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ボルドルーンサガ ブリタニア偽史伝  作者: ギサラ
第一章 ヒベルニア冒険譚
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第35話 亡者の感情

 あわやという場面で立ちはだかったアンディール。

 その直ぐ後ろには狼狽える彼の仲間の女戦士と、事態に気付く余裕さえもなく治癒に専念するアメリア。

 アンディールは歯を食い縛り、左肩を噛ませたまま剣で右目の奥、ヘルハウンドの脳を狙うが、先に魔獣の方が身を引いた。

 前足でアンディールを払いながら後ろへ飛び退く魔犬。激痛にのたうち頭を振って剣を抜こうとするが中々抜けず、血飛沫と不快な唸りを撒き散らす。


「アン――! いや、今は」


 フィオンは一瞬アンディールに構いかけるが、視線でそれを咎められる。

 今すべき事は全くの逆。決して気遣う事ではない。

 放り投げた弓を手に取り矢を番え、出来る限り魔犬の頭を狙って射掛ける。腹側への攻撃が効かない以上、弱点は頭しか無い。

 だが苦悶で暴れ回る魔獣の頭。的が絞れず、中々有効打にはなってくれない。

 アンディールはそれを見て舌打ちし、再び身を起こそうとする。


「っち、やっぱ直接……ぶん殴るしか」

「アンディ、その怪我はやばいって……。この子治癒が出来るの、今は……」


 得物の弓矢を破壊され、怪我人の治療と保護に専念していた女戦士、アデオラ。

 アンディールの怪我を気遣いアメリアを見るが、少女は目もくれずにか細い息を続ける淑女へと、治癒の力を使い続けていた。

 アンディールもまた彼女の制止を振り払い、もう一人の横たえたまま動かない男、その遺品の槍を手に立ち上がる。


「ここを任せる、あと少しだ。……今は、抑えろ」


 誰に何を抑えろか、明言はせずにアンディールは再び戦線へ戻る。

 ヘルハウンドの相手は今は三人。戻って来たロンメルが前衛を張り、盾と曲剣を構えた剣士シークがそれを補い、フィオンが弓矢で黒獣の左目を狙っている。

 アンディールもそこに加わり四方から攻め立てるが、強靭で鋭い毛皮と鋼の様な筋肉を備えた巨躯は、まさに動く要塞。

 囲んでいるフィオン達が囲んでいるままに、魔犬は桁外れの暴威を振り撒く。


「ッヌッい゛……何か手は無いか!? わしもこれは、がっあ゛……」


 盾持ちの二人が入れ替わりながら正面を押さえるが、手傷を負った魔犬は狂気を増してそれを攻め立てる。どちらが優勢かは、火を見るより明らか。

 囲んで攻めている筈が逆に追い詰められるというどん詰まりの苦境。

 ベテラン達は頭と目に鞭を入れ逆転の手を探るが、妙案は浮かばず焦りが募る。


「このままじゃ……。いや、何か――!」


 一人魔犬から距離を取り、弓矢での攻撃に徹していたフィオンはそれに気付く。

 教会中央の上部、錆びた留め具でかろうじてぶら下がる巨大なシャンデリア。

 どれだけの重さかは解らないが、お誂え向きな形状と大きさ。直撃で倒せるかは解らないが、身動きを止められれば勝機となる。

 フィオンはすぐさま声に出そうとするが、目が合ったアンディールも同時に気付き、互いに頷きだけで意思を合わせる。

 歴戦の戦士は戦いの機微を敏感に感じ取り、無駄なく低い声で指示を飛ばす。


「フィオンは狙い定めて待機。ジジイとシークは――!?」


 流れに敏感なのは魔獣も同様。

 フィオンの微かな変化を感じ取ったヘルハウンドは突如として反転。獣を超越した五感は微かな希望さえ嗅ぎ取り、作戦の鍵を握る狩人へ猛然と襲い掛かる。

 策を見出し僅かに意識が逸れていたフィオン、剣を抜く刹那さえも無い。

 横薙ぎ、大刀の如き神速の魔爪。間近まで迫り――成す術は無い。


「ッ!? ッぢっあ゛が――」


 突進の勢いのままに振るわれた魔獣の大爪。対するフィオンは咄嗟に両腕でガードしながら、後ろへ飛ぶのが精一杯。

 魔犬はしっかりと手応えを感じ、狩人は勢いのままに壁に叩きつけられる。

 べしゃりと地に落ち身悶えするフィオンの腕は、何とか事無きを得ていた。


「っづ……ぐぅ。……帷子がなかったら、終わって、たか……?」


