第31話 月下の決意
予定外ではあるが、白馬スプマドールと馬車を所有する事になったフィオン達。
荷物とロンメルを積み込み、西の都市アスローンへと向かう。
スライム療法で参っているロンメルは馬車の中央に寝かされ、フィオンが馭者を勤め、西への街道を道なりに真っ直ぐ進む。
「流れで丸ごと買っちまったが、維持費を考えると……。いや、戦争が近付けば軍の徴用が……。そうなれば値は……いやだったら飼い葉の値も……」
「ヴィッキー? 今はお金の事は良いじゃない。というか、馬の足の事をもっと早く教えてくれれば……」
確かに格安で手には入ったが、馬の維持費はバカにならない。厩舎代に飼い葉代、水代、蹄鉄代。病気になれば医療費も掛かる。
維持費の事を考えぶつくさと唸るヴィッキーに対し、アメリアは馬の骨折がどれだけ重大なのか、最初に教えられなかった事を少し根に持っている。
「悪かったって、でも先に言って治しちまったら……。そもそもスプマドール買えなかったかもしんねえぞ? 多分」
結局の所、厩舎の主人が馬好きで感謝をしてくれただけであり、フィオン達が行った事は少々詐欺に近い。治した上で商談をすれば、また話は変わっていたかもしれない。
アメリアもその事は解っているらしく、フィオンの抗議を受けて大人しくなる。
「ところでアスローンに関してだが……。そっちで活動してる方が辺境伯に近いからってのは解ったんだが……。だったら、ダブリンから北方面の依頼受けてれば良かったんじゃねえか?」
近い場所で活躍をすれば耳に入るかもしれない。ならばそれはダブリンから北や、北西の依頼を受ければ事足りる事。
ヴィッキーがあしらったならず者達の件は、確かにダブリンから離れる理由にはなるが、ならばアスローンまで行く理由はあるのかと、フィオンは疑問に思う。
ダブリンとアスローン以外にも、冒険者が拠点として住む町や都市は多い。
馬の維持費で一人ごちていたヴィッキーは、頭を切り替えそれに答える。
「あぁ、そいつは……辺境伯はダブリンじゃなくアスローンを領都にしてんだよ。いつもいるって事は無いだろうが、どうせ引っ越すならお膝元の方がアピールには最適だろう」
「ダブリンの方が大きいんでしょ? 都って一番大きい所にするんじゃないの?」
解らない事は素直に口にするアメリア。それは美徳ではあるが、今回はヴィッキーが、敢えて避けた事に触れてしまう。
ヴィッキーは暫く逡巡し、先日の話題にも連なる事柄、内戦に関し説明する。
「今のヒベルニアの辺境伯……の先代はブリタニアに領地を持ってたんだよ。そいつが何を思ったか国に喧嘩を売ってね、内戦を起こした訳だ。それに負けた罰で、取り潰しにはならなかったけど、ヒベルニアに左遷されたんだよ」
「ん゛? ……ん~~、ちょっと、左遷? ……ちょこちょこ教えて?」
アメリアは解らない単語を個別にヴィッキーに尋ね、内容を把握する。
三十年程前に起こったブリタニアでの内戦。その幾らか、フィオンは知識では知っている。敗者であるノリッジ候、円卓の騎士ユーウェインに連なる家系がヒベルニアに左遷された事も。
だがダブリンではなくアスローンが領都になった理由までは知らず、ヴィッキーの話の先を待つ。
「最初はダブリンを領都にしようとしたらしいけど、ウェールズ候や国はそれを警戒し圧力を掛けた。一番ブリタニアに近くて一番大きな港湾都市だからね。左遷したものの、そこで力を蓄えられたら脅威になる……。最後にはヒベルニア伯の方が押し負けて、今のアスローンになった訳さ」
「なるほど、政治の理由か……。だったら最初っから左遷じゃなく、家を取り潰せば良かったんじゃねえか? その方が警戒もなんも無かったろうに」
ドミニアに弓を引きはしたが、建国の立役者である円卓の騎士に連なる家系。
自然消滅や身内問題で自滅ならまだしも、ドミニアが直接取り潰し等を行えば大きな反発に合う。
それを考慮され左遷という処分。表向きには演習の事故として処理をされ、内戦の一件は腫れ物扱いを受けている。
それを知ってはいるヴィッキーだが、本人は円卓や国への熱情は無い。フィオンの質問には答える気がせず、適当に風に流す。
だがアメリアの方はまだ疑問があるらしく、馬車の会話は途切れない。
「先代って事は、今は別の人が継いでるの? その子供?」
「あぁ、そうだよ。あたし達とそう年は違わないらしい。たまに機関紙に載ってる内容だと気さくな人物らしいけど……まぁ、お貴族のボンボンだ。あの精霊が良い噂を聞かせて、あたし達の評価が上向くと良いんだけど」
