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ボルドルーンサガ ブリタニア偽史伝  作者: ギサラ
第一章 ヒベルニア冒険譚
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第19話 愛でるモノ

 エステートの町の庁舎は大通りに面し、軍施設や冒険者組合等、多方面との連携の利便化が図られている。

 先代のエステート町長、フィリップの実父による施策であり、それは官民へ大きな利益をもたらした。

 よく整備の行き届いた庁舎の門前、石造りの門と針葉植物の囲い。通りは魔操具の街灯が穏やかに灯り、衛兵は持ち場から辺りを睨んでいる。


 庁舎から通りを挟んだ大衆食堂兼酒場。

 昼間は一帯の人々の胃袋を満たし、今は仕事に疲れた人々の喉を潤している。

 普段から喧騒は絶えず、稀に衛兵が介入する騒ぎも起こす賑やかな一角。警備に励む衛兵達も、仕事明けの朝飲みに思いを馳せている。


 そんな酒場の営みは、今日はやけに騒がしい。どよめく様な声や怒声が段々と増え、衛兵達は否応無く注意を注ぐ。


「なーんか今日は妙にうるせえっすね……ちょっと見て来ま……」

「サボリに行く気か? もうちょっと待ってろ、どうせ飲むならしっかり仕事が終わってから……!?」


 

 怒声と共に、酒場のドアが派手な音を立てて開かれ、一人の老人が店から転がり出す。

 倒れこんだ老人は男達に取り囲まれ、剣呑な空気が辺りに蔓延する。

 衛兵達もただ事ではないと気付き、治安の一助を担う者として見過ごす事は出来ない。


「……やべえなあの爺さん、いや婆さんか? 話聞いてこい、放置はできん」

「ぅぇー、マジっすかあ? 勘弁して下さいよ、こないだも吐かれて足に……」

「つべこべ言うな、一杯奢ってやる。……放っといて怪我人出たら俺達にも責任が来る」


 若い衛兵が騒ぎに近付き、双方の間に割って入る。

 倒れこんだ老婆と男達は尚うるさく言い争い、断片的な言葉からどうにも老婆が事態の原因であると察せられる。


「はいはいちょっと落ち着いて、何があったかどなたか説明を……」

「この婆さんが、文無しでバカみてえに飲み食いしやがってよお。マスターにどやされてるのを俺達は庇ってやったんだ。優しいだろお!? したらこの糞ババア、俺達の財布をこっそり盗ろうとしやがった! そいつを怒鳴ったら大暴れを始めやがって、ふっざけやがって!!」


 男達は口々に老婆の悪行を訴えて来る。

 無銭で大量の飲み食いをし、悪びれずに更に注文しようとした。庇った男達から金を掏ろうとし、バレるや否や店内で大立ち回りをやってのけたと。

 男達の中には馴染みのマスターの顔も見え、目を合わせた衛兵に「本当だ」と青筋を立てた顔で教える。

 大体の事情は解ったが、一応は老婆にも話を聞く。

 依然、男達を口汚く罵る老婆へ、一先ずは穏やかに語りかける。


「婆さん、本当にやらかしたのかい? タダ食いだの掏りだのさあ……」

「あたしゃ知らないよ、こいつらがあたしを嵌めようとしてんだあ!! 財布を取られたのはあたしの方だよお……ちゃんと調べれば解るよお……。店もグルになって身包み剥いできたんだあ! とんでもないボッタクリだよお……」


 片目は潰れているのか、老婆は赤い左目だけで怒りと涙を交えて訴えてくる。

 溜め息をつきたくなる面倒な状況だが、衛兵は肩を落として職務に励む(尻拭いをする)


      §§§


 庁舎への潜入はヴィッキーが陽動、フィオンとアメリアが侵入で決まった。

 フィオンは一人で潜入を考えていたが「閉まった後は中は無人さ、だったら人手は多い方が良いだろう」とヴィッキーはアメリアの背を押した。


 ヴィッキーが通りで騒ぎを起こし、フィオン達が中に潜り込む。

 老婆に姿を変えたヴィッキーが蹴り出された音を利用し、フィオンとアメリアは窓を壊し既に内部へ入っている。庁舎の囲みは周りへ威圧感を与えない様にと、石造りではなく植え込みで代替されていたのが助けになった。


