第15話 混ざり者
服が破れ顕になったヴォルンの背は、およそ人とは言い難いものだった。
短く生え揃った黒紫の毛はまさに獣のもの。その肌も細かな体毛でびっしりと覆われている。
思わず剣に手を伸ばすフィオンと、言葉を無くし固まるアメリア。
だが二人の沈黙と緊張は、程無くして掻き消される。
馬車のヴィッキーは固まったままの二人に声を飛ばし、張り詰めた空気を崩す。
「じいさん、あんた"混ざり"だったのかい? ったく……それで見られまいと治癒を拒否してた訳か」
「混ざり? なんだそりゃ、ヴォルンのこれはどういう……」
「まずは馬車に乗せな、運びながら治癒を……あたしが馭者をするよ」
ぐったりとしたヴォルンを馬車に寝かせ、小屋へと運びながらアメリアが治癒を施す。
やはり傷が悪化したのか、発熱と共に夥しい汗を掻き意識を朦朧とさせている。
アメリアの治癒が進むとヴォルンはゆっくり意識を取り戻す。既に黒い半身が見られている状況に観念したのか、抵抗せずに治癒を受ける。
「なんじゃ、見られてしもうたか。てっきり避けられるかと思うとったが……お主らは気味悪く無いのか?」
「……そりゃびびったけどな、どう見ても人間じゃねえし。……で、ヴォルンも起きたし教えてくれよ。混ざりってのは何なんだ?」
「説明はヴォルンが起きてから」と言ったきり、ヴィッキーは口を開かず馭者をやっていた。
二度手間を惜しんでか何か確認を取ってからかは解らないが、ようやく口を開いてくれる。
無関係であるはずのヴィッキーも、どこか観念した様に溜め息をついてから。
「ヴォルン、先に確認しとくとあんたは混ざりで、正しい知識は持ってるかい?」
「わしの知る限りじゃがな。……わしは勿論魔物なんぞでは無いが、まあ人間かと言われるとそうとも言えんじゃろう。どう見ても人のもんじゃあない」
ヴォルンの体は胸から下、恐らくは足先までが人とは違う肌をしている。薄っすらと紫の黒い毛が隙間無く生え揃い、人よりも獣に近い肌。
ヴォルンの回答を聞きヴィッキーは話を先に進める。
淡々とした説明口調だが、何かその背からは悲壮なものが感じられた。
「要は混じりってのは混血の事だよ。亜人や魔獣やダークエルフ……そういうのが血筋のどっかに混ざってんのさ。するとその子孫は体のどこかに特徴が出てきたりして、ヴォルンみたいな事になったりする訳だ」
「遺伝の一種か……。ならヴォルンは見た目だけ……そういやダークエルフにそっくりだなこれ、肌以外は特に何ともねえのか?」
ヴォルンは体の調子を探りつつフィオンの質問に頭を巡らせる。
既に治癒は半ばまで終わり、顔色も血色の良いものに戻っている。
「どうなんじゃろうなあ、わしにとっては普通でもそれが他にとっての普通なのか……。森の中におると少しだけ気が楽に……体が軽くなった様な、錯覚かもしれんがのお」
「混ざりは全てじゃないがその力も出てくる事があるそうだ。ダークエルフ達は森の中のマナで活性化する。ここまで派手な混ざりは珍しいが、大抵皆伏せてるし国も触ろうとしない事だからねえ。……魔導士も結構なもんが混ざりと言われてる。恐らくはあたしもそうなんだろうが、これと言って見た目には出てないね」
さらりとヴィッキーは、自身も人以外の何かの血が入っているとフィオン達へ告げる。
だが、言われたフィオン達はそう色めき立った反応は示さない。
それがつまらないのか面白くないのか、ヴィッキーは「説明は終わり」と言う様にまた無言の馭者に戻った。
「それでヴォルンはバレたくなくて頑固になってた訳か、まあ解んねえでもねえが。……村に住んでねえのもそれが原因か?」
「殆どの者は理解があるがのお……。それでもちっとばかし頭が固いか妙な考えに取り憑かれとるもんもおる。どうせわしは狩人として森の中がしょっちゅうじゃし、この方が都合が良い事もあるにはあるよ」
この方が良いから問題は無い。そう言い切るヴォルンの顔は、どこか意地を張る様であった。
治癒を終えたアメリアがもじもじとヴォルンの肌に手を這わせる。
決して触り心地は良くなくごわごわとした毛だが、人と同じ温かみを持ち、穏やかな空気を纏っていた。
それを見ながらヴォルンは自身の事や混ざりの事ではなく、ずっとアメリアに抱えていた疑問を口にする。
