第106話 紅炎の魔女
「ったく、こんな事なら最初からバロック出身だって言っとけば良かった。そもそもフィオンの奴が半端に田舎臭させてるから妙な対抗心を……」
陽光が青々とした葉に温もりを与える中、一人森の中道無き道を歩む、とても堅気には見えない女。身に付けている物は腰にナイフを一本、肩に掛けたバッグには水筒や食糧等物騒な物は何も入っていないが、彼女を見て一般人だと思う者はまずいないだろう。
気配や足運びは元より、具体的で現実的な、視覚的情報でそれは見て取れる。
「そろそろのはずだけど……たった一年しか離れてないのに、随分長い間留守にしてた気が…………と言うか」
潰された右目を隠す黒の眼帯、人の手にあらざるダークエルフ達の紺の服、それを覆う茶色いローブを纏う姿は杖も無しに魔女と呼ばざるを得ない。極め付けの右腕は人どころか生物でさえなく、魔道の技術で稼働する鋼鉄の義手。
一人歩きだと言うのにわざとらしく喋る口は、どうせ見ているのだろうと森の隣人達に向けられている。一日で戻らねばならぬ身には様子見の時間など有りはしない。
「どうせ誰か見てるんだろ? 急ぎの用件が有るから早くしてくんな、きっちり割り増しで料金は払うからさ」
不躾な声にやれやれと、木々の間から出てくるのは屈強な黒紫の肉体を木の鎧で覆った、ダークエルフの戦士。手には一応弓を持ってはいるが、あくまで形だけ。右手は矢を持たず木の仮面を外し、現れる口は愚痴っぽく、旧交のある遠い血族へと苦言を漏らす。
「全く、我らに対してこうもズカズカと……もう少し遠慮というものを知ったらどうだ? 第四軍の方がまだ節操を心得ているぞ」
ロモンドの森のダークエルフ。ヴィッキーと古い繋がりを持つ森の民であり、以前はバロックの村とも多岐にわたる交流を持っていた。今はとある事件を契機にバロックの村が南東へ移り、両者の関係はか細いものとなっている。
ヴィッキーは忠告に取り合う事も無く、バッグから小袋を取り出し用件を伝える。望みは新しい戦闘衣装、それも特注のものであり一日で作って欲しいと。
「あたしは明日ここを発たなきゃならない、それまでに前に作って貰ったのを……こいつに合う様に作っておくれ。料金はその分きっちり割り増しだ、あたしはそれまで自分の家にいるよ」
有無を言わさずパパッと、銀貨の入った小袋を二つヴィッキーはダークエルフに手渡した。そのまま茶色の外套を引っ張り右腕を、魔道の義手がよく見える様に曝け出す。折角作って貰っても袖を通せねば意味は無く、彼らの装束を加工するには並みの刃物では難しいだろうと。
戦士は突き出された黒鉄の塊を、鎧か何かと考え首を傾げるが、直ぐに義手であると気付き驚きを顕にする。
「その腕……何があったんだ!? ヒベルニアに行くとしか聞いて……!」
事情を聞き出そうとするダークエルフの戦士だったが、深紅の片眸はそれを拒絶した。冷たく赤い視線を飛ばす紅玉の左目は、無機質でありながらも強い感情を放ち、詮索も深入りも跳ね除ける。
こうなっては口を開かぬと知っている隣人は溜め息を漏らし、差し出されている義手の採寸を始める。指で大雑把に測るのは右腕だけ、それ以外は去年作った時の記録が充分に残っている。戦士でもあり職人でもある男は事務的に必要な事を、どの様な造りにしたいのか依頼者へと口を開く。
「……丸ごと覆っては布地が関節部に巻き込まれるだろうな。二の腕辺りで露出させるか? 肩は隠しておきたいだろう?」
「そうだね……見られて減るもんじゃないが、そんな感じで頼む。前のと同じ飾りは無しで頼むよ。色も同じに黒で、帽子とマントも……」
打ち合わせは滞り無く終わり、軽い挨拶の後に請負人は去って行った。今はまだ話す気が無いにしても彼女ならばいずれ、必要な事であるのなら口を開いてくれるだろうと、古くからの隣人は知っている。
用件の一つを済ませヴィッキーはもう少し森の奥へ、実家へと足を運ぶ。
嘗ては三人家族が仲良く暮らしていた地には、今はこじんまりとした簡素な一軒が建ち、家主は感慨も無く中へと入る。生活感の薄い内部には机とベッドが一つずつと、魔操具も無い竃と炊事場。ヴィッキーは荷物をベッドへ放り投げ、最も長きを過ごしてきた唯一埃が積もる机、魔道書や雑貨類が散らばるそこから一本の木筒を手に再び森へと戻る。
「……んっ、こんな所か。それじゃ頂いていくよ。文句が有るなら早めに言っておくれ」
手頃な木の枝を一本、ヴィッキーは体重を掛け根元からへし折った。森の住民達はまだ何人か監視しているが、差し挟まれる口は無い。彼女であれば必要以上の破壊は行わず、森への配慮や所作も大丈夫であろうと、少々ハラハラとしながら見守られている。
まだ杖にするには太く長すぎる木の枝を、家の軒先まで運んだヴィッキーは加工を始める。
魔力を篭めながらナイフで削っていく杖作りの作業。前に作った時には三日を要した重労働だったが、今ならば遥かに早く済むと彼女は考えていた。そして予想を更に上回り、魔道の義手は辣腕を発揮する。
「解っちゃいたけど……やっぱりこいつは便利なもんだね。……というか、早く終わり過ぎて失敗とか……ま、そん時はそん時か」