少々吐き捨て気味に、ヴィッキーは現辺境伯の事を言い切る。
青い獅子の精霊グラスは主である伯の事を、ボウズや小僧等と呼んでいた。
グラスはそう人? が悪い訳でもなく、それがその様に呼んでいた事を加味し、ヴィッキーの中の辺境伯の人物像は、余り良いものでは無くなっている。
「なら、お父さんが戦って負けて、住んでた所を取られちゃったんだよね? その人は恨んでたり、やり返そうと思ったり……?」
現辺境伯は国や他の軍団を恨んでいるのかどうか。
純心故に、アメリアは偶に面倒な事にも、気付かずに足を踏み入れてしまう。
考え物としては面白いが、口は憚られる内容。軍関係者や役人に聞かれれば、少々面倒に会うであろう話題。
だが馬車で移動中のフィオン達は、誰かに盗み聞きされる心配は無い。
ヴィッキーはあくまで時間潰しの思考遊びとして、自身の考えを披露する。
「そうだねぇ……。絶対に無いとは言い切れないけど、あたしは無いと思うね。仮にそうだとしたら、次の戦争は正に復讐のチャンスだ。カリングに呼応すれば一泡吹かせられるだろう。だけど辺境伯は東じゃなく、北で兵を遊ばせてる。仮に復讐を狙ってるとしたら、ダブリン周辺はもっと物々しい状況になってたろうね」
「……以外だな、もっと物騒な事言ってくると思ったよ。まぁ俺も同感だけどな。逆襲狙ってるとしたら、それこそ本拠地をダブリンに置き換えてるだろうし」
アメリアの疑問は一先ず解決したのか、馬車に静穏が訪れる。
街道を只管に西へと向こう一行。アスローンに着くまでは丸一日以上掛かる。
ずっと喋ってはいられない。
日が傾き野営の相談の頃になって、漸く起きたロンメルは少し口を挟む。街道沿いで野営をすれば、余りにも目立ちすぎて危険が伴うと。
フィオン達は陽が落ち切る前に少しばかり街道を離れ、目立たぬ様に馬車を隠し野営を行う。
「うむ……これなら大丈夫じゃろう。街道から直接は見えん。野盗なぞが通りがかっても見つける事は出来まい。……すまんがまだ本調子では無いのでな。もう少し休ませてもらうぞい」
「無理すんなよ。後で飯持ってくからな」
まだよろよろとしているロンメルに馬車を渡し、三人は簡易テントで夜を過ごす。夕食は予め作ってきたものを温め直し、夜は交代で見張りを行う。
満月は明るいが濃い雲が多く、偶にその端が覗き見える程度。
雲を流す風は穏やかに、緩やかに。月光を浴びる黒雲の輪郭には金の光が伸び、夜空に広がる金糸の様に見える。
馬車を隠した藪の近く、少し小高い丘の上。
見晴らしの良い場所で座り番をするフィオン。近付いて来る一つの影に気付くが、立ち上がる事も無い。
黄金よりは慎ましく、月明かりより尚儚げな、金の髪の少女。
横ではなく正面に腰を下ろすアメリアは何か話があるらしく、その顔は明らかに強い意思を秘めている。
「……どうした、交代には早いだろ。しっかり寝とかねえと後できつくなるぞ」
何となく、フィオンはアメリアの言う事が、耳に五月蝿い内容ではないかと察してしまう。あくまで忠告だが、少しだけ突き放した物言いになる。
だが、少女の意思は固い。それこそ、どこかの誰かが見抜いた通りの頑固者。
考えを纏めてきたアメリアは自身の決意を口にする前に、まずは目の前の青年へと、再三の確認を行う。
「フィオンは、戦争に行くのは絶対なの? 友達と一緒に逃げたり……フィオンだけ安全な場所で待ってるとかは、出来ないの?」
予感の的中したフィオンは、しかし冷たくは当たらず、もう一度考えを巡らせる。結論が変わらないのは解っている。それでも問われたのなら、もう一度。
自身の事のみで言えば、戦争に行く事は馬鹿馬鹿しい。国を見限って保身に走ることに躊躇は無い。戦争に勝つか負けるかもどうでも良い。
だが、軍から抜けるつもりもなく尚真っ直ぐで。戦争を恐れることも無く前向きに。昔のまま、肩肘張らずに、一緒に戦って欲しいとあいつが言うならば。
そう求められて自分だけが、逃げ出す事なぞ……。
「できねえな。あいつ一人に背負わせない為に、俺はここに来た。ここにいる。……俺が行く事であいつがどう助かるかは解んねえ、けど……」
手紙には確かに『一緒に戦って欲しい』と記されていた。
その意味する所は、今でははっきりと解っている。
だからこそ親友だけに背負わせるつもりは無い。共に手を染める覚悟がある。
深い青の瞳を覗く少女は、そこに宿る決意を感じ取った。