 革鎧の下にしっかりと縫いつけられた、バロメッツの帷子。

 目には目を、歯には歯を。魔の凶爪には魔の帷子を。

 怖気の走る魔犬の爪を何とか食い留め、フィオンの両腕は痣のみで済んでいた。

 それを確認しつつ、アンディールは何かをシャンデリアの下に置き、必死に自身の血をそれに塗り込んでいた。


「フィオン、狙えるなら狙って待機、無理ならさっさと言え!! ジジイとシークはあっちを向かせろ!!」


 指差す方は、シャンデリアに対し九十度の方向。魔犬の頭というよりは、潰れた右目を誘導させる。鋭い声で指示を出しながらアンディール自身も走る。

 前衛二人はその意図を瞬時に理解し、盾を打ち鳴らし魔犬の注意を引く。


 見え見えの陽動に、ヘルハウンドは再び盾の二人に向き合うフリをしつつ、隙のある者或いは手負いの者を求め、全方位へ五感を走らせた。

 瀕死の重傷者と治療する二人、アンディールがその直線を遮り構えている。

 既に起き上がっているフィオンは、剣を咥え弓矢を構え、今は隙が無い。

 狙い所の無い陣形。魔獣は一瞬歯噛みするが、直ぐさま()()に気付く。


 魔犬の最も優秀なセンサーである嗅覚は、教会の中央から新鮮で濃い血の臭いを嗅ぎ取り、抉られ視力の落ちた右目は、地に伏す()()を人型だと正しく認識する。

 地獄の凶犬は舌なめずりして口角を歪ませ、瞬時にそれに襲い掛かった。

 反応も何も出来ない仰向けの人型は、血を求める大牙を無防備に受ける。


「やれ、フィオン――!!」


 アンディールの声を受ける前に、フィオンは傷む腕に鞭を打ち、シャンデリアの留め具を打ち抜いた。着色ガラスの陽光を受け、落下する大仰な飾り燭台。

 魔犬の口に収まるは、血を塗りたくられた磔の聖人。まんまと釣られたヘルハウンドの頭上へ、派手な音と衝撃をぶちかまし――落ちる。


「今じゃ! 逃すでないぞお!!」


 四人は即座に殺到し、得物の固い部分で必死に魔獣の頭を打ち据える。

 盾、剣の柄、槍の石突、挙句は教会の椅子や瓦礫の塊。断末魔を打撃音で上塗りし、返り血は一顧だにせず、一心不乱に魔犬の頭を撲り続ける。

 教会に鐘は鳴らず、ただ鈍く短い殴打の音だけが祭壇に響き渡る。


 ――暫く経ってから三人は手を止め、荒ぶった息を整える。

 ステンドグラスからの虹彩を受けるは、頭蓋を砕かれた魔犬の成れの果て。

 床に穴が開く程に叩き潰され、最早生死を確認するまでも無い。


 だがアンディールは一人、何かに取り憑かれた様に、既に息絶えた事を解りつつ、手を休めずに打ち続ける。

 全身に返り血を浴び、息は絶え絶えに。まるで何かを振り払う様に。


「アンディ、もうこいつは……。それより早く……まだラライネは……」


 盾と曲剣の剣士、シークはアンディールを止めようとするが、男はそれを振り払い瓦礫を手に掴む。何かを目に入れない様に、何かを否定する様に。

 フィオンはそれを肌で感じ取り、何も言う事は出来なかった。

 部屋の片隅で続く治癒、アメリアの方へと駆け寄る。


「わしはヴィッキーを見てくる。フィオン……すまんが頼むぞ」

「……ロンメルが謝る事じゃねえよ。大丈夫だ、俺は」


 一言だけ交わし、依然動かない重傷者とその治療者達の下へ。

 泣き崩れた女戦士アデオラと、顔を絶望に染めつつ治癒を続けるアメリア。

 その手が翳されている女性は、虚ろな瞳で虚空を向くのみ。

 微かな息はまだ何とか続いているが、既に深紅で染まり切った腹部からは、依然出血が止む様子は無い。


「アメリア、その人は……」

「……私、ちゃんとやってる。ちゃんとやってるの。でも……でも……」


 アメリアの力はいつもの通り、治癒の力をしっかりと使っている様に見える。

 だが治癒を受ける女性の息は弱く、更にか細くなっていき、とても回復には向かっていない。フィオンの目から見ても、それももう長くは……。

 もう一人の横たえていた男性は、既に事切れ、腹と顔に布を掛けられている。


 わなわなと震えながら、まるで自身の失敗か何かを見られている様に狼狽えるアメリア。それを前にフィオンは言葉がみつからず、共に膝を折り優しく肩を抱き寄せるしか出来ない。

