第100話 絆
「フィオンやめて! そんな事しても何も……おじいさん死んじゃうよ!!」
アメリアの制止は虚しく響き、円卓は踏み砕かれ、古びた頁が散乱する。
フィオンは一瞬で祖父メルハンを、胸倉を掴み本棚へと押し込んだ。そのまま瞬きの間も置かず、青年の拳は赤く染まる。
書斎に舞い散る頁とそれを彩る赤化粧。鈍い殴打の音を搔き消す程に、運命という名の濁流に飲まれた獣の咆哮が満ちる。
「ドウシテ俺ガア!! ドウシテエ…………俺ガア゛ア゛ア゛ア゛!!!!
ドウシテッオレガアアアア!? ドウシテエエ――――」
痛みも何も無視し握り込まれる拳は、振るわれる度に自壊し血風を荒れさせる。
最早フィオンに正気は無く、己が人生を弄ばれた怒りのみで稼働する。殺意を放ち怨念を纏い、それらを更に掻き立てる純粋な憤怒の炎が心を覆う。
「ッブォ……フィ、オ……待ッゲエ…………わしが、悪か――ッガア!?」
「俺ガア゛ア゛! ドウシテ!? ドウシテッ!! オレッガア゛ア゛!! 」
物語の犠牲者は遂に物語の、運命の虜囚となり心を支配された。
容赦も慈悲も無く肉親を朱に染めていく姿は、悪鬼か羅刹か、創作の中にしか存在しないはずの、叛逆の騎士の姿を彷彿とさせる。
ヴィッキーとクライグは彼を止めようとするものの、抑制を失った肉体は人の限界を越えており、嵐に近付く手は弾かれるのみ。
「――――ッヅ!? こんの、癇癪起こしやがって。気持ちは解らなくもないけどッ……いい加減にしなフィオン!! 本気で殺しちまうよ!?」
「ったく、溜め込んでたのはお前の方じゃないか!? 人の事言え……ッチ、武器を置いて来たのがこんな裏目るなんて」
素手のクライグは元より、魔道の義手のヴィッキーも手を出す事が出来ない。
殴られ続ける祖父メルハンは既に息があるかも怪しく、背後の本棚はベッタリとしたものに覆われている。このまま放っておけば悲惨な事態を招き、目立たず旅を続けたい一行にとっても見過ごせる事では無い。
「ッ……仕方ありません。もう一度、これをッ――――!」
シャルミラは左手の薬指の指輪、魔操具による鎮静化を試みる。瞬時に指輪からは清々しい風が発生し、書室の中には清らかな空気が満ちるが――――
「――ダメだね、まるで効いてない。無理せずあたしらに任せてな、あいつを家族殺しにはさせないよ!」
「すいません、私はちょっと……後は、任せます」
耐性でも付いたのか、怒りが魔法を上回ったのか。実験段階の魔操具故に断定は出来ないが、フィオンは一切勢いを衰えさせずその手を更に血に濡らす。
短い間隔での連続使用が堪えたシャルミラは腰を下ろし、残った三人は荒れ狂うフィオンを何とか止めに掛かる。
「落ち着いてくれフィオン! 償わせるにしたって殺しちまったらッ――」
「オレガアア!! ドウシテェ!? ……オレッガア゛ア゛ア゛ア゛――――」
嘆きと叫喚は止まる事無く、飛び散る生き血にはドス黒いものが混じりだす。
祖父メルハンに意識は無くぐったりとしたまま、暴威の渦に成すがままにされている。いよいよ以って危うく見える容態に、取り囲む三人は腹を決める。
奇しくも、三人が捨て身で止める決意を固めたのと、フィオンがトドメを刺そうとしたのは――――同時だった。
「ガア゛ア゛ア゛ッ――――ア゛ァ゛ッ!!!!」
血塗れの祖父の頭を掴んだフィオン。上体を大きく仰け反らせ、頭突きの一撃を放とうとした刹那――――頭は剛鉄の腕に掴まれた。
「フィオン、そいつをそんな事に使うのだけはッ……許しゃしないよ!」
遺品の額当て、既に返り血に塗れてはいるが、それを復讐の炎にくべる様な真似だけは、後を繋がれたヴィッキーに見過ごす事は出来なかった。
