因はワーウルフ達だろう? 更にその人狼は、しつこく君達に突っかかっていた。君もそれに怒りを覚え、敵意に近い感情を返していたじゃないか」
今日の一日が思い起こされる。
族長の家でオリバーと出会い、会議の間ずっと舌打ち混じりにあしらわれていた。その後は宿にまで監視として付いて来て、更に陰気な敵意を放っていた。
ロンメルの話とアメリアの治癒で幾分かマシにはなったが、刺々しい態度は今尚少しは有る。
だがフィオンの口は――痛々しい程に強く閉じられ動かない。
「何を躊躇う? 君の言葉を聞くのは私だけ、その後起こる事も皆何も解らない。全員の命を費やしてもその巨人にはまるで敵わない。お得な取引……いや、破格の出血大サービスだよ? ぁ、中々上手い事言ったかな? ここ戦場でしょ?」
笑っている。目穴も口穴も無い木の仮面、何も表情は見えず笑い声は一つも漏れないが、間違いなく嗤っている。
それは目の前の青年だけではなく、この場の全てを掌に乗せて嘲笑っている。
その所業は青年の逆鱗を逆撫で、第三の選択肢を選ばさせた。
覚悟を決めたフィオンは口ではなく、静かに淀みなく五体が動く。
肩幅より少し広く、踵は僅かに浮かす。両足に掛ける体重は均等に、重心は僅かに前でいつでも踏み込める様に。隠す事無く剣を抜き放ち、両手で上段に構える。
元々、次に会ったならば殴り飛ばそうと思っていた相手。
拳が剣になっただけで心持に大差は無い。
男はそれが意外な対応だったのか「ほぉ……」っと小さく一人ごちた。
真っ向から殺気に曝されようとまるで何もしようとはせず、飄然としたまま何か思案している。
「それはそれで面白いんだが……。ぅ~~ん……どちらか選ぶのはそんなに難しいのかい? 君の中でははっきりとこの子――!」
男は突然フィオンから目を外し、明後日の方の夜空を見上げる。
フィオンは構えも気も緩ます事無く、その視線を目だけで追い気付く。
満月に掛かる雲、肌をなぞり木々を揺らす風、まだ僅かにたゆたう炎。それらは静止しておらず自然のままに流れており、決して時そのものが止まった訳では無いと言う事に。
「どうした? 何かまずいのか? ……てめえが何考えてようが知ったこっちゃねえが、下手な真似見せれば」
「……っはぁ……足止めにもならないか。……降参だ、君の粘り勝ちだよ。全く以って不本意だけど、こうなれば仕方が無い」
男は急に肩を落とし、やれやれと首を振って自分勝手に敗北を宣言した。
その様子は決して演技に見えず、フィオンは構えを解いて首を傾げる。先程までの楽しみようは一体どこへ消え失せ、何を感じ取ったのかと。
魔性の男は溜め息混じりにとぼとぼと、夜の闇へと歩いて行く。
だが――安上がりの大団円は決して望まず、忠告と言う名の置き土産を残す。
「選ばなかった以上、巨人は君達で何とかしたまえ。まあ、倒す必要は無いけどね。……三十秒、必死で生き抜きたまえ。私が消えてから、きっかり三十秒だ」
「っな!? さ、三十……てめ、あれ相手に……んな無茶な」
生死の懸かった戦いで三十秒。決して短い時間とは言えず、あの巨人が相手であれば正に難業と化す。距離があるなら逃げれば良いが、それも既に叶わぬ間合い。
一振りで数人、固まっていれば数十人を屠る双頭の巨人。刃も炎もまるで歯が立たず、止まっていようが勝てる気はしない。
それとの対峙を想像したフィオンは、一瞬で顔が青褪める。
動かぬアメリアにオリバー、更にすぐ近くのロンメルとヴィッキー。
四人の顔を必死で見やったフィオンは、形振り構わず生き汚く、せめて最期の譲歩を求める。
「じゅ、じゅう……十秒だけ! 先に四人で打ち合わせさせてくれ!! 逃げるとかはしねえ、せめてそん位は」
「……私はそういうの嫌いなんだよね。それはズルだろ? じゃ、頑張ってね」
少々呆れ気味の声と供に、魔性の男はフッと、一瞬で姿を消し去る。
当然、声所ではなく影も形も消え去った事により、フィオンの背後では怖気の走る暴風が吹き荒ぶ。
静止する直前までフィオンとオリバーがいた場所は、土が抉られ程好く耕かされ、その場に伏せていたのならどうなっていたか、嫌でも解ってしまう。
「っぬぉ!? フィオン、オリバー!? お主ら今そこに……アメリアも?」
「……何だいこりゃ? 空間の跳躍? そんな魔法……いや、違うか」
同時に動き出すフィオン以外の四人。目の前でフィオンとオリバーが瞬時に移動し、更にアメリアが出現した事に驚くロンメルとヴィッキー。
しかし実際に移動したオリバーとアメリアの驚愕は更に濃く、寸刻を争う場面でドタバタとしてしまう。
「!? ッ――……生きテ、イル? いヤ、ここハ……あの世カ?」
「……ぇ? フィオン? それに皆も……え゛!? ちょ、巨人近……」
動転する四人と、余りに時間が足りず焦りに焦るフィオン。
その背後では巨人が首をひねりながら、今度こそ羽虫を潰すべく巨大な棍棒を持ち上げ直す。
二十四年の人生で最も必死になったフィオンは、今すぐ伝えるべき事を短く端的に仲間達に飲み込ませる。
「ッ~~――三十秒!! 三十秒凌げば助かる! 今はそれだけ解れ!!」




