第41話 ハウリングムーン
左翼での不意の戦闘を受け、包囲している大洞窟からも喧しい声が聞こえだす。
だがワーウルフ達は動じる事無く、左翼を除き一斉に油壺の投石と火矢の斉射が開始される。実戦経験豊富なワーウルフ達はこの程度では足並みを乱さなかった。
中央のワーウルフ達は機転を利かせ左方面に多く火矢を放ち、洞窟の出入り口のほぼ一面が炎に包まれる。
フィオン達の不安は杞憂に済み、胸を撫で下ろして次の準備に掛かる。
「ヒヤリとしたけど、出だしはまあまあかね? 迎え撃つとしようか」
火矢を射ち終わり、ヴィッキーとロンメルが前に出る。
ワーウルフ達に魔導士はいない、この場の魔導士はヴィッキーのみ。
オリバーが気圧された様にワーウルフ達も魔導士の戦力価値は理解しており、おくびにも出さないが、救援の中に魔導士がいた事には内心では感謝をしていた。
「寝込みに火攻めならもう少し楽だったろうがのお。来るぞ……構えておけよ」
フィオン達はアメリアを後ろに、オリバーを加えて四人が前面に立つ。
敵が近づけばフィオンとヴィッキーは下がるが、まずは横一列で迎撃を行う。
オリバーはロンメルと共に前衛を引き受ける手筈であり、武装も近接用のもの。
手甲や足甲の部分的な重装と、くの字方に湾曲した大型のククリナイフ。肉厚で重厚な刀身は鋭さと強靭さを併せ持ち、この一本だけで高い汎用性を持つ。
「そう苦戦してる様には見えねえが、あっちの援護とかは要らねえんだな?」
矢を構えたままフィオンは包囲の逆、左の乱戦を見やりオリバーに問い掛ける。
見た所ワーウルフ達が圧倒しているが、それでも数が多く中々全てを掃討出来てはいない。スケイヴ達にとっても不意の遭遇だったらしく、月明かりの下で一方的な攻勢が続いている。
「見たまんまダ。俺達は洞窟から出てくるのを叩ク、火と月で灯りは充分……!」
言うが先か見えるが先か、洞窟を包む炎を突っ切り、大量のスケイヴが全方位へと大挙する。手にする得物は錆びた剣から削り出した木の槍まで様々。
目には一様に狂気を浮かべ、囲まれている状況に怯みもせずに殺到する。
だが無慈悲な包囲は、鼠達へ容赦の無い歓迎を行う。
弓矢、投石、投げ槍、投げ斧、更にはヴィッキーの炎の魔法。まだ姿を見せない大型の魔物には温存しつつも、スケイヴ達を鏖殺するには充分な暴力が放たれる。
今まで村の防衛に徹してきたワーウルフ達は、表情一つ変えずに積もり積もった鬱憤を晴らす。轟火と満月に照らし出され、真っ赤な報復の華が咲き乱れる。
「ッ――出やがったか! あれが……オーグル」
暗緑色の肌の三メートル程の人食い巨人、二匹のオーグルが姿を表す。
ワーウルフ達から奪った防具の寄せ集め、家屋の柱にも等しい棍棒。それらに武装し地を揺るがす雄叫びを上げながら、まっしぐらに包囲へ突進する。
二匹は連携する様に包囲の中央へ、炎も矢も物ともせずワーウルフ達の中へと殴り込む。便乗したスケイヴ達も雪崩れ込み、戦場の中央は一気に乱戦状態になる。
「あれでは飛び道具での援護は……。幸いわしらの方は無事じゃ、ここは……」
「こっちは俺とヴィッキーで大丈夫だ。ロンメルとオリバーは――!?」
炎と矢の雨を突き破り更にもう一匹、オーグルが姿を表しフィオン達が陣取る右翼側へと突撃して来る。手には木製の棍棒と大きな錆びた盾。
勢いを利用した初撃はフィオン達のすぐ左側の列を蹴散らし、そのままスケイヴ達も交えての混戦状態に突入する。
