第22話 蒼き獅子
フィオンは無数の投石に曝されている馬車へと駆ける。
大通りの真ん中に集中する人々を押しどけ、馬車の上で蹲った老人へと走る。
フィオンが馬車に乗り込もうとした所で人々の手は止まらない。先程まで馬車に乗っていたフィオンをフィリップの一味だと見なす者達もおり、それに煽られ更に投石と怒声は激しくなる。
「ッガ、っぐ……おいフィリップ、ここでジっとしてたら殺されるぞ! それで良いのか!?」
声を掛けられビクっとするフィリップだが、動こうとはしない。馬車の中で頭を抱えて蹲り、嵐が過ぎ去るのをひたすらに待っている。その目算は甘い、石がなくなればいよいよ直接乗り込んで来る事は容易に想像出来る程に、民衆は怒り狂っている。
怯えと言うよりは諦めて絶望しているフィリップだが、フィオンは見捨てる事は出来ず再度声を掛ける。
「謝って許してくれるかは解んねえが、一先ず出て行って謝ってみようぜ? 謝ってるあんたの取り巻き達は的になってねえ」
馬車の周りのフィリップの取り巻き達。
民衆の攻撃が始まってからもずっと頭を地につけて動かず、投石の的にはなっていない。時折流れ弾等は当たっているが、それでも全力で謝罪を示している彼らを狙う者はいない。
だが、自身を絶対に正しいと信じている老人は首を縦にはしない。
「わ、わしが謝る……? 何故、何故わしが謝らねばいかん!? 名士のわしに石を投げる者達こそ、それこそ申し開きの機会も必要無、っぐぅ……」
蹲ったまま投石を受け、フィリップは何の反省も後悔もしていない。
あくまでドミニアの法こそが絶対正義の定めだと信じ、むしろジャカブや民衆達を悪だとしている。
法に照らせばそれは確かに正しいのだが、悪い意味での芯の太さにフィオンは呆れて溜め息を漏らす。
「今そんな事言ってる場合じゃねえだろ、このままだと本当に殺……」
「あ、謝った所で、衆愚というのは調子に乗るもんじゃ。むしろ謝罪こそが今は危険じゃ! 今は暴徒共が、真実に気付くまで……耐え……」
謝る方が危険という考えには一理ある。こういう場において罪を認めてしまうと、それを受け入れ許す者以外に、自らの正義を過信して更に激しくなる者も確かに存在する。
だがそれでも、周りの熱は更に渦を巻き、怒りは留まる事を知らずに膨張する。
それをひたすら目を瞑って耐えると言う行為は、活路を開くものではなかった。
§§§
輪の外、ジャカブと労働者達による小さな安全地帯。
中へと戻って行ったフィオンの身を案じ走りかけたアメリアだったが、ヴィッキーに留められ何とか事無きを得ていた。
だがジっとしているアメリアでもなく、ヴィッキーに捕まったままじたばたと抵抗を続けている。
「ヴィッキー、フィオンが心配じゃないの!? お願いだから放」
「だからこそ、あんたは動くんじゃないよ。死んでない限りはあんたの……でどうにかなる。むしろあんたがあそこに行って、何が出来るって言うんだい?」
共にフィオンの身を案じてはいるが、その対応は真逆。
ヴィッキーはあくまで事が過ぎてから傷を癒し助けろと諭し、普段よりも辛辣な口調でアメリアを止めようとする。
反論出来ず口を噤むアメリアだが、それでも何かすべきだという焦燥感に駆られ腕の中でもがく。
「~~~……こんの頑固者。よっぽど当たり所が悪くなけりゃ死にゃしないさ、あんたに何かあったら誰があいつを助けるって……?」
突如、腕の中でもがくアメリアは大人しくなる。今までの抵抗は嘘の様にじっとしている。
ヴィッキーはそれに安心するでもなく、フェイントか何か違う事を思いついたのかと訝しみ顔を覗き込む。
「どうしたんだい? なんだか随分聞き訳が」
「ヴィッキー、あれって……。ダブリンの……だよね?」
アメリアはフィオン達の真上、大通りの上空へと目を向けていた。
そこには前にも助けられダブリンで何度か飛んでいるのを目にした、青い人魂が漂っていた。
§§§
馬車の上で蹲るフィリップは、以前何もせずにいる。
傍で呼びかけるフィオンの提案を却下し続け、法の正しさにのみ縋りつき、謝罪や譲歩を一切受け入れない。背中や腕に当たる石には歯噛みして耐え「後で覚えていろ」と町民達に復讐の炎を燃やしている。
