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ボルドルーンサガ ブリタニア偽史伝  作者: ギサラ
終章 反逆の騎士
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第133話 敗北の夜

 開戦初日を終え、平原には一時の静寂と、冷たい空気が広がっていた。まだまだ日中は暑いものの夏の終わりは近く、暮れた後との寒暖差は一層激しい時節。兵士達は羽織るものを引っ張り出し、陣のあちこちで忙しくしている。

 篝火を頼りに、歩哨達は夜闇に目を走らせる。恐らく夜襲はない。それで戦果を得たとしても民達に後ろ指を指されるからだ。――それでも誰も怠ける事無く、暗がりに目を細める。ぼんやりと照らされる緑地の、闇の彼方には何も見えない。だがその先に、昼間に槍を向け合った者達がいるのは確かであり、それがつい先日まで――殺し合うような間柄では無かった事も、確かなはずだった。

 西軍本陣の中央、ベドウィルの幕営に主だった面々が集まる。木組みの簡易的なテントにイーヴァンに先導されフィオン達が入って行く。表向きにはベドウィルの客人という事で彼らは扱われており、この集まりも軍議という訳では無い。ある程度事情を知る近衛隊や聡い者達は察してくれているが、単独で陣中を歩いていては兵達に呼び止められてしまう。

 表面上、清廉潔白な戦を双方は演じているが、それは決して、間諜や諜報の類を縛るものでは無い。誰も知らないままでいるのなら、それは存在しないも同然なのだから。

「……足労である。まずは皆が無事に生きている事を喜ぼう。楽に掛けてくれ」

 労いの言葉で出迎えるベドウィルの、表情は硬い。血生臭い戦場にあって陽気な者もそれはそれで目立つものだが、老将の陰の濃さもまた目を引いた。ここに来るまでの道すがらでフィオン達はその理由を理解しており、席に着く彼らもまた、似た様な表情だった。

 誰が口を開くよりも前に、ベルナルドが面を上げる。フィオン達に先んじてテントの中で待っていた男は、一際沈痛な様子だった。

「既に聞いている様だな。……全くもって面目ない。我らが早々に敵を破り中央の側面を突く手筈が、丸っきり逆の状況を招いてしまうとは……」

 頭を下げ謝意を表す男に、他でもなく中央で指揮を執っていたベドウィルは、肩を叩き言葉なく許す。勝敗は兵家の常であるという事を老将はよく理解しており、内容にもよるが、一度の失敗で叱責する事は稀であった。

 開戦一日目、北部で第一軍と戦っていた第五軍は、散々に打ち破られた。兵の質において雲泥の差がある北部戦線は、優勢以上を期待されていたにも関わらず。ベドウィルが柔軟に対応した事で決定打とはならなかったが、初日の勝敗は明らかに、こちらの敗北で終わっていた。

 フィオン達はその噂や傷に喘ぐ第五軍団の兵達を、道すがら目耳に入れており、テントの中で待っていたベルナルドの姿は、それらを確信に変えさせていた。

「――閣下が、我らの前に現れた」

 俯いたまま、ベルナルドは苦々しく口を開く。

「予想の一つには上がっていたが、いざ向かい合ってみれば……そんなもの、何の役にも立たなかった。反逆者と呼ばれようと友軍と殺し合おうとも平静でいられるが……いや、何を言おうと言い訳に過ぎんな。失礼した」

 真白の軍を率いる黒冑の騎士――心を縛られた主君との、最悪の再会。その一手で第五軍団は総崩れとなり、弱兵揃いの第一軍団に敗北を喫していた。絆の深かった親衛隊にこそ正に効果覿面であり、中には呆然としたまま貫かれた者も。

 机の上で拳が震える。心中は察して余りある。普段は氷の様な振る舞いを見せる男の心は、今は煮え滾るほどに熱を帯び、寸での所で耐え忍んでいた。部下達に引き摺られて戦場を脱していなければ、彼も無残に散っていただろう。

 よく面倒を見て貰っていたクライグとシャルミラは、しずしずとその胸中を推し量る。

「レーミス様が出てきたってんなら……仕方がない、ってのも悪い言い方かもですが……。何も大佐の落ち度って訳じゃないんですから、気を落とさない下さい」

「まだ戦いは始まったばかりです。確かに今日は痛手だったかもしれませんが、致命傷とまでは至っておりません。大佐のお気持ちは理解できますが、傷ましく思うのであれば……何か対策を立てる事こそ、指揮官としての責務と考えます」

 同情的なクライグと、現実的なシャルミラ。既に軍籍を離れた嘗ての部下ではあるが、あくまでそれは形式的なもの。二人の言葉は男の胸によく染み入り、ゆっくりと顔を上げさせる。

