第113話 無謀
「エルフだけが王都に……? つまりそれは……懐柔って、事か?」
明かされた罪に対し、戸惑うフィオンの声が部屋に響く。
亜人達を代表し王国と交渉をしていたエルフ達。そのエルフ達だけを秘密裏に厚遇し迎え入れるというのは、国からの懐柔工作であり、それに応じるのは
――――紛れも無い裏切り行為。
ベッドの上で身を起こし語るサイードは、老エルフは滝の様な汗を流しながら罪を告白した。その顔は申し訳無さと、裁かれる事への恐怖に苦悶を抱いている。
ヴィッキーは静かに窓へ向かい、カーテンを閉ざして西日を遮断した。人目を憚る話だという事は重々承知していたが、それでも見込みが足りず気が回っていなかったと、薄暗くなった部屋で舌打ちと共に魔操具の灯りを点ける。
「……そしてサイードさんは、王都へ行ったのですか? その後逃げ出して……ブリストルの貧民窟に?」
努めて静かに優しく、シャルミラは老エルフに声を掛け話の先を促す。自身らは責めるつもりは無いと、そも被害者である亜人達は一先ずここにはいないと。淑やかな声音は罪の意識から目を逸らさせる。
その声にサイードは首を横に振りながら、過去の記憶を詳らかにする。甘い汁を吸ったのは決して己の意思では無く、自分もまた巻き込まれた一人なのだと。
「わしらエルフの中にも中心的な者達がおった、交渉はそやつらが進めておったのじゃ。殆どのエルフは亜人達への連絡係に過ぎん。……王都で暮らせると知り、そりゃわしも喜んださ何も疑う事無くな。……じゃが」
一呼吸を入れ、サイードは自己弁護を交え事を明かしていく。自身を含む大勢は、ただ騙されていただけなのだと。
「迎えられ王都で待っておっても、エルフ以外はやってこん。他の亜人達はよそで幸せに暮らしておると言われ、大半はそれを信じておったが……思えば最初から妙な話じゃった。森からの出発はエルフだけでこそこそと、生活の方も王城から一歩も外に出る事は出来ず……。良い生活であった事は認めるが……わしは段々と、誰も彼も信じられなくなった」
殆どのエルフ達は王都での優遇に満足し、ダークエルフを始めとする他の亜人達の事を気に掛けなかった。中にはサイードと同様に疑惑を抱く者達もいたが、結局、己の生活が第一となり疑念は飽食の日々に埋もれていった。
それでも一人真相を晴らそうとした結果が、今に至る。
「わしは外を探ろうと動き、呆気無く捕まった。殺されるものと思っておったが虜囚になるだけで済み……いや、いっその事さっさと殺してくれと何度願った事か。……檻に入れられておるだけじゃったが、悲惨な日々じゃったよ」
「捕まったってのは……それは一体どこに? 魔獣が入ってた魔操具は、そこで手に入れたのかい?」
ヴィッキーはベッドに地図を広げ場所を聞こうとするが、サイードの指はふらふらと彷徨うのみだった。言葉の方もまた苦しく、詳細な場所までは明言出来ない。
「面目無い。目隠しで連行されどこかの地下……という事しか解らぬ。馬車で数日じゃったから王都で無いという事だけは確かじゃが……。暫くはそこで監禁されておった。獣か魔獣か恐ろしい声がよく聞こえ……餌にでもされるのかと震えるしか出来んかったが……ある時急に、こいつをやられた。遂に凌遅でも始まるのかと、生きた心地がせんかったわい」
サイードは自身の耳を、傷痕の残るエルフの耳を触る。切り取られ人間の耳と同じ形になっており、疑わずに見ればそう気付けぬ程であろう。
しかし拷問にしては妙だと、医の心得が有るシャルミラは改めて傷を見やる。
「……綺麗に整えられていますね。それに化膿や感染の跡も……私の目には、整形か手術の様に見えるのですが、ご自身でなさったのですか?」
「切られた後に何か……薬の様な物を塗りたくられた。わしが痛がるのも構わずでそれが薬だと気付いたのは随分経ってからじゃがな。……このままでは惨い末路しか待っておらぬと、わしはその直ぐ後に逃げ出した。必死に形振り構わず何とか隙を見つけ出し……その時に何か役に立つじゃろうと、奴らが話しておった魔操具の試作品を一つ掠め取れたんじゃ」
地下から逃げ出し、激痛を歯噛みしながら町を抜け出し、そこがどこかも解らぬまま森に潜伏したサイード。そのまま当ても無く人目を避けながら野外生活をしていたが、やがてそれも限界が訪れ、魔操具を換金出来ないかと町へ入ったと言う。
「そこでゴロツキに奪われてしもうてな。わしはもう抵抗する事も出来ず狂人のフリをして誤魔化すしか出来んかった。……森で暮らすよりは貧民街で生きる方が楽じゃったが、最早最初の志は……王やエルフ達の不義を暴くなんぞより、自分が生きるだけで頭は埋まっておったよ」