「いい加減にし、っぐ……。お前このままだと本当に終わりだぞ!?」
投石に耐えつつ埒が開かないフィオンは、頑固過ぎる老人にいい加減に呆れ果て、それでも見捨てるではなく強引に起こそうとする。
こうなれば力付くにでも謝らせなければ、最悪の事態で終わりかねない。
「どうせ動かねえってんなら、馬車降りて頭下げてそこでジッとしてやがれ! 何とかなると思えねえが、俺が変わりに喋」
「よく耐えましたね青年。後はお任せを……この場は私が預かります」
いつか聞いた様な声と台詞。聞き覚えのある軽い声。
だが以前とは違い人をおちょくる様な口調ではなく、厳粛な空気を纏っている。
声の主に心当たりはあるがどこにいるか解らないフィオン。
周りを見やると、人々は投石を止めて上を見上げている。それに釣られて真上を見ると、青い人魂がゆっくりと下りて来ていた。
「あいつは、辺境伯の精霊? 何でこんなとこに……ダブリンから来たのか?」
ネビンの洞窟を抜けた直後、フィオン達を助けた辺境伯の精霊。青い人魂。
ダブリンでは偶にふよふよと飛んでいるのを見かけたが、別段それだけで何かをしてくる訳では無い。激しい喧嘩や諍い事には調停をすると兵士達は言っていたが、そもそも人魂が飛んでいるダブリンでそういった手合いは多くなかった。
「野盗が住み着いて半年、何の被害も無く討伐報告も聞かなければ怪しんで当然。……まぁ、半年経ってようやく対応したあの坊主には呆れるが……」
人々は青い人魂を見やり先程までとは違うざわめきを起こしている。
急に勢いを無くし怯え出す者。何かを崇める様に両手を合わせ祈る者。そそくさとこの場を後にする者。
そして未だに勢いを無くさず、狙いを変えて投石を行う者達も幾らかいる。
「……控えなさい。私はヒベルニア辺境伯の名代としてこの場にいる。尚石を投げる者は、伯に石を投げるも同罪と見做す」
ヒベルニア伯の名代という宣言と警告。事実上、このヒベルニアにおける最高位の存在と同じものだと公言する。
だがそれでも、手を止めない者や口汚く法や国を罵る者はまだ残る。
「っち、これでも止まんねえのか。いよいよもってやべ……!?」
人魂は一瞬縮んだ後、その姿を雄々しい炎の獅子へと変え地に降り立つ。
逆立つ毛並みと鬣は蒼い炎、歩く足跡には蒼炎が残り、黄色い眼は視界に収めた者達を萎縮させる。
本能的な恐れを呼び起こす百獣の王の咆哮を響かせ、まるで別の声で再度警告を飛ばす。地の底から響く重々しい声で、最後通告を突きつける。
「私に歯向かうは辺境伯、円卓の騎士に叛くものと覚悟せよ!! 尚も歯向かう者はこの場で捕らえる。……手心を加えるのはこれが最後だ」
大通りの人混みはシンと静まり返る。直接睨まれた囲みの最前列は慌てふためいて逃げ出すか、その場で足を竦ませる。
蹲っていたフィリップは馬車を降りその威光に縋ろうするが、獅子は既に全てを知っていた。
「お、御獅子様……。わしがこの町の町長で……この度はジャカブなる者が」
「一部始終は上より見ておった。貴様への処遇は追って沙汰する。……私に媚びを売るならば、牙を以って買い上げるぞ!」
明らかに不快と嫌悪を混ぜ、獅子は一瞬、その大口から炎の牙を覗かせる。
声にならない悲鳴を発し、フィリップはその場で腰を抜かす。威嚇を受けただけで怯えたのではなく、この場での一幕を見られていた事がどういう意味を持つか、それが解らない程愚かでは無かった。
ドミニアの定める名士豪族とは、その地で声望ある者、或いは何らかの理由で有力な者。先程のやり取りを見ればフィリップにそれが有るかは疑問であり、ヒベルニアの最高権力者に等しい獅子はその認定に介入出来る存在である。
すっかり生気の抜けたフィリップを獅子は視界から外し、近づいて来るジャカブと労働者達へと向き直る。
ジャカブは跪くでも胡麻をするでもなく、真正面から相対す。
「……辺境伯の獅子殿、私は」
「皆まで言うな、私を愚か者扱いしないで貰おう。……貴殿には直接法に対し言及する権利は無いが、候や伯に具申する権利はある。そして今優先されるべきは……法ではなくこの場の始末であろう」
