8話 マルメラーデ監獄(2)
――この場所は異常だ。
グレンは困惑した様子で周囲を見回すが、他の囚人の反応は人によって異なっていた。
しかし、処刑を恐れている者はあまりいない。
長い時間を監獄で過ごしたせいで、感覚が麻痺してしまったのだろうか。
鋼鉄の扉を隔てた先では、一体どのような処刑が行われているのか。
斬首、絞首、あるいは薬物か。
「……非道な処刑方法でなけりゃいいんだがな」
グレンの脳裏に浮かぶのは連れ去られるマズロの姿――ではない。
彼を連れ去った、二体の巨人だった。
「リスティル。あの巨人は一体何なんだ? あれはどう見ても魔物の類だろう?」
もしかすれば答えを知っているかもしれない。
そんな期待を抱きつつ問うが、リスティルは首を振る。
「残念だが、私にはすべてを教えることはできん」
未来予知は万能ではない。
少なくとも、このマルメラーデ監獄をすべて把握できるような代物ではないことは確かだ。
その行使も穢れを回収した際にしかできないため、知りたい情報を自由に得られるわけではない。
「だが、そうだな……あの巨人は硬質な魔物にも見えるが、本質的には魔力の塊に見えた」
「霊的な存在ってことか?」
「十中八九そうだろう。問題は、あれを使役する存在がいるということだが」
二体の巨人は凶悪な存在に思えた。
正しく監獄の番人といった様子で、その足並みの揃った動きを見れば戦闘時の連携も取れることだろう。
「ったく、厄介なもんだ」
グレンは面倒そうに首を掻く。
この監獄がどれだけの戦力を保有しているかは不明だ。
迂闊な行動は控えなければ、丸腰のまま二体の巨人を相手にすることになるかもしれない。
危険なのは監獄の番人だけではない。
彼らの運んできた箱型の魔道具。
戦闘とは異なった用途のものはグレンもあまり目にしたことは無い。
「あの箱みてえな魔道具は分かるか?」
「おおよその推測はできる。他者の思念を読み取り、その結果をもとに特殊な効果を齎す。おそらくは、大昔の祭りごとに用いられたものだろうな」
その中でも、特に危険なものである可能性が高い。
人間から身体の自由を剥奪するような魔術は現存していない。
似たようなもので拘束魔術が存在するが、それとは本質的に異なった特異な効果だ。
「嫌な趣味をしてやがる。あの偉そうなジジイの差し金か?」
監獄に閉じ込められる前に見たグレゴール大司教の顔は、お世辞にも善人とは言い難い。
彼と比べれば、シェーンハイトでさえ優しく見えてしまうほどだ。
「あんな奴が聖職者を務めてんだ。たいした宗教だぜ、エルベット神教は」
呆れたように溜息を吐いた。
恐怖に震えるベレツィの村人たちを眺めながら、グレンはどうしたものかと思案する。
◆◇◆◇◆
石造りの独房は酷く冷たい。
見張りもおらず、定期的に看守が様子を見に来る程度だ。
退屈そうに鉄の格子を眺めながら、ヴァンは一人で寛いでいた。
「……はあ、嫌なことを思い出すな」
自身の首筋に手を当てる。
マフラーを巻いてあるために、そこに何が隠れているかは彼しか知らない。
シェーンハイトに刃を向けたとあって、彼は他の囚人とは隔離された場所に押し込まれていた。
少し頭に血が上りすぎていただろうか。
だが、彼は自身の感情が正しいということを確信している。
勝算は無かった。
そのまま戦闘を継続していた場合、最終的には押し負けていたことをヴァンは理解している。
エルベット神教の枢機卿は『穢れの血』を相手取ることを専門としており、技量も経験も深い厄介な相手だ。
「あのクソアマ……ッ」
思い出すと、再び血が煮え滾るような怒りが沸き上がってきた。
如何に強者と言えど、敬愛するリスティルを侮辱されては黙っていられない。
偉大な聖女である彼女を"子供"などと呼ぶのはあってはならないと考えていた。
シェーンハイトの言葉には悪意はなかった。