話は終えた、と態度に表すサイードだったが、フィオン達はもう一つ聞きたい事が残っている。
依然彼がどこか避けているアメリア。それは少女がエルフであり、何らかの関係性が老エルフと存在しているからだと考えていたが、魔人の真実によってそれは覆された。ならば他に何の事情が有るのかと、フィオンはアメリアをズイッと前に出させ問い掛ける。
「ッ――――!」
「……やっぱ何か有るんだよな? じいさん、こいつはエルフだと思っ……いや兎に角、何であんたはアメリアを恐れてるんだ? こいつの事を知ってるのか?」
怯えるサイードに対し、アメリアは頭を下げ再び後ろに下がる。フィオンもそこまで脅かすつもりは無く、少し頭を下げながら。
サイードは息を整えアメリアに対する事情を話すが、食い違いは解消されぬまま、奇妙な相克は疑問のままに残る。
「わしはその子を追っ手のエルフと……お主らはお付きの兵か何かと思っておった。しかしどうやら違う……のじゃな? ならばその子は……一体何者じゃ?」
問われたアメリアは包み隠さず、自分が何者であるか解らないがエルフの郷から、この世界とは別の楽園から来たのだと明かす。嘗て楽園に渡った誰かの足跡を辿り来たのだと、サイードの言う王都のエルフ達とは無関係だと説明した。
聞き終えたサイードは、深く息を吐きながら話の中身を反芻する。楽園、エルフの郷、この世ならざる異界の存在。それは彼もまた父祖より伝え聞いていた、真に望むべき理想郷であった。
「エルフでは、無い……? ……いや、わしも感覚的なものじゃ。はっきりとは解らん。……楽園、か……わしはブリタニアで生まれたエルフじゃ。行った事も無いし見た事も……本当に有るのだと真に信じた事も……本当に、あるんじゃな? お主はそこから、来たんじゃな?」
焦点は朧に、目に輝くものを浮かべながら、サイードは少女に問い返す。長らくの潜伏と逃走の日々に擦り切れた老人は、心からの安らぎだけを望んでいた。
問われたアメリアはしっかりと、頷きだけを返す。既に話してしまった以上、その存在だけは保証をし、自身がそこにいつでも帰れるという事は、明かす事は出来なかった。
話を聞き終えたフィオン達は、サイードを休ませ部屋を後にする。思い出すのも辛かったであろう記憶を明かしてくれた老エルフは、今は遥か彼方への望郷に耽り、穏やかな微睡みに沈もうとしていた。
ハンザは気を効かせ夕飯の買出しに行くと書置きを残しており、無碍に去れないフィオン達は得られた情報を元に今後を組み立てる。どの道、町外れのフィオンの家は張られている可能性が高く、他に行き場は無い。五人は再び居間に戻り、地図を中心に顔を突き合わせる。
「魔操具を盗んで来て魔獣の声って事は、サイードさんのいた場所がドンピシャって可能性が高いけど……。『教会』って情報だけじゃ……ダメだ、数が多過ぎる」
クライグは皆が口々に出すものを地図に書き込んでいく。
耳を切られ夜半に逃げ出したサイードは、捕まっていた場所に皆目見当が付いていなかったが、それでもかろうじて目端に映ったものは記憶に残っていた。
十字架やステンドグラス、祭壇といった類の施設。それらから教会か宗教関係の建物であろう事は解ったが、それ以上の情報は無い。
クランボーンの森周辺且つ教会やそれに類するもの。町以上の規模になればそれこそ田舎のレクサムでも教会は存在しており、既に×印の数は二十を越えていた。
ヴィッキーはその内から一先ずはサッと除外出来るものを、エクセター領のものを消していく。
「まあ待ちな。魔操具の研究所ってんなら王都圏の中だろう、それなら……東方面だけを考えれば……まだ充分に多い、か」
魔操具の開発を行っているのは王のウォーレンティヌス、更にエルフ達を囲い込んだのも彼であるならば、研究所兼監禁場所は王都圏である筈。
とは言え森から東だけに絞っても、まだ全て当たるには多過ぎる。恐らく今は刺客達を撒けているであろうが、王都圏に飛び込めばその危険度は跳ね上がる。そんな中で全てを虱潰しに回るというのは、自殺行為にも等しい。
「サイードさんが捕まってて魔操具も……魔獣達もそこからなら凄く大きいはずだよね? なら教会も街も、広くて大きな場所……?」
アメリアの言を受け大規模な都市のみに絞っても、まだ選択肢は四つ。ニューベリー、ウィンチェスター、サウサンプトン、ポーツマスが残っている。
