第121話 カムランの丘
マナの奔流に巻き込まれたフィオン達三人の意識。それは遥か時を遡り現在とは真逆の、平穏や清涼とは無縁の光景を目の当たりにする。
心だけの思念体が俯瞰するのは、万人が思い浮かべるカムランの丘。
夕陽を浴びる丘は橙光より更に濃き赤に染まる。丘を埋め尽くすのは斜陽に非ず、頑強な甲冑や猛々しき毛革を纏いし、騎士や戦士達の骸の山。鳴り響く剣戟と威名を誇る名乗りは上がらず、既に戦は仕舞い支度。
この地を制し島外からの侵略者を退けたのは騎士達だが、勝者の様相は一目では敗者と見紛う程であり、それは戦の苛烈さをまざまざと物語る。同時にその面持ちは決して陰らず光に溢れ、此度の勝利が齎す未来を、まさに指し示していた。
丘の頂には二人の騎士が絵画の一枚絵の様に、厳かに言葉を交わす。
片膝を突き頭を垂れ金髪を垂らすのは、屈強なる体躯の騎士。岩の様に動かず主君の話に耳を傾けているが、男は思わず顔を上げ驚愕の声を上げる。
「陛下、今なんと!? 私はそんな……私はまるで、王の器などには!!」
全霊の忠を誓う主君の命に、勇壮で裏表の無い顔が歪む。
それも仕方なき事。戦が終わった直後に呼び止められ二人きりとなり、脈絡も無く後を継げなどと言われては、驚かぬ方が無理な話。
「ッシー……声が大きい。少しは声を押さえてくれコンスタンティヌス。君は本当に普段から……」
ある程度は予想の上ではあったが、それでも想定以上の声量に、主君は厳しくも優しい声で落ち着きを促す。端整な顔立ちだが労務と戦働きの苦労が数多く刻まれた、柔らかくも峻厳な顔立ち。王として人を御するのは慣れたものであり、騎士は直ぐ様居住まいを正す。
しかしそれでも、主命に対して太い首は縦には動かない。
「し、失礼しました……。いえしかし……陛下、どうか御再考の程を。確かにアングロサクソンとの趨勢は此度で決したでしょうが……その後にこそ、民達は陛下の
――――アーサー王陛下の恩寵をこそ、必要としています」
それを見やったアーサー王は、大きく息を吐き再び腰を下ろす。ガチャガチャと金属音を鳴らす華美な鎧。戦を見据えながらも装飾や見栄えを考慮された、彼の趣味では無いが彼の立場が纏わせる王の鎧。今はその飾りも目の前と臣下と同じく、無数の傷と返り血に塗れ、彼の心が円卓の皆と等しく在る事を体現していた。
だが、民は騎士王を求めているという臣下の言には首を振り、自らは役目を終わらせるべきだと、王自身が断言する。
「いいや、君のその気性こそ……戦乱の後の地を、ブリテンを纏めるのに打って付けなのだよ。……これから先に必要なのは薄汚れた権謀術数を振る者では無い。民と道義に誠実な、君の様な男を必要としているんだ」
優しく包み込む様な、底の見えない温かな声。
次代の王を託されようとしているコンスタンティヌスは主君の言葉に、円卓の騎士の盟主アーサー王を前に、首を横には振れず葛藤する。
この者を前に頼みは断れず、この者の命に反論は起こせず、ましてや弑逆を企てるなど、想像するだに恐ろしい。深い緑の瞳で見つめてくるアーサー王を前に、コンスタンティヌスは心底より、畏れと不安を抱いていた。
決して王は悪人では無く民と土を愛す輝かしき王ではあるが、彼は王として完成された存在であり、完成され過ぎていた。
反発的な豪族や士族に対しては、微かな罪を皮切りに重刑を科し、協力的な者であれば多少の罪科は闇に消され、必要とあらば奸臣や卑劣な手を使う事も、苦にする事は無い。それは騎士王の生来のものか、熾烈な戦乱の世に適応した結果なのかは、誰にも解らない。
「……しかし王よ…………やはり、私には……!」
普段であれば一声目から応と返す男の肩に、騎士達の王は優しく手を添える。
