第149話 腹の内
日の暮れた野営地に、負傷したダークエルフ達が続々と運び込まれていく。ワーウルフ達が咄嗟に応戦したとはいえ、魔獣の急襲によって最も被害を受けたのは彼らであった。この日の兵装は専ら砦攻めの援護の為、弓と矢筒のみを携えたものが殆どであり、碌な抵抗を行う事ができなかった。
「……そう落ち込んでくれるな、お主はよう戦っておったろうが。それが胸を張らずにそうしておっては、わしらの立つ瀬がなくなってしまうわい」
陣の端のテントで、独り座り込む人狼へベドウィルは声を掛ける。青の毛並みは濁った赤色に汚れ、程好く混ざっていた灰色は今は見る事ができなかった。
オリバーは顔を伏せたまま、ぼそりと呟くように返す。
「被害を抑えた事ト、被害を出しちまった事ハ、全く別だろうガ。……治療には感謝するが安い慰めハ……あんた忙しいんだロ? わざわざこんなとこに来んナ。よそに行ってくレ」
「ううむ、それはその通りなのじゃがな……ここは前もって目を付けていたと言うか、わしらの方が先客と言うか……」
何やら言い淀むベドウィルに、オリバーは不審に思い顔を上げた。
同時に、天幕の中へ誰かがやって来る。篝火を背に逆光となり姿は見えないものの、堂々とした歩調と部下を連れ歩く姿は、既にオリバーにも見覚えのあるものだった。
「――ベドウィルよ、何故そやつがここにいる? お前が呼んだのか?」
首を傾げながらレーミスはオリバーを見やる。異形の魔獣達と戦ったオリバー達よりも、戦の痕が数段濃い。
「いるのではなくいたんじゃよ。まさか空のテントに先客がおるとは誰も思わんわい。……まあ問題なかろう。こやつは外様と言う訳でもなし、わしらだけでは苦労するやもしれん」
言いつつ、ベドウィルはオリバーへ向き直る。偉丈夫の老将は座ったままの人狼へ屈み目線を合わせ、人の良さそうな顔で手を合わせた。
「場合にもよるんじゃが、今から見るものを口外せんでくれると助かる。……いや決してやましい事ではないのじゃが、あまり兵達には見せたく」
「――お喋りの趣味はねえから安心しロ。今は何か仕事をしていたいしナ。……その荷の中ガ、怪しいもんって事だナ?」
レーミスの連れて来た部下達は、大きな包みを運び入れる。オリバーが鼻をひくつかせるまでもなく、薄汚れた布は赤く滲んでいた。テントの中央にどさりと置かれたそれを、ナイフを手にしたベルナルドが開いていく。他の兵達はそのまま退出し、テントの周りをぐるりと人払いを始めた。
オリバーはベルナルドの傍へ寄り自身のナイフを手に、血と獣臭の濃い包みを開いていく。中身の検討は付いていたものの――人狼の顔は嫌悪に歪む。
「ッチ、またこいつを見る事になるとはナ。勘弁してほしいゼ」
中に入っていたものは、異形の魔獣の死骸であった。頭部を潰されてはいるものの依然その五体には奇形が目立ち、苦い記憶をオリバーに過ぎらせる。今日の魔獣達の奇襲に対し彼は敢然というよりも、何かを振り払うかのように得物を振るっていた。
「……デ、こいつをどうすんダ? 魔獣は旨くはねえガ、こいつは見た目からも食欲を欠くナ。そういう話なら俺はここで抜けるガ……」
まさか、と答えたのはベルナルドだった。虎に似た異形を仰向けにさせ、作業の準備をしながら淡々と答える。
「兵糧が尽きればそれも一つの手ではありますが、今はそういう事ではありません。……閣下とベドウィル殿は一つの結論に行き着き、これはその確認の為の作業です。私も尋常の獣であれば解体の覚えはあるのですが、できればご助力下さい」
一先ず食用ではないと知り、オリバーは頷いてそれを手伝う。どうあれ今は何かで頭を忙しくさせ、思い悩む暇を自身に与えたくなかった。