「そういえばお譲ちゃん、あんた……普通の魔導士ではないね? そもそも魔導士なら混ざりや血の事を知らんはずもないしのお」
「え!? ぇ、っとぉー……いや、それは、ちゃんと知って……」
「ぁー、ヴォルン。こいつは独学と言うか何と言うか、ちっと他の魔導士とは違う感じで修行をしてた奴で……色々至らない点は……」
口を挟んでは来ないが、ヴィッキーは明らかに馭者をしながら何か気を強く発している。
ヴォルンからはそれは背後であり気が付いていないが、それに気付いているフィオンは気が気ではない。
「動物を治すのはそういう趣味かとも思ったが……。わしも詳しくないが、魔導士達は魔法を使う時……こう、杖や何かを持ってたりするじゃろう? お譲ちゃんはナイフは持っておるが、狸を治す時には素手じゃったしなあ」
アメリアは今はナイフを持っているが、洞窟で狸を治す時にはそれを忘れてしまっていた。
致命的なうっかりを指摘され、フィオンとアメリアは言葉を失くす。殺気を強く放っていたヴィッキーも、これには肩を落としてガクリとする。
ヴォルンは更に言葉を続けるが、それは追及等とは違う、感謝に満ちたものだった。
「まあそいつは些細な事じゃな……ヒベルニアでは結構魔導士を見かけるが、どうにもあの手合いは威圧的で……ヴィッキーはそうでもないが偉ぶっとるのが多くてのお。わしを治癒してもお主ら金を全く要求しようともせん、それが一番不思議じゃった。無償で力を使う魔導士なんぞ初めて見たわい。……わしも、少し意地を張っておった。ありがとう、命拾いさせてもらったな」
「でもそれは……。私達の依頼で、ヴォルンさんが協力して……感謝なんて……」
魔操具が普及する以前、魔導士達が広く生活の一助となっていた時代。それは当然ながら有償だった。
決して悪い事ではない。長く厳しい修行の末に身に修めたものを求められて振るう。それに対価が発生しない方が世の理に反するというもの。
だがそれによって偉ぶり他者を見下すという行為も、人であれば仕方が無い事ではあるが、決して褒められるものではない。
アメリアは自身の力によって、何かを求めるという事はしなかった。
ヴォルンの目にはそれは異質なものに映り『他の魔導士とは何か違う』と感じ、それは感謝となってアメリアに返った。
感謝を受け取ったアメリアは困った様に口篭り、何か考え込む様に黙ってしまった。
ヴォルンの方も口を閉ざし、それ以上アメリアに対して追求等もしない。まだ本調子ではないのか揺れる馬車に体を横たえた。
馬車は一転して静寂に包まれ、依頼を終える為、別れの場へと向かう。
再び会話が始まったのは、ヴォルンの狩猟小屋に着いてから。
バーナギの村まで送るかも聞いたが、小屋で降ろして欲しいというヴォルンの意思を尊重した。
「本当に大丈夫かヴォルン? 治癒は効いてるが一応村で看て貰った方が……」
「あんまり年寄り扱いするでない。自分の体の事は、まあそれなりに解っとる。……体の方は問題ないが一応今日の所はしっかり休んでおく。報告の方も心配するな」
馬車を降りたヴォルンの足並みはしっかりとしている。肩を貸そうとしたフィオンは不要と断り、三人に別れを済ませ小屋の方へと一人で向かっていく。
たった半日程ではあったが確かに命を預けあった一時の仲間に、三人は少し寂しいものを感じる。
「あの、ヴォルンさん。こんな事言うのは、お節介かもしれないけど……。ずっと一人で暮らすより、村を拡張するというのなら……そっちに移るつもりは、ありませんか?」
ヴォルンに感謝をされてからずっと何かを考え俯いていたアメリア。
体の事もあり一人で暮らす方が気楽だと言うヴォルンに、自覚はしながらも明らかなお節介を吹っ掛ける。
だが狩人として生活していたフィオンから見ても、年中森で一人暮らしというヴォルンは、明らかに無理を押していると感じていた。
バーナギの村からヴォルンの小屋は歩けば片道で一時間以上掛かり、ヒベルニアはブリタニアと違いまだ魔物も生息している。
明らかにレクサムでのフィオンよりも過酷な環境な上に、ヴォルンはそれなりに高齢でもある。幾ら魔操具で生活の利便性は増えたとは言え、全てが補われている訳でもない。
お節介を焼かれたヴォルンは何かを考える様に押し黙り、お節介への返答を返す。
頑固者ではない出合った時のまま、柔軟な好々爺の空気を纏っていた。