「ッチ、もう一匹いやがったか、アメリアは俺の後ろに――ロンメル!」
「言われずとも。こちとらずっと待っておったんじゃ、っよお!!」
三匹目のオーグルは想定外だが、打ち合わせ通りに近接戦に対応する。
射撃手を二人備えたフィオン達が乱戦に入っていけば、その戦力は大きく下がる。ロンメルとオリバーもそれで手持ち無沙汰になる事は無く、スケイヴ達は待っていても殺到してくる。
ロンメルとオリバーは来る端からスケイヴを打ち倒し後衛を守り、フィオンとヴィッキーは誤射を避けつつ、無理の無い的を狙い射つ。
戦心が据わっているワーウルフ達は混戦にも巨体のオーグルにも怯まず、果敢に勇猛に、乱戦の中で血風を切り結ぶ。
守られてばかりでもなく、アメリアもこの激戦の中で目を走らせ勝機を見出す。
「フィオン、あれ打てないかな? あれならちょっと外しても」
「……当てれば一気に楽になるな。やってみるか」
混戦状態にあっても、三メートルを越すオーグルの巨体は一つ飛び抜けている。
アメリアに指し示され、フィオンはその頭へと狙いを定める。外したとしても周りのワーウルフ達に当たる事は無く、命中すれば有効打となる。
オーグルが棍棒を振り抜いた硬直を狙い、フィオンの矢はその側頭部を捉える。
鏃はしっかり肉を抉るが、オーグルは少しよろめく程度で持ち堪えた。
巨躯に比例した頭骨の厚み。矢はそれを貫通出来ず、致命傷には至っていない。
オーグルの双眸は怒りに塗れしっかりとフィオンを睨み据え、ワーウルフ達を蹴散らしながら一直線に突っ込んでくる。
「っな!? 頭に矢で生きてるって――ロンメル、すまねえが」
「そう焦るでない。オーグルならば経験が……ぬぅ、っつ゛あ゛!!」
オーグルの正面に立ちはだかったロンメルは、突進に合わせて渾身の突きを繰り出す。狙いはオーグル自身ではなく、手にした錆びた大盾。
魔道の義手による一撃は大盾に強烈な衝撃をもたらし、鈍く短い金属音と共に、オーグルはバランスを崩したたらを踏む。間髪入れず矢と炎がオーグルを捉え、仕留めるまではいかずとも苦しげな咆哮が辺りに響く。
「良い連携ダ。一つ――貰っておくゾ!!」
ロンメルの脇をすり抜け、オリバーがオーグルに一息に走り寄る。
青みがかった毛並みとしなやかで勇壮な四肢。満月の光に照らされながらオーグルの膝を足場に、その喉首を切り裂き月下に舞う。
血の軌跡と湾曲したナイフは一筋の弧を描き、中天に輝く月への飾り物となる。
着地と同時にオーグルは悶えながら地に倒れ伏し、その死体の上で狼然とした遠吠えを戦場に響かせた。
周りのワーウルフ達はそれに呼応し士気を上げ、残ったスケイヴ達を血祭りに上げる。右翼の攻防には決着が付き、フィオン達は一息付きつつ次へと向かう。
「なーんか……良いとこ持ってかれちまったねえ。誰が仕留めようと関係ないし、見栄えは悪くないけどさあ」
「ほれ、まだ終わってはおらん。向こうの二匹は健在じゃ、加勢に向かうぞ」
褒めつつも釈然としないヴィッキーの背を押し、フィオン達は依然激戦の続く中央へと向かう。
中央では二匹のオーグルがスケイヴ達を率い、手傷を負いながらもワーウルフ達と激戦を繰り広げている。周囲には夥しい鼠達の死体と、傷ついた人狼達。
何人かのワーウルフ達は少し離れた場所に負傷者を集めており、アメリアはやるべき事を見出し必死に訴え掛ける。
「フィオン、私は向こうに! あそこならそんな危険じゃないし、それに」