小規模な村や町の長であろうとも、大都市の長や候、伯に意見する権利はある。
それがどの程度重要視されるかはその時々によって幾らでも変わるが、歴とした権利として法に定められている。
ジャカブは自身が思っていたより獅子が話の解る相手と理解し、大きく息を吐いて安心を顕にする。
「無論、貴殿の行いも法に照らして裁く所となるが……。まぁ、ここから先はあのバカの領分。私の役目はここまでか」
その後はあっという間に事が進んだ。
ジャカブは衛兵を纏め上げ大通りの人々を解散させ、フィリップは処分が決まるまで自宅謹慎が言い渡された。
伯と同等とは言えここは出しゃばるべきでないと悟った獅子は、今回の一件を伯に伝えるに留まる。数日中には諸々の処分や町への通達がなされる見込みである。
その間の町の指導者は、臨時町長としてジャカブが仕切る事になった。
ロバ泥棒も程無く捕まり、フィオン達はダブリンへの帰路についている。
少々傷ついた屋根無しのロバ馬車。心身共に疲れ果てたヴィッキーとアメリアはぐったりとその上で伸びている。
「心配したんだから……ほんと、無茶は止めてよね」
まだ寝てはいないアメリアが馭者をしているフィオンに、少しムスっとして言う。勝手な行動を取った罰として、治癒を受けたフィオンが馭者を押し付けられている。
フィリップが約束した報酬等は、ヴィッキーが寸での所でジャカブから取り付けた。事後処理に忙しくしているジャカブと何とか交渉し、最後の奮闘を見せた。
「悪かったって……でもなぁ、俺もあの騒ぎを招いたもんとして、ただ見てるだけってのは」
「それは解るけど、でもフィオンが悪いって訳じゃあ……。それに……」
アメリアは何か言い含めて言葉を濁す。それはフィオンに対してではなく、余り言いたく無い事を押し黙った様だった。
フィオンも今回の件を振り返り様々な事を反省し、不甲斐無さを噛み締める。
ジャカブとフィリップを比べ、人々がどちらを選ぶかはある程度解っていた。その上で騒ぎが起こるかもと予想し、何も手を打たず、自身の立ち位置は最後まで中途半端だった。結果として異形の男の言った通り、自分には手の負えない事態になってしまった。
そして今回もまた、アメリアを――
「……そうだな、いきなり全部は無理か。まずは目先の事から」
「うんうん、私もそう思いますよ。背負い込み過ぎると心に悪いですからねぇ」
人をおちょくった様な軽い声の相槌。思わずフィオンとアメリアは目を見開いてそれを見る。
いつの間にいたのかフィオンの真横、馭者席にちょこんと青い人魂が乗っている。紛れも無く辺境伯の精霊であり、エステートの町を鎮めた獅子である。
「っなぁ!? あんたいつの間……いや、獅子様、で良いんですか?」
「ぁー……そういうの良いですから。いつの間にかそう呼ばれる様になっただけで、悪い気はしませんけど堅苦しいのは……。名前ではありませんがグラスと呼んでくれますか?」
大通りで見せた厳粛さは無く、人魂は初めて会った時のままに飄々としている。
しかし、そもそも何故ここにいるのか。町には仕事か何かで来たのでは無かったのか。それを問おうとする二人に先駆け、グラスは説明する。
「そもそも奇妙な野盗が居ついたというだけで私が派遣されたりはしません。勿論軍の誰かしらは出向きますが。……私があそこに行ったのはそれに加えて、今回の依頼を貴方達が受けたからです」
「俺達に用が? ……アメリアか?」
アメリアの名前を出され、グラスはぽんっと跳ね上がる。
馭者席からアメリアの目の前へと、差し出された両手の上にふわりと降り立つ。
「ご名答。いえ、彼女の耳を魔法で隠している辺り人目を気にするだろうと思いまして。街中ではなく依頼での移動中に会いたかったのですよ」
「私に……何の用ですか? エルフ、に関してですか?」
「その通り! しかしこれは……辺境伯の命ではなく私個人……個人? の興味の様なものでして、幾らかお答え願えますか?」
あくまでも個人の興味であるとするグラス。魔法や耳の事は完全にバレており、隠し立ては無理と考えフィオンとアメリアはグラスの質問に答える。
各地にいたエルフはどこに消えたのか? 君はどこからやって来たのか?
