第14話 突破
洞窟に響く苦しげな老人の声。
ヴォルンの声によって最悪の事態に陥った現実を否応無く理解させられる。
振り向いたフィオンの目には血の滴る錆びた槍。ヴォルンへ殺到する無数のスプリガン達が、後ろを塞いでいた。
咄嗟にフィオンは踵を返そうとするが、それを咎める声がすぐ傍から飛ばされる。
「フィオン、打ち合わせ通り動きな! ばらばらに動けば本当に終わりだよ」
強い語気で耳へと届いた打ち合わせという単語。
反射的に動きかけたフィオンの頭に響き一瞬足を止めさせ、洞窟に入る前の事が思い起こされる。
洞窟に入る直前の打ち合わせ。
魔物はいないだろうという見立てではあったが、ヴィッキーの舵取りでそれは行われた。
「ま、何もいないとは思うけど備えあれば憂い無し、大雑把にでもしっかり決めとこう。とは言っても……」
基本は、戦力を前に集中させて近付かれる前に殲滅。
射手は二人。小回りも連射も効いて単発の威力もそう悪く無い。厄介な敵が出ない限り、二人が疲弊し切ったりしなければこれで問題はない。
問題は、すぐに仕留め切れない強敵や無数の敵、或いは前後を挟まれた場合。
「誰だって自分の命が最優先さ。いざとなった時に誰か逃げ出しても……殺される程恨まれてでも逃げ切るこったね」
十年を共にしたベテランのパーティでも無く、内一人は今日出会ったばかりの案内人。
いざとなった時に誰がどう動くか誰にも確信はない。ならば逃げ出した者はせめてしっかりと逃げ切る事。
そう言いながらも「逃げ出したらタダじゃおかない」と背筋の凍る笑顔が魔導士の顔には張り付いていた。
だが、冷たい言葉だけでは終わらず、「それでも誰も逃げなかったら……」と言葉を続ける。
「手に負えない奴が出てきたら全員で逃げる、無理に踏み止まりはしない。大量の敵に前後を挟まりたりしたら……。手薄な方をさっさと突破する、挟まれてる状況が一番まずいからね。突破のタイミングはあたしが指示する、その時の殿は……」
タイミングを誤れば犠牲者が出る。そんな危険な策を魔導士は言い放つ。
しかし、そもそも前後を挟まれた状況の時点で切羽詰ってもいる。時に火事場には荒療治が合致するもの。
そんな事態にはならないだろう。そう各々が思いながらも四人はそれを胸の内に仕舞っていた。
「ッ――……わりぃ、ちょっと焦った。大丈夫、覚えてる」
ヴィッキーの声に制止され、フィオンは何とか踏み止まる。
ばらばらに動けば終わり。その言葉に意識を持ち直し再び矢筒に手を伸ばす。
ヴォルンの苦しげな声と金属の打ち合う音は依然後ろから響いている。それはヴォルンはまだ生きており、スプリガン達相手に応戦している事を示している。今すぐにでも助けに行きたい気持ちを抑え、現状を確認する。
事態は確かに良くは無いが、まだ完全に手遅れと言う訳ではない。
前方のスプリガン達は見えるだけで残り五匹。
それらに矢を放ちながらフィオンはヴォルンへと確認を求める。
「おっさん、後ろはどれ位来てる!? ザッとで良いから……」
「っは、っはあ……わ、解らん! っぐっぁ゛……ぉ、多い! いっぱいじゃあ!!」
具体的な数は解らないが二、三匹のみという反応ではない。
先程一瞬だけ振り向いたフィオンの目には、槍の様なものは五、六本は垣間見えた。
その事をフィオンは伝えようとするが、大方の状況を把握したヴィッキーはそれを待たず指示を飛ばす。
「後ろは六以上いる! 前を突破して広間で迎え撃……」
「ヴォルン、アメリアを抱えな! フィオンは前に突撃、カウント行くよ!