二人は異形の魔獣の腹を割き、臓物と肉を分けていく。外と同様に内も異形のそれであったが、オリバーはそう労せず解体を進めていく。過酷なヒベルニアでの経験を活かし、巧みと言うよりは半ば強引に、でたらめな四肢や器官を持つ魔獣を分けていった。
とっくに脈動を止めた臓器の中で、まだ一つだけ揺れ動くものを見つける。ベルナルドは赤黒い血糊に包まれた球体を取り出し、慎重に切り開き中を覗く。
「これは、見るからに――真っ当な生物の物ではありませんな」
黒い拳大の球体の中には、無数の小さな玉が詰まっていた。淡く緑に発光する筋に覆われ、微かな拍動を今も止めずに続けている。
見止めたベルナルドはレーミスと視線を交わし、主は懐から同じく黒い、四角い箱を取り出した。こちらは打って変わって無機質ではあれど、なんとなくオリバーはその箱からも、同質の妙な気配を感じ取った。
「魔操具というものが何なのか、それは我らも与り知らぬ領分だった。これだけはあの軟弱者も譲ろうとせんでな……。適当な物を壊してみた所、内部からこれが出てきた。しかしこれ以上どうにも手が出せぬでな……」
四角い箱にはよく見れば無数の傷が付いていた。それでも尚箱は中身を見せぬまま、陰鬱な気を放っている。
床に置きレーミスは下がり、槍を持ったベドウィルがおもむろに近づく。
「この魔獣達の背後にいるのはウォーレンティヌスだとフィオン達は言っていたが、まだ確たる証拠もなし、私は半信半疑だったが……今日の一件を受けてはな。あれは明らかに奴に組する動きだった、偶然とは思えん。――頼んだぞ」
頷いたベドウィルは猛然と、槍を振り被り箱に打ち付ける。轟音と共に鈍い音が鳴り響き、穂先は歪に捻じ曲がる。構う事無くベドウィルは打ち続け、切っ先を駄目にしては石突を使い、あっという間に三本の槍を潰してしまった。それでも箱は形を崩さぬまま、静かに床の上で沈黙を保っている。
「――こうなれば、仕様があるまい」
がらくたとなった槍を捨て、ベドウィルは立て掛けてあった自らの得物を取る。特注の戦槌は鈍い光を放ち、再び箱を滅多打ちにしだす。低い音が幾度も木霊し箱が弾け飛んでは置き直され、十合の後に漸く、箱は根を上げ中身を見せた。割れるでもなく潰れるでもなく、四角の一角が崩れるように床に落ちる。
息を荒げたベドウィルが覗き込み、ほぉっと息を吐く。
「どうやらこれは、徒労では済まんでくれたようじゃ。――当たりじゃな」
箱の中には魔獣の腹のものと同様の、無数の小さな玉が詰まっていた。やはり同じく拍を繰り返し、まるで血管のような緑の筋に覆われている。
レーミスはしかめっ面に薄く笑みを浮かべ、一先ず掴んだ証拠をベルナルドに保管させる。
「動かぬ証拠ではあるが詳細はまだ何とも言えんな。とりあえず魔導士達に調べさせてみよう。何なのか特定できればより優位に立てるだろう。――感謝するぞオリバー、いなければ腑分けで随分と手間取ったろう。音で注意は引いてしまったろうが手早く済ませるに越したことはないからな」
礼を言われやれやれとしつつ、オリバーはちらりとテントの入り口を見やる。レーミスの部下達は精勤に励んでおりどうやら人払いは問題無い様だったが、それでも先程の破壊音のせいか、彼らの背中さえ少し落ち着きなく見えた。
「成り行きで手伝っただけダ、気にすんナ。それに礼を言うなラ……我が一族と森の民達への治療に礼を言ウ。事が収まった後には良い関係が築けるようニ……俺も少しは考えてみるヨ」
代理とは言え族長である自らを思い出し、青灰の人狼は、少しぶっきら棒に頭を下げた。まだ礼儀正しい振る舞いに抵抗はあるものの、それでも昔日の彼よりは、澄んだ瞳を向けていた。




