9話 マルメラーデ監獄(3)
広間の中央にはベレツィの村人たちが集まっていた。
楽しく談笑しているわけではない。
彼らは今、監獄での身の振り方を問われている。
「ジェイド様に従うべきだ!」
壮年の農夫が声を上げる。
そうせざるを得ないということを理解していた。
マルメラーデ監獄で生き延びるには、絶対的な力を持つジェイドに従う他ない。
だが、全員がそう思っているわけではない。
「奴は村長を殺した男だぞ!」
「そうだ、恥を知れ!」
対立するように二分された村人たち。
未だ反抗する心を持つ者たちが声を荒げる。
「ようやく解放されたというのに、また従うつもりなのか!」
老齢の男は憤っていた。
拳を固く握りしめて、従おうとする者たちを糾弾する。
「あの男に飼われて何の意味がある! 旅の方に教えていただいたばかりだろうに!」
彼は手を差し伸べてくれたグレンに感謝していた。
モルデナッフェに従属することがどれだけ馬鹿げたことなのか。
絶望的な状況にあっても屈するわけにはいかないのだと、その選択をするだけの勇気を得ていた。
ジェイドに従おうとする者たちを侮辱するように怒声が飛んでいく。
家畜だ、卑しい奴らだと。
矜持を捨てて生きることに何の意味があるのか。
一度犯した過ちを二度も犯すつもりはない。
再び従属して生き永らえることを選ぶくらいならば、潔く死んでしまえばいい。
そう考えているのは、老い先短い者ばかりだった。
まだ若い者たちには死を選ぶほどの勇気はない。
それはユリィも同様だ。
「仕方がないでしょ! 私は、死にたくないんだから!」
ジェイドに従うことで生き永らえるのであれば、それで構わないと思っていた。
大切なことは自分が死なずに過ごせること。
平穏を手に入れるためならば、心を殺すことだって出来る。
既に一度踏み越えた罪だ。
二度目の過ちは、恐怖はあれど躊躇いはない。
「それは駄目だユリィ! 考え直しなさい!」
クラウスが必死に説得を試みる。
その先に待っている悲惨な結末は想像するまでもない。
そういった物事に疎いユリィは、ただ死にたくないという感情のみで選ぼうとしているのだ。
大切な娘を、あのような下種に渡すわけにはいかない。
だが、ユリィを納得させるだけの言葉を彼は持っていない。
ようやく魔物から解放されたというのに、結局慰み者にされてしまうのでは何も変わらないだろう。
徐々に村人たちの話し合いは苛烈さを増していく。
怒声が飛び交い、互いの考えを否定するように暴言が吐かれていた。
そんな彼らを傍観しながら、グレンはどうしたものかと思案する。
「今回ばかりは俺がどうこう言えるような問題じゃねえ。正直、どっちが正しいかなんて分からねえよ」
村長であるマズロを殺されたのだ。
そんな相手に従うような真似はできない。
モルデナッフェから解放されたばかりなのだから、なおさら彼らの矜持が許さなかった。
かといって、従わなければ死を待つのみである。
この監獄においてジェイドは絶対的な力を持っているのだ。
自らの命を手放してまで反抗できるような者は少ないだろう。
「どのみち、ああなっちまえば終わりだ。助けたところで元通りってわけにはいかねえだろうよ」
もし何らかの方法で助け出せたとしても、こうして激しく言い争った後では元の関係には戻れないだろう。
こうして眺めている今も、村人たちの争いは激しくなっているのだ。
「……腹立たしいな。許容し難い光景だ」
珍しくリスティルが感情を露にしていた。
目の前の光景は、彼女にとって酷く醜悪に映っていた。
「グレン。お前はこれを見てどう思う?」
「仕方がねえとは思うが……俺としては、もう少しやりようがあったんじゃねえかって思っちまう」
モルデナッフェの脅威に震えていた村人たちが今ではこの有様だ。
もし昨日の内に何か出来ていたならと考えてしまう。
場合によっては、連行される時点で反抗しても良かったのかもしれない。
「エルベット神教に追われる危険だ? 上等だぜ。こんな光景を見せられるくらいなら、いっそ司祭共をぶっ飛ばしてやった方がマシだ」
「……そうだな。お前ならそう言うだろうと思っていた」
グレンは監獄と外界を隔てる鋼鉄の扉を睨みつける。
この悪趣味な監獄から、少しでも早く脱出したいと考えていた。