未だ原理も何も解っていないが、魔道の義手は彼女の体力も筋力も関係無く、巧みに力強くナイフを振るっていく。これならば日が落ちる前には終わりそうだと、ヴィッキーはありったけの魔力を篭めながら作業を続け、黙々と続いた作業は夕刻前には終わっていた。
元々の木の色も有るが夕陽を浴びる木の杖は黄金色に輝き、余裕を持って造られたそれは持ち手の部分に軽く細工も施されている。長さは三十センチメートル程の新たな魔道の杖の、とりあえずは第一段階が完了した。
「後はこいつを……しまった、ダメだったら向こうに連絡を入れないと。ッチ、先に伝えておけば……いや、一発で成功すれば何も問題ないか。よし……」
次の工程は準備を整え待つしか無く、こればかりは魔道の義手でも魔力でもどうにもならない。
気合を入れたヴィッキーはナイフで自身の左手を、指の先を少しだけ切り生き血を流させる。滴る鮮血を用意していた木筒へ十滴垂らし、更にそこへ加工し終えた木の杖を入れ、森の湧き水で満たす。そのまま森の夜風に放置して一夜、朝になれば結果が解るが、こればかりは祈りも何も無く果報は寝て待て。
その気になれば魔法で灯りは点せるが、ヴィッキーは用意していた食料で腹を満たし、夜の訪れと共に就寝した。後は朝になれば解る事、墓参りはここを発つ時と心に決めて。
翌朝、目が覚めたヴィッキーはいの一番に、杖の出来栄えを確認しに向かう。
とはいえ寝起きで気怠く大あくびをしながら、着替えを忘れ寝巻きにされた紺の服は皺だらけになったまま。魔女は人目を一切気にせず、軒先に放置していた木筒へと手を伸ばす。
「さてどうなってるやら……まあ放っておけば勝手に様子を見に……。いや、ダメだったらもう一眠りしてから村に行くとするか」
持ち上げ引っ繰り返すと微かに赤味を帯びた流水の後に、彼女の髪よりも更に濃い赤色の、昨日とは似ても似つかない紅の杖が姿を表す。
眠気で呆けていたヴィッキーは口端を吊り上げ、新たな得物を手に軽く感触を確かめる。実際に魔法を放ちはしないものの、見開かれた左目には鋭い覇気が宿り、朝の爽やかな空気を裂く魔道の杖は、怖気を走らす様な妖気を放つ。
「やりゃあ出来るじゃないか、あれこれ悩んで損しちまったよ。さて、後は荷物が届くのを待つだけ……!」
呆けて気付いていなかったが、既に軒先には丁寧に畳まれた依頼の品が、ダークエルフ手製の黒染めの一式が置かれていた。気を良くしたヴィッキーは帽子を手に取るが、一つ忘れ事に気付き途端に顔を顰める。
「二着頼むの、忘れてた……。あぁ、また魔法で強引に乾かす日々に逆戻りか……失敗した……?」
気落ちしつつも着替えるかと手に取ると、帽子とマントは一つずつだが服の方は上下二着ずつ。きっちりと替えの事にまで気が回されていた。
温かなフォローを受けたヴィッキーは安堵と感謝の息を付き、新品の装束に袖を通し出立の準備を整える。深緑の森に現れるのは装いを同じに、しかし幾らか細部の違う、漆黒の衣装を纏う正真正銘の魔女だった。
「ん……成る程これなら邪魔にもならないしそう目立ちもしないか。我ながら遊び心は無いけれど、慣れたものの方が良いだろうね」
以前と同じくピッチリとした黒の衣を全身に纏い、上から濃紺のマントで肢体のフォルムを覆い隠す。但し右腕だけは造形を新たに、魔道の義手が余裕をもって通るように肩口は幅が取られ、二の腕で途切れた袖からは、傍目には鎧と勘違いされそうな義手が伸びる。
追加料金を置き魔女が向かうのは、家の裏手の小さな墓。この地であった凄惨な事件の被害者が、木漏れ日と柔らかな大地の下、彼女の家族が眠っている。
ヴィッキーは帽子を取り跪き、静かに祈りを捧げる。祈りの内用は安らかな眠りを願うものと――――仇の報告。
「父さん、母さん……妙な家族が出来ちまってねもしかしたら…………。いや、そいつの仇な事は確かなんだが、もしかしたらそいつは二人の……三人分の仇かもしれないんだ。二人がこの国をどう思ってるかは知らないけど……上手く行く様に見守っていてね」
まだ確証は定かでは無いが、ともすれば彼女にとっては三人分の、父母とロンメルの仇はドミニア王ウォーレンティヌスである可能性が高い。
魔女は静かに穏やかに、心には血よりも紅い炎を秘め墓前に決意を誓う。仇を討つ事がこの国に何を齎すか、そんな事は知った事では無いと、その様な些細なものは眼中に無いと、深紅の瞳は必滅を見据える。
短く確かな祈りの後、ヴィッキーは立ち上がり帽子を深く被る。次に墓前に参るのは結果の報告であると、それまで二度と故郷に返らぬ誓いを立てて。
「……さて、そろそろ行くとしようか。……家と墓の掃除をありがとう。また少し空けるけど机には触らないでくれよ? 危ない事は無いけどあたしが困るかもしれない……それじゃ、また」
姿を見せない見送り人に感謝と挨拶を済ませ、ヴィッキーはロモンドの森を後にする。新たな魔道の杖と装束を纏い、心の炎には覚悟と言う名の薪をくべ。
歩みを同じくする家族達がどういう想いで足を進めているか、それは決して王の死にまで及ぶとは限らない。魔女はそれを承知の上で、しかし己の内にだけは、鉄の腕よりも固き殺意を備えていた。それを晴らさぬ事には自身の真の願いは
――――果たされぬと信じて。