「上手くいったか、後はヴィッキーがどれだけ引き伸ばせるか……。町長室を探す、まずはそこを漁ろう」

「思ってたより派手だったね、大丈夫かなあ。こっちはこっちで、薄気味悪い……」


 灯りが落ちた無人の庁舎内。街灯の灯りが僅かに窓から入ってくる薄暗く物寂しい廊下。インテリアや装飾、観葉植物は最低限であり、町の舵取りの影響が色濃く反映されている。

 アメリアの言う通り薄気味悪いという言葉が当てはまり、建物内は清潔ではあるが、廃墟の様な空気で満ちている。


 二人は身を低くしたまま、内部案内を頼りに町長室を目指す。

 廊下や休憩所等には窓やガラス張りが多く、陽動の騒ぎがあろうとも油断は出来ない。

 程無くして町長室の前に辿り着くが、当然の備えにフィオンはドアの前で苦戦する。


「っぐ、ぬっく……練習通りには、いかねえな。もうちょっと……なんだが」


 町に帰ってから宿で行っていた鍵開けの練習。ヴィッキーのレクチャーによって付け焼刃ではあるが、決行の直前までずっと行っていた。

 ヴィッキーがその手の道具を持っていた事には深く触れず、念の為アメリアも試したが、フィオンが鍵開けの担当となった。


「フィオン、どう? いけそう?」

「もう……ちょ、っと……あとピン一つ……よし」


 カチリと、フィオンは確かな手応えを感じて何とか錠を突破した。時間にして、約二十分程の苦戦ぶり。

 しかしドアを開けて入った町長室を見て、フィオンは忌々しく舌打ちする。


「っち、ジャカブの奴……。まじで欲が無えんだな、ここまでとは……」

「何も無いね。埃が積もってる……使って無いんだ」


 町長室には豪壮なカーペットと広々とした机と椅子。王冠を被った竜が施された、壁掛けのドミニア国旗。

 ここだけが場違いに豪勢な作りであり、同時に、長期間誰も使っていなかった様子があちこちにある。

 机や椅子、窓際に積もった埃。春も半ばで分厚い秋冬用のカーペット。内側のドアノブにも埃が多く、フィリップが去ってから誰も使っていなかった事がすぐに解る。


 足早に町長室を出て、フィオンとアメリアは副町長室へ向かう。

 こちらにも当然鍵が有りフィオンは鍵穴に挑むが、触れた途端にドアはゆっくりと揺れ動く。


「あ? ……そうか、相当疲れてやがったか」


 ドアは鍵もされず無防備なままであった。

 副町長室の内部は、先程のものとは対照的な様相。敷物は無く、飾りや装飾の類は一切無い。机は広いが質素な作り。椅子はここに来るまでに見た量産品と同じもの。

 埃は無いが同時に掃除の方も余り行き届いておらず、机や棚には最低限纏められた書類が山を成している。


「……アメリアは棚から十月十三日の書類を探してくれ、中身の確認は後で……」

「ちゃんと覚えてるって、持ち帰ってから調べるんでしょ。フィオンは他をお願い、私も一応注意しながら棚を探しとく」


 フィリップのメモにあった偽造書類の日付、十月十三日。まずはそれを頼りにアメリアは書類を片っ端から集める。細かく一つ一つをこの場で確認するのは得策ではない。

 同時に「そんな重要な書類が他のものと一緒くたになっているだろうか?」と考え、フィオンは部屋内に隠されたものが無いかを探す。

 二重底、死角への貼り付け、隠し棚、インク瓶の中、観葉植物の下……。片っ端からひっくり返しては検めるが、書類も何も出てこない。


 部屋を漁り出して三十分程、町長室の鍵で無駄に時間を使ったが、まだ時間に余裕はある筈。

 そう思っていた所で窓の外の異変に気付く。窓からは丁度通りの方角、ヴィッキーが騒ぎを起こしている地点が見える。


「フィオン、あれって……」

「あいつ、予定より早いな。……しょうがねえ、逃げるとしよう」


