第20話 エステートの町
「なるほどね……。はっきりとは解らないけど多分そいつは、夢魔か魔精の類だね。当然、人の味方とは限らない」
部屋に戻ったフィオンは事のあらましを説明した。
裏庭で遭遇した異形の男とのやり取り。その男から貰った、アメリアが見つけたものとは別の偽造書類。
書類の確認も行ったが一言一句違いはなく、アメリアが見つけた方は少し皺が出来ているのみ。
説明を聞いたヴィッキーはベッドに腰掛けたまま、フィオンの出会った存在へ所見を言う。
「夢魔? 魔精っつうと、こないだ出会ったスプリガンも……あれと似た様なもんなのか?」
「ものが違い過ぎるよ。子猫と獅子だって学者様から言わせると似た様なもんらしいが、丸っきり違うだろ? 夢魔ってのは人の夢を糧にするもんだが……あたしが知ってる類のもんとは、そいつは少し違う感じもするね」
夢魔はドミニア王国において魔物の一種とされるが、数は少なく実害も少ない。
直接の戦闘力は低く寝ている人の夢に入り込み、あくまで夢の中でのみ人を弄んで楽しむ。中にはお気に入りの人間と契約を結び、衣食住を共にしているケースも有ると言う。
だがフィオンはレクサムで見たものはともかく、今しがたのものは実際に物まで受け取っている。夢魔と言えどもそんな力は無く、夢だったとは思えなかった。
「一枚しか無いはずのものが二つあったら、まずいんじゃない? これどうするの?」
「心配しなさんな。……まぁ、丸っきり敵って訳では無さそうだね。あたしらが手出し出来る存在でもないし、今はこいつを……」
ヴィッキーはフィオンが受け取った方の書類をひょいっと摘み上げる。
見た目には何の変哲も無い一枚の書類だが、それを見る赤い瞳は険しい。何か魔道の品か、危ないものを扱う様にヴィッキーは目を走らせている。
裏表を何度か見返した後、フィオンへと渡した。
「そういった類のもんは無償で何かする事は殆ど無い。……そいつを使えばあんたに何か起こるかもしれないが、幸いあたし達にはアメリアが見つけた方の書類がある。受け取ったあんた自身の手で破いておきな、一先ずはそれで大丈夫……というか、こっちから手を出す事は出来ないだろうね」
「それで怒ってきたりしねえだろうな。まぁ、次来た時はガツンと一発……できりゃあ良いんだが」
フィオンは異形の男から貰った書類を粉々になるまで念入りに破り捨てる。何かあの男から恩を着せられる事が癪だった身としては、願ったりであった。
残ったアメリアが見つけた方の書類、三人で囲んだまま今後の作戦を立てる。
とは言っても、既に深夜を更に回った午前三時。
疲れも溜まっていた三人は意識を朦朧とさせ、ヴィッキーの提案をなし崩しで採用する。
「明日の事は、ちゃんと考えがあるから……。もう寝ましょう、見張りはアメリア……三時間で起こし、な……」
ベッドに座っていたヴィッキーは体を横たえる。着替えもせずに普段の真っ黒の装束のままで。
エステートに来た時には二部屋を取っていたが、今はフィオンの一人部屋をキャンセルしこの部屋だけを押さえている。二部屋にバラけていては、いざ何か有った時後手に回ってしまう。
「ま、もうやる事は限られてるし……ヴィッキーの考えなら大丈夫だろ。……俺も寝るわ、見張り頑張れよ」
「ん、おやすみフィオン。また明日……じゃないか、もう今日だね」
部屋の反対側に移動させたベッドにフィオンも体を休める。
出会ったばかりのアメリアならば一人で夜の番をさせる事は無かっただろうが、既に二人は心配していなかった。
部屋には穏やかな寝息が微かに響き、エステートの空は白んで行く。
§§§
翌朝、物々しい雰囲気ながらに庁舎は通常通り窓口を開いている。
物取りの痕跡が見られたが被害は副町長室が幾らか荒らされたのみ、金目の物や貴重品等は手を付けられていなかった。
実害は低く、業務を止めてはそれこそ実害になる。町長代行ジャカブの判断によって、捜査と通常業務は並行して行われている。
そんな中、窓口にやってきたのは一人の女の子。
赤味がかったショートヘアーと白いワンピース。怪我をしているのか右目は眼帯だが、左目だけはしっかり赤い瞳を覗かせている。
魔法ディフリーで姿を変えたヴィッキーである。
「あの、この名前の人を探してまして……。ここで登録を聞く事だけは出来るって聞いて……」
国に登録されている個人登録は、三親族以内の者と証明出来なければ、詳細を他人が知る事はできない。
だが姓名と年齢、登録地だけならば、赤の他人であろうとも役所への申請でその情報を知る事が出来る。とある候が領内の国民へ慈善事業を施す際に「最低限これだけは判らんと不正に受け取る者が続発しかねんわ!」として国に制度を改めさせた結果である。
