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ボルドルーンサガ ブリタニア偽史伝  作者: ギサラ
序章 己が為、友の為
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第9話 赤い追憶

 フィオンは松明を手に、横穴の闇の中を迷わずに進んで行く。

 横穴は内部で更に入り組んでいたが、巨人の往来によって踏み固められた地面と足跡、その道に染み付いた鼻を突く悪臭。それらを辿る事で迷う事はなかった。


 痕跡を辿る事数十分、それは開けた巨大な空間へと続いていた。

 ホール状の空間の天井には発光植物が群生し、薄暗いながらにある程度の視界が確保されている。その灯りの下には汚物や苔に塗れた大小の骨山と、胡坐をかいで眠る獣頭の巨人。


 低い寝息を立て、巨人はうつらうつらと居眠りをこいている。

 頭部を包むボロ布からは、はみ出た牛の口とそこから垂れる長い舌と涎。その滴りは強烈な臭気を放ち、フィオンにとっての道標ともなっていた。

 傍らに放置された古びた麻袋は、人間大の何かが中で蠢き、時たまこけるように地面にべしゃりと倒れこんでいる。


「……やっぱあれ、人だな。獣なら鳴くかもっと暴れんだろ。寝てる今がチャンス……さっさとやっちまおう」


 フィオンは松明を消し必要の無い荷物を置き、忍び足で麻袋へと近付いて行く。

 寝ている今は好機ではあるが、音を出しては巨人を起こしかねない。速やかに麻袋の中から救出し離脱できなければ、面倒な事になる。


 巨人は寝入り涎と野太いいびきを発しているだけだが、それでも強烈な威圧感と臭気を放ち、一歩近付く毎に嫌悪と焦燥を掻きたてられる。

 冷や汗が背を伝わるのを何とか奥歯を噛み締め抑え、依然モゾモゾと動く麻袋に耳打ちしながらフィオンは手を伸ばした。


「おい、今出してやるから動くな。ちょっとじっとしてろ」

「だ、誰!? 誰かそこにいるんで、えっず!?」


 手を伸ばそうとした途端、麻袋の中身は再びずるりと足を取られる。それだけならば特に何という事は無いのだが、今回ばかりは場所がまずい。

 胡坐をかき船を漕いでいる巨人の足先、麻袋の中の何者かはそこへ派手にダイブを見舞う。

 思わず押し殺した声で罵倒を飛ばしつつ、フィオンは両手を袋へと伸ばした。


「ば、バッカ野郎! なんて、とっ……フゥー。ぎっりぎり、セーフ……あ?」


 間一髪の所でフィオンは袋を両手で抱きとめた。

 今しがたの声と抱き止めた中身の感触から、中身は若い女で有ると確信するが……ここで、抱き止めた両手に違和感が走る。

 古びた麻袋はざらざらとした肌触りの悪い物だが、その奥から手に伝わってくるものは何か温かく柔らかい。中身は人間だとして温度はともかく、フィオンには馴染みの無い弾力のある感触が、両手に収まっている。


 中の人間はふるふると震え、声にならない抗議を救出者に向けて放っていた。

 フィオンはそれに気づかず中の人間を気遣い、威勢の良い返答(当然の仕打ち)を受ける。


「……て。……な……して……」

「あ? 何言ってんだ? 今はさっさとここ離れるぞ、今出してや」

「離してって言ってんでしょ!! どこ触ってんのよお――!!」


 甲高い叫び声と共に、麻袋の中身は痛烈な頭突きを救出者へと打ちつけた。

 的確な一撃はフィオンの脳天を見事に捉え、あくまで善意によって袋を抱きとめていた腕は、力を失う。

 麻袋はボスっと巨人の足先に落ち、頭突きを受けたフィオンも頭を押さえてその場で蹲る。


「ッ~~~……こ、んのぉ……。いきなり、何す……って!?」


 甲高い女の叫びと足先への接触。巨人を目覚めさせるのにはそれは充分過ぎた。

 居眠りをしていた巨人はゆっくりと首をもたげ、ボロ布に包まれた獣頭の奥からは禍々しい双眸が周囲を睨む。ヒクついた牛の鼻は侵入者の臭いを察知し、すぐ傍で狼狽える青年に矛先を向けさせる。

