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ボルドルーンサガ ブリタニア偽史伝  作者: ギサラ
第一章 ヒベルニア冒険譚
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第30話 去らば、ダブリン

 バロメッツの帷子が完成し、二日後の朝。

 宿屋のロンメルの部屋に集まった四人。部屋主のロンメルはベッドで苦しげな息を繰り返し、それを覗く三人の顔は重い。

 ヴィッキーは医療の覚えが有り、その容態を看ている。


「わ、わしは……もうダメ、じゃ……。っぐ……っむ、無念」


 荒くぜえぜえとし、シーツを強く握り込むロンメル。

 真っ青な顔と激しい発汗。放っておけばこのまま息を引き取りそうな勢い。

 それを見る三人の顔は重苦しい空気。だが、どこか冷たい。


 事態の原因に心当たりがあり「自業自得だ」という顔でそう心配してはいない。

 ベッド脇で診察していたヴィッキーが、溜め息と共に結果を告げる。


「二日酔いと胃もたれ、食あたり……ダメ押しに夏バテかね。初めて酒飲んだガキじゃあるまいし、もうちょっとしっかりしとくれよ」


 ロンメルの提案で開かれた酒宴。

 それはフィオン達を大いにリフレッシュさせてくれたが、同時に、主催者のロンメル自身が最も楽しんだ。

 港湾都市ダブリンの売りである、海産物の品々とヒベルニアの地酒。ロンメルは終始それらを口にし、確実に四人の中で、最も高い飲食代を叩き出した。

 結果、年甲斐も無くはしゃいだ老人は、自業自得の結果を味わっている。


「これじゃ仕事になんないね。加入して早々に潰れるベテランがあるかい」

「め……面目無い。二、三日……で何とか……」


 体が資本の冒険者にとって体調管理は欠かせない。目の前の年長者は正にその、反面教師となっている。

 とは言えロンメルがハイテンションだったのは、少し重い話題で暗かったフィオン達を元気付ける為。

 それが丸っきり解っていない三人でもなく、そこまでは無碍にしない。


「ま、金に余裕はあるし、それまでは俺達も体を休めて」

「丁度良い機会だ……今の内に引越しと行こう。あたしは、アスローンへの引越しを提案するよ」


 突然のヴィッキーの提案。ダブリンから西のアスローンへの拠点換え。

 首を傾げる三人は見るからに質問したげだが、ヴィッキーは先を制し、アスローンへ行く事のメリットを説明する。


「アスローンはヒベルニアの丁度中央、ダブリンに次いで大きな都市さ。ここを拠点にすれば、今までよりも直接あたしらの名前を響かせる事が出来る」

「ん……んん? 何でそっちの方が良いんだ? 引っ越す必要あんのか?」


 ベッドに沈んでいるロンメルは、アスローンという言葉で思い当たる。

 少し前に耳に入れた情報とフィオンの目的とを合わせてみれば、今はダブリンよりもアスローンを拠点にする方が良いと考えられた。


「そういえば、辺境伯は今は中央北部で軍を指揮しているとか……。近くで活動する方が、確かに名前を知って貰うには良いじゃろうが」

「そういう事さ。実績を稼ぐのも大事だが、偉いさんに名前を知ってもらう方が手っ取り早いだろ。あたしらは辺境伯の精霊と少し面識も出来てるし、近くで活動してたら、直接耳に入れてもらえるかもしれない」


