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ボルドルーンサガ ブリタニア偽史伝  作者: ギサラ
終章 反逆の騎士
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第130話 譲れぬ想い、二つ

「アン、ディ……え? ……何が、どうな……って……」

 何故剣を持ち、その男に向けているのか。何故その刃が、彼の地で汚れているのか、解らなくなった。肩は落ち手許は緩まり、フィオンの剣はだらりと下がる。敵どころか身内にも等しい男が――なぜ、どうして、いつからと、疑問ばかりが胸に溢れる。敵意はすっかり雨に流されていった。傍の親友は何かを言っているのに、まるで耳に入らない。

 それに構わず鉄仮面の男――アンディールは言葉を続ける。

「俺がどこで何してようが俺の勝手だろうが。てめえは俺の保護者か何かか? 俺もお前の保護者じゃねえが、それでもお前らがやろうとしてる事は、お前らの勝手だけで済む話じゃねえ。だから口を挟むし嫌だって言うなら無理にでも聞かせる。――アメリアを連れて王都に来い。用が有るのは譲ちゃんだけだが、どうせてめえは一人じゃ行かせねえだろ? だから一緒に来いって言ってんだ」

 ぶっきら棒な癖に、妙な所で小難しく、気が効いている。やはり紛れも無く仮面の男は知己の人物、アンディールであった。現実は歪まず認識は正しく、男の言葉と雨の感触だけがフィオンの五感を刺激する。

「王都……どうして、王都に……? アンディールは王の……仲間、なのか?」

「ッチ……いい加減しゃっきりしやがれ、まるで話にならねえ。いいからてめえはさっさと――?」

 親友を庇い、クライグが前に出てアンディールに向き合う。手には軍刀を握ったまま、フィオンとは違い、切っ先は前を向いている。

「王都に来いって言うのは、ウォーレンティヌスの意思か? するとあんたはあれの手下で、狙いは……こっち側の無条件降伏か?」

 目を細め品定めする様に、アンディールはクライグを観る。手に持つ濶剣は彼同様に、下を向いてはいなかった。

「……なるほど、地頭の方はそう悪くねえんだな。――そう捉えて貰って構わん。改竄(エメリード)をどうこうしたのは譲ちゃんだと調べが付いてる。こっちとしてはまずはそれを押さえて……その上でバカな内戦なんて真似を、未然に防ぎてえだけだ」

 改竄(エメリード)。初めて聞く言葉ではあるが、クライグはすぐにそれが件の呪縛の事と繋がった。なるほど操作や支配ではなく改竄ならば――効率良く大勢の人間を、意のままにできるだろう。人が何か目的を持って動く時、必ず動機や思想が根源となる。それらは全て心から湧くものであり、そこさえ押さえてしまえば、余程の偶然でも起こらぬ限り、人のあらゆる行動を制御できるだろう。細かな調整や監視も要らず。

 内戦を防ぎたい。そう言われたクライグは一瞬思案するものの、直ぐ様首を横に振った。

「……アメリアを連れて行きたいのは、改竄を解かれると困るからだろ。内戦を止めるって事とは……直接は繋がらない。その上で内戦を止めるってんなら……。もう一度あれを――改竄をやろうってのか?」

 指摘に対し、アンディールは口を開かない。秘めているのか本当に知らないのか、無感情な気配からクライグは読み取れなかった。

 仮にもう一度改竄を発動されようとも、フィオン達は既に対策を取っている。あの術式が人の心を書き換えるというのなら、それに左右されないものを事前に用意しているだけで良い。アメリア自身とその力に関するメモ書き、それだけで改竄を解く突破口には十分だろう。例えアメリア自身の事を忘れさせられていようとも、「ものは試しにやってみろ」という旨の自筆であれば、誰か一人のものでも機能すれば、それが突破口となる。

 だがそれはあくまで――アメリアの存在が前提にある。先に彼女を押さえられてしまっては、全ては灰燼に帰す。

 クライグの無言の追求に対し、アンディールもまた(かぶり)を振る。話を誤魔化すという風でもなく、本当に知らぬという風でもなく、本心は巧妙に隠されていた。

「内戦ってのは、ただの戦争じゃねえ。同国民、同民族……昨日まで共に助け合い笑い合い、支え合ってきた仲間や隣人達。……それに血で血を洗う争い合いを、本当にお前達はさせたいのか? そうまでしてお前達は……何を望む?」

 こちらが本題であるかの様に、アンディールの語気は強まる。

 内戦の是非と目的を問われ、クライグは、一歩退いてしまった。どちらかと言われずとも、そんな事は望んでいない。だが同時に簒奪者の子孫の汚名を着せられていた事も、決して許容できない濡れ衣であり、これから先もそれに苛まれるのは受け入れ難い。――だがそれを覆す為に、多くの他人に血を流させる事が、果たして本当に正しいのかどうか――言葉は出せず、奥歯は抜けかけた様に揺らぐ。

 仮面を外した男の双眸にまた一歩気圧され、肩に硬い感触が乗る。

「狡い質問だねえ。内戦なんてそりゃ御免に決まってるさ、そんな事誰も望んでる訳ないだろう。……だったらそっちが折れれば良いんじゃないかい? それこそ国民全員を騙してまで、ウォーレンティヌスの奴は何をしたいってんだよ?」