 低く耳につく唸りをホールに響かせ、巨人はその身を屹立させた。


「右だ! 右に向かって転がれ! 後は目立たねえ様にじっとしとけ!!」


 立ち上がった巨人の足元の麻袋は、流石に事態を把握して言われた通りに無言で転がっていく。

 何とか無事に離れた麻袋を確認し、フィオンは巨人から距離を取りながら弓矢を構える。


 巨人の背丈は4メートル程、痩せぎすだが余りにも常人とはサイズが違いすぎる。間近で見ると背丈に比べ腕は更に長く、その指は赤錆びた鉄の様な凶器と化している。

 まともに剣で打ち合うという考えは、頭を過ぎる事さえもない。


 距離を取りつつフィオンは巨人の首、脇、腿へと容赦無く矢を射掛ける。短い複合弓は連射と威力を両立しており、人であれば一溜まりも無い苛烈な連撃。


 だが――巨人に人の理は通じない。

 矢は確かに暗褐色の肌を突き破り、鏃はしっかりとその肉を引き裂くが、巨人はそれを意にも介さない。地響きを響かせながらフィオンへと走り寄り、無造作にその腕を、ただ横薙ぎに振るった。

 丸太の様に太く長い腕は、しなった鞭の様に豪快に振るわれる。ただ腕を振るうだけの単純な攻撃は、それだけで冗談の様な破滅を周囲に振り撒く。

 およそ人には真似出来ない嵐の様な一撃が、周りの骨山を巻き込みながらフィオンへと迫る。


「こ、ん……!? ッ――」


 瞬時に防ぐ事は不可能と悟ったフィオンは、頭に死の予感が過ぎりながらも必死でその場に身を伏せる。飛び散った骨を全身に受けながら、横薙ぎのギロチンを間一髪で避けたのを、まだ息が有る事で確認する。

 安堵する間もなく跳ねる様に全力で後ろへと飛び退き、効果の是非は埒外に置いてひたすらに矢を乱射する。


「ちっくしょ……どこ当てりゃ良いってんだ! 幾ら何で……も!?」


 愚痴を挟む暇も無く、再び巨人の腕は目の前の羽虫を潰すべく振るわれる。

 縦に振るわれた巨人の腕は天井を削りながら振り下ろされ、大小のつららの様な鍾乳石と共にフィオンを真上から襲う。


 フィオンは咄嗟に横に飛んで事無きを得るが、無数の落石を全て避ける事はできず、鈍痛と共に体力を削られる。

 巨人は依然矢を受けながらも一向にダメージの素振りは無い。

 口からは牛特有の長い舌と涎を垂らし、鼻につく悪臭と耳障りな唸り声を上げ向かってくる。


 忌々しげに歯噛みしながら、フィオンは再び矢筒へと手を伸ばす。

 どうあれこの難敵を退けない事には救出も何も有ったものではない。

 巨人の後方でじたばたとする麻袋をチラリと見やり、次の矢を弦に掛けた。


      §§§


「ったく、いきなり予定が狂っちまった。……まあ結局は自業自得、この程度で済んだのはむしろラッキーさね」


 一人になったヴィッキーは特に気落ち等は見せず、足取りも変えずに薄暗い通路を先へと急ぐ。

 今頭を占めているのは、自身の用意した篩いが結果として不足であった事への僅かな苛立ち。

 あの男が何を思って救出に向かったかは定かではないが、その行動は容認出来ない。善意や献身のみで自らの命を危険に曝すという行為は、冒険者としてより魔導士として許容できなかった。


 魔導士と言う存在は理論と共に、等価や釣り合いというものを非常に重視する。

 それは彼らが身に修めた魔道こそ、確固たる理論と等価な代償を求めるものだからだ。採算やリスクを度外視にする行為は、正に真逆に存在する。


 魔道は決して万能の理ではない。発現出来る魔法は本人の資質によって左右され、その種類や力の限界にも制限がある。

 魔導士は大気に満ちるマナを体内に取り込み、自身の活用できる魔力へと変換し魔法の為の燃料とする。

 この時変換されるマナは実際に術者の血管や内臓を巡り、その量や回数によっては術者本人を脅かす。

 一日に変換できるマナの許容量に近付けば『魔力酔い』という中毒症状に陥り、激しい吐き気や頭痛に見舞われる。それを無視して魔法を行使すれば、命をも落としかねない。


 マナから変換された魔力も術者の力量や資質によっては、まるで何の役にも立たずに霧散する。

 必ずしも払った代償に等しい報酬が得られるとは叶わず、己の力を弁えなければ徒に血肉を削られるのみ。

 自身の肉体を代償にし、己の力と領分に見合った利益を享受する。それが魔道の実体である。


 現在確立されているのは、火水風土の単純な発現と放出。後は幾つかの系統に分かれた補助的な魔法のみ。個人の資質により幾らか幅や応用は効くが、御伽話の様な万能の魔法は存在しない。