3! 2!」
強い語気で有無を言わさず、ヴィッキーは確認を待たずにカウントを始める。
どれだけの猶予が残されているか定かではなく、最早一瞬の猶予さえ残っていないかもしれない。次の瞬間には誰かが致命傷を負い、策も何も出来ずに全滅する可能性も否定できない。
ヴィッキーは最悪の事態だけは避けるべく、最速にして最善と思える策を早める。
「おっさん、アメリアを頼んだ! 俺の後に続――」
「さっさと突っ込みな――! 1!」
一拍早く、ヴィキーは後ろを振り向きながら杖を構える。
フィオンは剣を抜き放ち広間のスプリガンへと迫り、ヴォルンはアメリアを抱えその後に続こうとする。
「私も走れる……ヴォルンさんも、急いで!」
打ち合わせではヴォルンがアメリアを抱えるはずだったが、それは無用だった。
歯を食い縛る少女にヴォルンは触発され、苦しい笑みを浮かべて走る。
「しっかり確保しな――イミレートォ!!」
瞬間――閃光と轟音が炸裂する。
ヴォルンがヴィッキーを追い抜いたのと同時に、雷の魔法が洞窟内を迸る。
数秒間だけヴィッキーが強引に片方を抑え、フィオンとヴォルンで逆方向を押さえる策。
期せずして、閃光は広間へ突進するフィオン達への援護にもなった。
スプリガン達からは強烈な逆光となりフィオン達を闇へと隠す。暗闇でも目が効くスプリガンではあるが、松明の灯りに慣れた目は急な閃光と逆光に調節が追いつかない。
細く長い目は激しく厚みを変えて動くのみで役に立たず、無防備に叩き斬られる。
フィオン達は苦しげに目を塞ぐ広間のスプリガン達を掃討していく。
直前に見えていた分は五匹だったが、物陰や地面の起伏に隠れていたものを合わせて七匹を仕留める。
松明を手に辺りを確認している間に、閃光と轟音は止みヴィッキーが走って来た。
「大丈夫か? あっちの方は……」
「結構焼いたけどまだまだいるよ。早いとこ迎撃準備、ヴォルンは周りを警戒しとくれ」
広間へ入ってくるスプリガン達を、またもフィオンとヴィッキーで迎撃して行く。
そう広くない通路から来るのみであり先程よりも安定しているが、今はそれよりも周りの安全が気掛かりである。
確保したばかりの広間は思っていたよりも広く、そこかしこに暗がりや起伏が散在し、撃ち漏らしがいる可能性は大いにある。
ヴォルンは松明を手に辺りを警戒して回り、アメリアはヴィッキーの傍で怯えながら周囲へ目を凝らす。先程は何とか気力を振り絞っていたが、その顔は真っ青である。
これ以上は何も起きない事を祈りつつ、フィオンとヴィッキーは通路から殺到するスプリガン達を迎撃していく。怯えるアメリアを安心させる様に、ヴィッキーは威勢良く声を張る。
「奴等も品切れだろうさ、後はバカ正直に突っ込んでくるのを狩り取るだけだよ。流石にこれ以上は……」
「ぬっぉお!? って、こりゃまた……す、すまんが手を貸……いや、急がんでも良いぞい」
広間の奥からヴォルンの驚いた声が響くが、次いで聞こえてきたのは拍子抜けした声。
通路からのスプリガンは粗方片付き、フィオン達はその声に首を傾げる。
「た、助けに行った方が良いんじゃ。ヴォルンさん怪我してたし、それに……」
「フィオン、行ってあげな。こっちはもう大丈夫だよ、あたしも無理せず警戒しとく」
通路のスプリガンは残り三匹ほど、すっかり勢いを無くし物陰からこちらを睨んで動かない。
恐らくヴォルンの方も大丈夫であろうが、状況が解らない分そちらの方が気掛かりだった。
「何かあったら報せてくれ、直ぐに戻る。何か見つけたんだろうが……静かだな、魔物じゃないのか?」
フィオンはこの場を任せヴォルンの下へと向かう。
声のした方は広間から伸びた狭い通路、その先はぼんやりと松明の灯りで照らされている。
良く見ればそこかしこに獣骨や朽ちた武器等が散乱し、ここがスプリガン達の巣窟であった跡があちこちにある。
最奥でヴォルンは何かを見つけた様子だが、困惑した顔で通路の奥を見つめていた。
「おっさん大丈夫か? 何があったんだ?」
「おぉフィオンか、いやこれな……。恐らくは奴等の食料じゃろうが、もう助かりそうには無くてな」
ヴォルンが奥へと松明を向ける。
ぼんやり照らし出されたのは大きな狸と、その影に身を潜めた小さな子狸達。親と思われるものは傷だらけで血を流し、苦しげにしつつもこちらに毛を逆立て威嚇している。
「もう長くは無さそうじゃし、流石に小っこいのまではやらんが楽にしてやろうかと……」
「そうだな、あの深手じゃ。……いや、ちょっと待ったアメリ……いや……」
アメリアならば治癒出来るかもしれない、そう言い掛けてフィオンは口を濁す。
例え誤魔化したとしてもヴォルンに少なからず情報を落とす事になる。だがヴォルンも負傷しており、どうせその治癒をアメリアは買って出るだろう。……そもそも狸を助ける事は狩人としてどうなのか?