「……解った、ただしいざとなったら逃げろよ。ワーウルフ達もお前になら目を掛けるだろうが……もしもの時は正体バラしてでも守ってもらえ」
村での診療所での一件もありワーウルフ達の態度はかなり和らぎ、実際に治癒を施したアメリアに対しては更に穏便なものとなっている。
もしもの場合を言付け、フィオンはアメリアを送り出す。それが最良であると信じ、少女がいるべきは血と刃が飛び交う戦場ではないと考え。
四人は戦場の中央、傷を負いながらも暴れ回る二匹のオーグルに向き合う。
ワーウルフ達もまだ奮闘してはいるが、二匹同時は流石に苦戦している。
今度は予め打ち合わせて釣りだしを狙い、フィオンとヴィッキーで狙いを絞る。
「右の奴を狙うよ!! 間違って二匹釣っちまったら大惨事だからねえ」
ヴィッキーは瞬時に右のオーグル、より傷つき興奮した方を見出す。
それに続きオリバーは周囲のワーウルフ達へ、フィオン達には解らないが彼らの言葉で呼び掛けを行い作戦を広く伝える。
弓矢と炎は同時にオーグルの頭を捉え、やはり致命傷には至らぬものの、文字通り頭に血を上らせた。
逆上し血走った双眸でフィオン達を見据え、殺意と棍棒を叩き付けんと向かってくる。事前の呼び掛けによりワーウルフ達はその道を開け、好機に牙を剥かんと呼吸を合わせる。
「オリバーは左を、腕は任せい」
「ッ……任せロ――合わせるゾ」
オーグルが右腕で振り払う棍棒、ロンメルはそれを見切り槍で突き合わせる。
幾ら見切れようとも、常人の膂力では足りない質量のぶつかり合い。魔道の義手はそれを可能とし、ロンメルはひたすら踏み止まる事に全力を尽くす。
木の棍棒は鉄杭の槍に打ち砕かれ、オーグルは大きくバランスを崩した。
ロンメルに合わせたオリバーはそれを見越して走り出しており、オーグルの左足を切り裂きながら駆け抜ける。
腱を切断された足はものの役には立たず、巨体は地響きを起こしながら派手に地面に突っ伏した。手薬煉を引いていたワーウルフ達は、倒れ伏したオーグルへ瞬時に詰め寄り、その全身を膾切りにする。
悍ましい断末魔と血の嵐が巻き起こり、残るオーグルはあと一匹となる。
止めに参加し全身に返り血を浴びたオリバーは、それを手で払いながらフィオン達の前へと戻って来た。
「あと一匹ダ……何とかなったナ。……少し早いがお前達には感謝ヲ」
「気が早えよ、もうちょっと待……まあ、あの分なら問題ねえか」
残ったオーグルは全身に生傷を負い、まだ暴れ回ってはいるが息も荒く、それも時間の問題。ワーウルフ達はしっかり戦いの終わりを感じ取り、安全に仕留めるべく連携をしている。
スケイヴ達も殆ど討ち取られ、戦いの終わりは既に見えていた。
――ここまでは。
「さて……最後は囲んで射撃かのお。わしの出番はもう――!!??」
全員の緊張感が薄れると同時に、それは唐突に、戦場を覆いつくした。
思わず皆が耳を塞ぎ、その場に立っているのがやっとの鳴動。本能的な嫌悪を掻き乱す怖気の走る音。――否、音ではなく魔性の叫び。
絶望で心は塗り潰され、戦う気力そのものが消え失せる。
オーグルさえも恐れをなしたのか、立ち尽くすワーウルフ達に脇目も振らず、夜の暗がりへ姿を消してしまった。
「なん……だこりゃ……。オーグル……違う。それにこれは……」
響く雄叫びは二つ。互いに反響し合い大地を揺るがし轟く。
皆の視線は音の中心、大洞窟へ嫌でも釘付けになり――ゆっくりと姿を表す。
