第129話 再会は、雨と共に
何が何やら解らぬまま、剣を抜き矢を番え、フィオン達は戦場に対応していく。雨で視界は霞み濡れた草地は足場が悪い。アメリアを中心に円陣を組み、五人は五方へ得物を構えた。第五軍団が同じく彼らを中心に戦陣を張ってくれており、まだ敵の刃は届いていない。
「襲撃……でしょうね。しかしこれは逆に、ここがウォーレンティヌスのアキレス腱であるという証明でしょう。墓を暴いて何か得られるかは解りませんが、恐らくそれを阻止する為に……」
澄んだ声で、シャルミラは冷静に状況を分析する。落ち着いた響きは皆の手許
から、余計な力みを消してくれた。
刻越えにより見たものを鑑みれば、なるほど確かに、ウォーレンティヌスにとってこの地を敵に押さえられているというのは、どうにも頭が痛いだろう。仮に墓を掘り返す事で何がしかの物証が出てきてしまえば、それは王の正統性を揺るがしかねない。如何に呪縛が民衆の記憶と心を縛っているとはいえ、それは円卓の騎士という存在が根底にあり、正常に機能するかは疑問が擡げる。
目の前の戦況は、そう悪くはない。フィオン達を囲む黒の軍勢は、徐々に白の兵団に押し勝ち始めている。第五軍と第一軍ではそもそもの地力が違う上に、今はその心にも大きな差があった。王の呪縛を解かれまだ日が浅く、憤懣やるかたない第五軍と、事情によって任務の詳細を伏せられたまま、呪われた地に嫌々派遣されてきた第一軍。数でこそ第一軍が勝っているものの、士気の開きには雲泥の差があった。このまま敵を退けブリストルに帰還し、掴んだ成果を元に今後の方針を立てるかと、思い掛けたのと同時に――ラオザミの長い耳が、異音を捉える。
「これは……? ――馬が来るぞ! 気を付け――!?」
警告は、突如響き渡る嘶きに搔き消された。雨風に重い馬蹄の音が混ざったかと思いきや、現れた騎馬隊が第五軍の一部に突撃を仕掛ける。視界の悪さが味方し、それは見事に虚を衝いた。逞しき馬体は音を立て兵達を突き飛ばし、鋭槍は甲冑を貫き赤を見せる。
勢いそのままに、数騎が猛然とフィオン達へ迫る。先頭の者は白の軍装ではなくそれは嘗て――フィオン達を大聖堂で捕らえた鉄仮面の男。先程見た葬儀の喪主の似姿の様に、灰の鎧を纏っている。
予想だにせぬ再逢にフィオンは面食らうものの、腰の矢筒に手を伸ばす。
「――!? ッチ!」
無駄な思考を断ち切り、フィオンは急ぎ矢を番え放つ。ラオザミもまた振り向き様に強弓を打ち出し、二矢は雨粒を裂きながら黒馬へ奔る。
一矢は馬の口から喉を深く抉り、もう一矢は灰の鎧に弾かれる。事切れた馬がぐらりと軸を崩し、跨る男は崩れる馬を足蹴に、駆ける様に空を舞った。流れに逆らわず無骨な剣を悠然と振り被り――クライグの頭上へ迫る。
「伏せなアメリア、この亡霊が!」
アメリアを抱え込みながら、ヴィッキーは左手に握った杖から炎を放つ。左手では狙いを外す事もままあったが、右手の義手では魔法の行使に不調を覚えていた。しかしここまで近ければ――猛る火球は吸い込まれる様に、仮面の男へ迫る。
「ッ゛――しゃらくせえッ!!」
宙で回避ままならぬ男は、咄嗟に背のマントを掴み引いた。雨を充分に吸っていたそれは炎球を凌がせ、激しく蒸気を上げながら煤をばら撒く。体勢を崩した灰の騎士はそのまま、フィオン達の頭上を過ぎ草地に転がり込む。
先頭の馬を倒した事で後続の騎兵達が巻き込まれる。騎兵達は荒れ狂う馬を乗り捨て辺りは一気に乱戦状態となり、フィオン達もそれに呑まれる。
「ウィンチェスター、いや王都以来だな。あん時はどうしようもなかったが……今日はそういう訳にはいかねえぞ。倍返しにしてやる」
起き上がった灰の騎士、その眼前にフィオンが構え進む。一時弓はアメリアに預け、手には曽祖父からの剣を手に。
挑発気味の文句に、仮面の男は何も返さない。襤褸と化したマントを破り捨て、肉厚の切っ先を真っ直ぐに構えた。――幅広の刀身、濶剣。
先手を競うように、互いに鉄の塊を振るい叩き合わせる。弾ける様な轟音が幾重にも鳴り響き、その度に火花が瞬いては消える。両者共に頑強な刀身、どちらも退かずどちらも折れず、まるで意地を張る様に真っ向から切り結ぶ。