「はい、ちょっと待っててね……。『ロウレス』さん、ですね……」
フィオン達が手に入れたジャカブの偽造書類。そこにはフィリップへ金銭を送ったは「ロウレス」と記されていた。これがでっち上げられた取引であり、ロウレスという人物が架空の人物ならば、登録はされていないはず。
窓口の女性は真新しい魔操具の端末にロウレスの文字を入力し情報を探る。慣れていない機械なのか、手元は少々おぼつかない。
程無くして、こちらには見えない様に置かれた画面へと目を走らせる。何かを見つけ少し顔を曇らせた後、ヴィッキーへと向き直る。
「一件だけ確認が取れました……開示できるのはお名前と年齢、登録地だけですけど、何かロウレスさんの親族だと証明出来るものはありますか?」
「え? 登録ある……の? ……いえ、何もありません。知れる範囲で、教えてもらえますか?」
ロウレスの個人登録は存在した。だが、まだここで終わりではない。
過去に制度が改められたのも同名者の騙りや、とある事例の悪用を防ぐ為。それは赤の他人であろうとも知る事ができる。
「分かりました、ではロウレスさんに関してお教えできる事は……。この通りです、まだ知りたい事があったらあなたの……」
女性が差し出してきた書類にはロウレスの名前と年齢、登録地に関してのみ記載してある。
ヴィッキーはそれを受け取りさっと目を走らせ、あくまで少女の演技として、窓口の女性にお辞儀をしてから外へと走って行く。
「笑ってたけど、あれで良かったのかしら。あれじゃあ何も……」
女性は少し首を傾げつつ次の客へと向き直る。
庁舎は普段と少し違う雰囲気だが、それでも来客は後を絶えない。
舵取りが変わってから町の活気は明らかに変わった。それは一職員の身でも実感出来る程に。
§§§
エステートの町東口。馬車を停めて待機していたフィオンとアメリアの元にヴィッキーが合流する。
何食わぬ表情だが無言の頷きで、上手く行った事を伝え馬車へ乗り込む。
「……んじゃ出発するか、もうこの町に用はねえ。さっさと行くとしよう」
三人は疲れた様子で町を離れ東へと向かう。彼らの事を知る存在ならば、疲れてダブリンへ帰る様に見える。
だが荷台に乗ったヴィッキーとアメリアは、疲れたフリをしながら周囲を監視していた。
フィオンは馭者をしながらそれとなく二人へ、追っ手等がいないかを確認する。
「ここらで良いか。尾行とかは見つけたか? いたならもうちょっと……」
「いいや、二人共見てないよ。今なら大丈夫だろう、フィリップの下へ向かおう」
エステートから一旦東へと向かったフィオン達は、大回りにフィリップ達のいる森へと向かう。
昨日の襲撃は森での待ち伏せではなく、町から尾行されたものだと考えての進路。昨日散々に蹴散らした後ではあるが、念には念を入れての行動。
「それで? 上手く言ったって事はロウレスは架空の人間だったのか?」
「いーや、全く架空って訳じゃなく……こっちの方が確実だね」
懐から一枚の紙を取り出すヴィッキー、そのまま馭者をしているフィオンに渡しかけるが、落とす可能性を考え見える様に横に広げてくれる。
そこにはロウレスという人物がダブリンで登録した事と、享年が記されている。
「五年前に死んでるね、六十八だとさ。書類の方とも合わせて見たけど、この方が偽造である事がはっきりさせれるよ」
潜入で得た書類は作成日時が十月十三日。取引日時も同日と明記されている。
これでは五年前に死んだロウレスとの取引は物理的に不可能であり、偽造書類の証拠性は更に高まった。
「ふぅーん……しっかし、どうせなら架空の人物のが裏も取り難いだろうに。何か理由があったのかな?」
「さぁ? あたしらにとっては都合が良いよ。適当に名前を作ったけど、それが偶然故人でいたとかじゃないのかい?」
そのままフィオン達は馬車で森へと入って行く。荷台の二人は警戒を続行しているが、今の所は誰も見ていない。
何事も無く馬車は封鎖された地点、山道の中程まで辿り着く。
ここまで素通り出来ていて今更襲撃も無いだろうが、一応はヴィッキーを馬車に残し、二人でフィリップ達の下へ向かう。
「後はこの書類をフィリップに渡して……町まで護衛すりゃ終わりか。さて、どうなるか……」
「どうなるって、それで終わりじゃないの? まだ何か、残ってる?」
フィオンの独白にアメリアは疑問をもたげるが、フィオンはそれに答える事が出来ない。
残っているかどうかを聞かれれば恐らくはもう何も残っていない。エステートの町と今回の依頼に関しては全てが出尽くした。
だが――全てが明るみになった後にどういう結果が出るのか。フィオンはその先の展開を意図的に避けている。
何事も無ければジャカブが罪を突きつけられて敗北、フィリップが町長の座に返り咲くだけで終わる。