洞窟の天井を削り崩落させながら、一体の巨体、二つの頭が月光と炎に照らし出される。岩の様な肌、オーグルを遥かに越える巨体、それを覆う骨の鎧。
「……ロンメル、あれは何か、知ってるかい? あたしは……さっぱりだ」
「冒険者をやってきて……ニ十年位じゃが。あんなもの……初めて見るわい」
比喩でもなく岩の肌、双頭の巨人。オーグルの倍以上ある巨大な図体。
身に付けた人狼達の骨の鎧は、ワーウルフ達に怒りではなく諦めを齎す。
崩れた洞窟から手頃な岩、それもまた数メートルの石柱を軽々と持ち上げる。
一瞬で戦場を支配した絶望の化身は、猛然と、目に付く端から襲い掛かった。
「こうなれば……わしは残って義務を果たす。お主らはその間に」
「馬鹿言ってんじゃねえ! あれ相手に何が出来るってんだ!? オリバー、悪い事は言わねえから今は……!?」
呼びかけられたオリバーは、震えを抑えナイフを持ち直す。
既にフィオン達に『戦う』という選択肢は頭から消え去っていた。
人間には不可能というものが有る。
山を持ち上げる、海を枯らす。そういったものは神話の御伽話であり、目の前で起こっている現実は正にその域にある。
巨人の一薙ぎで歴戦のワーウルフ達が数人単位で消し飛ぶ。膝下にまでしか届かぬ人狼達の武器は、一片の傷すら付けれず枯れ枝の如く蹴り飛ばされる。
矢も炎も決死の足掻きもまるで歯が立たず、戦闘とは呼べない光景。
それはただの掃除であり、巣に群がった蟻を払う規格外の存在の所業。
向かって行く事は、紛れも無い自殺行為でしか無かった。
「オリバー!! ……てめえの村や一族がどうたらってのは……解ってる、つもりだ。……だけどな」
「だけド、何ダ? お前ハ、あんナ……あんな風に同胞達ガ……。 腰抜けの猿共は引っ込んでいロ!! 逃げたきゃ勝手に逃げやがレ!!」
制止を振り切り、青灰の人狼は殺戮を謳歌する岩山へと突っ込んで行く。
最早後には引けぬと、仲間達の仇を一矢報いると。無謀と知りつつ爪牙を剥く。
フィオン達はそれを、愚かと嗤う事は出来ない。
親しい者達の為に自らを賭す。それは人も亜人も変わらぬ心の衝動。
故にこそ――この場を離れる事も出来ずに進退が窮まる。
ロンメルを引き留めるヴィッキーは苦々しげにオリバーの背を目で追い、フィオンは何かを思案した後に、弓を仕舞い息を整える。
「ッチ、バカ犬め幾ら何でも……。どうすんだいフィオン? ジジイはふん縛ってでも連れ帰るが……あいつは……」
「救援に来た全員が逃げる訳にはいかん、あ奴らを見捨てる事も出来ん。一人でも残れば面目も立つじゃろう。お主らは逃げて軍を呼びに……えぇい離さんか!」
先々を見据えた二人の目算、それをはっきりと耳に入れながら、しかし青年の目は前を向く。計算や面目よりも先に、目の前の現実を無視出来なかった。
「二人共、アメリアの事頼んだ。先に村戻って避難とか色々……」
体は軽く踏み出す足は強く。
狼の革を纏いし狩人は、今は助ける為に狼の背を追う。
「ちょ、フィオン!? あんたいい加減に……死ぬ気かボケエ!!」
親身な罵倒を受けフィオンは絶望へと立ち向かう。その顔は決して英雄のものではなく、恐怖と怖気を必死で堪える一人の青年でしかない。
だが地を駆ける足と睨み据える青眼だけは真っ直ぐと、やるべき事から目を背けずにひた走る。
まだ早過ぎる、まだ力の足りない試練を前に、その萌芽を業火へとくべる。




