第127話 ストーンヘンジ
ウォーレンティヌスの仕掛けた心を縛る呪縛は、ウェールズ領北西端、ネビンの地を中心に波が広がる様に解かれていった。アメリアの力にウェールズ侯の人脈を加え、各地の有力者や顔の広い者達の呪縛を解く事で、それはあっさりと進んだ。
これによりウェールズ、エクセター、ヒベルニアの三領はほぼ解呪され、事の真相を知った民衆は王を引き摺り降ろせと声を上げる。暴動間際のそれをベドウィルやイーヴァン達は取り纏め、必ずや不義を糺し然るべき責任を取らせると誓いを立てる。民達の声は後押しとなり、フィオン達の背を力強く押す事になった。
一方、ウォーレンティヌスはこれを傍観のみでは済まさず、素早く苛烈な対応を見せる。ブリタニア全土に戒厳令を発し、ウェールズとエクセターに接する地を軍により遮断、更に北部のスコットランドとヒベルニアの海峡までをも封鎖した。これにより、王都圏やリーズ領の呪いを解除すべく民間人に手勢を紛れ込ませる策は封じられ、王国は事実上の東西分裂と相成る。今や境界線には両陣営の兵達が並び立ち、まだ流血は起こらぬものの、剣呑な空気が国中を包む事になった。
今や誰しもが内戦を現実的なものと捉え、国のいたる所で様々な声が上がる。賛ずる者、逃げる者、非難する者――やはり望まぬ声が大勢であった。それでも既に全ての者が、避ける事はできぬ苦難であると現実を見据える。
両陣営は形式的な交渉を交わしつつ、互いに水面下で探り合う。主戦場の打診、略奪、徴用の取り決め……互いに国土を荒らしたく無いという考えは同じであり、それらは支障なく進む。同時に早期の決着も望まれていた。今はまだ他国は呪縛により縛られているが、それを楽観視する者はいない。何らかの要因で歯車が狂い、動き出す勢力が無いとは言い切れない――アメリアの例がある以上。
軍の準備は着実に進められ、決戦は一週間後と双方の合意が交わされる。
フィオン達はそれまでの間、クライグとウォーレンティヌスの血筋に確固たる結論を出すべく、因縁の地を訪れていた。
エクセター領東部クランボーンの森から北西、ストーンヘンジ。正しく、家族に等しい老兵が眠る地は目と鼻の先。遠くに見える森から視線を払い、今は想いをそっと、大事に仕舞いこむ。この地にはドミニア王国祖王に仇なした、簒奪者アウレリウスが埋葬されているとされ、呪われた地として忌避されていた。
そしてその喪主を務めた者こそ、当の簒奪者に命を狙われた祖王、コンスタンティヌス。仮に現王ウォーレンティヌスを祖王の子孫ではなく、簒奪者アウレリウスの子孫とするならば、その葬儀が成り立つどころか王になっている事さえも矛盾している。探れば何かしらの情報が得られると、皆が期待を寄せていた。
エクセター領も呪縛から解放された地ではあるが、王都圏との境はすぐ近く。まだ直接的な衝突こそないものの両陣営は歩哨を立てており、今や敵国との国境線にも等しい、緊迫した情勢であった。
小勢ではあれど第五軍の護衛を伴い、フィオン達は環状列石の遺跡を訪れる。先史時代より存在するこの地の象徴、時代により儀礼や葬儀の場として変節はすれど、常に霊的な存在として意識を集める要地。分厚い雲が空を覆う下、湿った風が石の間を吹きぬけ、人の声にも似たどこか虚しい音が響く。
フィオン達六人の目の前には、苔生し寂れた墓が一基。長らく放ったらかしだったのだろう、墓標は風雨に傷み、文字は掠れ、周囲は雑草に埋もれている。それでも残る簒奪者の名は、はっきりと見て取れる。まるで何がしかの強い感情で刻まれたかの様に、そこだけが鮮明に残っていた。
フィオンは率先して皆の中央に手を伸ばす。アメリアによる刻越えが成功した場合に、何を注目すべきかを居並ぶ五人に確認する。
「棺の中身を見れれば手っ取り早いんだが……触ったり動かしたりはできねえし、多分無理だろうな。となれば、注意すべきは喪主のコンスタンティヌスの人相と、参列者達の顔ぶれだ。もしかしたら葬式自体が偽物で記録だけの架空って事もあるかもだが、それならそれで……最悪の場合は墓暴きと、物証探しだな」
