第27話 魔道の義手
休息を済ませ、再びフィオン達は遺跡を奥へと進む。
地下だと言うのに依然辺りの空気は妙に澄み、息苦しさや圧迫感を感じない。
魔物の気配も無く、その痕跡さえ見られないまま。
左右の壁に彫られたどこか統一感を感じる飾り絵は尚も続き、それは通路の奥まで続いていた。
清涼な通路の最奥には、広く開けた空間。文字通り山の様に積まれた夥しい数の石版に満ちた、巨大な部屋。
壁の方々にある突き出し燭台に松明を置いて行き、灯りを増やしながら部屋の全貌を探る。
「こりゃまた……あたしらが当たりを引いた様だね。この部屋までの地図ともなれば、報酬はがっぽりと」
「どうじゃろうな。ほれ、よく見てみよ」
ロンメルはひょいっと石版を拾い上げる。縦横30、厚さは5センチメートル程の四角い形状。そこには何も記されておらず上下も表裏も解らない。
足元に散乱した多くの石版は、同様に何も記されていないものばかりだった。
「なんだいこりゃ……これじゃただの石じゃないか。まぁ、この部屋全部がそうとは限らないけど」
「そいつを調べるのは俺達じゃねえしな。まずは部屋の全体を把握しねえと」
燭台に松明を置いて行き壁伝いにぐるりと一周。思っていたよりも部屋は大きく、天井も高いものだった。
部屋のあちこちの隅には石版が山を成し、壁には多くの図形や文章らしきものも見えるが意味は解らない。部屋の中央は一段高くなっており、発表や発言の場、或いは裁判か議論の場の様に見える。
「出入り口は一ヶ所、俺達が来た所だけか」
「探索としては丁度良かろう。半端に先が見えんと帰り時に困るからな。あとは地図を辿ってしっかり……おや?」
ヴィッキーとアメリアが壁の一箇所を見ながら何かを話している。
フィオンとロンメルが近付くと、アメリアは少し高い位置の壁、ヴィッキーが魔法の灯りで照らし出した一点を指差す。
「あれって地図だよね? 前にも組合で見たこの世……ぇーっと」
「ブリタニア中心の……中々綺麗な地図だね。どんだけ昔か知らないけど、昔の人らがしっかり知ってたってのは学術的に凄いんじゃないかい? しかし……これはどういう意味だと思う?」
ブリタニアとヒベルニア、更に周辺の大陸をかなり正確に記した地図。
国毎に別の色で塗り分けられ、その版図が記されている。
ヴィッキーが杖で示すのはブリタニアを塗り潰した赤い色。それはブリタニア島とヒベルニアのみならず大陸の広範囲を覆い尽くし、聞いた事も無い超大国の存在を記している。
フィオンはそれを若干呆れるが、ロンメルはそれの意味するものを説明する。
「なんだありゃ、古代人の妄想か? あんなでかい国俺は知らねえな」
「いや、恐らくは……。円卓の騎士の物語に登場する大国じゃな。大陸遠征を成功させたアーサー王が裏切り者をさっさと討伐し、そのまま大陸に覇を唱えたとか言う奴じゃよ」
地図に記された超大国は、アーサー王が留守の間に反逆を起こした裏切り者を、手早く討伐。そのままアーサー王が円卓を率い、大陸にまで広大な版図を広げたという物語のものである。
それは現在のドミニアを作り上げた円卓の『歴史』に、幾らかの脚色が加えられ『物語』となったものの一つ。
脚色や解釈、登場人物の立ち位置の違い等、円卓の騎士の物語は数多に存在し、幅広い層に受け入れられている。
説明を受けた三人は話の内容は理解するが、ならばそんなものが何故遺跡の壁に記されているのかと首を傾げる。
「大昔から人気があったって事かねえ? まぁ解らなくはないけど。……熱心なファンのいたずら描きにしちゃ熱が入ってるね」
「俺はあんまりその手のは読まなかったからなあ。歴史の勉強で頭に叩き込んだ分だけだが、そんな派生のやつもあんのか」
「ンメェ~~~~~~」
突如、余りに場違いな鳴き声が響き渡る。
声の方を振り向くと、少し離れた場所に一匹の羊。丸みを帯びた角、柔らかそうな羊毛に身を包んだ、紛う事無き羊。
こんな地下の遺跡にいるはずもなく、フィオンとアメリアは首を傾げ、正体を知るヴィッキーとロンメルは臨戦態勢を取る。
「え? 羊? なんでこんなとこ……迷い込んじゃったのかな?」