ハッと見上げたコンスタンティヌスが目に映すのは、どこか困った顔の王。手から伝わるものは重圧の類では無く、分厚い鎧を物ともしない、温かな気持ち。
「新たな時代には新たな王が要る。血に塗れた王なぞ、いない方が良い。
君の気質と家柄であれば誰も文句を言う事は無い。君が難しい話や細かな議題を全て切り盛りする必要は無いんだ。そんなものは幾らでも他に……君の甥、何と言ったか……彼はまさに裏方として申し分無い。大いに頼れば良いさ」
清廉潔白と言い切れる王では無かった。後ろ指を差す者もいないでは無かった。
だがそれでも私心は欠片も無く、民と土を憂い只管に勝利を追及する背を多くが支え、此度の勝利に繋がった。ブリタニアでの内部争いに加え島外からは更に多くの侵略者達が、場所も季節もお構い無しに押し寄せる蠱毒の如き地獄の戦乱。それを乗り切った英雄に対し、意を唱える事など――――
落陽を背負う聖王は心底からの、懇願を行う。それは重責からの逃げでも無く己が死期を悟っての諦めでも無く、純粋に、未来を憂えての判断であった。
「カドー殿の事は残念だったが、だからこそ君がここで立つ事に意義がある。
それに、私の後を継ぐのであれば家の再興にも……必ず役に立つだろう。君の武功からすれば誰も異を唱える事は無い。……どうか、頼む」
コーンウォール公カドーの息子、コンスタンティヌス。カドーはアーサーの妻である王妃ギネヴィアの養父であり、コンスタンティヌスはアーサー王にとっては義理の兄弟にも当たる。カドーは此度の戦カムランの丘で戦死しており、彼がここで聖王の後を継げば、家の立て直しにはこれ以上無い後押しを得る事にもなる。
アーサー王はあくまで次代の王に相応しいのは彼であると考えながら、それとは別に、その地位を大いに利用せよと、彼の家の事も気に掛けてくる。
円卓の騎士とは本来、その名の通り円い机を以って決意を合わせた騎士達の事であり、そこに上と下は存在せず全員が対等な立場である。それでも尚皆に頼られ、全ての忠と信を捧げられ君主として仰ぎ見られる者。
それに頭を下げられた男は、漸く決心を付かせ立ち上がる。王たらんとするならばこれより先は、涙を流す事は出来ず他者に跪く事は出来ず、決断を下げる事は出来ないのだから。
「コーンウォール公カドーの息子、円卓の騎士が一人コンスタンティヌス。謹んで陛下の後を……必ずやこの地を実り豊かに、全ての鉄は鍬と成る楽土を、作り上げて見せましょう」
継承を承諾し、次代の王は丘を下って行く。その背には揺るぎ無い覚悟と決意が表れ、ほんの一抹の寂しさも、滲ませていた。
見送った騎士王は最後の責務を済ませ、ホッと胸を撫で下ろし内心で頷く。
これで良かったのだと。彼よりも王として格式や能力の勝る者は確かにいるが、それでも性格や出自、各々が持つ家臣団を俯瞰して見れば――――
「さて、私も…………初めての、休息……か? ……何をどうすれば……?」
騎士になるべく生まれ、王になるべく育ち、勝つべくして身を粉にしてきた。
五十余年の歳月に初めて訪れた空白。どうすれば良いのか解らず王は困惑するが、一先ずは立ち上がるかと腰に力を入れた所で、屍が動く。
そこかしこで地草を濡らす屍の山がもぞもぞと、王の直ぐ後ろで蠢き出す。
刺客か魔性か、或いは黄泉路の迎えが来たのかと、聖王は傍らの聖槍に手を掛け身構えるが、丘には再び、覇気と勢いに漲る声が響く。
「チェルディッチィイイイ! 逃げてんじゃねえぞこの糞盾野郎おおおお!!」
屍を吹き飛ばし立ち上がるのは、まだ余りにも年若い若武者の姿。三十路所か二十の半ばか、よもすれば成人にも達していない、若さと荒削りを感じる面構え。
