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ボルドルーンサガ ブリタニア偽史伝  作者: ギサラ
第一章 ヒベルニア冒険譚
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第24話 エクセター陸軍中尉

 ブリタニア南西部の大都市、ブリストル。

 港湾により発展を遂げたエクセター内最大都市。元々の領都は南西のエクセターだが、現在はこちらに軍や政務の本拠が移されている。

 勤めているのは第五軍。金の刺繍が施された黒地の軍装に身を固めた軍団。


「中尉、志願兵の件で頼んでおいた書類。……今日中に良いかね?」

「午後には持って上がれます、もう少々お待ち下さい」


 街の中心に構える軍庁舎、その二階の一室は現在とある対策室として多忙を極めている。

 表向きは南海より侵入してくる魔物への担当部署だが、実際は来年の春にカリング帝国と開戦する事を見越しての対策本部。こういった偽装を施された部署が他に幾つか、エクセター領内に点在している。

 海岸線の警戒網の配置計画。志願兵の編成、訓練計画や物資の手配。様々な認可を求める王都への要請等、多くの業務に負われていた。


「中尉殿、一昨日出されたこいつだが……この予定はちょっと厳しい。もう一度調整しておいてくれ」

「それは……申し訳ありません、今週中にまた提出します」

「頼んだよ、君も忙しいのは解るが……。ちょっと外せない会合がね」


 上官達からの仕事を捌きつつ机仕事に励む新人中尉。

 金のオールバックの短髪と恵まれた体、書類を走る目は薄い緑。好感の持てる顔立ちだが今は必死に仕事に食らい付く余裕の無い表情。面倒を抱え込まされたこの部屋での一番の下っ端。


 緊急の書類を捌き今日の仕事内容を纏め終え、僅かに椅子にもたげながらほうっと息を吐く。

 お付という名の目付けが来るまでは机仕事、その後は志願兵の調練。

 今は一つでも仕事を片付けるべきだが、窓の外を見る目は、卒業時に背負わされた重荷を想う。


 あいつに顔向け出来る様に、死に物狂いで何とか主席を掴んだと思ったら……ご褒美の最後に落とし穴なんてな、ほんと世の中どうなってんだか。生かされてるだけで感謝もんだがよ……。

 こういうの何て言うんだっけか、後ろめたい?

 ちょっと違うな。……あいつだったら、もっと良い言葉が――


「クライグ君。手が止まっているがどうかしたかね? 君の机は、余り暇では無い様だが」


 部屋の一番奥から、感情の薄い氷の様な声が突き刺さる。声色は僅かに威圧感を備えるが、怒りや苛立ち等は一切無い。

 クライグはその声に慌て居住まいを正し、すぐさま書類と向き合う。


「いえ、何でもありません! お手数をお掛けしました」


 声の主はクライグに一切視線は向けぬまま、てきぱきと書類を捌き、周りの部下達に仕事を割り振っている。

 この部署の長であり、実力のみでエクセター候の側近に取り立てられた人物。

 第五陸軍大佐、ベルナルド。


「……今日は閣下はお見えになられないが、ここの仕事の重要度は変わらない。南海からの魔物共はどうしてもキリが無い。それは民の生活を脅かし……」


 少し青味がかった切り揃えられた髪。端整な顔立ちを飾るのは大陸からの品であるスクエア型の眼鏡。

 ベルナルドはあくまで魔物対策の室長として振る舞い、仕事の手は鈍らせないまま室内の空気を少し締める。抑揚の無い冷たい語気だが、皆が肩を叩かれた様に気合を入れる。


 公平無私を地で行く人物であり、新人であるクライグにも手抜きや侮辱等は一切無い。大佐階級で実質的なカリング帝国との対策の長に選ばれても、異論は全く上がらなかった。

 円卓の血筋でもなく近衛出身でもない叩き上げの人物だが、その仕事ぶりにはエクセターの主も大いに信任を寄せている。


「シャルが来るまで、俺も一つでもやっとかねえと……」


 気合を入れ直しクライグも机に向き直る。今少しでも片付けておかねば、いよいよ以って時間が足りなくなる。

 とは言っても、頭の隅には先程の事がしこりの様に残り、中々返って来ない手紙の方へと思いは向く。


 そういえば、もう手紙を出して結構になるな。ちゃんと届いてるはずなんだが、返事はまだか?

 まぁ六年も互いに音信普通だったんだ、あいつもきっと驚いて……。

 まさか、忘れてるなんて事は――


 六年ぶりの手紙を受け取った者は、その返事を出すだろうか?