形容する言葉として最も適切なものが、彼女の中では子供という言葉であっただけ。
そこには揶揄するような意味合いは含まれていないが、リスティルに対しては誰もが等しく跪き敬うべきであると考えるヴァンが相手だったため、結果として交戦することになってしまった。
次の機会があれば喉元を掻き切ってやるのだと闘志を燃やすが、今の彼は武器はおろか、後ろ手に縛られてまともに戦闘を行えない状態だ。
少し熱を冷ますと、今度はグレンのことを思い出す。
第一印象は"無礼者"だった。
リスティルに対し子供を相手にするような態度を取っており、なぜ目を掛けられたのか理解が出来なかった。
傭兵に対しては粗暴なイメージも強かったため、あまり歓迎できない。
しかし、僅かな時間だったが、行動を共にすることで感じ取ってしまった。
彼は異常な程に強いのだと。
並の戦士であれば、一本でさえ振り回すのが困難なほどの得物。
正しく鉄塊と呼ぶべき鋼の大剣。
全長はヴァンの身長と同程度か、少し長いくらいだ。
それを片腕で軽々と持ち上げるのだから、人外の領域に足を踏み入れているといっても過言ではないだろう。
彼は傭兵だが、その本質は別にあるのではないか。
ヴァンはそんな気がしてならない。
一体何を目的として、あのような巨大な鉄塊を振り回しているのだろうか。
早朝鍛錬を妨げた時のことを思い出す。
グレンは挑戦的な笑みを浮かべつつも、どこかヴァンを試すような言動をしていた。
実際に対峙した時、殺気にあてられただけで怯んでしまう程に恐怖を感じてしまった。
――リスティル様が目を掛けたのも頷ける。
悔しいが、ヴァンから見てグレンは格上だ。
状況を整えて搦手を使えば結果は分からないが、真正面から打ち合って勝てるとは思えない。
両腕から放たれる大剣の猛攻。
そんなものを前にして、一体どうやって相手取ればいいのか想像もつかなかった。
無論、この話を本人にするつもりはない。
彼の歪な矜持が、あの粗暴な男を認めたくはないと思っていた。
ヴァンは面倒そうに溜息を吐くと、何ともなしに手を器用に動かす。
すると、彼を拘束していた縄がするりと外れて地面に落ちた。
「さて、僕も仕事をしますかねっと」
立ち上がると、独房の外の様子を窺う。
少なくともすぐに見張りが回ってくることはなさそうだった。
そして、ヴァンの足元から闇が溢れ出す。
徐々に体が闇の中へ沈んでいき、そして視界が切り替わった。
「どうも」
「うおっ!?」
唐突に現れたヴァンに、グレンは驚いたように飛び退く。
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべていた。
「どうしてそんなに驚くんですか? はあー、ショックですねー。せっかく来たっていうのに」
「そういう風には見えねえんだがな……」
先ほどまで監獄内に姿が見えなかったというのに、姿を現すまで気配を感じられなかった。
ヴァンは平然とした様子で彼の横に腰を掛ける。
「リスティル様はお休みのようですね」
「みてえだな。ったく、危機感がねえのか、よほど自信があるのか」
グレンに寄り掛かって寝息を立てていた。
眠っている姿は幼い子どもにしか見えないが、その内に秘めた力は世界に変革を齎すものだ。
崇拝する気にはならないが、彼女が何を成すために旅をしているのか興味があった。
「てめえはどうしてリスティルに付いていくことに決めたんだ?」
「貴方に話すとでも?」
「……だろうな」
少なくとも友好を深めに来たわけではないらしい。
即座に言い返してきたあたり、本心なのだろう。
何か別件で訪ねてきたのは間違いない。
グレンが未来予知に従って動いているように、ヴァンもまた未来予知に従って動いているのだ。
であれば、仕事の話だろう。
「この監獄は異常だ。毎晩、投票で殺される人間が選ばれる」
マズロの姿を思い出す。
彼は何も事情を理解できぬまま運ばれていった。