粗雑な鎧に身を包むのは、髪も目も耳も眉さえも、見間違える程にフィオンとよく似た青年。未だ受け継がれていない篭手と剣を黄昏に突き上げる、若かりし日の曽祖父メドロー、モードレッドの姿であった。
立ち上がった青年は既に戦の終わった丘をきょろきょろと見回し、王は思わずポカンと口を開け目を見開く。まるで、死人が蘇ったが如き驚きで。
「モード、レッド……? 君は開戦時に……突っ込んでしまって……」
「え? 突っ込んだ? 俺はいつもと同じで……皆一緒に来て……え?」
諸侯達はこのカムランの丘の戦いを重要な局面と見做し、中には実質的な最終戦と捉えていた者も少なく無い。
そうなれば必然、頭に上るのは戦後の事。褒賞、領地、爵位、婚姻、他家との付き合い。名の有る者達はそれらを見据え動きを変えており、アーサー王自身ですら、次代を担わせる予定のコンスタンティヌスに万一が無き様にと動いていた。
そんな中でモードレッドは、形式的に鳴らされた突撃ラッパを真に受け馬を走らせてしまった、いつもの様に。自殺同然の単騎駆でしかなかったが、今日の一番槍は俺が取ったと声高に叫び、騎馬突撃の先頭と勘違いをしてしまっていた。
姿の見えなくなった若武者は戦場の露と消えて――――はおらず、幾らかの怪我は負っているが主の前に元気な姿を表した。無謀な若者の無事に王は大きく息を吐き、主の心中を察せれない若者は、自身よりも別の事を気にかける。
「全く……"最も攻撃を仕掛けるのに素早い男"と言われても限度があろうに。もう少しは足並みと言うものを考えるべきだぞ?」
「……馬に乗ってて後ろなんて見てる暇はねえですよ。それよりもチェルディッチは、戦はどうなりましたか? 勝ったと言うのは、解りますが……」
だが結果として、それは戦の流れを決める奇手となった。死を恐れぬ一騎駆けは敵軍の虚を突き、彼を救出する為かその青さに発破を掛けられたか、様子見の腹積もりであった諸侯達は連鎖的な突撃を行い、そのまま円卓の騎士達は戦を有利に運び、勝利をもぎ取った。
激戦ではあったが被害は王の想定よりも少なく、それは運命を捻じ伏せ未来の矛先さえも変えさせ――――とある王国の誕生へと繋がらせた。
自身よりも戦の結末を、未来を気にかける青年。
それを見た王は安心を胸に腰を上げる。こんな若者がいるのなら大丈夫だろうと、例え再び戦乱が巻き起こっても、その時に自身がおらずとも。そろそろ老人は去り、若者に後を託すべきなのだろうと。
「久しぶりの快勝だ、君のお陰でな。……後の事はコンスタンティヌスに任せてある。君もそちらに行くと良い」
立ち上がった王は、アーサー王はどこかへと去って行く。それは陣幕でも軍勢の方向でも無い。まるで死期を感じた狼の様に、群れから離れて行く様に。
若きモードレッドはその背に口を開きかけるが、言葉は出せずに口を噤む。
「ア……っ…………」
彼も鈍感という訳では無い。若くして戦場で身を立て騎士まで上り詰めた若武者は、多くを肌で知り剣で感じ、騎士達の王からも、目を掛けて貰っていた。
無論、王からすれば大勢の中の一人であり、駒の育成であったのかもしれず、忙殺される日々のほんの僅かの、気紛れだったのかもしれない。
「ッ…………!」
だが何であろうとも、賜られた恩と日々に変わりは無く煌きは消えず
――――木の棒が、王の頭に当たる。
「ダッ!? …………?」
投げられた枝は見事に王の頭に命中し、足元にぽとりと落ちる。頭をさすりながらアーサー王が振り返った先には、木の棒を構える若き騎士。
見送りはせめて笑顔でと、慣れない無理な笑みを浮かべながら、それでも最後に自身の我侭を聞いて欲しいと――――まるで、親にせがむ子の様に。
「陛下、どうか最後に少しだけ……手合わせしてもらっちゃくれませんか!?
