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黒き聖女の黙示録《アポカリュプセ》  作者: 黒肯倫理教団
三章 殉教者カルネ

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51話 動乱(2)

 城下は勝利と圧政からの解放に沸いていた。

 絶望に取り巻かれた混沌の時代。

 そこに遥か昔の逸話より甦った英傑が、帝国のために奇跡を齎したのだ。


 苦痛を多く知るものほど歓喜した。

 神に捨てられたわけではない。

 この世界にも、まだ希望を持つことができるのだと。


 極端な搾取によって成り立っていた貴族院は一夜にして壊滅。

 祖国を愛する者だけが生き残り、そして彼らを率いる者は類稀なる才覚を持つ英傑――『死剣』ラースヴァルド・トーデス・グラディア。


 その彼の前に、自信に満ちた笑みを浮かべる少女がいた。


『……貴殿が、この者達の?』

「そうだ」


 煌びやかな金色の長髪と紫水晶のような瞳が特徴的な少女。

 黒と金を基調とした法衣を身に纏っており、聖職者のように見えるがエルベット神教とは相反する教理を感じさせる外見だった。


 一切の迷い無く、不遜にも腕組みをしながら佇んでいる。

 帝国の新たな皇帝を前にするには相応しくない態度だったが――。


『腑に落ちた。容姿こそ幼いが、其の身に纏う気配は此の時代に似つかわしくない。貴殿は――』

「"聖女"リスティル・ミスティックだ。好きに呼ぶといい」


 片や不死に身を堕とした骸骨騎士。

 小柄な少女が対峙するには体躯の差があるように見えたが、その堂々とした佇まいを見ていると、その威勢に呑まれてしまうような感覚があった。


『……自罰的な名乗りだ。しかし、貴殿の意思を尊重しよう』


 ラースヴァルドは既に警戒を解いている。

 その様子が不思議でならなかったが、グレンは態々問うまではしない。


『聖女リスティル。昏い混濁の中から、我が記憶を呼び起こしたことに礼を言おう』

「いや、その必要は無い。こちらの都合で動いたまでだ」


 それが最善なのだと未来予知が告げていたのだ。

 数多存在する可能性の中で、最も良い結末を齎すにはラースヴァルドの手助けが不可欠なのだと。


「戦争を止めるには将軍の力が必要不可欠だ。卿も分かっていると思うが……」

『聖女カルネの企みを阻むのであろう?』

「その通りだ。帝国とエルベットの武力衝突は最悪の結果を招いてしまう」


 先を語らずとも、二人は齎される最悪の結末を分かっていた。

 だが、その内容まで想像の付かないグレンが口を挟む。


「待て、待て。蚊帳の外にするのはナシだぜ」

「ふむ、そうだな。端的に説明するのであれば、あやつ……カルネは現世と深界とを繋ぐ"門"を抉じ開けようとしている」


 その言葉を聞いてグレンは戦慄く。

 想起されるのは、聖者の墓標に現れた深界の魔物――徘徊する怨嗟シュライエン・ゲシュペンスト


「深界の魔物が溢れ出し……それだけでなく、現世に対して枢軸から直接的な干渉も可能となる」

「そんなことが可能なのかよ」

「カルネが使徒に選定された理由がそれだ。彼女が得意とする儀式方陣には、魂を代償として空間に作用させるものもある」

『それ故に、こうして戦争を引き起こす必要があったのだろう』


 だが……と、ラースヴァルドは続ける。


『教皇の行動が解せぬ。何故、その企みを持つ聖女カルネを野放しにするのか』

「残念だが、私の稚拙な未来予知ではそこまで見通すことができない。干渉を拒まれるほどの何かがあるのだろうが……」

『貴殿の眼は全てを見通せるわけではないのか?』


 その問いにリスティルは首を振る。


「今後起きるであろう事象……その可能性の一端を覗き見ることが出来る。世界全ての事象を予見するような奇跡までは、私にはない」


 故に稚拙な未来予知なのだ、とリスティルは嘆息する。