 実績を稼ぎつつ、軍の中枢へも直接のアピールを図る。

 アスローンの街はダブリンから馬車で一両日と少し。ロンメルの回復を待ちつつならば、それも全くの浪費という事にもならず、フィオンとしても助かる提案。

 戦争対策の動きという事でアメリアは少し顔を難しくするが、同時に、新しい街への興味も表れる。


「アスローンっていうのは、どんな所? ダブリンとはまた違うの?」

「大きな湖に面してる都市だね。都市の癖に自然豊かで……あたしが仕入れた情報だけなら、良い所っぽいよ」


 湖に面し街の中央に川が通る都市アスローン。辺境伯というよりは精霊の意向で、出来るだけそのままの自然と調和した街。

 ダブリンも海に面し街中には水運も大いに活用されているが、こちらは利便性を最前面に押し出したものであり、余りアメリアの好みでは無かった。

 ヴィッキーに勧められ、アメリアの中では新しい街への興味が勝る。

 それを確認したヴィッキーは、一つお使いを頼む。


「アメリア、ちょっと頼まれてくれるかい? 下の雑貨屋に胃薬があった筈だ、そいつをちょっと買ってきとくれ」

「ロンメルさんに使うのね。任されました!」


 宿の一階にあるこじんまりとした雑貨屋。そこならば問題は無かろうと、ヴィッキーはアメリアを一人でお使いに行かせる。

 アメリアが出て行ったのを確認し、ヴィッキーはもう一つ、ダブリンを離れたい理由を二人に明かす。


「……アスローンに行きたいのはもう一つ理由があってね。ちょっと面倒な奴等をこないだ街中で……まぁ、あたしの自業自得で面目無いんだけど」

「何の事じゃ? ……まぁ良い、掻い摘んで話してみよ。譲ちゃんを外させとる内が良いんじゃろ」


 ヴィッキーはネビンの兵営で絡まれた一件から、洞窟で撃退した事。更につい先日、ダブリンの街中でそいつらを見たと説明する。

 絡まれたとして自身やフィオンならば問題無いが、アメリアが的にされては危険であり、ダブリンを離れるのはそれを避ける為だと。

 洞窟内にまで追って来ていた事はフィオンも初耳だったが、ならば説明をするに際し、なぜアメリアを遠ざけたのか疑問を呈す。


「話は解ったが、ならアメリアにも教えてやれば良いんじゃねえか? それだけで怯えてどうにかなる程じゃねえだろあいつは」

「そうじゃなくってね。実はあいつらを追っ払った時に……二、三人死んでるらしくてね。そういう事は、あの子にはまだ早いかなと」


 さらりとヴィッキーは、人の命を手に掛けたと、何でもない事の様に口にした。

 誇るでもなく悔やむでもなく、ましてや偲ぶでもなく。

 つい先日、他者を殺す事を、戦争に行く事の意味を問われたフィオン。目の前の存在と耳から入ってきた言葉は、まるで態度と意味が乖離したものであった。

 ロンメルはそれに苦言という程では無いが、少しばかり重く口を開く。


「そやつらがしょうもない下種だと言うのは話で解ったが……。それでもヴィッキーよ。人の命というもんは、軽々しく扱って良いものじゃないぞ」

「あんたがそれを言ってもねえ。元軍人だってんなら幾らか経験あるだろ? 北部か中央だったか……。あんたの経歴はしらないけど、内戦で駆り出されたんじゃないのかい?」


 約百年の平穏を過ごしてきたドミニアだが、それはあくまで、対外戦争が無かったというだけの限定的な話。血生臭い話が一つも無かったと言う訳では無い。

 野盗やならず者の狼藉、反体制派の騒動、有力者達の権力闘争。


 三十年程前、ブリタニア東部のノリッジ候が兵を興し、他軍団と武力衝突。表向きは演習での事故という事になっているが、紛う事無き内戦。

 事を起こした候は敗北。家の取り潰しにまではならなかったが、文字通りの左遷としてヒベルニアを押し付けられ現状に至る。


 ロンメルは四十八歳で元軍属。

 いつから兵士となっていたかは解らないが、中央や北部の配属だったのならば、その内戦に加わっていた可能性は有る。

 問われたロンメルは事をはぐらかさず、しかし決して面白い話では無いと空気で伝えている。


「そうじゃな、わしもあの戦いは……若い身で必死に生き延びたわ。それこそ生きる為であったり仲間に顔向けする為であったり、それなりに手を染めた。じゃからこそ、決して軽々と扱って良いものとは、思っておらん」


