第101話 駿馬の災い
フィオンの故郷リークを発った一行は早三日、ブリタニア中央部の大都市リーズに近付いていた。
状況次第では宿を借り一泊を過ごす予定ではあったが、まだ日も高く五人に旅疲れは見えない。食糧等の補給も問題無く特に寄る素振りは無く、馬車の話題は先日の一件や王やエルフに関してが主に飛び交う。
馭者をしているクライグはボンヤリと、雲のまばらな空を仰ぎ問い掛けた。
「結局、フィオンが放置されてたのは解らず終いかあ。メルハンさんも平穏無事で……というかあの本がそのままだったんだし、国は警戒とかしてないのかなあ? 幾ら隠してても兵が押し入って家捜ししてしまえば……」
五人は追われる身にも等しい状況ではあるが、そういった事には無縁の穏やかな旅。街道を擦れ違う者も極稀で、警戒心は段々と薄れていた。
モードレッドの系譜であるフィオンが放って置かれていた事、その監視が付いたのも戦争に参加してからとかなりおざなり。フィオンが士官学校を落とされた理由が血筋であると考えれば、実家にいた時から把握されていた可能性が高いが、何も強行的な事も受けていない。
荷台のフィオンは曽祖父から譲り受けた剣を、新しい鞘に収めながら答える。
手甲の方はまだしも、剣の方は鞘の新調が必要であり、ここ三日間は揺れる馬車や日の傾いた野営中、針との悪戦苦闘を続けていた。
「んな事言い出したらな…………おめえだって士官学校を卒業するまでお咎め無しだったんだろ? でもってお互いに実家が無事って事は……あんまり国からの注意は厳しくねえんじゃねえか? 今んとこ旅も順調だし…………ま、それに文句はねえけどな」
クライグが二人の系譜の秘密を王から聞かされたのは、士官学校を卒業してからの事。それまでは一学生として伸び伸びと、自由に泳がされていた。
仮に二人が軍人を目指していなければ、戦争に従事していなければ、何も国からの干渉は無かったのでは無いか。今までに得られた情報と現在の緩やかな旅路は、そんな考えを浮かばせていた。
ヴィッキーは馬車の後方を追っ手等がいないか見張っていたが、日を追う事にその目は緊張感を失くし、今ではのんびり風景を眺めているだけだった。
「油断は禁物だけど……実際、何も無いままだしねえ。……もうとっくにリーズ領だろ? 王都は随分遠退いちまったし…………少し肩透かしを食らった感じはあるね。クライグ以外に密偵がいないって事も……あるのかもしれないね」
王を第一に危険と考えている以上、危険なのは王の影響力が強い範囲、ブリタニア南東コルチェスターを中心とした王都圏。そこを離れるまでが厳しいと考えていた一行だが、何も起きぬままに北へと進めている。
クライグが王の手先となっていたのも後ろめたい血筋が有るが故。王直属の第一軍団が風評通りにそう統率が取れていないのなら、フィオンやクライグの秘密を守りつつ動かせる者はそう多くないのでは? という予想も立っていた。
「検問の障害になると考えていましたが、あの本を貰っておけば良かったですね。円卓の騎士の物語はどこまでが本当なのか……純粋に興味を惹かれます。良い旅の暇潰しにもなったでしょうに……」
「シャルミラはまだ良いよ、私はほんとに乗ってるだけなんだもん。私も馭者のやり方覚えようかな、そうすれば移動中も少しは……?」
起き上がったアメリアが気付くのは、手綱を握っているクライグの様子。恵体の男は右方、平原を挟んで東を並行している別の街道に目を向けていた。
土煙を上げ整然と北へ向かう騎兵の一団。纏う装束と立ち並ぶ旗は深紅に黄の差し色。意味するものは、我らこそドミニア最強であるという絶対の自負。
青天の下を堂々と行く、紅の軍勢がそこにはいた。
「……第二軍団? 王都の守備に当たって……いや、分隊か。俺達を追って来たとかじゃ無い様だけど……」
「近付くべきじゃないが、さっさと行っちまえば良いさ。このまま行けば……多分こっちはリーズの横を素通り出来るだろう。補給はまだ充分保つし、その先でどこか小さな村でも見つければ良いさ」
身を引き締めるクライグとヴィッキーだが、状況は差し迫ったものでは無い。
遠目に見えるのは五百そこらの小勢。距離も充分に開いており、こちらを気に掛けている様子も無い。
リーズには寄らずに先を急ぐ、五人はそれを再確認した所で、幌から顔を出し覗いていたフィオンの、顔が曇る。
「……ん? ……なあ、あれって…………!? こっち来てんじゃねえか!」
兵団から数騎、街道を外れ平原を突っ切り、フィオン達の方へと向かってくる。
思わずフィオン達はバタバタとするが、既に出来る事は残されていなかった。
「クライグ、馬車急がせろ! 捕まったら終わりだぞ!!」
「騎兵相手に逃げれる訳無いだろ!? たった三騎だ、先手を取れば……」
「トチ狂ってんじゃないよ! 騎馬相手に馬車か徒歩でどう戦うってんだい!?」