 ラースヴァルドは納得のいった様子で頷く。


『深界の魔物が溢れ出すとなれば、一帯は魔境と化してしまう』

「そして、魔境を中心に大地はさらに死に絶えていく。阻止せねば滅亡までの猶予が大幅に減ってしまうだろうな」


 だからこそ、カルネの企みを何としてでも阻む必要がある。

 たとえ命を奪うことになったとしても。


「私は全ての穢れを深界に奉還することを目的としている。将軍もエルベット神教に恨みはあるだろうが、既に世界には人間同士の諍いを抱える余裕はない」

『不浄の力を身に宿した従者を引き連れていることも、その使命とやらのため……ということか』


 ラースヴァルドはヴァンに視線を向ける。

 理性を蝕む邪悪な力だが、それを宿しているはずのヴァンは主を護るよう常に気を張っているのが窺える。


「かの『殉教者』を止めるため、その力を借りたい」

『帝国の騎士は恩義に報いるものだ。聖女カルネを討つというのであれば、我としても協力を拒む理由は無い』


 助力しよう――と、ラースヴァルドが頷く。

 これで十分な戦力が確保された。


『だが、此度は数多の悪意が蠢いている。不完全な未来予知で、貴殿はどこまで見通せる?』

「間隔も狭く、干渉を受け付けない事象も多い。こうして定期的に見る必要がある――」


 そう言って、リスティルが懐から魔石のようなものを取り出す。

 不吉な気配に取り巻かれたそれを見て、穢れを内包していると一目で見て取れた。


「おい、そいつは一体どうしたんだ?」

「穢れによって変異した魔物の核だ。グレンが将軍と同行している間、私たちはこれを確保するために動いていた。これを使って――」


 指先に力を込めると魔石は簡単に砕け、中から穢れが溢れ出る。

 それを用いて、この場で未来予知を始めるのだ。


「不十分な量だが、結末を見届けるには……」


 瞑目し、淡い光を帯びたリスティルが未来を詠む。

 通常であれば、時間をかけて様々な事象を眺めていくのだが、


「……ッ!」


 今回は即座に意識が覚醒する。

 その顔に浮かぶ激しい焦燥に、不穏な気配を感じずにはいられない。


「……あまりにも儀式方陣の運命力が強すぎる。この先に起きるであろう事象の大半が、私の未来予知を拒絶しているようだ」

『貴殿の力でも見えぬと?』

「私の未来予知は不完全なものだ。枢軸の加護を受けた使徒が相手では、覆し難い力の差があるということか」


 リスティルは悔しそうに歯軋りする。

 だが、全ての事象を観測できなかったわけではない。


「……戦争は回避できない。数多の死体が見えた」

「クソ、どうにもならねえのかよ」


 グレンは苛立ちを露にする。

 こうしてラースヴァルドが正気を取り戻しているのだから、戦争を仕掛けるのはエルベット神教側に他ならない。


 と、その時――。


「……シェーンハイトから連絡だ」


 渡された指輪型の魔道具が明滅してそれを知らせてきた。

 起動させると、すぐに緊迫した声が届く。


『緊急の用件です。そちらは帝国上層部と繋がりを得られましたか?』

「ちょうど将軍様と話してたところだ。戦争回避に協力してもらえるらしい」

『その事なのですが――』


 シェーンハイトは僅かに躊躇うような沈黙を見せるが、すぐに続ける。


『――猊下指揮の下に、聖地ヘレネケーゼ占有のため行軍が開始されました』

「ッ……マジかよ」


 こちらの動きを見透かしたかのように、戦争を招くような挑発行為を行っている。

 聖域加護を失う危険に目を瞑ることは不可能だ。

 戦争を避けようにも、ガルディア帝国側としては凶行を黙って見過ごすわけにもいかない。


『枢機卿代行エルヴィス・ヘズ・ハイラント主導で聖騎士百名、騎士二千名……そして、私とアルピナ卿が第三教区の道中で合流する予定となっています』


 衰弱しきった現世で行うような規模の戦争ではない。

 帝国に生きる全ての民が決起したとして、エルベット神教の戦力には遠く及ばないだろう。