 話を聞くフィオンとしては、まだ未知の領域。

 エステートの街では初めて人を剣で刺したが、無我夢中の事であり手応えは覚えていない。直後にアメリアが癒しを行い、死んでもいない。

 そもそも、殺すつもりでは剣を振るわなかった。その意味は重い。

 人の命に関し言葉を交わす二人の空気に、入って行く事は出来なかった。


「……とにかく、そういう訳でダブリンを離れる必要があんのさ。今重要なのはそこ! 今はそこをしっかりと」

「ただいまー、胃薬ってこれで良いかな? おばさんはこれが一番良く効くって」


 アメリアが戻ってきた事で、二人の会話は瞬時に途絶える。

 一先ずアメリアの耳には入れないという事では、合意していた。

 ヴィッキーは胃薬の小袋を受け取り、どこからか透明のガラス瓶を取り出す。

 瓶の中には何か得体の知れない、緑色の粘体がうねうねと蠢いている。


「なんじゃ、粘体生物(スライム)? そんなもんを何に」

「魔法でちょっと調整したもんさ、すぐに解る。こいつを……」


 ヴィッキーは小袋の中身、粉末の胃薬を、()()()()()()()()()

 先程のアメリアの「ロンメルさんに使うのね」に頷いていたヴィッキーを思い出すロンメル。一瞬で、顔から生気が消し飛ぶ。


 ロンメルは脱走を企てるが、魔導士は無慈悲にその腹の上に腰掛け動きを封じる。間髪入れず、唖然としているフィオンとアメリアに指示を飛ばした。


「フィオンは義手、アメリアは左腕。なーに、じっとしてればほんの数秒、すぐに済むさ。ベテランらしくどっしり構えてな」

「……許せロンメル。俺も、あんたが早く治って欲しいだけだ」


 有無を言う事さえも出来ず、ロンメルはベッドに取り押さえられる。

 動けなくなったロンメルは必死で口を閉ざすが、冷徹な魔導士は鼻を摘まんで呼吸を止めさせ、窒息か口を開くかの二択を、スライム入りの瓶と共に突きつける。


「ッ~~~~……――!! ~~!」

「安心しな、ちょっと薬を効き易くするだけさ。噛んでも良いけど、増えて分裂して、喉を通られる感触が苦しくなるだけだからね」


 声にならない抗議は却下され、窒息とスライムの二択は続く。

 必死に首を振り拘束から逃れようとするロンメルだが、満身創痍の体調では抵抗の力は弱い。そう間を置かず、最後の抗議と共にスライムは口内へ侵入する。


「ッ――っぶはあ!! ちょっと薬を効き易くするてぇ、ぉああ゛……ぅ」


 スライムに直接食道を通られたロンメルは、ばたりとベッドで沈黙する。

 直前の抵抗が嘘の様に静かになるが、身悶えながらもしっかりと息はある。

 フィオンとアメリアは共に「体を壊したら、まずはヴィッキーに警戒」と、心に強く誓った。


「さ、ロンメルはこれで良い。今の内に馬車を借りて来よう。アスローンまで引っ越すってんなら、ちょいと話が違うからね」


 ロンメルをベッドに残し、三人は組合御用達の厩舎へと向かう。

 普段の依頼で使う分もこちらで借りているが、往復で戻って来る依頼と違い、今回は話が変わる。

 アスローンへ引っ越すフィオン達に必要なのは、片道のみの馬と馬車。これをダブリンまで無事に返すならば誰か組合の人間でも雇わねばならず、そうなるとかなりの費用が掛かる。

 厩舎の主人は「馬車か馬だけでも買い取る方が長い目ではお得」と謳って来るが、守銭奴のヴィッキーとは中々話が纏まらない。


「……難航してるっぽいな。まぁあいつに任すのが一番とは思うけど……ん?」


 交渉を待つフィオンは厩舎の中を見学しているが、アメリアが屈んで一頭の白馬をじっと見つめていた。

 白馬の方は体を横たえたまま動かず、足には包帯が巻かれている。


「ぁ、フィオン。この子怪我してるみたいだけど……綺麗だなって。いつもはロバだけど、もうちょっとしたら私達も馬にする?」

「そうだなあ、もうちょっと先かな。……やっぱこいつ、骨折か。気の毒だが、こうなると……」


 馬の骨折は、殆ど治らない。

 重篤な怪我を負うとストレスから食事を取らなくなってしまい、四本の足で正しく地を踏んでいないと更に体調を悪化させる。体を横たえたままでは内臓にも悪いが、無理に立たせれば当然骨折部位に触る。