「んなバカな……。いや、どう見ても羊だな」
「気を抜くな、一端の魔物じゃぞ!! 油断しとるとこいつは」
一瞬の油断を突き、羊は角の先端をぐにゃりと曲げてフィオンとアメリアに向けて素早く伸ばす。
伸ばされた角は先端で枝分かれし、触手の様に無数に分裂する。
ヴィッキーはアメリアの手を引いて横へ飛び、フィオンは咄嗟に剣を抜いて何とかそれらを弾く。
避けたヴィッキーとアメリアを追う触手をロンメルは槍で防ぐが、そのまま右腕の義手に絡みついて来る。
「!? ロンメル、こいつは一体」
「バロメッツ。羊は見せかけで実際は植物の魔物じゃ。当然炎に弱いが……ヴィッキー、あいつだけ燃やしちまうのは無理かぁ!?」
植物の魔物バロメッツ。
角から伸びた触手は、確かによく見れば植物の根のような色と表面。羊の体は一切動いておらず、時折気の抜けるような羊の鳴き声を発している。
触手はロンメルの義手に絡みつき締め上げようとするが、義手の強靭さが勝り、ロンメルの足を止めるだけに留まっている。
だがヴィッキーからの返答は苦々しく、状況は芳しくない。
「あいつが一歩も動かないってんなら良いけどね。周りを巻き込まず燃やせってのは無理があるよ!」
依頼の事を考えヴィッキーは魔法の使用を渋る。とは言え追い込まれれば躊躇わずに使う構えで、杖はしっかりと握りこんでいる。
角の根を弾いたフィオンは弓を使おうとするが、弾いた根は更に纏わりつきしつこく襲ってくる。剣一本では枝分かれする触手は分が悪く、とても弓矢を使える猶予は無い。
「どうする? すぐにやべえって程じゃねえけど……。いつまでもこれの相手してたらジリ貧だ」
「羊の外殻の中に本体の、球根があるはずじゃ。そいつを叩ければいちころなんじゃが……よっとお!」
ロンメルは右腕が絡め取られたまま、左手に槍を持ちフィオンに纏わり突く根を叩き落とす。
邪魔をされた根は距離を取ったフィオンを諦め、拘束されているロンメル目掛けて殺到する。ロンメルはそれを槍で防ぎ、触手はそのまま絡みつく。
右腕の義手と左腕の槍。両方を絡み取られたロンメルはダメージは無いものの、足は踏ん張るのみで完全に身動きを封じられる。
「わりいロンメル。今何とか」
「気にするな、前衛と言うのはこういうもんじゃ! どうせこの距離ではわしは役に立たん」
フィオンはすぐさまバロメッツの本体、羊に向かって矢を射掛ける。角から伸びた根は二本ともロンメルを捕らえており、守るものは無い。
放たれた矢は正確に、羊の額目掛けて鏃が空を切る。
しかしロンメルが言っていた通り――羊の体はあくまで偽装。
羊は一切微動だにせず、目、鼻、耳の穴から更にうねうねと触手の根を展開させる。角よりは細く短いそれらではあるが、飛んでくる矢は叩き落されまるでダメージを与えられない。
「なんだありゃキモ……。てかいい加減鳴き声止めやがれ」
「羊の体もやつの一部じゃ、矢が刺されば少し……っは゛っぁ゛!?」
拘束されたロンメルは、そのままずりずりとバロメッツに引き摺られていく。纏わり付く根は金属を締めて破壊できないまでも、釣り糸の様に巻き上げロンメルの脚力を上回る。
ヴィッキーとアメリアもこうなっては動かざるを得ないが、魔法を使えば周りを巻き込む。
そこらに散乱した石版を見て、ヴィッキーは苦肉の策を思いつく。
「っち、こうなったら……アメリア、何も書かれてない石版集めな。……なぁに、バレなきゃ問題無いさ」
「? ぁーそういうね。……まぁ何も書かれてないのなら、良っか」
二人は何も書かれてない石盤を拾い集め一ヶ所に集め出す。報酬よりは命の方が優先だが、かといって報酬を投げ出す気は起きない妥協案であった。
「こうなったら……まずはぶった切って止め」
「止めておけ! 下手すりゃお前も捕まっちまうぞ! わしは今の所大丈夫じゃ、間近までいったら……考えが無いでも無い」
引き摺られるロンメルを助けるべく一瞬フィオンは剣に手を伸ばすが、ロンメルはそれを咎める。あくまで距離を隔てての援護を要請し、策はあると仄めかす。