「そうじゃなあ……わしの姿を見て怖がる奴や忌み嫌うものもおったが、村が広がるのならまた環境も変わるか……。村長の奴からもいい加減に大人しくしろとも五月蝿くされとる。……新しい場所は森も近いし、この小屋に拘る理由も、もう無いのかのお」
「それじゃあ、村に入るのか? ……余計な世話かと尻込みしちまってたけど、俺もそれが良いと思う。実際に魔物もあの洞窟にはいた訳だしな。あんたは口も達者だし、大勢で住んでる方がきっと性に合ってるよ」
お節介を焼かれたはずのヴォルンは、笑みを浮かべる。新しい考えを迎えると共に、どこか寂しさを誤魔化す笑み。
一時を共に過ごした世話焼き達へ、最後に別れを告げる。
「わしもそう思うよ、今日お主らと過ごして、危ない目にもあったが、うむ……。達者でな、久しぶりに楽しいと感じる一日じゃったわい」
ヴォルンと別れフィオン達はダブリンへの帰路に着く。
簡単でやりがいは無く、実績を積む為だけの通過点とも思えた依頼は、遥かに多くのものをもたらした。勿論それは良い事ばかりでなく、今後への課題も。
沈黙が支配していた馬車を、フィオンは再度"混じり"に関して問い掛ける。
「ヴィッキーも混じりかもしれねえって言ってたが、恐らくって事はちゃんとは解んねえのか?」
「……さてねえ、魔道を扱えるもんは何かが混ざってるってのが、魔導士としての一般論だよ。あたしの知る限り親族に亜人はいなかったが、血筋全部を知ってる奴なんているのかい?」
全ての血筋の把握。
ドミニア王国では個人情報の登録が国によって行われてはいるが、それも個人の協力有ってこそ成り立つ。
住所不定であったり脛に傷が有ったり、単に面倒臭がりな者達が未登録という事は珍しくもない。一応は国民として扱われているが、ダークエルフや亜人の登録率は二割を切る。
それがなくとも自身の血のルーツを全て知るなぞは一筋縄ではいかない。
「そりゃそうか、俺だって知ってるのは大じいまでだし。……アメリアも家族は、皆エルフなのか? なら純血って事になるのか?」
「私は……そもそもエルフってものをこっちに来てから知ったんだし。パパとママは私と同じだけど、他は知らない。気にした事も無かったなあ……」
フィオン達はアメリアを勝手に純血のエルフであると考えていたが、その確証は無い。単に見た目がダークエルフとかけ離れ、稀有な力を持っているというだけである。
問われたアメリアは遠い目をして唸っているが、そう深刻に考えている様ではない。考えた事も無かった新しい事への興味で、腕を組んで唸っている。
「それは良いけど、今度からはちゃんと治癒の時にはナイフを持つ事だよ。……別に鞘から抜かなくても良い。それっぽく何か……格好が付く様に慣れておきな。ヴォルンはあの様子だと問題無いけどね」
ヴォルンはそう追求してくれず事無きを得たが、アメリアの正体に関しての秘匿は今回の依頼では粗が目立った。
一般に姿を見せる事事態が稀な治癒の魔導士という事で何とか誤魔化せたが、同じ魔導士であったり疑り深い者であればこうは行かないだろう。
釘を刺されたアメリアは、先ほどとは違う様子で頭を抱えて唸っている。
「あともう一つは……こればっかりはそうホイホイとはいかないねえ。考えてはおくけど……。フィオン、あんた鎧とか……いや、それは微妙かね」
「今回はヴォルンがいたけど、いつもそうとは限らねえしなあ……。最悪の場合はそうするけど、帰ってから探してみよう。妥協もできねえし難しいとこだがな」
二人は敢えて具体的には言わず、差し迫った課題に頭を悩ませる。
この場にはアメリアがいる以上、彼女によって生じている問題をそう開けっぴろげに話す事は躊躇われる。
同時に、それを避けていては致命傷にも成りかねない。
アメリアには何の事か解らなかった様で、治癒の際にナイフをどう持つか、色々とポーズをして試している。
夢中で一生懸命な少女を見て、フィオンは切羽詰った心が安らぐ様だった。
一仕事終えた直後に思い悩んでいた頭は、穏やかな微睡みに浸る。
「それはそうと……いい加減馭者を変わっておくれ。流れであたしがやってるが、雷は洒落にならない桁で疲れるんだ。……フィオン、まさか寝ちゃいないだろうね? ……アメリア、ちょっとナイフの練習をしようか」