 それでも、燃料や雨も無しに火や水を生み出す魔道は一時代を築き、魔操具に取って代わられるまでは民衆の畏敬も強かった。


 ヴィッキーが発現できる魔法は火と雷に属する道。幾らか補助的な魔法も可能ではあるが、戦闘に直接干渉出来るものはその二つのみ。

 扱える魔道は生まれ持ったものが大きく、何か強烈な経験や価値観の変化、魔道に関係した直接的な接触を経なければ発展は難しい。


 理解の及ばない元相棒に頭を痛めつつヴィッキーは歩を進める。

 さっさと忘れるべき存在ではあるが、自身のとある過去を連想してしまい、中々頭の中は晴れてくれない。

 そうして頭を抱えて進む背に、唐突に声が掛けられる。


「いたぞ、こっちだ! 一人だぞ、今の内に囲めえ!!」


 どこかで聞いた様な下卑た声が洞窟に響き、数人の男達がヴィッキーの周りを取り囲む。兵営であしらわれた男達が、数を増やしてしつこくも追いついて来た。

 不快を顕にした顔でヴィッキーはそれらを睨むが、男達は性懲りも無く欲を顔に現して舌なめずりしている。


「はあ……。いっそあんたらぐらい解り易い方が楽なんだけどねえ……あたしに言われた事、ちゃんと覚えてるかい?」

「あ゛あ゛!? 調子に乗ってんなよ! 炎なんざちっと我慢しちまえば余ゆ……」


 ヴィッキーは男達には構わず、杖を振りつつ呪文を唱える。

 魔導士にとって杖は必ずしも必須のものではないが、魔法の方向性を定めるのには一助となる。火球を飛ばす、光を照射する等は、正にこれによって的を絞れる。

 そして彼女は今は、杖を振っている。これは広範囲を薙ぐものであったり、そもそもコントロールできない物を出す時に見られる所作である。


「炭とか言ってたが気が変わったよ。運が良けれ生き残れる、気合見せな。

 ――イミレート」


 振るわれた杖の先からは雷撃が、出鱈目に四方八方へとその光の跡を描く。

 狭い洞窟内に轟音と閃光が瞬く。光っては消える瞬きの戒めは明滅の度に、焦げ臭い臭いを辺りに漂わせ人影を減らしていく。

 ほんの数秒の間、ヴィッキーは杖を全方位へと気紛れに振り回す。雷光は術者のみを避け、辺りの有象無象へと光の棘を伸ばす。

 終わった時には五人の男が地に伏して痙攣し、残りの三人はガタガタと震えて耳を塞ぎ蹲っていた。


「っち、三人残ったか。……しょうがないね、ここは」


 無事な男達が蹲っている内に、ヴィッキーは道を逸れてそそくさと姿を隠す。

 雷撃を数秒で止めたのは何も温情と言う訳ではなく、雷の魔法が燃費が悪いからである。それでも広範囲へ瞬時に効果を発揮できるのは便利だが、そう連続して長時間使いたくは無い。


