第148話 軋み出す戦場
第四軍が後にした砦を、西軍は今こそ好機と攻め掛かる。守兵の数が足りなくなった訳ではない。未だ城壁の上には無数の射手が立ち並び、攻め寄せる西軍にはそれこそ隙間無く矢石が降り注ぐ。しかし今日の城壁は殆どを白の兵達が埋め尽くし、士気にも練度にも陰りが濃い。
第四軍の穴を埋める第一軍には、動きに精彩を欠く者が多かった。矢に力はなく、石に勢いはなく、西軍は昨日よりも易々と、壁へ張り付き攻勢を強める。
西門を攻める第五軍の中ほどから、レーミスは馬上でそれを見やる。
「……やはり改竄とやらは決して万能の力ではないようだな。連中明らかに糸が切れている、投降せぬのが不思議なほどだ。滑稽にも見えるが……不憫なものよな」
第五軍の指揮は引き続きベルナルドが執っており、彼女は近衛隊のみを率いている。前線に出れぬならば二軍団の指揮を執れという命令ではあったが、あくまでそれは建前に過ぎない。
彼女の身に何が起こっていたか、既に全軍には伝えられているが、全て飲み込まれたという訳ではない。理解と納得は別の事柄であり、しこりを残す者も少なくは無かった。
「閣下、そろそろ頃合ではないかと。……戦場での失態は戦場で取り返しましょう。そのお働きあればこそ、我らは貴方に従うのですから」
近衛の一騎の具申に、レーミスは頷きだけを返す。平原にて彼女に仕留められたのは兵卒ばかりではなく、近衛の中にもそれはいた。怨恨は確かにあろうが今は忠義と恩がそれに勝り、槍は整然と並び立ち、粛々と下知を待っている。
「要らぬ気を遣うな。例え私が何を成そうとも過去を無かった事にはできぬ。処罰でもなく配下を討った将に、自ら付き従うなどあるものか」
淡々と、レーミスは己の罪を省みる。改竄により操られての事ではあるが、それで全てを片付けるという判断は、彼女自身が許さない。
耳を傾ける部下達はしゅんと項垂れ――発破を掛けられる。
「――故に、私が成すべき事も成す事も、心配せずとも何も変わりはしない。お前達の主である資格を、私は再びこの戦場で示すッ!」
高らかに黒の斧槍が掲げられ、弾けんばかりの号令が下る。
「いざ、今日を決着の日にしてくれよう! 玉座から偽王を切り落とし、新たなブリタニアの門出とするぞ!!」
決して前を向く事を止めない烈将は、堂々と部下達に下知を下す。
それを受け颯爽と、黒の騎馬隊は駆け出した。下を向く者は一人もおらず、主の背に目を注ぎ、主の声に耳を澄ます。隊は砦を攻める歩兵団の後方で二手に別れ、それぞれ城壁の左右に疾走する。
先頭のレーミスを皮切りに魔操具の馬具は励起を始め――ほぼ絶壁に近い城壁を、蹄は瞬く間に足掛かりを捉え、黒き駿馬達は翔け上がっていく。下から見上げる自軍よりも、上から見下ろす敵軍の方が反応は顕著であった。矢も石も彼女らを止める事は能わず、騎馬が城壁を登りきる前に、蜘蛛の子を散らした様な恐慌が城壁の上で起こる。果敢にも剣を抜く兵を一人薙ぎ倒し、レーミスは砦を睥睨し、朗々と名乗りを上げた。
「エクセター候にして第五軍軍団長、トリスタン六世が告げる――ウォーレンティヌスよ! 戴く御位に恥じるものなくば、剣を抜きて我が前に現れよ! 尚も篭もって醜態を曝すならば、偽王の謗りを自ら証するものと知れ!!」
戦場の空を裂く程の豪声に、返ってくる言葉はない。第一軍の兵達まで目を向ける中、砦中央の司令部は、亀の様に静寂を保っていた。
兜の奥から歯軋りを響かせ、レーミスは斧槍を取り直す。降りるだけならば魔操具の力は必要なく回復を待つまでもない。一息に駆け下り臆病者の首を取るかと手綱を握り――強い気配を感じ、馬首を返した。
城壁中央の棟から一人の男が、真紅の騎士が姿を表す。全身鎧で顔さえすっぽり覆い隠すものの、手にした身の丈ほどもある分厚い剣は、それが誰なのかを物語っていた。
「ここにいたのか、てっきり今日も南門だと思っていたがな。漸く鬱陶しい鳥頭が消えたかと思えば」
「――聖王アーサーが麾下ガウェインの後継、ガレンス。王の命に従い反逆者達を誅伐する」
話に構う事も無く、ガレンスは名乗りながら大剣を構える。