だが自身がエルフだったという事も知らないアメリアは、当然それらに答えられない。しかしグラスは気を悪くする事無く、むしろアメリアを気に入った様で調子を良くする。
「自分がエルフと知らなかったとは……なるほど。いや、失礼。面白い話だ」
「す、すいません……。あの、グラスさんはエルフ達の住処とかって、場所を知らなくても心当たりはありませんか? 私、帰り方が解らなくて……」
アメリアが元いた場所に帰る方法。ヒベルニアに来てからまだ日は浅く、今の所何も手掛かりは無い。アメリアはそう切迫した様子は見せないが、決してぞんざいには出来ないフィオン達の課題の一つ。
問われた精霊は悩んだ様子を見せる。炎の勢いを上げ下げしたり、粘体の様にうねっている。
「……申し訳ありません、私に心当たりは……。まだ質問が無ければ、私はこれで……お話に応じて頂きありが」
「あたしからも良いかい? 質問ってなら願ったりだよ……あんたは一体何なんだい?」
いつから起きていたのか、体を起こしながらヴィッキーはグラスに質問する。
全く気後れしていない辺り、グラスと話し出した最初から聞いていた様子。
グラスもそれは知っていたのか、特に反応は見せず答えを返す。
「お前起きてたのか、てっきり寝てるもんと……。つうかその質問、良いのか?」
「構いませんよ、私が何なのかですか……。私は確かに百年程前にユーウェイン、円卓の騎士の一人と契約を結んだものですね。それ以上でも以下でもなく、これが全てです」
「ぁーいやね、そういう物語とかじゃなく。……精霊とか何とかってのが、魔導士として知っときたいのさ。実物を見るのはあたしも初めてでね。ダブリンでも何度か捕まえようとしたんだが、あんた全く反応しないからね。こいつは一個人というより、一魔導士としての質問だよ」
ダブリンでも捕まえようとした、そう言われたグラスは「あぁ……」と声を漏らす。グラス自身にも何か覚えが有る様子。
今度の質問には特に悩む事は無く、グラスはするすると答えてくれる。
「それは失礼しました。私は多くの分体をあちこちに放っていますが、あくまで意思は一つだけ。それ以外は無意識に漂い、何かあったら私に報せる程度しか出来ません。……私は精霊と言われていますが、私自身も良く解っていません。気が付いたら龍と戦っていて、特に敵でもない騎士、通りすがったユーウェインが私に味方してくれましてね。幾つか問答をして意気投合し、二人で龍を倒してからは友好の約定を結び……色々な所を共に旅しました。あいつの死後はその子供達とも付き合いを続け……気付けば、長いものになっていますねぇ」
「あんた、自分が何者か解ってないのかい……そんな状態で百年以上も……? 調べようとかそう言う事は、何もしなかったのかい?」
グラスの返答にヴィッキーは眉を顰め、更に質問を重ねる。自信が何者か定かでなく、それを調べようともしなかった存在に対し、理解出来ないという思いを包み隠さず向ける。
グラスはまた少しばかりうねうねと思案してから、アメリアの方を向きながら素直に心情を吐き出す。
「だからこそ私は、この少女に興味を持ったのでしょうね。私が持てなかった思いや気持ちを持つ存在。自身を何者か知らず、それを確かめようとしているこの子に……。勿論エルフという存在なのも一因ですが、そっちの方が大きい」
「わ、私はそんな……。帰りたい場所と、何か皆と違うかなって感じて……それが気になってるだけなんです、けど」
アメリアは照れ隠しの様にグラスからそっぽを向く。グラスの方はそれをからかう様に、肩や膝を飛び回り顔の先へと回り込む。
回答を貰ったヴィッキーは、一頻り思い悩んでから体を横にした。もう聞く事は無いと言った様子で、今度こそ狸寝入りではなく本気で寝に入る。
一頻りアメリアをからかった後、グラスは今度こそ別れを済ませる。
「それでは、お休みの所失礼しました。貴方達の今後に幸多き事を……」
「今更だけど、本当に助かったよ。俺達だけだったらやばい事になってた……。ありがとうな」
グラスは北の方へと飛び立って行く。ダブリンへ戻るフィオン達とは違う方向だが、また何か用事か仕事があるのだろう。
手を振るアメリアは見えなくなってから、ぽつりと口にする。
「もっと……怖いのかと思ってたけど。初めて会った時と変わってなかったね」
「そうだなあ……獅子になってからは妙に周りを威圧してたし、あれはあれで怪我とか気にしてたのかもな。まぁ、そうでもなきゃ……」
人を好きでないのなら百年の時を共に過ごしている訳も無い。少し気恥ずかしい気がしてフィオンは言葉を濁した。
グラスにからかわれ眠気が消えたのか、アメリアは今度はフィオンをからかう様に顔を覗き込んでくる。
緑の大きな瞳と、さらりと流れる金の髪。眠気は吹き飛び、疲れを押して手綱を握る身としては、少々毒気の強いものだった。
「また難しい顔してるけど、何を悩んでるの? フィオンはたまにちゃんと言わないけど、そういうの良くないよ」
「……へーへー、解ったよ。まぁ、次行く前にいい加減ケリ付けないとだしな。……これ以上先延ばしにはできねえ」
フィオンは素直に、差し迫った自身らの課題をアメリアに話す。アメリアの正体を隠したいという事情もあり、苦戦続きだった案件。
次にするべきは依頼の達成ではなく、その為に必要となるもの。
最低でももう一人、新たな仲間が必要だと説明した。