 剣士シークが引っ張ってくるのは、返り血に塗れ、顔から生気が消え失せた一人の戦士。既に全てを悟っているアンディールであった。


「アンディ……パーラグは、もう逝ったよ。せめてラライネには、なあ?」


 シークはアンディールの肩を叩き、息が弱くなっていく女性の横に座らせた。

 その体に活力は無く、目は呆然と、横たわる淑女を見つめるのみ。

 傍にアンディールが来た事に気付いたのか、全く生気のなかった女性、ラライネは手を伸ばす。その目は依然虚ろで、光を捉えてはいない。


 彼女の手に気付いたアンディールは目に色が戻り、必死に両手で握り込む。

 焦りや困惑の感情を浮かべ、ラライネの顔を見やる。

 口は言葉を探す様に小さく震え、目端には感情を表す雫が湧き上がる。


「あ、っぁ……ぃ、今……まだ――」


 ラライネは最期に呼吸ではなく、言葉を選んだ。

 既に役目を果たせない目で、それでもアンディールの目を見つめ。

 音を出せない口はしっかりと、その真意を彼に伝えた。

 アンディールが握る白く美しい手から、微かに宿っていた力さえ――消える。


「…………おい? ……なぁ? …………ライネ?」


 か細く擦り切れそうな、男の恵体には似合わない声。

 困惑と疑問と、全て解っている故の感情に染まり、男の心は沈んで行く。深い海の底へと、真黒で何も無く、一粒の陽光さえ届かない深淵へと。

 他者が掛けれる言葉は無く、フィオンは静かに、未だ治癒を続けていたアメリアの手を握り引き寄せる。少女の身は震え、咽びは押し殺せずに微かに漏れる。


「アンディ……あんたが悪い訳じゃねえよ。今回選んだのは……。いや、そういう問題じゃねえのは解ってる、だが……」


 シークは何とか言葉を探し声を掛けるが、誰も何も反応は無い。

 廃墟に流れるのは、少女の嗚咽と無情な風の音。

 男はもう動かなくなった淑女の瞼を閉ざし、頬を撫で、一言だけを風に乗せる。

 ――ぼそりと、泥に沈んだ言葉。


『どうして……お前が……』


 感情が有る故に発され、そして、まるでそれを感じさせない音。

 亡者では発せない言葉でありながら、紛れも無く亡者の響き。

 溢れんばかりの激情を湛え、その影さえも見せない暗泥。


 耳に入ってきた言霊に、無意識に、フィオンの拳は握られる。

 抱き寄せていたアメリアの肩と手を強く握ってしまい、苦しむ声に反応し思わず手を放す。自身でも制御の効かない、原因も解らない体の反応。


「ッ――!? ……アン、ディール。なぁ、今のって……どういう……?」


 問われたアンディールは何も返さず、泣き崩れたアデオラを起こし、静かに涙するシークに目で訴え、撤収の準備を始める。


「俺がパーラグを……ライネは頼んだ。シーク、先導を任せる。一先ず中庭を目指すぞ……」


 フィオンの問いに返答は無い。フィオンもそれを追求する事は出来なかった。

 熟練の戦士は感情を抑え込み、リーダーとしての責務を果たすべく、己を殺している。それを痛感した心は、それ以上の負担を背負わせる事は出来なかった。

 遺体を背負う男の顔は、絶望でも憤怒でもなく、鉄の様に冷たい顔でいる。


 それを哀れむ様に或いは映す様に、空は灰の雲に覆われ、俄に雨模様となる。

 夏の終わりの風に乗り、冷たい空気と雫が廃墟に吹き込む。静かな激情を鎮めさせようとする冷たい雨。

 だが男の感情は心の奥に蓋をされ、熱を発することも失う事も無かった。


 部屋を出た先には、いつもの活力は面影も無いヴィッキーが、ロンメルと共に待っていた。帽子を取り、深々と頭を下げ、誰にでもなく謝罪をする。


「すまない、完全に足を引っ張った。……それで済むとは思わないが、望むならあたしらの報酬は……」


 ヴィッキーの申し出に対しアンディールは反応を見せず、通り過ぎ様に軽く肩を叩くのみ。何も言わず何も求めず、そのまま出口へと進んで行った。

 被害が出たのはフィオン達が到着する前であり、ヴィッキーの喪失は直接の関係には無い。だが戦闘で遅れを取った魔導士には何の価値も無いと、自身が最もよく理解している女は、涼しい顔でいる事は出来なかった。

 老兵は魔導士の頭を生身の左手で撫で、言葉はなくともそれを慰撫する。

 フィオンと、まだ涙ぐむアメリアと合流し、ロンメルはようやく口を開いた。


「わしも遅れを取った、理由の方は……。すまんが話せる様になった時に、じゃがしっかりと話す。今はそれで勘弁して欲しい」


 責めるつもりも無いが、ロンメルとヴィッキーの喪失に一切思う所の無いフィオンでは無い。言葉は無く頷きを返し、帰路につく。


 帰り道に邪魔は入らず、二つのパーティは中庭で第一軍と合流する。

 東棟の探索を終え西棟へ向かいかけていた最中の軍人達。互いの言葉は少ない。

 魔獣の討伐は成功、両方のパーティで協力して仕留めた。簡潔に、アンディールはそれだけを伝える。

 背負うものを見て第一軍は犠牲者に気付き、一定の弔意は示すものの、自己責任の確認を怠らない。


 アンディールもそれに言及する事は無い。

 冒険者の被害はあくまで冒険者自身の自己責任。それは依頼者が誰であろうと変わる事は無い。身内以外からの感情や干渉も、求めてはいなかった。


 キャンプに引き上げ帰り支度を調えるフィオン達。

 依頼は成功に終わり、自分達には犠牲は無い。

 交わされる言葉は無く、足取りは重い。

 辺りに響くのはもう一つのテントから届く、雨音に混じる慟哭の声だけだった。

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