同時に、左手にはアメリアが右腕にはクライグが組み付き、暴走したフィオンは何とか動きだけは取り押さえられる。拘束を解こうと四肢は暴れ獣の様な唸りを響かせるものの、祖父に振るっていた拳は止まる。
「ックォ、のお……フィオン! お前、俺に何か色々言ってただろ!? 正直あの時はテンパっててよく覚えてないけど……俺の友達って言うならなあ! シャンとしてくれよ!! こんな程度で、見失ってんじゃねえ!!」
右腕を掴み最も負担の激しいクライグは、友の耳元で大声を張り上げる。
声量以上にその言葉には想いが詰まり、嫌でも鼓膜に届いた温もりは、友の心に染み入っていく。
まだ完全ではないものの動きは微かに弱まり、呪いを叫ぶ声には惑いが混ざり始める。それに気付いたヴィッキーは少し恥ずかし混じりだが、気取らぬ想いを青年にぶつける。
「ッ…………ッチ、なあフィオン? 何だかんだあたしが一番付き合いが長くなっ――ん? クライグの方が…………ぁーメンド臭い。……とにかく! 妙に長い付き合いになっちまったがあんたには一目置いてんだ! ジジイの下らない計画程度で、自分を見失ってんじゃないよ!!」
冒険者として最初の相棒は、飾らない言葉でフィオンに喝を飛ばした。
同時に、頭を掴む鋼鉄の義手からは彼女の想いのみならず、偶にお節介を焼いていたどこかの誰かの、朗らかな想いも青年に伝わる。
想いは雫となり滴る水滴は荒んだ心を潤わせ、少しずつ憤怒の炎を鎮めていく。
怒りに捕らわれていたフィオンは段々とその意識を戻し、最もその心に寄り添うアメリアは、自身の願いを青年に託す。
「フィオン……運命には勝てるんでしょ? オリバーも、ロンメルさんもそう言ってた。私はまだ、それが解らないから…………こんな所で負けないでッ!
私も一緒に頑張るから……だから…………ッ、目を覚まして! フィオン!!」
まだ信じ切る事は出来ないが、だからこそそうあって欲しいと望む少女は、青年が運命に屈する姿を見たくは無かった。
必死の叫びは淡い言霊を纏い、青年の心の奥深く、呪詛によって蓋をされたフィオンの意思を呼び覚ます。
「オレッガ……ァ……アァ゛、ァッ…………アあァ、お……れ……ッ」
「フィオン……殴っても勝った事にはならないでしょ? こんなのいつもみたいに乗り越えて…………いつものフィオンに、戻ってよ……」
心を包む感情は過去を無かった事には出来ないまでも、空虚な穴を少しずつ満たし、他者に弄ばれた人生をそのまま肯定していく。
決して、無為なものでは無かったと。
例え悪意が切っ掛けであろうとも、それによってフィオンの今が形作られ、多くのものを得る事が出来た。それは彼の本来の運命とは、違う道筋であったかもしれない。しかし――――
「ッ…………解っ……てる、解ってんだよ!! こんな糞ジジイ、幾ら殴っても……俺は…………何も変わらねえ……って」
「フィオン!? もう、大丈夫なの? ちゃんと落ち着いてる? …………私が誰だか、解る?」
しかし間違った道であろうとも、そこで得たものの輝きは変わる事は無い。
多くの経験と多くの出会いがあった。良いものばかりではなく、苦いものや辛いもの、悲しいものも思い起こされる。それらを無かった事には、出来なかった。
彼らとの絆を思い起こせば、その煌きに目を凝らせば、青年は普段通り、無愛想な笑みを浮かべる事が出来た。
「…………大丈夫、ちゃんと解ってる。運命なんざ知ったこっちゃねえが……こいつを殴ってたら何か逆に…………。ありがとうアメリア、悪いんだが治癒をしてやってくれ。俺の方は……後で良いから」
心配そうに見上げてくる少女の頭を、フィオンはいつもの様に撫でようとして、今は手を引っ込める。金の髪に触れるには、躊躇われる手であった。
今はまだ許す事は出来ないが、祖父の身も心配し、自身の拳は後に回す。この痛みは戒めとして、少し残しておくべきとも思えた。
