第34話 魔獣再謳
「面目無い……。上手い事乗せられたあたしの責任だ」
熾烈な勝負の末アンディール達と別れ、フィオン達は一階を進んでいる。
幾つかの小部屋を探索したが接敵も発見も無し。荒れ果てた城塞内は時折横風が吹き抜けるのみで、静寂を保っていた。
誰が責めている訳でも無いが、責任を感じているヴィッキーは少し肩を落とし勢いを弱めている。
「誰かが決めないといけなかったんだし……。獲物は二階と決まった訳でもねえ、気にすんなよ」
「……でもアンディールさん、絶対に二階にいるって感じだったよね。何か気付いてたのかな?」
アメリアの指摘通り、じゃんけんに勝ったアンディールは自信満々で二階を即決していた。何か確信でも得ている様な顔ぶりで。
フィオン達よりはアンディールを知るロンメルは、少しいい加減な男の内面を語る。実際に何度か、共に仕事をこなした経験に基づくものを。
「決してそればかりでは無いが、あやつは勘やら推測で突っ走る所もあるからのお。良い点でもあるが悪い点でもある。或いは、天井が崩れた時に近付いたあいつだけ、何かを見たか……いや、これこそ推測じゃな」
標的であるヘルハウンドを探し、フィオン達は更に踏み入って行く。
建物の構造は把握出来ており明るさも充分だが、どこに潜んでいるか解らない魔獣を探しながらの進行は、精神を削る。損壊の多い廃墟は足元にも注意が必要であり、死角や隠れられる場所も多く気を抜く事は出来ない。
アンディール達と一緒だった時は彼らの助けや明るい気配りも多く、それらに支えられていた事をまざまざと感じさせられる。
「……ヘルハウンドなら俺とロンメルは戦った経験がある。この明るさなら奇襲を受ける事もねえ。警戒は必要だが、気張り過ぎずに行こう」
ロンメルの話では、今回の様な個別で依頼になる魔物は総じて強敵であり、頭も切れる。体の大きさや膂力も通常を上回り、二倍程度は覚悟しておけとの事。
だが、弱音を吐く訳も無い。本来は自分達だけが当たり前なのだから。
通路脇の小部屋を一つずつ探索し、歩みは遅めずに先へと進む。
全く変化が無い訳ではなく、奥へ進むにつれて少しずつ、廃墟に変化が訪れる。
「っと、ぉ……こいつは風化ではないな。乱暴に使われてもこうはならん……何か強い力でぶち抜かれたか」
自然に壊れた訳ではない、強い力で折れ曲がったドアの留め具。ロンメルが軽く触れただけで錆びたそれは、崩壊しドアが倒れ伏す。
それを皮切りに、あちこちに傷跡が増して行く。
切り裂かれた様な跡を残す、絨毯や調度品の数々。硬いものがぶつかり欠けた、石壁の破損。赤黒く乾いた血溜まりや、その上を何かが引き摺られた跡。
奥へ行くに従い段々と数と激しさを増していき、血生臭い所業が脳裏を過ぎる。
「なぁロンメル、魔物ってのは互いに争い合ったりするのかい? あたしが知る限りそんなのは知らないが……。依頼書によるとここが放棄されたのは数十年も前だ。井戸も枯れてたし、人が住むのは不可能だ」
「わしも知らんが、魔物に関して全てを知っとる者なぞおらんじゃろ。それより注意しておけ。この分じゃと……わしらが当たりを引いたかもしれん」
警戒を強め、フィオン達は更に先へと進んで行く。
聞こえてくるのは風の音と、それにはためく破れたカーテンや旗の音。ドミニア王国の国旗では無く、見覚えの無い柄のものが虚しくもはっきりと、まだかろうじて旗として残っている。
通路の最奥、一階最後の部屋。
万全の準備でドアを押し開けるが、中から飛び出して来るものは無い。
踏み込んでみても変わらぬ廃墟であり、戦闘の痕跡や血痕等も無い。
大きめのホール状、開けた広い空間、中庭や外を見渡せる造り。僅かに形状を留めた大きな長机等から察するに、指揮官階級の作戦室等と思われる。
「外れか? 何もいねえみてえだが」