 通りの騒ぎは一転、老婆が濃紺の霧を体から発し酒に酔った男達はパニックになり逃げ惑う。その隙にヴィッキーは細道へと逃げて行く。

 ヴィッキーが自身にかけていた魔法ディフリー。対象は自分自身限定、変えられる姿も女性限定だが、老婆から幼女までを自在に変えられる。

 決行前は「燃費は良いから、数時間は安心しな」と豪語していたが、フィオン達が潜入してまだ一時間余り。明らかに予定より早くヴィッキーは騒ぎから脱出した。

 こういう事でヴィッキーが見栄を張るとも思えないが、こうなれば仕方が無い。


「また空振りか、面目ねえ。しっかし……多いな。よく見つけたなアメリア」

「え!? ぇーっと、ちょ、ちょっと間違いとか、違う日付も入ってる……かも」


 結局フィオンは隠しスペース等は発見できなかったが、アメリアが纏めた書類は思っていたよりも多い。

 二人で持って行くには何とか問題無いが、十月十三日の一日だけの書類を選別したにしては……。アメリアは何故かフィオンから目を逸らすが、今はそれを追及している場合ではない。


 書類の山をバッグに押し込み、二人は庁舎を脱出する。

 通りの騒ぎは先程とは違う様相だが、これはこれで衛兵達の注意を引いている。

 潜入した時のままに壊した窓から外へと出て、植え込みの囲いを潜り抜け、この場を後にする。


 潜入の痕跡の隠蔽などは一切気に掛けない。

 元よりジャカブの不正を暴く為の潜入。フィリップが町長の座に返り咲けば、それはどうとでもなるのだから。


      §§§


「悪かったよ、昼間の消耗が思ってたよりきつくてね。それでもこんだけ取って来たんだ、時間稼ぎは充分だったろう。まぁ、中身の方は……」


 宿に戻り三人で書類を整理しているフィオン達。

 その内容を確認してみると、案の定だった。

 潜入したアメリアは内心相当焦っており、日付に『十』と付くものは片っ端から抜き出してしまっていた。十月の物は全てとして、各月の十の付く日まで……幸い、年度だけは間違えていない。


「仕方な、くは無いかもだけど……。ヴィッキーだって逃げるの早かったんだしお互い様……っあ、そういうのズルイ。杖で突つくの禁止」

「まぁ、俺も隠し棚とか見つけれなかったしな。……一人一個ずつミスって事で丁度、良くはねえな」


 アメリアは複雑な読み書きは出来ないので、今は持ち出してきた書類から十月十三日の分を抜き出し。フィオンとヴィッキーで中身の精査を行っている。

 昼間の消耗が堪え、思っていた以上に魔法を持続出来なかったヴィッキー。フィオンも狙い通りのものを見つける事は出来ず、互いに少し冗談を交えながら書類との格闘を続ける。


 眠気を抑えながら三人は顔を突き合わせ、書類の山を少しずつ崩していく。直に時計の針は深夜に差し掛かり、疲労の多い三人には眠気が差す。

 幾ら可能性は低いとは言え森での襲撃を考えれば、夜襲が絶対に無いとは言い切れない。

 三人は交代で休憩を取るローテーションを組んでおり、フィオンの順番がやってくる。


「ぁ゛ー……俺の番か。……仮眠の前に外行ってくる。確か庭あったろここ」

「塀もあったし大丈夫とは思うけど、一応警戒しな。……アメリア、時間だよ。休憩はお終い」


 部屋を出て階段を下り、通りとは逆に面した宿の裏庭。

 四方は時代を感じさせる石の塀に囲まれ、小さな小川を備えた整えられた庭園。朧気な灯りには春の草花が照らし出され、心を落ち着かせてくれる。


「はぁ~~……ったく、ここまで忙しいのは久しぶり……いや、初めてか?」


 アメリアの事も考えて受けた難易度の低い依頼。

 だが蓋を空けてみれば町一つを巻き込んだ複雑な問題であり、何とか見つけた突破口も絶対に正しいのか踏ん切りは付いていない。ジャカブの不正を暴くべく件の書類を探しているが、それが見つかったとしてもその先は――