どれほどの恐怖を抱いて、この世から消えて行くのだろうか。
監獄の番人に連れられて、一体どのような死を遂げるのだろうか。
その恐怖は想像し難い。
「群れた方が身のためってことですね」
「ああ、そうだ。既に囚人たちは徒党を組んでやがる」
煤けた金髪の男――ジェイド。
他の囚人から聞いた情報では、元はどこかの貴族だったらしい。
如何なる罪状で収監されたのかは不明だ。
このマルメラーデ監獄において、徒党を組むことは絶対に必要だろう。
数こそが力であり、明日へと生を繋ぐための唯一の手である。
今日起きた出来事を詳細に説明すると、ヴァンは困ったように顎に手を当てる。
「うーん、そうですね……そのジェイドとかいう無礼者を殺すのは絶対として、どうやってベレツィの村人たちを助けるか……」
ヴァンは殺気立った様子で呟く。
リスティルに対して「従え」と命令したことが許せないのだろう。
監獄に収容された時点で助命の嘆願などは不可能だ。
かといって、強引に脱出しようにも足手纏いが多すぎる。
グレンたちのみならまだしも、ベレツィの村人を連れて逃げ出すことは難しいだろう。
それに、無事に助け出したとしてもそこまでだ。
大勢を連れて旅をするわけにもいかず、放置すればエルベット神教に再び捕らわれてしまう。
現状は手詰まりと言っていいだろう。
「情報を集めるしかないですね。はあ、面倒だなあ」
ベレツィの村人に情は無い。
だが、リスティルが彼ら彼女らを救おうとしている。
それだけで行動するには十分な理由だ。
「僕が裏を探ります。貴方は精々、目立たないようにして投票の対象にされないように」
「ああ、お前も気を付けろよ」
ヴァンの姿が闇の中へと沈んでいく。
これが彼の持つ力なのだろう。
特異な力を持つからこそ、リスティルに選ばれたのだろうか。
そうして夜が明ける。
熟睡とまではいかなかったが、多少は体を休めることが出来た。
グレンは体の調子を確認しつつリスティルに声をかける。
「おい、朝だぞ」
壁に凭れて眠っている。
その姿だけ見れば、確かに聖女と呼ぶに相応しい品が感じられなくもない。
しかし、口を開けば不遜な言葉が飛び出してくることをグレンは知っている。
グレンの勘が正しければ、今日は最も重要な一日となるはずだ。
それは自分たちだけではない。
ベレツィの村人たちを含め、この監獄に捕らわれた囚人たち全員にとって重要な時なのだ。
この監獄において、最も強い力を持っている者はジェイドだ。
彼と彼の下に付く者たちがいる限り、絶対的な力関係は壊すことが出来ない。
ベレツィの村人たちは選択しなければならない。
村長であるマズロを陥れた者に従うか、いずれ投票によって処刑されるか。
一度魔物に従属してしまった彼らの心は酷く脆い。
リスティルは目を覚ますと、両腕を上げて「んっ」と伸びをする。
寝起きだったが、その瞳には不思議と力強さが感じられた。
「さて、グレン。今日はどうするつもりだ?」
「身の振り方を決めねえとな。まあ、答えは大体決まっているわけだが」
グレンは不服そうに言う。
目立つような行動は避けなければならないし、生き延びるには徒党を組む必要もある。
だが第二勢力になってしまっては投票の餌食になるだけで、何の意味も成さない。
「あの男に従うのか」
「村人たちを助けるには時間が必要だ。ヴァンが何か掴むまで、俺たちは投票で選ばれないようにする必要がある」
それを聞いて、リスティルは悩んだように腕を組む。
ジェイドに従う以外の道は無い。
そうでなければ、自分たちが投票の対象に選ばれるだけなのだ。
だが、良い選択肢ではない。
場合によってはベレツィの村人たちと敵対することになるかもしれないのだ。
自分たちの立ち位置は慎重に選ばなければならない。
「先ずは、村人たちの決断を見届けるとしよう。決めるのはその後でも遅くはないはずだ」
そうして、二人は広間の奥へと向かう。