「ふむ……一応はしっかりと調べておこう。油断はするでないぞ」
気配等は感じないが、壊れた家具や瓦礫等、物陰や死角は多く広い空間。
隠れようと思えば隠れられる場所は多く、魔犬ヘルハウンドならば尚の事。魔物はしっかりと頭を使って戦ってくる。
依然警戒は緩めずに、四人は部屋をぐるりと調べ回る。
風雨に曝され朽ち果てた机や長椅子。中のものは全て消え失せた大きな棚。壁や天井が崩れたであろう瓦礫の山。
何も成果は得られず、物陰から何かを見つける事も襲い掛かられる事も無く、程無くして探索は終える。
「もしかしたらと思ったけど……やっぱり上だったのかねえ。早いとこ戻って合流するかい? 流石にサボってたら報酬に響くだろうし」
「西棟自体が外れって可能性もあるが……そうだな、まずは戻って二階の、ん?」
東棟の第一軍か、二階のアンディール達か、どちらかに合流しようと話し合っていたが、アメリアが何かに気付いた様子で石壁の一点を睨んでいる。
フィオンもそこを睨むと、破れてはためく旗の裏に、妙な血の跡があった。
まだ乾き切っておらず縦に真っ直ぐ、定規で引かれた様に途切れている。
「なぁロンメル……あれって、血だよな? まだ新しいけど、あれは」
「……隠し間じゃな。兵を伏せておいたりする場所じゃよ。やれやれ……こういう部屋であればそりゃ一つ二つはあるわいな」
ロンメルは槍で旗を剥ぎ取り、血が示している隠し扉に穂先を合わせた。
アメリアを褒めつつ、フィオン達も迎撃の準備を整える。恐らくそう広くは無いスペースだろうが、何が潜んでいるかは解らない。
槍に押し開かれた石扉の先には赤い――肉の破片――血の空間。
「っち……外れも良いとこだね。いや……これは買い取って貰えるか?」
「ん――ヴィッキー、私は平気だよ。……あんまり見たくはないけど」
アメリアの目を手で覆い、ヴィッキーは吐き捨てながら算盤を打つ。気休めかやせ我慢か、はたまた素面か。幾分かだけ、他三人の気は紛れる。
隠し間の中は四メートル平米程の空間。その中はびっしりと、恐らくは道中で遭遇した魔物スケイヴが複数、原型を留めない程に細切れにされていた。目や耳を集め数えれば何匹分かは判るだろうが、とても正気では行えない。
ロンメルは速やかに扉を閉じ、一目で入り口が判る様に印を刻み付けた。
「……ったく、胸糞悪い。流石に、人の仕業とは思いたくねえな」
「こうなるとこっちにおる可能性が高いじゃろうな。急いで二階に――!?」
目にしてしまった惨状。その具合から標的は西棟と確信したフィオン達の下に、激しい戦闘音が響く。
壁に空いた穴の上方から――ついさっきまで共にいた、アンディール達の得物が思い起こされる。
長柄武器が振り回され、辺りを蹴散らす破砕音。剣戟を弾く様な、鉄盾が鋭い何かを防ぐ金属音。壁や床を削りなぞる、低く鋭い剛剣の音。
東棟ではない。すぐ上で激しい戦闘が起こっている事をフィオン達は把握する。
「ロンメル、急いで向かおう!! こいつは」
「解っておるが落ち着け。急ぐが焦らず、落ち着き速やかにじゃ。加勢に向かうわしらが躓いては元も子も無い。……良いな?」
崩壊の恐れもある廃墟での激しい戦闘。それは建物の倒壊等を気に掛けれる余裕の無い、相手が強敵であると言う証。
今すぐにでも走り出したいフィオンは、ロンメルの鋭い目と落ち着いた声で何とか踏み止まる。今成すべきは迅速に、無事に辿り着く事。
それをしっかりと理解し、深く息を吐いて焦りに流れる汗を抑える。
「……大丈夫だ、行こう。ペースは任せる。……よく考えりゃ、アンディール達が簡単にやられる訳がねえ」
隊列を整え来た道を戻り、二階へと真っ直ぐに進む。既にアンディール達が探索済みであるという事を踏まえ、焦らずに速やかに。
遮るものは何も無いが、あちこち崩れた通路自体が妨害となる。更に進むにつれて先程の戦闘音は、段々と強く激しく、耳へと届き気を急かす。