 ――今は自身の思考には蓋をする。依頼に誠実であるのなら、そこからの問題に関与すべきではない。

 決めるべきはエステートに生きる者達。

 よそ者であるフィオンはそれ以上を踏み込んでは、いけない気がした。


「ったく……冒険者(俺達)がやるのはあくまで依頼だけ、か……戻って寝るか……」

「その通りその通り、何事も分別が大事だよ。君の手には余る問題だ」


 軽くよく通る男の声。だが、心臓を鷲掴みにされた様な怖気を孕んだ響き。

 宿へと振り向き掛けた所で、()()はいた。

 庭園の真ん中に、フィオンの正面に、まるで最初からそこに立っていた様に。


「……なんだお前。ジャカブの……いや違えな。なんだ? ……魔物か?」

「ほほぉ、中々鋭いじゃないか。とても結構……それでこそ愛いというものだ」


 鋭いも何も、それは人のふりをした何かだった。人の形をし、人の言葉を喋っているが、明らかに違う何か。

 目穴も無い木の仮面で顔を覆い、二本の角が、金の髪から突き出し後ろへ伸びている。身に纏うのは服ではなく枝と葉の寄せ集め。

 素肌は彫刻の様に真っ白で生気を感じさせず、そもそも生き物であるかも疑わしい。

 警戒するフィオンを前に、何か愉快そうに喉を鳴らしている。


「何言ってやがんだ……。俺に何の用だ、いつからそこに」

「忠告に来ただけだよ、あまり首は突っ込めないけどこれ位は良いだろう。もう一度言う。――君達の手には負えない、ここらで手を引いておいた方が良い」


 忠告と言う言葉と共に、蛇の頭をした杖を向けてくる。だがその語気は煽り立てる様な抑揚。明らかにフィオンを挑発している。

 だが今は丸腰という事を除いても、何故か体が動かせない。

 掴みかかる事も出来ず、宿へと戻る事も出来ず、目の前の存在に向き合う事しか意識は許してくれない。


「今君達が抱えているものは少し面倒だ、君もそう思っている。……だったら、早くここを離れてしまえば良い。こんな所にはさよならをして、元の住処に帰るのが、君の為だ」


 こんな所?(ヒベルニア) 元の住処(レクサム)? 君の為?

 言葉は一々フィオンの心を刺激し、忠告とは名ばかりに発破を掛ける。

 目の前のモノが何なのかはフィオンの埒外だが、今はその言葉への反抗心が心を埋め尽す。


「お断りだ、絶対にこの依頼はやり遂げてやる。そこまで言うからには何か知ってんだろ? 心配する位なら教えたらどうだ」

「んっふっふ、それは出来ない相談だ。私は……そこに上がってはいけない。せいぜいこれが、限度だね」


 一歩一歩、悠然とそれはフィオンに近付いて行く。

 フィオンには恐れも強張りも無いが、やはり体は動いてくれない。

 間近まで近寄ったソレは杖の頭でフィオンの胸を軽く叩く。揺れる植物の服の間から、細かな意匠が施された金の首輪がちらりと覗いた。


「困った時は頼ると良い、手順は必要だがね。……私は、いつでも見ているよ」


 それが目に入った瞬間、忽然と姿を消した。

 出てきた時と同じ様に、初めから何もいなかったかの様に。


「ッ――な!? っあ……夢……? いや、これは……」


 体の自由も元に戻り、フィオンは夢でも見ていたのかと、以前見た白昼夢の時の様に杖が触れた胸を探る。


 しかし、今度は何かがある。杖の触れた服の中、胸に張り付いた一枚の紙。

 広げて確認すると、それは十月十三日の書類。探し求めていたジャカブの作った偽造書類であった。


「っち……頼れだと? 絶対にねえ……ねえけど……こいつは、貰っておく」


 未だ忌々しい気持ちは残るが、書類だけは受け取っておく。これがなければ前には進めず、それこそさっきの男に煽られたまま無様に終わってしまう。

 得体の知れない異形であったが、フィオンが抱いている思いは恐れや驚きではなく、ムカつきや一発殴りたいという意思だった。


 思い掛けない成果ではあるが決め手となる一歩。

 フィオンは疲れを忘れ部屋へと戻るが、更に困惑する事態に見舞われる。


「戻ったぞー、ちょっと説明し辛いんだが今そこで……」

「あ、フィオン! これ見て、ばっちり見つけたよ!」


 部屋へと戻ると、アメリアが一枚の紙を広げて嬉しそうに報告してくる。

 目の前に突きつけられたそれは、ついさっき見たのと全く同じ、ジャカブの偽造書類だった。

 思わずアメリアから受け取ったものと、先程のものとを見比べる。


「中身をちゃんと読んだのはあたしだけどね。賄賂を贈った奴の名前もしっかり……あんた、どうかしたかい? 鳩が豆にやられたみたいな顔で……」

「いや、俺も……何が何やら……。ちょっと、説明させてくれるか?」

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