 蹲っていた男達は恐る恐る辺りを見回し、消えた女への罵声を飛ばしながら仲間の安否を気遣っている。

 後は諦めてどこかへ消えるのを待つのみだが、道を外れ横穴に近付いたヴィッキーは、聞きたくはない女の叫び声を傍の横穴から拾ってしまう。


「今のは……そうかい、本当に人間だった訳か。となればあいつは……。いや、あの叫び声なら気付かれてるか……バカが」


 不意に飛び出す罵倒、しかしその対象ははっきりとはしない。

 命を捨てて誰かを助けようとしているお人好しか、そんな状況を作ったどこかの誰かか。或いは、過去の記憶を思い出し、無様にもお人好しな考えが過ぎった、自分自身へか。


 ……のどかな田舎の村だった。

 湖に面し、森が近く、森の住民達とも仲良く接していた。

 よその人達は森の住民、彼らと接する私達をどこか避けている様だった。

 でも彼らと共にあるのは小さい頃からの当然で、それをとやかく言ってくる人達の方が、同じ人間なのに違うものに思えていた。


 森の中で見つけた、何か黒く速い影。その時はそれが何なのか、別段気にはしなかった。

 きっと彼らの仲間の何かなのだろう。彼らも私達より体が黒く、森の中のかけっこや木登りではとても敵わなかった。

 だから、それが私の家に入って行くのは当然で、中々家から出てこないのは父や母とお茶でもしているのだろうと思った。思ってしまった。


 深緑の森に夕日が差し込み、緑と赤が混じって森は茜色に染まる。

 もう帰る時間だから、彼らと別れて私も家へ帰らないと。

 今日の晩御飯は何だろう。今日の寝物語は何を聞かせてもらえるだろう。

 幼い私の世界は友達と家族、森と湖、暖かく穏やかな安らぎだけで満ちていた。

 世界は綺麗なものだけで満ちている、漠然とそう思っていた。

 夕日に彩られた森の綺麗な赤。きっと世界はどこまでも、こんな鮮やかな色で溢れているのだろうと。

 泥だらけで家路を急ぐ私は、まだ何一つ、世界の真実を知らなかった。


 ドアを開け世界(視界)を埋め尽くすのは、全てを塗り潰している――赤、赤、赤赤赤……赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤。

 森を彩っていた西日よりずっと鮮やかで、ずっと色が濃く、私の知らないモノで出来た赤。

 決して夕日などではない、間違え様がない。それはもっと薄くしっとりとしていて……こんな吐き気がする程濃く、どろどろと粘つくモノではない。

 思わずその赤が何なのか、私には何も解りたくなかった(解らなかった)


 ベッドではなく床に寝そべって、赤に塗り潰された父と母。

 その傍でナニカをしている、黒い大きな塊。

 森の彼らではない。彼らにしては余りにも毛深く、四つん這いで――そんなモノを口に含む筈が無い。

 大きな口を開け、もう動かない何かを――

 

 気がついた時には、私の世界は半分に欠けていた。

 一つだけになった目に映るのは、真っ赤に塗り潰された家の中と、家族と呼んでいた何か。

 知らない男があたしを抱き上げ『もう大丈夫……すまなかった』なんて、訳の解らない謝罪を、誰かにしている。


 無力で見ているしか出来なかった私は死んだ。

 誰かが殺したのではない。

 あたしが呪い、あたしが殺した(生まれた)


 もっと力があれば……もっとしっかりしていれば。

 もっと早く助けを呼んでいれば……もっと早く気付けていれば。

 呪いは絶望を呼ばずに、か弱い少女()魔導士(あたし)へと鍛えた。


 感謝はしない、絶対にする訳がない。原動力にはなったが、それはあたし自身が呪いを力に変えただけ。世界に満ちるだけで役立たずのマナを、この身を以って魔力に変えるように。

 この力であたしは絶対に目的を果たし、いつか納得の行く形で――


 蓋をしていた記憶の回想を打ち切り、ヴィッキーは現実へと目を向ける。

 依然男達は通路にいる。動かない仲間をどうするかぼそぼそと話し合っていた。


「はあ……まだまだ精神修行が足りないのかねえ。記憶操作の魔法なんてあったら……!?」


 再び横穴から伝わって来たのは、先程の僅かに聞こえた女の叫びとは似ても似つかないおぞましいもの。

 響いてくるのは野太く怖気の走る魔性の雄叫び。それは洞窟内に広く反響し、聞く者全ての正気を削り取る。

 ヴィッキーにやられ道でうだうだとしていた男達は、動けない仲間達を担ぎ慌てて逃げて行く。

 叫び声が止んだ無人の通路にヴィッキーはひょっこりと戻るが、立ち止まったまま腕を組んで考え込む。先への道と巨人の雄叫びが響いてきた闇とを何度か交互に見やり、深く深呼吸してから、考えの纏らない自身へと喝を飛ばす。


「………………ぁ゛ー、こんちくしょーが!……こうなりゃ魔獣だか巨人だかの死体を高く売ってやろうじゃないか……新人が洞窟で巨人を倒し、凱旋デビュー? ……良いじゃないか、やってやろうじゃないか!」


 後ろ髪を引かれる思いを断ち切れず、女魔導士は横穴へと飛び込んでいく。

 結局、身に修めた魔導士としての理論より、生来に備わった魂の方が強かった。

 だがせめて人生の規範としているその理論には反さぬ様に、苦しげな言い訳は立ててから助太刀へと向かう。

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