フィオンは経験に勝るロンメルの意見を聞き、飛び出しかけた足を留める。
下手に動けば更に状況を悪くすると、先達の経験を重く見る。
剣からは手を放しすぐさま矢を取り、あくまでも距離を隔てたままバロメッツへと射掛ける。
「そうは、言っても、よお! ……ヴィッキー! もうしょうがねえ、ちょっとくらい周り焼いちまっ……!?」
ロンメルの策がどういうものかは解らないが、どうにも分が悪そうだと感じたフィオン。大事になる前にヴィッキーに魔法を頼むが、妙な動作をする二人に言葉を忘れる。
二人は石版を両手で持ち、まさに思いっきり振り被って投げる直前であった。
一瞬フィオンは二人が混乱したのかと心配をしだす。
「お前ら、ちょっと落ち着け!! 何考え……あ」
既に声で止まる段階ではなく、二人が投げた石版は緩い弧を描き、羊の頭と体に直撃する。触手の根で矢は叩き落せても、それなりの重さの石版には太刀打ちできなかった。
羊は相変わらず間抜けな鳴き声をあげつつ、流石に衝撃が強かったのかたたらを踏んでよろめく。その瞬間確かに一瞬ではあるが、ロンメルを拘束する根の触手は、その力を緩めていた。
「何も書かれてない石盤なら問題ないだろう。問題有ったとしてもあたしらが割ったか魔物が割ったかなんて見分けはつかないよ。フィオン、あんたもこっち来て手伝いな! 今は矢よりも石だよ!!」
矢よりも石。狩人として弓使いとして、余りにも反論したい所だが、今はグッと堪えるフィオン。思えば、先日の投石も充分に痛いものであった。
大人しく弓は仕舞い、投石攻撃ならぬ石版攻撃の端に加わるべく駆ける。
「アメリア、お前もなぁ……。いや、何も書かれてないなら確かにこいつは只の平べったい石だが」
「今はロンメルさんの命でしょ! ほら、フィオンもさっさと投げる投げる」
アメリアに急かされ、フィオンも次々に石版をバロメッツへと投げる。
実際に石版攻撃は功を奏しており、バロメッツはドカドカと飛んでくる石版にまるで対応出来ていない。
目鼻から伸びる細く短い触手では石版を防げず、偽装の羊の体は機動力が無いのか、避ける事も出来ていない。
一旦石版攻撃に対応すべくロンメルを拘束する角の根、強く強靭な触手を動かそうかとするが、ロンメルがそれを好機と動き掛けたのに反応。再びグイッとロンメルの拘束を強め、そのまま引っ張り近づける。
「っちぃ、しぶとい奴め……。お主ら、そのまま頼む! わしの方は心配するなぁ!!」
ロンメルは何か策があるらしく、そのままズリズリと引き摺られる。
先程よりも拘束は弱まり、全く動かせていなかった義手と槍は少しだけじたばたと抗っている。
「おっさん、本当に大丈夫か!? 何か注文はあるか?」
「……頭を狙ってくれ! 触手の根元の角を狙うんじゃ!!」
フィオン達は羊の頭、根の支点である角へと集中攻撃する。
的が小さくなった事で外れも多くなるが、それでも目に見えて効果が表れる。
石版が集中する羊の頭はぐらつき、ロンメルを拘束する根は更に緩む。引き摺られながらも段々と自由を取り戻し、後もう少しで槍の間合いに入る。
それと殆ど同じくして、義手を拘束している根が大きくほつれた。
「もらっ――!? っぐ、が……ぁ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛……」
自由になった右腕、義手で槍を掴みかけた刹那――バロメッツも大きく動いた。
義手を拘束していた触手は外れたのではなく、敢えて外し、二本の触手の両方で、ロンメルの左腕を絡め取った。
触手は音を立てて左腕を締め上げ、槍と盾は地に落ち鈍い音を反響させる。
ロンメルは何とか歯を食い縛って耐えているが、締め上げる根の隙間からは鮮血が滴り落ちる。
「ッ……こうなったら、もう知ったこっちゃ――」
石版から手を放し、ヴィッキーは杖を手にバロメッツへ炎をけし掛ける。
見ればバロメッツは羊の口を大きく開け、そこから切り札の触手を展開させ苦しむロンメルへ近付いて行く。
腕を吊り上げられたロンメルはボタボタと血を流しながら、何とか痛みを耐えようとしているのか、音が鳴る程に顎に強く力を込める。