一人では決めかねる事に悩まされフィオンは頭を抱えるが、すぐ後ろから肩を叩かれる。
振り向くと既にアメリアが近付いて来ていた。その目は必死に子を守る傷ついた親へと向いている。
「お前向こうは? ヴィッキーは?」
「もう大丈夫だから呼んで来いって言われて……うん、ちょっと待ってて」
アメリアはすたすたと狸へと近付いて行く。
ヴォルンは阻もうとするが、アメリアが近付く事で狸の警戒は目に見えて和らぎ道を譲る。
アメリアは膝を付いて両手を翳し、狸は抵抗せずじっとしている。
魔導士でないフィオンやヴォルンにはマナの流れ等は解らないが、治癒の力は滞りなく効果を発揮し、そう間を置かずに狸の傷は消え去っていく。
「こいつは、なんと……。治癒の魔導士なんてのは、初めて見たわい」
「……はい、もう大丈夫。あの、ヴォルンさん」
治癒を終えたアメリアは何か口篭りながらヴォルンへと向き直る。
その後ろでは狸の家族が、傷の癒えた母親と嬉しそうにじゃれ合っていた。
「……狩人さんにこういう事言うのは、おかしいとは思うんですけど……。今助けたこの子達を捕まえちゃうのは、その……」
アメリアが言わんとしたい事を察し、ヴォルンは一息吐いて自身の体を労わる。
スプリガン達の攻撃に曝されたヴォルンは全身に傷を負い、服の端々から覗く傷口は赤黒いものになっていた。幸い魔物達の武器は錆びや劣化で磨耗し威力は低かったものの、それでも痛々しい傷はそこかしこに目立つ。
「この体で今すぐ獲りものは勘弁じゃ、悔しいがこの狸は見逃してやろう。どうせ狸の肉なんぞ扱いに困るしのお」
四人は洞窟を後にし馬車まで引き返す。
狸は見逃す事になったが、予想外のスプリガンの群れは収獲である。魔物がでない見立ての依頼で出現し、その上で成功させたという点もプラスに働く。
それはヴォルンの助けも有っての事であり、ヴィッキーは村長からヴォルンへの謝礼にも色が付く事を約束する。
しかし馬車まで戻った所で、急にヴォルンは態度を改め、小屋までは一人で帰ると言い出す。
ヴォルンの怪我に対してフィオン達は何か補償をする義務はないが、それでも一時協力してくれた仲として治癒と送迎くらいはしておきたい。
だがヴォルンは頑なに馬車へ乗る事を拒み、既に目にしたアメリアの治癒も要らないと言う。
「いいから、わしは一人で帰ると言うておろうに……お譲ちゃん達も、あとは帰って報告するだけじゃろう……がっ!」
「だーめーでーすぅ! 私達のせいで怪我したんですから、ちゃんと私が……治しま……す!」
村長への報告は担当者のヴォルンが、組合へはフィオン達が行いそれで依頼は完了する。
ヴォルンは村長への報告を確約し立ち去ろうとするが、アメリアはその服を掴んで離さない。フィオンとヴィッキーも先程まではヴォルンを説得しようとしていたが、急に頑固になった老人を相手に既に諦めている。
街道の端っこでは傷だらけのヴォルンと、それを逃がすまいとしたアメリアの引っ張り合いが、始まってからそろそろ数分経とうとしている。
「急にどうしたんだろうなヴォルン、さっきまでは普通に愛想良かったのに……」
「さあてねえ。あたしとしても後腐れ無い様にちゃんと治して欲しいけど、本人があそこまで嫌がってちゃ……。もうクタクタだし、早いとこ帰りたいけどねえ」
依然続く二人の引っ張り合いを、フィオンとヴィッキーは馬車の上から眺めている。
そう深刻な怪我には見えないがスプリガン達の得物はどれもこれも汚いものだった。それが原因でヴォルンは軽傷で済んだが、今はそれが原因で傷の悪化もあり得る。しかし本人があそこまで嫌がっては治し様も無い。
いつまでも引っ張り合いを見ている訳にもいかず、フィオンは馬車を降りて二人へと止めに入る。
「おっさん、そいつを放置しとくのはやっぱまずいって……。何が理由かは知らないけど、今はこいつの治癒を……」
「こ、断る……。わしは絶対、に……いかん、ぞ……」
引っ張り合いで疲弊したのか傷が悪化したのか、ヴォルンは明らかに苦しそうにしている。
流石にこの様子では放っておく訳にもいかずフィオンも加勢しようとするが、先にヴォルンの服が根を上げた。
スプリガン達に切り裂かれた服は引っ張り合いに耐え切れずに千切れ、ヴォルンは地面に倒れ込む。
だがそれを心配する前に、二人はヴォルンの背中のそれに気付き、言葉を失くす。
「え? ……おっさん、その背中……人間じゃ、ない……!?」
「ヴォルンさん……黒い、毛? なに、これ……」
顕になったヴォルンの背は、毛深いという言葉ではとてもではないが無理があるものだった。
若干の紫を帯びた短い黒い毛が生え揃った背中。明らかにそれは人間の者ではなく、それは背中から広範囲に広がっていた。