すっと手を伸ばし、ヴィッキーが遠慮無く手を押し乗せる。魔導の何がしかを探っているのだろう。魔女の帽子はきょろきょろとあちこちを向く。
「百年近く前だしねえ、墓をほじくり返しても都合の良いもんが出てくるとは思えないが。何か強い術を土地そのものにでも使ってたら……いや、何か残ってるならとっくに誰かが気付いてるか」
彼女の言葉を押すように、ラオザミがそれに続く。この地に住むダークエルフ達の今や首領は、すぱっと言い切った。
「そんな物が有るならば我らは確実に気付いているだろう。森の外とはいえ、ここは半ば我らの領域だ。……しかし」
漆黒の体躯はウキウキと、似合わぬ風に小刻みに揺れる。どうにもダークエルフ達が閉鎖的というのは、人間の勝手な決め付けの様だ。
「刻を越える術、か。――フフ、これは役得を引いたかもしれんな。ベドウィル達への良い自慢話になるだろう。少しは胸がすくというものだ」
ベドウィルとイーヴァンは軍備を中心に忙殺されており、ここには来ていない。出切れば二人のどちらかには参加してもらい、ウォーレンティヌスに対する何がしかの証拠を直接掴んで欲しかった。しかし成功するかも解らない儀式に、足を運べる状況ではない。エクセターも候であるレーミスを欠いており、その穴はベルナルドが埋めている。彼には王との実務段階での交渉も任せられており、やはりこの場には来れずにいた。
「役得には違いありませんが……成功の暁にはダークエルフの長として、しっかりと証言をお願いしますよ? 私達が叫んだ所で小鳥の囀りですが、あなたが一族を率いて声を上げれば、充分な意味を成すでしょう」
「勿論だ。あの王に何かを叩きつけれるのならば、むしろ我らは止められてでもやるさ。追放される寸前だった我らこそ、最も恨みを抱えているのだからな」
少々浮かれがちなラオザミに、シャルミラは言い含めながら手を伸ばす。言葉はひやりと冷たいものの、眼鏡越しの視線には信頼が含まれている。同時に傍らのクライグも、彼女に促され手を伸ばす。
五人の手が揃ったそこへ、アメリアの細く白い手が置かれる。責任を感じているのだろう、皆に僅かな震えが伝わる。たった一度、カムランの丘で偶然に起こった刻越え。それに期待や希望を背負わされては無理もない。少女の手は中々震えが収まらない。まるで今の空を映し合わせた様な、重苦しい沈黙が立ちこめ――
「…………!」
俯いていたアメリアは、皆の視線に気付く。
堅いものも鋭いものもなく、淡く柔らかなものだけが満ちていた。「やるだけやってみろ、ダメで元々。失敗したら笑ってやる」と、皆は無言で告げている。どうやら苦しいと感じていた無音は、彼女の勘違いだったらしい。
隣のフィオンはぶっきら棒に、はにかみながら口を開く。
「そう力んでんじゃねえよ、出来なかったら雨が降る前に帰れるってもんだ。丘の時はなーんも考えずにあれが起こったんだ。それに比べりゃ今は……気楽にやってみろよ、な?」
――震えが収まる。少女の顔に生気が戻る。一つ力強く頷いたアメリアは、気合を入れて治癒の力を行使する。ポツリと、小さな感謝が漏れた。
「……皆ありがとう。それじゃ――やるね!」
「……ってちょっと待った!! 成功したら皆倒れ――ッ!?」
クライグの大声が響くものの、遅きに失する。六人は糸の切れた人形の様に草地に倒れ、成功の証ではあれど、何とも様にならない。古びた墓を中心にぐっすりと、男女も種族も何も問わず、まるで雑魚寝の様になってしまった。
幸い周囲は第五軍の兵達がしっかりと固めている。例え意識はなく無防備であろうとも、危惧すべきものは、何も無いはず。
遊離した六人の意識は思惑通りに刻を越える。行き先は嘗てこの地に刻まれた、最も深く最も濃く、誰かの感情が発露した時。土地のマナと同化した想いは道標となり、六人は過ぎ去りし日へ誘われる。