奥歯を噛み締め、しかし急がず。フィオン達は心を抑え足を進ませる。
道中も一階と同様、進む毎に古い戦闘跡が目立って行き、二階の最奥まで続いていた。ただしその部屋への通路には、何かが引き摺られた真新しい赤。
二階の最奥の部屋は、しっかりと調えられた教会の跡地。
要塞では珍しい物では無い。宗教関係者の士気を維持するには必要なものであり、決して疎かには出来ない施設。
この地域には珍しいカトリック系の様式。十字架やガラスの種類等、見た目には豪壮な仕様となっている。
ただし、今その祭壇に降臨しているのは、とても崇められるモノではない。
「アンディール、加勢に来たぞ!! 獲物、は……あ――」
磔られた聖人が蘇ったかの様に、白き十字架には赤い液体が滴る。
十字架の上の黒いソレは、まるで讃えられる様に、ステンドグラスからの陽光を浴びている。剣を構える二人の男は、宗教画であれば神敵の立ち位置。
先頭の古参の老兵は、その一枚絵を前に立ち尽くす。
「あれは……。まさ、か……そんな」
部屋に飛び込み目に映るものは、冒涜的で鮮やかな色。
白、赤、黒。それらを調和させる着色ガラスを経た陽光。色合いだけで言うならば、美しいとしか言い様が無い。
黒ずくめの女魔導士。その髪よりも赤く、その装束よりも闇に近い獣の貌に、意識は遠い日の亡景をなぞり、喪失する。
「――っは、あ、ぁあ゛……。━━――━―――!!」
十字架の上で唸り散らす黒獣は、涎の代わりに鮮血を、顎からはみ出す人の腕から垂れ流す。人を遥かに凌駕する巨大な体躯。二倍所の大きさでは無い、甘く見積もって五倍強の、まるで別種の魔獣。
血飛沫を浴びた漆黒の毛並みは狂猛な殺意を放つ、紛う事無き地獄の凶犬。
「来てくれたのか!? 頼む、早く手を貸してくれ!! こっちは……もう……」
祭壇とは反対側。年若い女性の戦士が懇願する。
傍には二人の倒れた、赤の……見えてはいけないモノ。それは本来、人の中。
倒れ伏した二人は動かず、血は止まり――微かな、息は――
「ッ……。アメリア、頼む! あの二人を……早く!!」
顔を真っ青にしたアメリアに、フィオンは頼んでしまった。戦場へ行く事を止めたかった少女に対し、紛う事無き戦場での縋り。情けなく醜い、自儘な自己矛盾。
内心で己を罵倒しつつ、だが目の前の現実を無視する事は出来なかった。
「っはあ……っはあ……っは、ぁ。……うん」
声を掛けられたアメリアは、逸る動悸と呼吸を必死で抑えつける。この程度でへばっていては、自身の決意をぶつけた事に、フィオンに対し嘘をついた事になる。
顔を真っ青にしながら、腹からせり上がるものを堪え、自らの意思で自らを必要とする場へ走る。
フィオンはグチャグチャの心を何とか押さえ込み、目の前で動かない二人に気付く。いつも頼りになる二人の背は、肩を震わせて立ち尽くしていた。
「おいどうした? 二人共……おい!?」
ロンメルとヴィッキーは、肩を震わし目を見開き、茫然自失としていた。二人に限って絶対に有り得ない状況が、目の前で起きている。
だが今は一刻の猶予も無い。一瞬でも早く加勢しなければならない。
二人の事情や内心は全く解らないが、その頬を思いっきり引っぱたく。
「ぐ!? ……っぬぅ。す、すまん。わしは……」
「…………」
「話は後だ、今は……。ヴィッキー!? どうしたってんだよ!?」
ロンメルは何とか正気を取り戻すが、ヴィッキーは心を失ったままでいる。再び頬を叩くがまるで反応は無く、フィオンの焦りは募る。
あの魔獣を倒すにはどうしても魔導士の力が欲しい。だがアンディール達の魔導士は既に……。なればこそ、ヴィッキーの力を是が非でも欲してしまう。
「フィオン、今は何も聞かんでくれ、ヴィッキーはわしが……。お主は早く二人の加勢を……頼む!!」
