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黒き聖女の黙示録《アポカリュプセ》  作者: 黒肯倫理教団
一章 アーラント教区
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6話 移送

 世に『穢れ』の蔓延する混沌の時代。

 人々は明け方の空を嘆き、宵闇の朱色を恐れていた。


 寝る時間は唯一の安寧だ。

 一度寝転がってしまえば心地よい微睡みに身を委ねることが出来る。

 過酷なこの世界において、誰もが夜明けを望まないのだ。


――穢れ。


 この世界に齎された災厄の種。

 同時に混沌の時代を統べる者の力の根源でもある。


 魔物は以前よりも狂暴になって人間を襲うようになり、家畜も喰い荒らされた。

 穢れの影響を大きく受けた魔物は変質し、並みの戦士では歯が立たない。

 そういった魔物を狩る者たちは『英雄』と讃えられた。


 この時代の空を翳らせる暗雲――穢れの血。

 人々から畏怖されし半人半魔の存在。

 穢れの影響を大きく受けた人間は、特異な進化を遂げて力を振るう。


 ある者は穢れを受け入れて魔物へと堕ちた。

 ある者は穢れを利用して地位を得た。

 そしてある者は、穢れに蝕まれつつも『英雄』として生きることを望んだ。


 希望とは儚いものだ。

 誰しもが抱き、そして縋り付く物。

 その果てに崩れ去るのだと知ったならば、誰もが奈落へと突き落とされた心地になるだろう。


 この世は『穢れ』に満ちている。


 幼子も、老人も。

 戦士も、商人も、貴族も。

 力を持つ者も、持たざる者も。

 誰もが等しく残酷な運命に晒される可能性があるのだ。


 誰がこんな世界を望んだのだろうか。

 あまりにも惨い。

 かつての輝きを失った世界。


 最後に残された光は『英雄』を求めている。



   ◆◇◆◇◆



 馬車に揺られ、一行はアーラント教区中央部に位置する教会へと向かっていた。

 もちろん、彼らが望んでそうしているわけではない。

 縄にかけられてエルベット神教の騎士たちに連行されている最中だ。


「クソッ、窮屈で仕方ねえな」


 グレンは苛立ったように左右の肩を交互に動かす。

 後ろ手に縛られたまま何時間も移動しなければならないのだ。

 既に四半日は経過している。


 この状況においてもリスティルは笑みを絶やさない。

 自身も後ろ手に縛られているというのに、その表情には余裕の色が窺える。


「お前は疲れてねえんだな」

「グレンと違って体が柔軟だからな。多少窮屈だが、問題ないさ」


 自然な様子で寛いでいるのだから、その言葉に偽りは無いだろう。

 大したものだと呆れつつ、グレンは辺りを見回す。


 大きな荷車に詰め込まれたベレツィの村人たちは誰もが絶望しきっていた。

 異端審問は担当する司祭の裁量によるが、そのほとんどが火刑にかけられるか奴隷身分へ落されてしまう。

 罪無き人々でさえそうなのだから、仕方が無いとはいえ、魔物に従属していたという事実がある村人たちはただでは済まないだろう。


 頭の固い司祭たちは何よりも教義を重んじる。

 人間らしい情も、彼らが大切に抱える紙切れに記された大層な言葉を前にすれば意味を成さない。


 拘束を強引に破ることは不可能ではない。

 そうして暴れれば何人かの村人を助けられるだろうが、全員を助けることは出来ないだろう。

 出来る限り多くの村人を救うには恩情を乞うしかないのだ。


 今の世界に『穢れ』の影響を受けた魔物を狩れる戦士は少ない。

 グレンのような傭兵を無碍に扱うことは出来ないはずだ。

 理を説いて通じる相手かは分からないが、試してみるしかないだろう。


「……だが、少し見直したぞ。私はてっきり、あの場で見捨てるんじゃないかと思っていた」