そのまま向き直るのは止めてくれた仲間達。彼らがいなければ二度と故郷に帰れない身になっていただろう。
フィオンは今自身を包んでいる繋がりを、手放したくは無いと言うのが口には出来ない本心だった。いつもの様に、少し素っ気無い顔で覆い隠し、頭を下げ仲間達に謝罪する。
「スマン、悪かった。頭に血が上って訳解んなくなって……みっともねえとこを見せちま――――ッヅ!?」
フィオンが言い切る前に、遠慮の無い二つの拳がそれを遮った。
ヴィッキーとクライグは面倒臭そうな顔をしながらも、今更そんなものは必要無いと、倒れた青年に手を伸ばしさっさと掴まれとぶっきら棒に言い放つ。
「今更なんだい気持ち悪い。やり過ぎは否めないけど、何もしなかったら風邪でも疑うところさ。さっさと片付けるよ、早く起きな」
「これで貸し借り無し、ほじくり返すのも無しなんだろ? だったら早いとこやる事やっちまおうぜ。おばさんにあれこれ聞かれる訳にもいかないだろ?」
引き起こすのなら最初から手加減をしろと、愚痴混じりの抗議は飲み込まれ、フィオン達は書斎の片付けを始める。幸い母ソーニャは外に出ており、後日近隣から、犬猫でも飼っていて暴れたのか? と聞かれる程度で済んでくれた。
書斎の後片付けを終えアメリアによる治癒も無事に進み、祖父メルハンはベッドの上で目を覚ます。治癒に感謝を述べた後フィオンに対し目を向けるが、今は僅かばかり、後悔か贖罪の念が語気に宿っていた。
「息子は……お前の父オルミドは何も知らん。親父殿から口止めをされておった。そのせいで冷たくよそよそしく……家族不信にさせてしまった、わしのせいじゃ。お前はせめて……誤解をせんでやってくれ」
「いきなり俺じゃなくて親父の心配…………いや、あんたにとっちゃ息子か、ならそうもなるか……。ちったあ考え直すとするよ、ったく……なんで子供の俺の方から気遣わなきゃならねんだか……」
祖父が目覚めたのを確認し、五人は書室を去ろうとする。今はまだ寄りを戻すつもりにはなれず、凄惨な所業を成した場にいつまでもいる気になれなかった。
部屋を出て行こうとする一行に、最後にメルハンは声を掛ける。罪の意識は決して飾りでは無く、息子に向けるものと同様に、孫に向けるものにもまだ人としての情が残っていた。
そしてそれはフィオンを可愛がっていた――――曽祖父メドローも同じ事。
「待て、これをッ…………ベッドの下に箱がある、中の物を持っていけ。親父殿がお前に……遺しておきたいと」
怪訝に思いながらも、フィオンはベッドの下から埃塗れの箱を引き出す。開けられた形跡どころか、長年全く手を付けられていなかった様子。
長方形の大きな箱の中には、一対の手甲と剣。
どちらも装飾は無く無骨な実戦用の拵え。指の一本一本から肘近くまでをも綺麗に覆い、動きを阻害する事の無い手甲と、長さも重さも中途半端な、短剣か剣か判断に迷う一振りがボロボロの鞘に入っていた。
「こいつは大ジイの……モードレッドの装備か? 手甲の方は助かるが剣の方はなんつうか……なんだこりゃ? 前に教書で見たもんに、似てる気はするが」
幅広で肉厚、刃渡りは五十センチメートル程、柄まで入れても七十センチメートル有るか無いか。しっかりとした鍔が有り、両刃では無く片刃の刀身。
窓から差し込む夕陽に翳して見れば、古傷は多いが劣化は無く、武器としては充分な状態。
とは言え扱いに困り、こういう事に詳しそうな眼鏡の淑女にズイッと渡す。
「そうですねこれは…………大昔の大国のグラディウスという物に似ていますが、それとも違う造りですね。貴方が使っているものに近いですが……まぁ、無碍にすべきでは無いでしょう」
手甲の方は一目で解る逸品だが剣の方はどうしたものかと、シャルミラに鑑定され返されたそれに、フィオンは微妙な目を落とす。