その立ち合いに、他でもないフォイン自身が違和感を感じる。体格で負けており恐らくは膂力でも負けているだろう。合を重ねる度に技量の違いさえも嫌でも自覚し、僅かずつだが押し負ける。――だが何故か、一歩も退きたくない。身の内から湧き上がるあやふやな想いが、下がる事を許さず自らの背を押す。たった一度過去に因縁のある、名前も素性も知らぬ誰か。その誰かに対し何故だか無性に、胸を掻き毟りたくなる様な熱が湧く。
「――!? フィオン危ない!!」
熱に浮かされていたのか、アメリアの声で漸く――手遅れに気付く。
仮面の男はその図体に似合わぬ低い姿勢から、真一文字に刃を振り上げる。狙いは真っ直ぐフィオンの喉笛。
剣――は間に合わない。斬り飛ばされるのを覚悟し、手甲を頼りに左腕を――
「ど――ッケエエエ!!」
寸での所で、フィオンは大きく弾かれる。突っ込んできたクライグは手加減なしに親友を蹴り飛ばした。ぬかるんだ草地を狩人の体は面白い様に跳ね転がり、べしゃりとうつ伏せに止まった。一歩遅ければ最悪の結末であった事は確かだが、それはそれ。起き上がったフィオンの顔には、感謝と怒りと泥により、複雑な表情が張り付いている。
「…………」
「話は後だ、さっさと手伝え。お前にきつかったんなら……俺にも相当にきついんだよ!」
乱入したクライグはそのまま、仮面の男と刃を鬩ぎ合っている。言葉通り形勢は楽観視できるものではない。
恨み言を一時飲み込み、フィオンはクライグの加勢に走る。数の有利を卑怯とは思わず、二人は切っ先を並ばせた。事前の打ち合わせも何か掛け声もないまま、二人は即興でこの場に合わせ、代わる代わるに攻め立てる。左右から挟む事は言うに及ばず、連携は上下や表裏、虚実にさえ及び、常に鋭い切っ先が振るわれる。まるで水を得た魚のように、二人にとってそれは息をする様に自然な立ち回り。趨勢は一挙に傾いた。
しかしそれでも、勝負の秤はなかなか振り切らない。
二剣に対し一剣、二体に対し一体であろうとも、仮面の男は揺るがぬ武錬を基盤に、時に強引に捻じ伏せ、時に泥臭く手段を選ばずに勝機を探る。泥を投げ草地を転がり抜け、敵味方問わず骸さえも利用し、隙あらば二人の後方、アメリアにも剣呑な殺気を放ち時を稼ぐ。その様は決して騎士などでは無く、戦士や冒険者といった貪欲さであった。
事ここに至り、フィオンは男との最大の差が、腕力でも技量でもない事を理解する。それらは既に数的有利により覆されており、男を決して負けさせず足掻く様に勝ちへ邁進させている正体を、狩人は問いながら口にする。
「――おっさん、あんた何もんだ? 王の手先で俺が知ってる奴なんざいるはずねえが……執念か、恨みか? 人に恨まれる様な真似は、多分そんなにしてないと思うんだがよ」
男が全身に漲らせている、並々ならぬ感情。それこそがこの者の強さの源となっている。そしてフィオン自身が男に向けている、説明のできない意地の様なもの。それらを合わせて考えれば、全く以って身に覚えはないが、仮面の男は知人であるとしか考えられなかった。
問いの合間に、クライグは具に戦況を量る。一時は騎馬突撃からの乱戦で危うく思われたが、それもほぼ収束していた。
やはり第一軍はそう強敵という訳でもなく第五軍の敵ではない。練度と装備の差に加え、士気までもが勝っている今ならば、あと少しで決着が着くだろう。
指揮官なのであろう、仮面の男もその戦況をぐるっと見回し、観念した様に空を仰いだ。鈍銀の仮面に雨が滴り、汗か涙のように流れて滴る。
「……おい聞いてんのか? それとも諦めたのか? だったらさっさと降参して無駄死にを防いで――」
「無駄死に、だと? よりにもよっててめえが、それを……ほざくか?」
フィオンの言葉を遮り、憤怒に満ちた言葉が響く。仮面の男の肩がわなわなと震え出し、柄は音を立てるほどに握り込まれる。
言葉の意味に、フィオンはピンと来るものが無い。
ただその声の響きには、微かに覚えが――
「そもそも気付いてなかったんだな。……まぁ丁度良い。俺としてもこんなもん、息苦しいったらねえからな」
無造作に、鉄仮面が外される。その下から現れ出る顔は、余りにも深い――
「フィオン、今すぐに譲ちゃんを連れて王都に来い。それともてめえは内戦を望んでるのか? それこそ今言った通り、無駄死にに他ならねえぞ」
怒りと絶望に塗れた、フィオンの兄貴分――アンディールであった。