たった三騎だが完全武装、それもブリタニア最強の第二軍団の騎兵。まともにやって勝ち目が有るとは思えず、逃げるにしても馬車と騎馬では機動力にも小回りにも差が有り過ぎ、見晴らしの良い平原では隠れる場所も皆無。
忽ち馬車は狂騒に包まれるが、一人冷静な淑女は騎兵を睨み、静かでよく通る声で落ち着かせる。
「こ、ここコ……こうなったら……! スプマドールを馬車から切り離してこっちも誰か騎馬に」
「アメリア、馬具が無ければ騎兵なんて無理です。……落ち着いて下さい、襲ってくるという訳では無い様です。あれはどうにも……話がしたいだけでしょう」
シャルミラに諭され見てみれば、確かに近づいて来る騎馬達に敵対の意思は見えない。武器は構えておらず兜のバイザーも上げ、手を振り何かを叫んでいる。
こうなればもうなる様になれと、フィオン達は固唾を飲み彼らを待ち構える。逃げも隠れも出来ず闘ってもどうしようも無いのなら、無辜を装ってやり過ごす。
停止した馬車に騎兵は馬を並べ話し掛けてくる。馬上のままだが物腰は丁寧に、紳士的な態度だった。
「突然申し訳ありません、少しお時間宜しいでしょうか? この先に陣を敷設しておりますのでご同行を……」
「……すいませんが何の様でしょうか? 俺達結構急いで……いや急いでる訳じゃ無いんですが……いややっぱ急いでて、出来れば早いとこ先に……」
しどろもどろに答えるクライグに、騎兵達は顔を顰める。彼らは近づいて来る前に大声で用件を叫んでおり伝わっているものと考えていたが、馬車の中で混乱していたフィオン達はそれを把握出来ずにいた。
こちらの状況を察してくれた騎兵は再度用件を告げてくるが、その内容に馬車の中からは戸惑いの声が上がる。
「隊長が貴方達の白馬に見惚れてしまいまして、是非近くで見させて欲しいと……。気前の良い方ですし謝礼は期待できます、是非ご同行を……」
「………………え゛?」
予想外の招聘にフィオン達は戸惑うが、断り切れず第二軍団の陣に通される。
状況を考えればドミニア軍との接近は忌避されるが、無碍に断っては怪しまれかねない。馬車を探られても何かまずいものが出てくる訳では無いが、軍人繋がりでクライグやシャルミラから身元を探られては藪蛇も有り得る。
隊長と言われてはどの程度の地位の者か解らないが、一先ずフィオン達は兵に付き添われ第二軍団の陣に入って行った。
「スプマドールを褒められたのは嬉しいけど……妙な事になっちゃったね。……これ、大丈夫かな?」
「まあ馬をちょっと見てえってだけなら……問題はねえと思うが、ささっとご機嫌取りを済ませておさらばさせて貰おうぜ。大人しくしてりゃ大丈夫だろ」
白馬を褒められた事での窮地に、アメリアとしては何とも複雑な心境。
クライグを中に引っ込め、馭者席に座るフィオンはそれとなく周囲を探るが、陣中の空気はのんびりとしている。招かれたフィオン達に対してもそう注意は注がれておらず、特に何も無いまま陣の奥へと通された。
一際大きな天幕の前にまで連れて来られ、兵の一人は隊長とやらを中へ呼びに向かう。警備に当たっている兵達は穏やかな気構えではあるが、油断や怠慢の類は僅かにも無く、練度の高さが垣間見える。
「ご苦労だった、下がって休んでくれ給え。さて、では早速…………少し拝見させてもらおうか」
天幕の中から響くのは、雄々しくも涼やかな声。
次いで太陽の下に姿を表すのは、どう見ても、只の兵士では無かった。
「…………隊長って、まさか…………ん? あの腕章――!?」
伝令を済ませ下がっていく兵の腕章、ドミニア王国の旗章である竜の印が入っており、それが意味するものは近衛兵。そして近衛達が隊長と仰ぐ存在は、各軍団においてそう多くは無い。
フィオンの目の前に現れた人物は堂々としながらも礼儀正しく、白馬に触れる前にしっかりと断りを入れてくる。
「突然引き止めてしまった事はすまない。駿馬には目が無くてね、是非間近で見たくなってしまった。少し失礼するよ……」
凛々しい風格に高潔な佇まい、面持ちは若々しく優しさと威厳を放つ。一挙手一投足、身に染みた所作からは気品が溢れ出ており、荒々しいものとは無縁。白馬を愛でる様は馬の扱いに慣れたものであり、騎士としての格の高さも感じられる。
フィオンは何とか平静を顔に張り付け怖気を堪え、馬車の中から彼に気付いた仲間達は、聞こえぬ様にこそこそと大人物に関し話し合う。
「クライグ様、あれは……王都にいるという話はどうなったのです? カリングとはまだ休戦中なのでしたら、あれがここにいる訳が……」
「リークで受け取った情報に目ぼしいものは無かったし、何も話は聞いてないって。いると解ってたら遠回りしてでもリーズを避けてたってのに……」
フィオンの目の前で、大らかに白馬を可愛がる貴人。
彼こそ未だ敵か味方か定かならぬ候の一人、大都市リーズの主。現円卓において最強の誉れ高き、太陽の騎士の後裔ガレンスであった。