そもそも既に慣れ親しんだ剣が一本有り、戦争で大分傷んでしまってはいるがまだまだ使い続ける予定。二刀流の心得なぞも無く、曽祖父には悪いが一先ずは腰に提げて予備としておく。
その様子にメルハンは毒を飛ばすが、ヴィッキーは軽くあしらい手甲と剣を品定めする。使い古されてはいるが、年月の割りには妙に精彩を放っていた。
「全く……然るべき場に出せばどれだけの価値になると思っておる? 要らぬというのなら置いて行け、家計の足しにするわい」
「口の減らないジイサンだ、大人しく寝てな。……劣化してないし、鉄じゃないのかね? 魔導士としちゃ中々興味深いが……少し削ってみても良いかい?」
「ざっけんな、せめて戦いで壊れてからにしてくれ。……じゃあなメルハン、大ジイの装備、有り難く貰っておく。……殴ったのは、悪かったよ」
真実と遺品を得て、フィオン達は書斎を後にする。得難きものを得、青年の憤怒を乗り越え、改めてやるべき事に目を向ける。
それを見送った老人は深くベッドに体を預け、長年背負っていたものを漸く降ろせたと、大きく息を吐き出した。孫を利用するに一切抵抗が無かったという訳では無く、その後の冷遇もどんな顔で向き合うべきか解らなかった故の事。
殺される覚悟までは無かったが幾らか手痛い目に合う事は予期しており、傷は癒えたがまだ全快とはいかない身を、自業自得と受け入れていた。
「…………さて、思った以上に色々収獲……収獲? 有ったけど! フィオン、このまま行っちまって良いのか? ソーニャおばさんまだ帰って来てないけど……泊まって行くんじゃなかったのか?」
首を傾げるクライグの視線の先には、率先して馬車に乗り込む友の姿。
予定では一泊して行くはずだったが、祖父メルハンと面倒な事を起こしてしまい、フィオンとしてはさっさとリークから離れたい心境だった。クライグはそれを解ってはいるが、長旅を考えれば一泊でも多く野宿は避けるべきであり時刻は既に夕方。今出発してもどうせ村の近くで野宿する事になる。
「うっせーな、解ってる事聞いてんじゃねえよ。あんな事やっといて暢気に泊まれるか。さっさと出発……」
「…………どうやら、ちょっと手遅れみたいだよ? 流石にあれを放っといて行くのは……無理じゃないかい?」
ヴィッキーに促されフィオンが振り向くと、夕陽に照らされた誰かの影が二つ、大荷物を抱えて手を振っていた。二、三人分の夕食という量では無く、明らかにそれは、今日泊まって行くだろうという息子と仲間達を労う為の物。
逃げるに逃げれなくなったフィオンは、溜め息と共に馬車から降りた。こうなれば諦めて一宿一飯、朝飯を含めれば二飯の世話になろうと腹を括る。
「素直じゃ無いんだから……丸っきりメルハンさんに責任が有るんじゃなく、フィオンがそんなんなのも原因の一つじゃないの?」
「俺がこうなった原因がジジイだってのッ…………ま、今に見てやがれ。しっかりと運命だか何だかに……ロンメルだって勝ったんだ、だったら俺も続いてやるよ。今日の所は…………引き分けってとこだろ」
青年は改めて少女に、運命に対しての勝利を誓う。
一時はそれに捕らわれたものの、仲間達の助けを得て脱却したフィオン。人を殺さぬ事で勝利に近付いた結果に、長らく戦地に染まっていた青年は不思議な感覚を覚える。
その晩、母ソーニャは賑やかに五人を歓迎し、まだ溝はあるものの、父と祖父ともフィオンは旧交を温めた。彼らが家族として真に打ち解ける日は、そこまで遠い事では無い様に感じさせるものだった。
一行は一晩を持て成され、全ての憂いを払い北を目指す。
本来の目的であるヴィッキーの杖を新調する為だが、その前の経由地、大都市リーズにてとある英傑と相まみえる事となる。