青白い顔のロンメルはフィオンの肩を掴み、祭壇の激戦を向かせる。
今は問答の余地は無い。こうしている間も死闘は続き、アンディール達は身を削られながら踏み止まっている。
「ッ――判った……。ヴィッキーを頼んだ、俺は――」
言葉を飲み込み、心を凍らせ、フィオンはその場に赴く。今必要なのは力を振るう事。成すべきを成す他は無い。
弓矢を構えながら、アンディール達へと声を飛ばし戦線に加わる。
「アンディール、援護する! 隙見て腹を」
「効かねえ、頭狙え。シーク左、俺右、フィオンは援護!!」
低く鋭く、余裕の無い声。最低限且つ無駄の無い指示を飛ばすアンディール。
「効かねえ」という言葉に困惑するフィオンだったが、その声は異議を跳ね除ける圧を備えており、言葉の意味を黙って受け入れる。
盾を構えた曲剣の剣士は左に、無骨な両刃剣のアンディールは右に回り、魔犬の狙いを散らす。
フィオンは二人の援護をすべく矢を放つ。的は大きく外し様も無く、鏃は燃える炎の様な双眸へ殺到する。
しかし、その矢は弾かれる事も無く、標的は宙を舞う。
「な……あ!?」
ヘルハウンドは嘲笑うかの様に口角を歪ませ十字架を蹴飛ばし、フィオンの頭上、シャンデリアの下を舞う。
強靭な四肢で軽々と包囲を脱し、横長い信者席を吹き飛ばしながら教会の中央に降り立つ。
間髪入れず魔獣は大顎を、未だ万全ではないロンメルとヴィッキーへ振るう。
「ぬぅっ!? っぢぃ゛――――」
「ロンメル!! 今助けに」
未だ放心状態のヴィッキーを背に、ロンメルは盾と槍で必死に踏ん張り、その猛攻を正面から凌ぐ。
ナイフの様な大きさの爪が生え揃う前足、更なる血を求めつつとっくに鮮血塗れの禍々しき牙。一切手心無く凶器は振り回され、老兵の周りに血風が起こる。
当然、フィオン達もすぐさまその隙を突き、無防備な背や足を攻める。
だがヘルハウンドの刃の様な毛皮。それはまるで手応えを感じさせず、以前有効であった腹側への攻撃も、魔獣はまるで意に介していない。
「こ、ん……どかん、があ゛あ゛――!!」
フィオン達の攻撃も全くの無意味でもない。僅かに動きを鈍らせた猛攻の隙、そこにロンメルは反撃をねじ込む。鉄杭同然の槍を魔犬の口、喉奥へと突き出す。
だが黒獣はそれさえも上回り、尻尾を鞭の様に振り回しながら身を翻す。
背に纏わり付いていたアンディール達は押し退けられ、ヘルハウンドは再び距離を取って機を窺う。
「ロンメル、大丈夫か!? だが今は」
「ジジイ、女は部屋の外に出せ。戦えるなら戦え、無理なら下がれ」
フィオンの声を遮り、アンディールは再び冷たい声で指示を飛ばすが、その内容に異論は無い。ヴィッキーの状況を考えれば今は退避させる他は無い。
ロンメルは廊下の安全を確認し、ヴィッキーを担いで運んで行く。出切れば負傷者達も退避させたいが人手も時間も無く、魔獣は待つ訳も無い。
状況を理解したヘルハウンドは、最悪の選択を取る。
凶爪が向くのは右手、部屋の片隅へ猛然と突進を開始する
その先には以前動かない重傷者を、アメリアが必死に手当てしている。
瞬時に体が動くフィオン。正に矢の様にその身は疾走する。
弓矢は投げ捨てられ走りながら剣を抜き放ち、魔犬の凶行を止めるべく脇目も振らずに――だがそれでも、人の足では届かない。
禍々しき牙は血肉を求めず――ただ死を齎すべく振るわれる。
「ッ――アメリア!! 逃げ――!?」
魔犬の牙は鎖帷子を破り、人肉を食む――無骨な男のものを。
反応ではなく予想で動いていたアンディール。確証は何も無く、一番危険な場所へ勘で走っていた、冷徹な戦士。
左肩を黒獣の顎へ突っ込み、その右目を剣で突き刺し修羅が立ちはだかる。
眼窩を抉りながら、声音に怒りを乗せ叫ぶ。
「畜生風情が調子に乗るな。そんなに噛みたきゃ、死ぬまで噛んでやがれえ!!」