「ふむ……武力衝突によって壊滅するか、聖域加護を失って滅びるかの違いということか」

「始めから死の選択肢しか与えられていない……本当に、呆れるほどに敬虔な信徒たちですねえ」


 ヴァンは肩を竦める。

 盲目な信仰によって誰も行動の善悪を疑っていないのだ。


 唯一、その事に疑念を抱くシェーンハイトもいるが、上位の権限を与えられているカルネには逆らうことが出来ない。

 信仰と疑心の間で揺らぎつつ、この情報を吐き出すのがやっとの状態だ。


『……申し訳ありません。私の力不足です』

「謝ることはねえよ。そんなことより、今はどう対処すべきかを考えるべきだ」


 グレンはラースヴァルドに視線を向ける。

 黙して帝国の取るべき選択肢を考えていたが、少しして口を開く。


『我は戦場にて、聖女カルネに一騎打ちを要求する。その他の被害は最小限に抑えるべきだが……止む終えぬ場合は、帝国の剣として力を振るわざるを得ない』


 その言葉に、リスティルも頷く。


「私たちも同行しよう。危険な企みを実行させるわけにはいかない」

『未来に何を見た、聖女リスティルよ』

「二度目の大災禍……悪意に取り巻かれた死の大地だ。その過程にあやつが強く関わっている」


 枢軸によって干渉を拒まれているために、カルネが関わっている箇所は未来予知で見ることが難しい。

 だが、この先に極めて悍ましい結末が待ち構えていることだけは理解できた。


『聖地まで三日ほど要するでしょう。どうか、その間に……』


 最大限の備えを……と、シェーンハイトは苦しそうな声で呟く。


 こうして情報を流していること自体が、献身してきたエルベット神教に対する裏切り行為だ。

 心が押し潰されてしまいそうなほどの痛みを感じてしまう。


 教義か道理か、善も悪も、敵も味方も全てが曖昧で分からなくなっていた。

 この侵攻から逃げたいとさえ思ってしまうほどに。

 だが、枢機卿という重い肩書きが彼女にそれを赦さない。


 重責と葛藤。

 盲目的な信仰が失われた時、視界に鮮明に映る血塗られた道。

 中途半端な心境で、こうして覚悟を決められずにいる。


「分かった。お前も、あまり無茶はするんじゃねえぞ」

『……はい』


 そして、シェーンハイトとの通信が途切れる。

 向こう側の対応は全て任せざるを得ないが、枢機卿である彼女が"聖地争奪のために戦争をすべきではない"と言い出せるはずもない。


 グレンはどうしたものかと思案しつつ、リスティルに視線を向ける。


「俺たちよりカルネのが上手うわてってことか?」

「否定はせん。あやつは枢軸の力を身に宿して、直接の支援を受けられる」


 一個人の力で対峙すべき相手ではない。

 リスティルの未来予知でさえ、カルネの動向を把握することは出来ない。


「使徒が絡むとなれば、私に出来ることは断片からの推測のみ……『殉教者』カルネの動きを読めなかったというわけだ」


 未来予知の焦点を合わせられないのだ。

 周辺で起きた事象さえぼやけてしまうため、得られる情報は限られてしまう。


「全てが想定外ってワケじゃねえ。少なくとも、帝国はまともになったんだ」


 記憶の混濁を抱えたままラースヴァルドが戦場に赴けば、それこそ取り返しの付かない事態に陥っていたことだろう。

 まだ終わったわけじゃない……と、グレンは息巻く。


「要は一騎打ちの邪魔をする奴らを足止めすりゃいいんだろ? 竦んで動けねえくらいに力を見せてやる」


 戦場となれば、大陸各地を渡り歩いてきたグレンの専門分野だ。

 エルベット側の進軍を抑え込む自信があった。


 だが、先の運命を覆すことは不可能に近い。

 様々な困難が襲い来ることを未来予知で知ってしまった。


「不幸なことに、確定された事象はもう一つある。グレン――」


 そう言って、リスティルは深刻な顔をして未来を告げた。

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