戦場の所作としては相応しいものではあるが、レーミスはその気配に、違和感を感じた。
「……貴様、何かあったのか? いや改竄は受けておるのだろうがしかし……前に会った時はもう少し――!?」
瞬きの間に、遠間であった男の体が、瞬時に目の前に迫る。
巨体が嘘であるかの様な俊敏な動きに、石垣を踏み砕くほどの苛烈な踏み込み――レーミスは咄嗟に斧槍を合わせ、重い大剣の一撃を柄で受けた。一撃で形勢を持っていかれる。馬体諸共に押し込まれ、馬ごと両断される勢いで巨大な鉄塊が襲い迫る。足を活かせぬ城壁上と言えども、徒歩のガレンスは騎馬のレーミスを圧倒し、怒涛の攻勢で攻め立てた。
「ッ……良いのか、私に掛かりっきりで? ウォーレンティヌスに兵は扱えぬ、ならばお前が指揮を取らねばッ――今頃南門をベドウィルが」
ガレンスをここに釘付ければ、戦場全体では西軍が優位となる。指揮官のいない軍を相手にベドウィルやイーヴァンが遅れを取る事は有り得ない。
それを露骨に示すレーミスだったが、しかし目の前の男は、取り付く島もない。
「我こそは聖王配下、太陽の騎士ガウェインの血統! 王の命に従い剣を取り、逆賊へ誅を下す者なりッ!!」
真紅の騎士は息を付かせぬまま、斧槍を相手に剣で凌駕し続ける。
ドミニア最強の騎士の武錬を、レーミスは武人としては歯噛みし耐え凌ぎ、指揮官としてはしめしめと頭を働かす。厄介極まる相手ではあるが、戦場全体の流れとしては悪くない。
砦の中から駆け上がってきた第二軍の兵士達が戦線に加わり、レーミスの近衛隊とで城壁上は乱戦へと移っていった。一騎討ちに応じながらレーミスは指揮を飛ばし、つぶさに南門へ意識を向ける。甚だ不本意ではあるがこうなれば陽動をやり通すしかなく、老将への催促を内心で飛ばしていた。
「――ぶぇっきし! ……なんじゃ、誰ぞわしの噂でもしておるのかのお? 戦の最中に迷惑な事じゃわい」
暢気な台詞を吐きつつも、老将ベドウィルは巨躯を真っ直ぐに立てたまま、攻め上げている南門を睨む。城壁の上には真紅の兵団、第二軍の兵士達が多く見えるものの、今日は存外に旗色が良い。
掛かる梯子の数は多く、登る兵達の高さは徐々に高くなってきていた。昨日まではこうなる前にガレンスがやって来て蹴散らしてしまっていたが、今日は姿を表さない。仔細は解らぬもののこれを好機と捉え、老将は控えた兵達に、虎の子を繰り出すように声を張り上げる。
「連中どうした訳か頭が欠けておる。これを崩せぬとあっては、武人の名折れよなあ――破門槌を出せい! オリバー達にも援護を厚くするよう伝えよ」
先端を鉄杭で覆った大木に、荒縄を巻いて運用する城門破りの切り札。屈強な兵達が二十人掛かりでそれを持ち上げ、息を揃えて門へと向かう。無防備な彼らの周りを固めるのは、大盾を持った第三軍の精鋭兵達。
城壁上の紅の軍勢はそれを阻むべく投射を激しくするものの、ダークエルフ達の援護が城門の上を黙らせ、速度は緩まず足並みは乱れず、破門槌は速やかに門まで走り付いた。
下士官の声に合わせ兵達は息を合わせて荒縄を前後に振るう。振り子の動きに統率された人力が見事に加わり、破門槌は轟音を響かせ鉄門を突いた。突かれる度に上がる音が変わっていく。より激しくより重い激突音が戦場に轟き、逆に門と城壁は、軋むような頼りない響きを周囲に広げていった。
「うむ、これならば或いは今日中に……やはり第四軍の穴は大きかったようじゃな、第一軍で埋めるには無理があったのじゃろう。……はてさて東は空けてあるがどう出るものか。早いとこ逃げ出してもらった方が楽なのじゃが――?」
戦の収束点を探っていたベドウィルは、ふと――振り返り後方を見やる。そこにはオリバーが指揮を執るダークエルフ達が、援護をすべく弓矢での猛攻を――
「これは、まさか――火は決して用いるな! 槍だけで対処するのじゃ!!」
――どこから現れ出たものか、ダークエルフ達の後背には見覚えのある――異形の魔獣達が食いついていた。歪な形相を陽で照り輝く血肉で彩り、既に人狼達と牙爪を交えている。
ベドウィルもまた戦鎚を手に救援に走る。脳裏には森での一幕が鮮明に蘇り、歯の根はぎしりと、城壁よりも強い軋みを鳴らしていた。