 苦しませる前に死なせるのが一般的だが、アメリアはその事を知らない。

 まだ真新しい馬の怪我を見ながら、フィオンはどう伝えるべきか考え……。


「ん? いやいや、ちょっと待て……。アメリア、少しここで待っててくれ」

「良いけど、どうしたの?」


 フィオンは一旦、交渉をしているヴィッキーを引っ張り戻って来る。

 困惑するヴィッキーだったが、まだ足を折ったばかりの駿馬とアメリア。この二つを見て瞬時に、フィオンの思惑を理解した。


「成る程、こいつはまた……。ちょっと待ってな、直ぐに話をつけてくるよ」


 ヴィッキーは再び厩舎の主の下へ走り商談を交わす。

 その内容に驚かれつつも直ぐに話は纏まり、また間を置かずに戻って来る。


「話はついた。きちんと最期の面倒を見るならって条件付きだが、当然ながら格安だよ。さて……アメリア、こいつの足を治してくれるかい?」

「治して良いなら……。うん」


 動けない白馬へと、アメリアは刺激しない様に近付いて行く。馬の方は軽く嘶くだけで抵抗や不快等の素振りを見せず、アメリアは患部に手を翳す。

 途端、周囲のマナは一人の少女の身に集まり、逞しき駿馬の足を再生させる。

 人とは異なる感覚器を持つ馬達は、耳を立てて反応し、仲間へと施される慈愛に注目する。

 程無くして、若き白馬の足は癒える。傷が癒えた包帯の下には痕さえも無い。

 筋骨逞しい身を起こし、エルフの少女へと頭を下げ感謝を表す。


「良かったあ、馬を治すのは初めてだから……懐かれてるのかな?」

「いや、そいつはあんまり……。ん? いや、違う……か?」


 馬が鼻を擦り付けて来るのは、あくまで鼻の痒さを取り除く為。人に対してそれを行うのは、その対象を何とも思っていない表れである。

 だが目の前の白馬がアメリアにしているのは、少し違う。頭を下げ近付けてはいるが、押し付けずに近付けるのみ。

 擦り付けるでも無く、撫でるアメリアの手を受け取めるのみだった。


「ぁー、君達、やっぱりそいつを売るのは……。やはり、最期はきちんと私達が面倒を見るのが筋……え?」

「おや、丁度良かった。ちょっと色々有ってね……幌付きの荷馬車だけレンタルで借りれるかい? 返す手段はこっちの方で整えて……」


 先程までヴィッキーと交渉をしていた厩舎の主。立ち上がり活き活きと、白銀の鬣を振る白馬を見て、言葉を無くしている。

 既に商談は纏まっているが、元気になった馬を見れば話を無碍にし兼ねない。

 ヴィッキーは手早く話を済ませようとするが、事態は予想外の方へと進む。


「今更無しにするってのは無しだよ? もうこいつの分は渡してるしね。馬車の方は渋るってんなら他を」

「何が……起こったのかは、いや全く解らないが……。そうか、治ってくれたのか……そうか。君達がやってくれたのかい? 本当に、ありがとう」


 主人は深々と頭を下げ、馬を救ってくれた事を感謝してきた。ヴィッキーとしては予想外であり、何とも戸惑っている。

 潰してしまうしか無かった馬を救ってくれた事。馬を愛す人間ならばこれに感謝を示す他は無く、それはこの人物も同様だった。

 半ば騙す様なつもりでいたフィオンとヴィッキーは、真逆の展開に調子を崩し、アメリアは泣いて白馬を抱いている主人に、無邪気に馬の事を尋ねる。


「良かった……良かったぁ……。元気でいろよスプマ。どうか、幸せにな」

「スプマ? この子の名前ですか? あと、馬の世話の仕方とか……」


 気を良くした主人は、幌付きの荷馬車まで格安で譲ってくれた。

 馬の世話の仕方や注意点等と共に、我が子同然の駿馬の名を教えてくれる。

 精悍なる白馬の名は、スプマドール。とある物語にあやかったものだった。

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