このままお別れって言うのはそいつは、ちょっと……」
せがまれた王は一瞬頭を巡らすが、己の心に従った。
そも、既に王位を譲ったのであれば陛下と呼ばれるのは適切ではなく、ならば行動は思慮ではなく想いに沿わせようと、棒を拾い上げ笑みを返す。
「私はもう王では無いぞ? 敬称を使われるのは……となれば、モードレッド殿の方が格上かな? いっそ様と呼んで……ハッハッハッハッハッハッハ――――」
突然笑い出す王だがそれを見るモードレッドは、無理な笑みは剥がれ落ち、自然な笑みとなる。
普段は神妙な顔が多かった王の笑みは、彼にとっては何とも心地良く
――――理想の王の姿であった。
「まるで、君に反逆でも食らったみたいだなこれは……ハッハッハッハ――――」
「人聞きの悪い、俺が陛下を……アーサー様を裏切る事なんざ有り得ねえ、っす。
こねえってんならこっちから……」
何者でもなくなったアーサーはまず最初に――――決闘に応じる事にした。
何も賭けず争わず奪い合わず、互いに何かを渡し合う、微笑ましい私闘に。
騎士達の王と忠勇の騎士は、得物を構え睨み合う。互いに一部の隙も無く歴戦の強者としての風格を纏うが、目と口には見え見えの笑みが浮かび、軽やかな言葉と共に、両者はゆっくり振り被る。
「いくぞモードレッド、我が一撃……ぁー……棒は折らさぬ様にな? 折れて飛んでは危ないぞ」
「ッ……へーへー了解しました。……いくぞアーサー・ペンドラゴン。
どうかこいつを――――手向けとしてッ!」
乾いた、木の棒同士が打ち鳴らす、爽やかな音。
それを呼び水に、フィオン達の意識は現世に戻る。朧気に垣間見た過去ではあったが、三人はそれを正しく記憶に刻み込み、呪縛の解けた心は全てを解放される。
起き上がった三人に、ヴィッキーとシャルミラが駈けて来る。時空を越えた覗き見は同じ時間軸には非ず、フィオン達が昏睡していたのはほんの一瞬の事。
三人は互いの顔をぼんやりと眺めるが、最初に口を開いたのは黒髪の青年。曽祖父に纏わる事実と物語を照らし合わせ、溜め息と共に愚痴が吐かれる。
「……ったく、マジで戦ってんじゃねえよ大ジイ。アーサー王もアーサー王で物騒な事言ってんじゃねえっての」
言葉と表情は裏腹に、空を仰ぎ見る青年の顔には晴れやかなものが浮かぶ。まるで晴天の映し鏡の様な、気持ちの良いものを見た後の、軽やかな笑み。今まで曽祖父や物語のあれこれで煩っていた事が、全て清算され吹き消えていく。
残る二人の様子は、対照的に五体を固めていた。
片や修道女は全てを思い出し、何かで胸を満たされ青空に涙目を向けていた。そうで無くとも今は話し掛ける事に青年は気後れし、顔を向ける事も気恥ずかしい。
そして、同じく全てを思い出した友は、クライグはゆっくりと口を開く。記憶を戻したのは三人が同じなのかと、あの時の言葉はどういう事なのかと、同時に確認を行う。
「なあフィオン……結局の所さ……。友達と親友って……何がどう違うんだ?」
今しがたの丘の光景と蘇った記憶を、クライグは自分以外は見ていたのかと、思い出しているのかと、確信が欲しかった。
この質問であればどの様な結果であろうと何かしら進展が得られ、その結果友との間に亀裂が入ったとしても、呪詛により塗り潰された絆ならば――――
「どっちでも良いんじゃねえか? 大して変わんねえだろ。
……頼むから引き摺るのは止めてくれ。俺も、その方が辛いって言ったろ?」
決死の覚悟の問答に、親友は何も変わらず、飾らぬ言葉を突き返した。
ハッと顔を上げたクライグに、フィオンはやれやれと笑い掛ける。忘れる事は出来ないが乗り越える事は難しく無いと、二人の友は笑みと共に拳を合わせた。
同時に、フィオンの胸には何か違和感が去来するが、まだ明言化には難しい。
澄み切った空を仰ぎ見るアメリアは、ぽつりと言葉を漏らす。聖女の装いでありながら祈りではなく、それは個人に向けたもの。
生者に向けたものでは無く、しかし確かに届けたい相手がいる言葉。記憶の再生と共に湧き上がった想いは、少女の中のとある問題に、答えを出させていた。
「……ごめんなさい、本当はあの時に……ちゃんと言うべき、だったんだよね」
丘を駈ける風は少女の頬を優しく撫で、涙を拭い未来を向かせる。
蒼天に惜別が舞う。静かで温かい、家族への想いが。
「もう大丈夫、本当に……ありがとう。……さようなら、ロンメルさん」
少女の心と言霊は、蒼穹を抜け宙を越え――――彼方へと至り家族に届く。
呪詛という名の暗幕は敗れ去り、反逆者達は最後の舞台へ上がる。
片や各々の心に沿うべく正道を行く者達。
片や責務を捨てれず安穏を求め、邪の道を踏み締める者。
両者の道は遂に真っ向から、譲る事無く激突する。