最後の確認を済ませたアメリアは、顔色は変えず、かといってフィオンの考えを曲げさせようとはせず、静かにはっきりと、自身の決意を言霊に込める。
「なら、私もそこに行く。私に出来る事は、そこに沢山ある筈だから」
アメリアの様子から何となく察していたフィオンは、強く奥歯を噛む。
ヴィッキーとは違う。確実にフィオンが巻き込んでしまった少女。こうなる事をほんの少しでも予測できなかったのか己に問えば、否と答えが返ってくる。
かと言って、何も言わずに姿を消し、戦地へ向かうのが正しかったのかと考えれば、それもまた違うと思えてしまう。
正しい答えは解らぬまま、今は目の前の少女に向き直る。
「……お前、戦争がどういうもんか解ってねえだろ? お前がそこに行って、何をするってんだ?」
「野戦病院とか救護所とか……ヴィッキーに色々聞いた。聞いただけでもゾッとしてるけど……。でも私がいれば、凄く助かるんでしょ」
アメリアが国や軍に身を寄せれば、最低でも特例佐官の階級と、一生困らない資産が与えられるだろう。魔力酔いをしない治癒術士など、前例の無い存在である。
そのアメリアが野戦病院で従事すれば、どれだけの命が救われるか、どれだけ戦力の再補充が捗るか計り知れない。
部位欠損等は対応出来ずとも、それ以外は殆ど治癒出来る。出来てしまう。
アメリアの強い決意を感じ取ったフィオンは、嘘や誤魔化しを使う事は躊躇われ、入れ知恵をしたヴィッキーに内心で舌打ちする。
「ッ――……ただ凄え力が有るだけで、役に立つ訳じゃねえぞ。お前が戦えなくっても、敵がお前を見つけたら全力で狙ってくる!! その時絶対に俺達が守ってやれるかは、確実って訳でもねえんだぞ!?」
あくまでも現実に起こりうる事態に基づいた仮定。しかし脅しに近い質問。
何か特殊な事でも起こらない限り、ドミニアとカリングの戦力比は甘く見積もって一対二。苦戦は必至であり、常に予断を許さない戦況が予想される。
アメリアはフィオンの言う通り、話でしか戦争が解らず、質問には答えられない。フィオンの言っている言葉の意味は解るが、二人の理解度はまるで違う。
だが答えられない故に、決意のみを目に浮かべ目の前の青年へ向ける。
もう言葉を交わすつもりは微塵も無く、一切自身の頑固を曲げるつもりは無い。
そもそもアメリアは、考えを認めて貰いに来たのではなく、ただ伝えに来ただけだった。幾らフィオンが論を立てた所で、まるで意味が無い。
どうあってもへこたれない深緑の瞳。それに睨まれた青年は、大きく息を吐く。
「……わーったよわーった。だったら、そうだな……。お前が何かちょっとでも自分の身を守れるなら……。いや無理か、ナイフの方も全くなあ」
「む……簡単なものなら捌けるようになったもん。丸いのとか滑るやつとか、ぬめっとしたのは無理だけど」
アメリアが自衛を少しでも出来るのなら、フィオンもここまできつく言うつもりは無い。残念ながら、ナイフ捌きの方はまるで進歩は見られない。
料理で何かを捌くならば兎も角、抜き身で振り回せば自身を傷つけかねない域。
運動神経が悪いという訳ではないが、空間認識等が少々欠けている。
目の前の少女のナイフ武勇伝を聞き流しつつ、せめて共に戦地に向かう少女に何か仕込めないかと思案するが、その思考は突如断たれた。
「そもそも、戦争が始まるまでにお前の帰る場所が見つかったら……。そん時は大人しくかえ……あ?」
胡坐を書いて座るフィオンの膝に、ぼすっと。アメリアは瞼を落とし、急に頭を埋める。
突然の事にフィオンは困惑するが、すぐに安らかな寝息に気付く。
「……ったく、だから寝とけって言ったろうが。勝手に一杯一杯になりやがって……。どうすんだよ見張りの順番」
やれやれと頭を振るフィオンだが、今は少しだけアメリアに甘く対応する。
先程までの張り合いは水に流し、予定よりも長く見張りを行う。幸い野盗も魔物も水を差さず、穏やかに時間は流れて行く。
アメリアの決意を反芻し、巻き込んでしまった事は申し訳無く思いつつ、それでもその決意を蔑ろにする事は、やはり躊躇われた。
自身が譲れないものの為に戦地に行く様に、この少女もまた、何か大事なものがある故に強情を張るのだと、その想いを尊重する。
ならばせめて、巻き込んでしまった自身が取るべき責任は、それを否定するのではなく支える事だと考え直し、胸に刻み込む。
柔らかな月明かりは二人の決意を優しく照らし、せめて今だけは安らぎをと、哀れみで包む様だった。