 手紙の返事と言う物は礼儀や作法の側面も有るが、そもそもは返事を出したいという純粋な欲求からくるもの。

 そう思い至ったクライグは「あいつが忘れる訳が無い」と頭を切り替えた。再びうず高い書類の山へと挑もうとするが、その背中に下士官から声が掛けられる。


「クライグ中尉、シャルミラ少尉がドアの外でお待ちです。用件の方は」

「やっば、もうそんな!? 連絡あざます、調練行ってきまあ――す!!」


 取次ぎの下士官に律儀に頭を下げ、クライグは部屋の外へ飛び出て行く。よく響く大声だが、既に慣れ切った他の者達は大きな反応は示さない。

 クライグの去った室内には変わらずに紙と筆の音、ドアの外からはクドクドと聞こえてくる女性少尉の声が僅かに伝わる。


「ベルナルド殿、あの小僧をここに置くのは適役とは言えないのでは? 首席とは知っていますが、使えるかどうかを保証するものとは限りませんぞ」


 ベルナルドの左横から、髭を蓄えた将官がクライグの能力を訝しむ。五十半ばの少将であり、この対策室の副官として目を光らせている。

 階級も年齢もベルナルドより上だが誰をどう用いるかは彼らの主君、エクセター候の差配次第。少々もそれ自体には何の異論も無いが、クライグの事は別件。

 机の上を綺麗に平らげたベルナルドは窓の外、調練場へ走って行くクライグと女性少尉を見下ろし、少将の問いに答える。


「あの男を引き抜いたのはあくまで閣下です。例年とは毛並みが違う事を承知でしたが……それでも想定以上と仰っていました」


 士官学校の成績はあくまで体力、技術、学力等の実力のみで選ばれる。それでも、小さい頃から英才教育等を施されている名家、富豪の子が有利でありそれらが多く占めるのが実情。

 そんな中でクライグは主席と言う地位を庶民の座から勝ち取った。並大抵の努力で成し得る事ではなく、それは文字通りに血を滲ませる程の執念の結果。

 エクセター候はそれを知った上でクライグを他軍団に先んじて押さえ、この対策室に置いている。


「ならばなぜ、閣下はあれをここに……」

「少将の疑問はご尤もです。書類は誤字が多く体と声は無駄に大きい。補佐の少尉には度々注意を受け、余り上官として良い手本とは言えないでしょうな」


 無感情な声でベルナルドはクライグの欠点を指摘する。全て事実に基づいた事柄であり、それを聞く少将も首を縦にする。

 少将も、何もクライグが憎い訳ではない。あくまで本心からまだこの部屋に置くには実力不足と考えての打診。

 意見が合致したと考え結論を急ぐが、話にはまだ続きがあった。


「ならば貴殿の口からあの小僧の」

「ですが誤字が多くとも書類は読めます。提出も新人にしてはかなり早い。勿論直させますし無くす教育も施します。……あの体躯と声、余り上下を気にしない気性は新兵達や民間からの評判が良い。少し大雑把なきらいはありますが、私の固過ぎる性分よりはウケが良いかと」


 挙げた欠点は否定せずに、あくまで淡々とクライグの良い点にも光を当てる。そのまま言う必要の無い結論は言わず、ベルナルドは新たな書類へと目を通す。

 こうなれば何を言っても無駄と解っている少将も、大人しく机仕事へ戻る。そもそもベルナルドを説得した所で最終的な決定権は全て閣下、エクセター候にあるのだから。


 クライグの事からは焦点を変え、今度は目の前の課題。徴兵に関しての書類に目を通しつつ、少将は再び意見を求める。


「思ったよりも志願兵が多いが、それでも……足りないでしょうな。王への許可を求める申請書は既に纏めてありますが、まだ送らないので?」


 ベルナルドは筆を走らせながら少将の意見にも思案する。

 兵を集めた所で何の訓練もしていなければ役には立たない。後方支援や輜重隊であろうとも、練度と士気の低い兵ではリスクが大きい。開戦を来年と目するならば今からの徴兵は一つの手。

 同時に、早期の徴兵に伴うデメリットにも思考を走らす。

 そう悩まずに結論を出し、今度はしっかりと明言する。


「戦時でも無いのに徴兵をすれば国内の混乱と低迷を招きます。国力の低下はいざ有事の際の馬力に影響するでしょう。幸い志願兵の数は想定よりも多く、今すぐ兵を集めても調練する場所と人手が足りません。尤も……閣下の仰せがあらばすぐに王都へと送りますが」


 今の所エクセター候から徴兵を急げという命令は下りてきていない。

 それが無い限り、ベルナルドは今の状況では徴兵を急ぐ事は無いと断じた。同時に、聡明な主君は今すぐの徴兵は悪手だと気付いているという確信も有る。


 あくまで現実論に基づくベルナルドに少将も同意し書類を仕舞い込む。気付けば、調練場の方からは活力のある新兵達の声と、それを引っ張る威勢の良い大声が響いてきていた。


「まぁ、わしも嫌がる民に無理矢理槍を持たせたくは無い……。しっかし、あの大声はどうにかならんか。全く、これだから田舎も……いや、失礼した」


 窓から響くクライグの大声。あくまで調練の為に声を張り上げているものであり、それを大っぴらには否定しないが、五月蝿いものは五月蝿い。

 声の大きさと出身は関係無いが思わず少将は毒づき、特に表情は変えていないがベルナルドへと謝罪した。

 片付いた書類を部下に渡しつつベルナルドはそれに答える。


「構いませんよ、私が田舎出身の叩き上げというのは天地が引っくり返っても変わりません。同時に、同じ境遇のものに目を掛ける気も、それを不利だと思う事も有りません」


 「しかし……」そう言いながらベルナルドは窓の外に目を向ける。二階の窓からは調練場の端、志願兵達を訓練しているクライグが眼鏡越しにぼんやりと、芯の強い声ははっきりと聞こえてくる。

 眼鏡を指で直しながら、やはり抑揚の無い声で率直にもらす。


「大き過ぎるのは考えものですな。戻って来たら少しは加減を考えろと釘を差しておきましょう」


 時節は夏に差し掛かり、強い日差しの下にクライグは調練に精を出している。

 その頭に過ぎるのはきっとどこかで頑張っている親友への期待と、どうしようもない重荷への諦めが渦を巻いていた。

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