 見慣れた仕草で小さなスクエア型の眼鏡を掛け直し、既に考えられていた言葉が、つらつらと口に出される。表面上には、完全に持ち直した様に見える。

「閣下は第一軍団の指揮を執っておられた。歩兵も騎兵も、恐らくは配備や装備の仔細に至るまで……。我らもただやられてばかりという訳ではなく、人質にすべくウォーレンティヌスを探したが、姿はどこにもなかった。全権を委譲し奥に引っ込んでいると考える」

「まぁ、そうなりますよね。あれが前線に出てきても特に旨味がある訳でも無く、危険が増すばかりでしょうし……となると狙うは彼女――トリスタン六世本人ですか?」

 イーヴァンに頷きを返し、ベルナルドは更に言葉を続ける。痛々しく伏せていた男ではあったが、それでも思考の方は、決して止まっていなかった様である。

「閣下を……殺すにしろ改竄を解くにしろ、どちらも難題ではある。いっそ配置換えをして我らを他軍団にぶつけるという選択肢もあるが……」

 何かを探るように、ベルナルドの語気は細くするすると消える。

 皆が外へと耳を(そばだ)て、ベドウィルは忌々しげに首を横に振る。配置換えをして第五軍が再び第一軍に当たる確率は、単純に考えれば三分の一ではあるが、初日からそれが起こった事を、誰も偶然とは考えていない。戦には当然の付きものであり、ネズミを全て炙り出すというのは、凡そ不可能であろう。

「陣替えをしても無駄に終わるだけだろう。ならば二つに一つのどちらかを選ばねばならず――私は解呪すべきだと考える」

 殺すのではなく、改竄を解き味方に引き入れる。どちらも難行ではあるがそれでもこちらの方が難しい事は確かであり――見返りも大きい。最も彼女と縁の深い男は、あくまで客観的にそれを主張した。

 そして、最も彼女と縁の浅い森の戦士、殺す事に何ら躊躇いの無いラオザミもまた、それに同意する。

「ウォーレンティヌスが兵を預けているのは、その方が良いのではなく……それしか手が無いのだろう。聞いていた通りあれに用兵は無理という事か、っふん……。殺してしまってはお主達にとって……おかしな話ではあるが弔い合戦になってしまう。一時はそれで勢いを得られようが兵達の自制は効かず、恐らくは――」

 レーミスを殺してしまえば、遠からず第五軍団は自滅する。報仇雪恨を掲げれば暫くは圧勝できるかもしれないが、それは犠牲を省みない戦い方であり、内容が求められる今回の戦そのものにも相性が悪い。

 戦はまだ序盤も序盤、第五軍団を失えばほぼ戦力の半減にも等しく、戦略全体の破綻にも繋がりかねない。

 ――逆に彼女をそのまま引き抜く事ができれば、敵は指揮官の数が足りなくなり、第五軍団は息を吹き返す。そうなれば戦力差は完全に逆転し、仇討ちによる一時的なものではなく、今後の戦い全てで優勢を取れるだろう。

 しかし、とフィオンが切り出す。改竄を解くと言う事は何が必要になるか、それは必然的に――

「アメリアを前線に出す、って事か? 身内からの説得はうるせえ戦場じゃ無理だろうし、引き抜く方が得策ってのも解るが……。ちょっと危険過ぎるんじゃねえか? ましてや相手は――!」

 他でもなく、隣に座る少女が、青年に強い視線を送る。どうやら身を案じる余り、少々過保護になっていた様だ。

「私なら大丈夫。治癒以外でも役に立てるのは、少し嬉しい。……それにフィオンが危険って解ってる事ならきっと――」

「勿論、手立ては考えてあります。彼女の身が危険に曝される事は確かですが、リスクは最小限に抑えましょう。彼女の身もまた我々にとっては切り札の一つですからね。……尤も」

 ちらりと、ベルナルドはイーヴァン――の傍に浮遊する蒼い人魂、グラスに視線を送る。作戦の実行にはアメリア以外に、精霊の獅子もまた不可欠であった。

「まずは話を伺いましょう。イーヴァンの事でしたらお気遣い無く。私抜きでもそう問題は……まぁ、死ぬ事は無いでしょう」

「そこは無理にでも主を立てろ。今日は相手に対し心積もりが足りなかっただけだ。明日には兵達も切り替えてくれるさ……多分な」

 実直に主を評価するグラスと、飾らず気取らず、しかし弱気にはならない獅子の騎士。見え見えの気遣いを、ベルナルドは気付かぬ風に受け入れ、小さく会釈してから策の詳細を語り出す。内容はそう複雑なものではなく、単純且つ真っ直ぐなものであり――フィオン次第であった。

 初日を敗北に終えた西軍だが、対応力は如何無く発揮される。焦るものも悲嘆に暮れる者もおらず、テントの中では闊達に話が進む。

 何せ、まだ戦いはたった一日を終えたのみであり、否が応にも明日も矛を取る事になる。下を向いている暇など微塵も無く、誰にも許されていなかった。

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