「だが、そうだな……ヴァンの報告を聞くまでは、下手な行動をするわけにはいかないだろう」
身に宿した特異な力を活かして諜報活動を行う。
彼であれば、何かしらの手掛かりを掴んでくるだろうと信じていた。
「なあ、リスティル。前から気になっていたんだが……あいつは『穢れの血』なのか?」
影から影へと渡り歩く魔術など聞いたことがない。
遺失魔術として転移魔術などが知られているが、ヴァンがそのような希少な使い手であるとも思えなかった。
グレンの問いに、リスティルは頷く。
「いかにも、ヴァンは『穢れの血』だ。随分と理性を残している方だと思わないか?」
「理性だぁ……?」
冗談はよしてくれ、とグレンは肩を竦める。
狂信的なまでの崇拝と過激な言動。
あれをまともな人間だと思うのは危険ではないかと感じていた。
しかし、今は行動を共にする仲間だ。
その実力を疑っているわけではなく、リスティルに対しての忠誠も高く評価している。
少なくとも、彼がこちらを裏切るような真似はしないだろうと感じていた。
「ヴァンは信頼できる男だ。少なくとも、私にとってはな」
リスティルは自信に満ちた笑みで言い切る。
あれだけ盲目的に崇拝されていれば、そう考えることも当然かもしれない。
だが、グレンは首を振る。
「絶対なんてモンは存在しねえ。あいつの狂信を裏切らねえように努めることだな」
「この私が期待に応えられないと?」
自信に満ちた笑みだった。
まるで己の実力を疑っていない。
だからこそ、普段の不遜な言動があるのだろう。
リスティルがそうである限り、ヴァンが彼女を裏切るようなことはないだろう。
忠実な従者として与えられた任務を果たすために尽力することだろう。
「ったく、随分な自信家だぜ」
呆れ半分に言う。
実際にその能力を目の当たりにしたグレンからすれば、リスティルの自信が根拠も無しに湧き上がっているものではないことは理解できる。
彼女の見た未来を今のグレンたちが辿っている。
その道筋から外れない限り、少なくとも自分たちが不利益を被るようなことはない。
常軌を逸した力を所持している彼女から見て、この世界はどのように映っているのだろうか。
目の前では未だにベレツィの村人たちが醜く争っている。
互いを非難し、侮辱し、煽り合う。
彼らに救いが残されているとはとても思えなかった。
そんな彼らの下に、ジェイドが歩み寄っていく。
自身に従う者たちを引き連れていた。
その数は、どう見積もっても監獄内の五割を超えている。
彼は笑みを浮かべながら間に割って入った。
「争っているところすまないが、お前たちの選択を聞きに来た」
監獄を支配する囚人の王。
彼に従わなければ死あるのみ。
それ故に、彼を前にして大きな声で反発出来る者はいない。
もしそんなことをしてしまえば、今夜処刑されるのは自分になってしまう。
黙りこくってしまった村人たちを押し除けて、半数ほどがジェイドの前に跪く。
「我々は貴方に従います、ジェイド様」
生き延びるために、心を売った。
そんなベレツィの村人たちを眺めつつ、もう一方に視線を向ける。
「そこのお前たちは、反発すると受け取っていいんだな?」
ジェイドの視線を受けて、もう一方の村人たちは唇をかみしめる。
二度も従属を選ぶほど愚かではない。
信念を持って死ねるならば本望だと言い聞かせる。
「……そうか、まあいい。今晩の投票は貴様らの中から選ばせてもらおう」
そう言うと、ジェイドは厭らしく笑みを浮かべる。
全ては彼の裁量によって決まるのだ。
そして、次にグレンたちに視線を向ける。
当然ながら、リスティルは彼に従属する気はない。
「腕の立つ奴は歓迎するぞ? さあ、お前の選択を聞かせてみろ」
ジェイドが問いかける。
しかし、グレンは首を振る。
「悪いが、まだこの監獄で生き永らえたいのか分からねえ。もうしばらく時間が欲しい」
従うという選択肢は無い。
リスティルもヴァンもそれを拒むだろう。
であれば、少しでも時間を稼ぐしかない。
グレンの返答にジェイドは不満そうに眉を顰め、肩を竦める。
「まあいい。時間はいくらでもある。僕は寛大だから、三日ほど猶予をくれてやる」
即答しなかったことは不満だったが、ベレツィの村人たちの醜態を見て気分が良かったらしい。
ジェイドはグレンの提案に頷く。