だがフィオンの心の片隅には、それとは全く違う予想が顔を出している。
しかしそれは、エステートの町に生きる者達の領分。癪ではあるが、あの男が言っていた通り――
「何でもねえよ、さっさとフィリップのとこ行こうぜ。その後は……なる様になるさ」
何事も無くフィオン達はフィリップの下まで辿り着く。
こちらが来るのを予期していたフィリップ達は既に準備を整え、十人程の男達と共にフィオンを出迎える。見るからに付いてくる気の男達だが、全員が乗れるほど馬車は大きくない。
フィリップはこういう時の為に仕舞っておいたのか、昨日とは打って変わって豪勢な服を纏っている。
「おーおー、待っておったぞ。それで問題の書類は……」
「これですね、確認して下さい。賄賂を贈ったとされる男の身元はこっちです」
偽造書類とロウレスに関しての身元の書類を手に、フィリップは念入りにそれらを見比べる。
故人だという事に気付き口端を吊り上げ、満足しながらそれらを懐に仕舞った。
「ご苦労じゃったな、では続いて町までの護衛を……」
「それは良いんですが、俺達がそこまで乗ってきた馬車はそこまで大きくないんで……。全員は乗れませんよ?」
顔を顰めるフィリップだが、即座に傍の男に目配せする。
男はフィリップの取り巻きの男達を纏め何か説明を始めた。取り巻き達は一瞬顔に不満を浮かべるが、すぐにそれを隠す。
耳打ちを受けたフィリップは話は決まったとばかりに先を急かす。一刻も早く町へ帰りたいという思いが目に見えて表れている。
「馬車にはわしだけ乗せてくれれば良い。他は歩いて付いて来てくれる。……さぁさぁはよう町へ帰ろう。ここでの生活もようやくお終いじゃ」
フィリップ達を伴い馬車へと戻る。
待機していたヴィッキーと馬車にも何事も無く、そのままフィリップを馬車に乗せエステートの町を目指す。取り巻き達はフィリップの指示に従い周囲を警戒しつつ馬車に付いて来るが、少々無理をしている様だった。
そのまま襲撃や妨害は無く、すんなりとエステートの町に到着する。
「おぉ、懐かしい……たった半年じゃったが、何年も離れていた様に感じるぞ……。これお前達、町の主の帰還じゃぞ。しっかり出迎えんか」
衛兵達は特にこちらを妨害してはこないが、明らかにフィリップを見て色めき立っている。
一人の兵士は庁舎に向けて走り、フィリップの取り巻きはそれを妨害しようとするが、当のフィリップは取り巻き達を押し留める。
「止めておけ、いっそ好都合じゃ。……あいつに出迎えさせて衆目の前で罪を晒してやろう。その方がわしの帰還を鮮烈にアピール出来る」
フィリップには何かプランがあるらしく、取り巻き達はそれに従った。
庁舎へと続く街道を馬車で向かい、フィリップは馬車の上から道行く人々に声を掛けている。町の主が帰って来たと、心配掛けてすまなったなと。
だが道行く人々の反応は、温かいものではない。殆どのものは反応せず冷ややかであり、反応したとしても愛想笑いと共に離れて行くのみ。
フィリップも流石にそれらには気付き、段々と馬車のスピーチは控え目なものに変わっていく。
「ねぇヴィッキー、これって……」
「今は黙ってな、あたしらは仕事を果たすだけだよ。護衛が終わればそれでお役御免……成功報酬とか言ってたが、護衛が終わればそれで『成功』さ。気にする事は無い」
間も無く馬車は庁舎前。町の中心の大通りへと差し掛かる。
丁度庁舎からは報せを受けたジャカブが、一人でこちらへ走ってくる。血相を変えた顔で明らかに慌てており、息も絶え絶えに馬車の前でぜえぜえと呼吸する。
フィリップは馬車の上からそれを見下ろし、道行く人々に聞こえる様に大声で語りかける。
「フィ、フィリップ……さん。どうしてここに……何しに、来たんですか……」
「っふん、久しいなジャカブ。恩を仇で返しておいてよくもまあ顔を出せたもんじゃ、その面の厚さだけは褒めてやろう。……覚悟せえ! 今この場で、お前の罪をしっかりと白日の下に断罪してくれるわあ!!」
空に日は高く、昼時の少し前。
半年振りに顔を合わせた二人の為政者は、町の中心で遂に向き合う。
事情を知る者、知らぬ者。冷やかしや野次馬、どちらかの人物に近しい者。様々な人達が集まり輪を作って、町の一大事へと耳目を向ける。
その中心にいる、よそ者且つ当事者であるフィオン達。
幾らかの逡巡を経て最終的には『冒険者であり、よそ者』としてこの場に居合わせる。三人の顔は既に介入を望むものではなく、周りの聴衆達とそう大差は無い。
果たしてこの一件はどういう形で決着が着くのか。
フィリップが町長に返り咲くのか、ジャカブには何か秘策があるのか。それともそれ以外の事態が巻き起こるのか。
それを知るものは――まだこの場にはいない。