 リスティルは満足げに言う。

 その選択が間違いでなかったことは、彼女の言葉を以て証明された。


 一度、グレンは見捨てるべきだと考えた。

 それが傭兵としての彼の最適解であり、実際に行動に移そうとも考えていた。


 だが、リスティルの存在がそれを許さなかった。

 葛藤するグレンを他所に、彼女は堂々とした態度でシェーンハイトと対峙して見せたのだ。

 自身には戦う術すらないというのに。


 その姿を見せられてしまっては、グレンとしても引くことが出来なかった。

 一度手を差し伸べた相手を見捨てるなど言語道断。

 最後までやり遂げてこそ優れた傭兵だろうと自身を鼓舞させて、再びベレツィの村人たちに手を差し伸べた。


「俺は傭兵だ。お前たちの護衛を任された以上、途中で放棄するような真似はしねえよ」


 彼は既にリスティルを信頼していた。

 モルデナッフェの討伐を終えた後に見た光景。

 彼女は稚拙な未来予知と言っていたが、グレンからすれば奇跡を目の当たりにしたようなものだ。

 ヴァンが聖女だと崇めるのも無理もないと感じていた。


 時代が違えば、きっとエルベット神教のように栄えた宗教となっていたかもしれない。

 或いは、その幕開けを目の当たりにしているのだろうか。


「どちらにせよ、先ずは今の状況をどうにかしねえとな」


 下手を打てば自分が処刑されてしまう。

 エルベット神教に楯突いたとあれば、邪教徒として火刑にかけられることもあるのだ。

 村人たちを救うことと同時に、自身の身も守らなければならない。


 リスティルが見たものはあくまで可能性の一端。

 断片的なものでしかなく、確実に成功へと導くほどの代物ではない。


 それ故に、彼女の手足となるグレンの手腕が問われる。

 戦闘面においては役立てると自負しているが、今回のような状況は経験したこともないため、どのように行動するべきかは未だに定まらない。


「あとは……ヴァンの奴がどうするかだな」


 この馬車にヴァンはいない。

 シェーンハイトに刃を向けたことで危険人物と判断されたのだろう。

 彼は他の馬車で一人、鉄の檻に収容されて運ばれている。


「別の場所に移送される……なんてことはねえよな?」

「大丈夫だ。今のところ、私の知る未来を正確に辿っている」


 ヴァンだけ別の場所に収容されるようなことがあれば、面倒が増えることになってしまう。

 未来予知が完全なものではないことを考えると、その場で臨機応変に対応しなければならないだろう。


 リスティルはそう言ったきり、壁に寄りかかって眠り始めてしまった。

 暢気なものだとため息を吐く。


「あの、グレンさん」


 声をかけてきたのはクラウスの娘のユリィだ。

 彼女は縄で縛られているまま這うように移動をして、グレンの横に座る。


「どうかしたか?」

「いえ……その、巻き込んでしまったことを怒っていないかと……」


 彼女から見れば、グレンたちを村の事情に巻き込んでしまった形となってしまうのだろう。

 不安そうに見つめてくるユリィに、グレンは首を振る。


「善意でモルデナッフェを討伐したわけじゃねえ。まだ俺もいまいちピンと来てねえんだが……まあ、今こうして大人しくしているのも事情があるってことだ」


 リスティルの思惑は未だ不明だ。

 彼女は一体、未来予知によって何を成すのだろうか。

 聖女と名乗るだけの器であることは分かるが、その先に見据えるものは聞かされていない。


 その目的もこの後に分かるのだろう。

 未来予知通りに行動をしていけば、リスティルの望む結末へとたどり着くことが出来る。


「今は自分の心配だけしてりゃいい。俺のことは気にすんな」

「そう、ですか……」


 ユリィは困ったように笑みを浮かべた。

 優しい子だ、とグレンは感心する。


(……ダメだ。こいつを見ていると、どうにもシェリーを思い出しちまう)