 手すきとなったヴィッキーが、アメリアと共にそこにいた。周囲の乱戦は殆ど収束しており、第五軍団は戦の締めに入ろうとしている。

 知らぬ仲ではない魔女の問いに、アンディールは大仰に肩を竦ませた。剣呑な気を放つ魔導の杖を向けられて尚、焦りも何も発しない。やはりその気配にはどこか道化の様な、人としての感情に乏しい、機械の様な印象を受けた。敗北は間近の戦況にも意を介さず、軽薄で飄々とした態度。

 アンディールはおもむろに、まるで降参したかのように剣を鞘に戻す。そのままゆっくりと後ずさり、更にゆっくりと口を開く。背後には射抜かれた馬の骸しか無く、直に兵達にも包囲されるだろう。胸倉を掻くかの様に、懐に手が伸びた。

「あいつが、何をどうしたいのか、だと? そりゃあ勿論……お国の為さ、王様だからな。そして俺は根っからの愛国者主義者だ。こう見えてもな。生まれ育ったこの国を、死ぬほど愛しちまってる。だから、てめえらみてえな反逆者達はどうしても……許せねえの――ッよお!」

 懐から出した手をそのまま、斃れ伏した馬の額に伸ばし――骸がぐねりと起き上がる。矢羽を口からはみ出させ、首から(やじり)を生やしたたまま、鮮血と泥に塗れて尚、高く雄々しい嘶きが響く。音は口と首に空いた穴、双方から響き出た。

 死霊魔法か或いは馬が生きていたのか、困惑に包まれたヴィッキーは機を逃がす。起き上がった馬に乗ったアンディールはその一瞬で、雨の向こうへと駆け抜けてしまった。左手の魔法ではとっくに射程外であり、杖は八つ当たりの様に手近な敵へ向く。まだ戦も、完全に終わったという訳では無い。

 放心しているフィオンの元に、クライグに頷かれアメリアが駆け寄る。両手で預かっていた弓を持ち、少女の顔は何かを堪えるかのように硬くなっている。

 フィオンは今も尚、泥よりも陰鬱なものに囚われていた。

「アメ……リア? ……そうか、もう戦いは……終わっ――」

「――っふん!」

 その頭に、彼の弓が叩きつけられた。他でもないアメリアによって。

 何という事もないか弱い一撃、だがそのたった一発で、フィオンはドサッと腰を落とす。豆を食らった鳩のように目を白黒させ、少女は構わずに傍で膝を折り、治癒を始めた。

「ぇっと……あ、ありが――」

「さっきクライグがいなかったら、フィオン本当に危なかったんだよ。私も叫んだのに全然動かないで……。武器も持ってて目の前なのに、何もできないで……。悔しくって、すごく……恐かった」

 暢気に治癒への感謝をしようとする青年に、アメリアはピシャリと口を挟む。しかし言葉の終わりは弱々しく、青年に翳されている手は震えている。何が悔しかったのか何が恐かったのか、痛いほどに青年の心に伝わる。フィオンは静かに目を閉じ剣を鞘に収め、アメリアに深く頭を下げた。

「……悪かった、この通りだ。実際クライグがいなかったら、やばかったかもしれねえ……。ちょっと、いやかなり面食らっちまったよ」

「……ん。本当に、次は気を付けてよね。治せないものは……治せないんだから」

 アメリアの震えが止まり、傷は見る間に塞がっていく。やはり何度見ても凄まじい力だが、少女の言う通り、万能の力という訳ではない。思えばその無力さを初めて味わったのも、アンディール達との――立ち直ったフィオンは息を吐きながら空を仰ぐ。雨は終わりが近いのか雲間からは薄くだが、透けた陽射しが差し始めていた。

「そういやハンザからの頼みも……完全に頭から抜けちまってたなあ。何考えてやがんだか……。内戦がどうのこうのって……いや、言いてえ事は解るけどさ」

「…………」

 アメリアは、何も言わない。ただ真っ直ぐにフィオンに目を向けている。強く真っ直ぐ、曇りなき瞳を。何が言いたいのかはよく解る。救う為だけに戦地へ来ている少女が、争いを望んでいる訳が無い。ならばここで矛を収め、ウォーレンティヌスに全てを委ねるのが良いのか、と問われても――彼女も頷きはしない。決して委ねて良いものではなく、踏み躙られ台無しにされ掛けたものを想えば、道を譲る事は決してできない。

 失くしかけた少女を前に、フィオンは誓いを立てる。戦いの是非はまだ解らないままだが、だからこそ――生きて、全てに決着を付ける為に。

「俺は絶対に生きて戻るから、お前も絶対にどっか行ったりしないでくれ。次にあいつに会っても今日みたいな無様は見せねえ。保護者がどうのこうのってんなら、それこそハンザのとこに引っ張ってでも連れて行かなきゃなんねえし……次は、絶対に勝ってみせる」

 漸く、アメリアは笑顔を見せ頷いてくれた。同時に雨は止み曇天は青空を見せ、心地良い涼風が(なまぐさ)い気を清めてくれる。

 二人の若者はまだまだ多難な前途に、せめて健気な心は崩さず、手と手を取り合うのだった。

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