しかし残った四つの内、クライグはウィンチェスターに当たりを付ける。そこに秘密が有るのならば王の動向は辻褄が合い、あくまで合理的に動いていたのだと。
「カリングと開戦しても、王は王都圏の防衛のみを躍起になってた。特にウィンチェスターの防衛は……ここだったら研究用の物資とか材料を運び込むのにも言い訳が立つ。打って付けなんじゃないかな?」
ウィンチェスターの大教会、即ちウィンチェスター大聖堂。確かにそこでならば敷地的にも問題無く、探すまでも無く地下施設も公然と存在している。
話に納得し頷く三人だったが、フィオンとアメリアは首を傾げる。
何故そこでなら物資の運び込みが疑われないのか。魔操具や魔獣関連の研究ともなれば人目を憚る程に大掛かりにもなろうが、その名分は何が有るのかと。
「いやまあウィンチェスターの大聖堂なら……行った事は無えけど随分とでかいらしいが……何でそこだと言い訳が立つんだ? 王や国からドカドカ物が運ばれてたら誰だって少しは怪しむだろ? 横領やら横流しやらを勘繰ってよ」
首を傾げるフィオンとアメリアだったが、シャルミラはいつかの調子で、淡々とした声で問い掛ける。ただしあの時とは違い無表情ではなく、少しヤレヤレと一息吐きながら。彼にとっては関係があるようで無関係な、物語に関する逸話を。
「モードレッドの二人の息子、それが誅殺されたのはどこでしたか? そこでしたらドミニア王国かコンスタンティヌスの末裔が、手厚い援助なりをした所で誰も不思議に思う事はありません。むしろ不干渉でいる方が物議を醸す位でしょう」
言われて思い当たったフィオンは、呆れた顔で溜め息を付き、目的地への確信を持つ。つくづく妙な物語に振り回されるものだと、頭を痛めつつも判断材料になった事は、それでもやはり感謝はしない。
モードレッドの二人の息子、その片割れが仕留められたのはまさにウィンチェスターであり、教会の祭壇で落命したと伝わっている。その様な歴史的名所であるのならば、それを成したコンスタンティヌスの国であるドミニア王国や、末裔であるウォーレンティヌスが支援を図っても不思議に思う者はいない。
一行は魔操具の研究所と異形の魔獣の出所を、ウィンチェスター大聖堂であると判断した。ハンザが帰って来るまでの間に、今出来うる限りでの、ウィンチェスターまでの行き方や侵入方法等を打ち合わせる。
そして当然飛び出す疑問に、問い掛けつつも少女は既に答えを持っていた。
「……私達だけで、行くの? それは危険過ぎると思うけど……軍の人達を巻き込むのは…………。でもその方が……良いんだよね?」
間違い無く危険である王都圏、更に王の核心にも等しい魔操具の研究所。異形の魔獣を探り始めた時は自身らのみで動いていた一行だったが、追っ手や刺客の存在が現実のものとなり、軍に身を寄せようとしたのはほんと数刻前。
仮面の魔人により今は振り切れているだろうが、みすみす踏み込めば――――
「……俺達だけで行こう。内戦なんて引き起こしたくねえし、近場で頼れそうなウェールズ候も今どこにいるか……つーか王側じゃねえって決まった訳でもねえしな。異論が有るなら出して欲しいが、俺はアメリアの意を汲みたい。危険過ぎるってのは解ってるが、しかし……」
フィオンはアメリアの意に沿い、合理には沿わぬ考えを出す。幾ら追っ手を撒けてはいても向かうのは王の重要施設、そこに監視や警戒の手が無い訳が無い。
しかし、それを恐れ中途半端に軍を味方に付ければ大規模な争いに発展し兼ねず、そもそも確実に味方に付けれる者はいない。
二人の考えに、異論を出す者は――――
「お前を放っとく事も出来ないし、この件を解決しないと俺には行き場も何も無いからなあ。ウェールズ候の事は前の連絡でも何も無かったし……エクセターのどっかでカリングとの再戦に備えてるんじゃないかな?」
「クライグ様から聞く限りレーミス様は敵の可能性が高く、エクセター領に入るのは危険かと。そうなればウィンチェスターまでは……悩ましい所ですね」
「今更ガタガタ言う事かい。危険だから逃げるってんなら、あの冥府の神にそもそも応じてないっての。話を戻すよ、道順の事だけど……」
自身の命を投げ出そうとした友も、それに寄り添い全てを捧げる決意の淑女も、己の手で決着を付ける覚悟の魔女も、既に志を同じくしている。
僅かな異論も挟まれる事無く、無謀に僅かでも可能性を灯すべく、五人は潜入計画を煮詰めていく。そこに何が待っており、何が得られ、何が起こるのか。全ては深淵よりも深く暗い未知の中に、誰も躊躇う事無く死地へと踏み入る。
物語はいよいよ、とある邂逅を迎えようとしていた。