 グレンの妹の名だ。

 心優しい少女で、病弱なためベッドで寝てばかりいた。

 たまに体調が良い日には、シェリーを背負って花畑に連れて行ったりもしていた。


 だが、彼女はもういない。

 故郷が魔物に襲撃されたときに命を落としてしまったのだ。


 その光景を思い出す度、グレンは己の無力さを恨む。

 魔物に腸を貪られる妹の姿が頭から離れない。

 何故だかその場には、残虐な笑みを浮かべた長身の男の影があるのだ。


 凶悪な魔物を故郷に仕向けた男。

 涙で滲んで記憶は曖昧だが、特徴的な嗤い声だけは耳にこびり付いている。

 しかし、実際に目の当たりにすれば必ず思い出す確信があるくらい強い憎悪を抱いていた。


 グレンが力を求める理由は、その男を殺すことにあった。


 手掛かりは一つも無い。

 どれだけ各地を巡り歩き、多くの依頼をこなしても僅かな痕跡さえ見つからなかった。


 だが、今は違う。

 リスティルの言葉を信じるのであれば、自分はその男の手掛かりを得られるかもしれない。


 そこまで考えて、ユリィが不安そうな表情をしていることに気付く。


「……どうした?」

「いえ、その、お顔が少し怖かったので」


 無意識に殺気立っていたようだった。

 他の村人たちもどこか緊張した面持ちで彼のことを見つめていた。


 グレンは申し訳なさそうに頭を掻くと、ゆっくりと深呼吸をして心を落ち着かせる。


「悪いな。ちょっと考え事をしていただけだ」


 殺気を鎮めると、皆が安心したように息を吐いた。

 一流の傭兵の殺気に充てられていたのだから仕方のないことだろう。


 それから少しして、馬車が止まった。



   ◆◇◆◇◆



 一行を乗せた馬車は教会へと向かう最中だった。

 もうじき中央部への関所へと到着するといった頃合いだったが、前方を遮るように馬車が止まっているのが見えた。


 シェーンハイトの視界に白い法衣を身に纏った集団が映る。

 エルベット神教の司祭たちのようだった。

 先頭に仰々しい法衣を纏った老人を見つける。

 その姿を見て、シェーンハイトは馬車を停止させるように部下に命じた。


 馬車から降りると、老人に歩み寄って声をかける。


「これはグレゴール大司教。なぜこのような場所にいるのですか?」

「いえ、猊下が異教徒捕縛の任に向かったと聞いたので。用があって待っていたのですよ」


 グレゴールは舌なめずりをしながら後ろの馬車に視線を向けた。

 その荷車にはベレツィの村人たちが押し込まれている。


「最近マルメラーデ監獄に空きができましてねえ。中央の教会も忙しいようですから、ちょっとばかり異教徒の処罰を引き受けようかと思いまして」

「しかし、彼らは異端審問にかけなければならないのでは……?」


 正式には、異端審問を経て処罰が決定される。

 その過程を飛ばすようなことは、本来であればあり得ないことだ。


 シェーンハイトは訝しげに彼を見詰める。

 どのような意図があって待ち伏せていたのか。

 裏で何かを考えているようだったが、それを強引に問い詰めるわけにもいかない。


「それもそうですねえ。して、彼らの罪状は?」

「生きながらえるために魔物への従属を選びました。これは、教義に反することです」

「なるほど……であれば問題ないでしょう。猊下もよろしいですね?」


 どこか急かすようなグレゴールの物言いに、シェーンハイトは不服そうに頷く。

 本来は枢機卿である彼女の方が地位は高い。

 しかしアーラント教区東部はグレゴールの統治下にあり、領内での処罰は彼の裁量によって決定する。


 権力を振りかざせばグレゴールの行いを止めることも不可能ではない。

 だが、エルベット神教の重鎮であるグレゴール大司教を相手に事を荒立てるのは賢い選択ではないだろう。

 普段の彼は敬虔な信徒であり、背信を疑われるような人物ではない。


 シェーンハイトは彼の提案を仕方なく受け入れる。

 そして、もう一方の移送者に関して尋ねた。


「……それとは別に、怪しい身なりの者たちを捕らえました。聖女を自称する少女と、その信奉者です」

「ふむ、その者たちも邪教徒のようですねえ。であれば、一緒で構わないでしょう」


 異端審問にかけるどころか、詳細な罪状にさえ興味が無い様子だ。

 とにかく自分の管理する監獄へと移送したいらしかった。

 グレゴールは嬉々とした様子で自分の部下の方へと振り返る。


「邪教徒たちを移送しなさい。己の罪を強く後悔させるのです」


 その時の邪悪に歪んだ顔は、シェーンハイトには見えなかった。

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