「――じゃあから! 策は有ると、言うとろう、ッガア゛ア゛――!!」
大喝一声。魔法を使いかけたヴィッキーを喝で止め、ロンメルは豪腕を振るう。
雑巾の様に捻じられた左腕を構わずに、バロメッツの頭を、義手で力の限り拳骨を振るう。部屋中に強烈な破砕音、鈍くバキバキとした音が響き渡る。
剛金の塊に殴り飛ばされた羊の頭は、粉々に弾け飛び、地に投げ出された。
「ロンメル、今助ける!!」
「な、中身……じゃ。中に、ある……はず」
フィオンはロンメルの声に従い、頭がもげた羊の体の中を見る。
あくまで偽装の為の外殻である羊の体。血や骨や臓物は無く、外側だけが無機質に再現されているもの。
中には拳大の球根が心臓の様に拍動しており、フィオンはすぐさまそれに剣を突き刺す。途端、ロンメルの左腕を絞り上げていた根は緩み、アメリアは駆け寄ってボロボロになった腕を治癒する。
「ロンメルさん……大丈夫です。これなら、何とか」
「ぉ、おぉ。まだ、何とかなるのか? ……はっはっは、両腕を義手にするかと、一瞬考えとったんじゃがなぁ」
青い顔のアメリアに、ロンメルは自身の重傷を押して冗談を飛ばす。
何とか切断まではいっていないが、ロンメルの左腕はボロボロであり、アメリアの治癒が無ければ全治までどれだけ掛かるか検討も付かない。
「俺は入り口の方を警戒しとく。ヴィッキーはここ頼んだ」
「頼んだよ。……悪かったね、あたしがもうちょっと早く報酬を見限ってれば」
詫びるヴィッキーに対し、ロンメルは首を横に振る。
周囲にはヴィッキー達が投石に使った石版が散乱しており、その多くが破損している。国や軍が何も書かれていない石盤をどれだけ重要視するかは解らないが、バレれば報酬を減らされても文句は言えないだろう。
ロンメルはそれらを見やり、わざわざ言わなくても伝わる事には触れなかった。
アメリアの治癒は順調に進み、捩じ上げられたロンメルの左腕は大分元通りになってきている。
ロンメルはその治癒の進捗に目を見開き、思わず右腕の義手でアメリアの頭を撫でて感謝する。
「こりゃ、なんとも……。疑っていた訳ではないが、本当に元通りに……。感謝するよアメリア。こんな老骨でもやはり失いたくは、な」
「私は、これくらいしか出来ないから……。バロメッツも、私がすぐに動いてればもう少しは……ごめんなさい」
戦闘の初動、アメリアは完全に出遅れた。
とは言っても、その後に致命的に響いたと言う訳でも無い。
更に、アメリアが投石の下準備で石版をしっかり集めていた事を、ロンメルは目端に捉え知っていた。
「お前さんが石版を集めてなかったら、途中で投げるもんが尽きとった。それこそ最後の攻防でどうなっておったか。……お前さんは出来る限りの事をして、わしも自分の本分を果たした。どうかね? まだ何か、謝る様な事は有るかね?」
ロンメルに諭され、気落ちしていたアメリアの顔にいつもの明るさが戻る。まだ少し無理をしている表情だが、それも直ぐに晴れるだろう。
頭を撫でる義手はわしゃわしゃと、アメリアを元気付けようと少し乱雑に髪を乱させる。
――だが、それが事態を狂わせる。
「おや? アメリア、これは……。これは、一体……」
「これって……。ロンメルさん、何が?」
アメリア本人は気付いていない。
それもその筈。自分の耳は、自分で見えない。
ロンメルの義手が不意に触れたアメリアの耳。
魔道の義手は偽装の魔法に干渉し、その魔力の流れを阻害する。淡い緑の粒子が虚空へと消え去り、エルフの耳を隠していた魔法が消滅する。
ボンヤリと目を向けるロンメルの瞳には、金砂の髪から突き出たエルフの耳。
事が露見した事に、ヴィッキーが気付く。
「この耳は……いや、ダークエルフでは……。アメリア、お主まさか」
「アメリア、治癒を止めな。ロンメルは動くな。許可無く動けば命は無い」
感情の無い冷徹な、現実のみを是とする魔導士の声。
一時とはいえ命を預けあった仲間を、秘密を知ってしまった赤の他人へと、一瞬で認識を上書きする。
依然煌々と燃える松明は、鉄仮面の様な魔導士の顔を、照らし出していた。