この三日間に何か手掛かりを得なければならない。
最悪、強引に脱獄することも不可能ではないだろう。
しかし、そうしてしまった場合はエルベット神教から手配書が出されることとなる。
穏便に脱出するには裏を探るしかない。
ヴァンの暗躍に期待しつつ、グレンたちは次の投票へと臨む。
◆◇◆◇◆
シェーンハイトは監獄で囚人移送の手続きをしていた。
急に決まったこととはいえ、本部に報告するには書類が必要となる。
――グレゴール大司教。
エルベット神教において上位の権限を持つ人物の一人。
このアーラント教区においては絶対の権限を持っており、その際は枢機卿である彼女も従わざるを得ない。
立場上はシェーンハイトの方が上であるが、不当な申し出でない限りこの地ではグレゴールの言葉が優先される。
それ故に囚人の移送を承諾したが、彼女の中には微かに疑念が生まれていた。
「彼は、何を思ってこのような監獄を作ったのでしょうか……」
マルメラーデ監獄の規則については一通り目を通してあった。
一般囚人たちが監獄内の広場に集められていること。
秩序を乱すような罪人は独房へと押し込まれること。
そして、毎晩一人が投票によって処刑されること。
シェーンハイトはその処刑方法を好ましく思わなかった。
罪人であれど、その処罰は程度によって変化する。
中には情状酌量の余地がある者もいるはずだ。
もしあのまま中央まで連行していたならば、魔物に従属したベレツィの村人たちはともかく、リスティルたちに関しては短期間の労働で済ませるつもりでいた。
それに、あの中には『穢れ』を身に宿した魔物を討伐した戦士も存在する。
自身も『穢れ』を相手取ることが多いために、シェーンハイトは密かに興味を抱いていた。
「『狂犬』グレン・ハウゼン……」
彼の技量は本物だろう。
対峙した時に感じた圧倒的強者としての気配が今でも忘れられずにいた。
彼ほどの男を引き込むことが出来たならば、どれほど任務が捗ることだろうか。
あの鋭い眼光が忘れられない。
鉄塊の如き大剣を振るうに足る、あの逞しい肉体が印象に残っていた。
生まれた時よりエルベット神教に身を捧げてきた彼女には、今抱えている感覚が何なのか理解できなかった。
彼らは本来であれば処罰の対象外だ。
凶悪な魔物を討伐したという功績だけで犯した罪と釣り合うだけの善行を積んでいる。
だというのに、グレゴール大司教は聞く耳を持たない。
ベレツィの村人たちに情けは無い。
しかし、グレンたちだけでも助けられないかと考えていた。
だからこそ、粘着質な殺気を感じても意に介さないように努めている。
ドアがノックされる。
入るように促すと、教徒の一人が入室した。
「失礼します。グレゴール大司教様が晩餐会の用意が整ったと」
「……そうですか。支度をするので、少しお待ちいただくようお伝えください」
「畏まりました」
教徒が出ていくと、シェーンハイトは身に着けた鎧を外す。
白く透き通る柔肌が露になった。
水で濡らしたタオルで優しく撫でるように拭いていき、ふう、と息を漏らす。
アーラント教区は住みづらい地域だ。
このマルメラーデ監獄は鉄錆のような臭いが常にまとわりついて離れない。
あまり長居をしたいとは思えないが、ここしばらく不穏な動きを見せているグレゴール大司教について調べておきたいという気持ちもあった。
「召装――天麗衣」
詠唱を終えると、シェーンハイトの体を彩るように純白のドレスが現れた。
本来であれば戦闘時に身に着けるような代物だが、晩餐会に身に着けていけるだけの美しさを誇っている。
帯剣はしない。
有事の際には、服同様に即座に召喚魔術で呼び出すことが可能だからだ。
鞘から抜刀するよりも素早く戦闘態勢に入ることが出来る。
身だしなみを整えると、シェーンハイトは晩餐会へと向かう。
歩いていく途中、監獄から連行されていく囚人を見かける。
「ああ、誰か助けてくだされ! 誰かッ!」
助けを求めて必死に叫ぶが、その体は言うことを聞かない。
投票によって選ばれた者は体の力を奪われてしまうのだ。
その老人には微かにだが見覚えがあった。
恐らくはベレツィの村長だろうと考えつつ、シェーンハイトは横を通り抜ける。
男を連行していく二体の巨人に一瞬だけ視線を向け、グレゴール大司教の下へと向かった。