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黒き聖女の黙示録《アポカリュプセ》  作者: 黒肯倫理教団
三章 殉教者カルネ

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48話 拍動(1)

 どこか冷たい印象を受ける、鈍色の石材で築かれた城内。

 城全体を補強するように術式が刻まれているらしく、触れてみれば微かに魔力の流れを感じられた。


「大層な城だ」


 グレンは投げやりに称賛する。

 強固な城壁だけでなく、皇帝の居住まいさえこの有り様だ。


 何を畏れてここまで守りを固めているのか。

 或いは、戦いを望んで来るべき日に備えているのか。


――ガルディア帝国将軍補佐自由官。


 それは、彼の技量に惚れ込んだラースヴァルドによって与えられた肩書きだ。

 自由と名に付く通り、行動を縛る面倒な規範などは無い。

 将軍補佐という役割を全うするためなら大半の面倒事は回避出来るのだ。


 とはいえ、皇帝の言葉まで無視するわけにはいかない。

 当然ながら身分が上の者には逆らえない。


「――上手く取り入ったようですねえ」


 柱の影からヴァンが姿を見せる。

 リスティルから任された仕事を終えたらしく、嫌な笑みを浮かべながら書物を取り出す。


「そいつは?」

「歴史書ですよ。過去の大戦について詳細に記された……ですが、閲覧権限は極めて狭いようで」


 きっと面白いことが書いてあるんでしょうねえ――と、ヴァンは嗤う。

 この書物一冊で今後の展開を揺さぶることが可能なのだと、彼は既に知らされている。


「ま、とりあえずこれに目を通しておいてください。僕はこれにて」


 スッと柱の影に入り込んで消え去る。

 策を明かさない辺りもリスティルの指示なのだろう。


 全貌を知らされたとして、演技が出来るような性格ではない。

 自然に動けるようにした方が都合良く回るようだ。


「チッ……頭を使えってことか?」


 戦争を回避する、或いは別の手段を用いて最悪の展開だけは避ける。

 道筋が示されていないということは、グレンは手繰られるままに動くしかない。



   ◆◇◆◇◆



――第三教区アシュトレル、メンターレア西部。


 へレネケーゼに最も近い地域に多くの騎士が集っていた。

 この場の指揮を任されたエルヴィスは、戦いの時を心から待ち侘びている。


「……っと、これはゲオルグ猊下。お久しぶりです」


 視察に来たらしい老齢の神父――枢機卿ゲオルグが、進捗状況を確認しつつ頷く。


「ガルディア帝国を討つと耳にしましてな。聖十字卓議会カルディナール・フィーアに名を連ねる枢機卿の一人として、この大事に駆け付けぬわけには……と」


 見え透いた嘘も、妄執に取り憑かれたような状態のエルヴィスには暴かれない。

 言葉通りに受け取るだけだ。


 ゲオルグとラインハルトは、そもそもへレネケーゼ争奪戦争に懐疑的だ。

 強い勢力同士がぶつかり合うことは得策ではない。


 エルベット神教は無数の聖地を保有しているからこそ穢れを退けていられるのだ。

 それ自体は事実であって、へレネケーゼは中でも別格の効力を持っている。


 ラースヴァルド将軍――その身に"不死"と"穢れ"という二つの禁忌を身に宿した猛将。

 大義名分を立てるにしても、二人が納得出来る範囲は彼の殺害のみに留まる。


 教皇も本来であれば無為な消耗は望んでいないはずだ。

 災禍を退ける聖騎士たちを、人間同士の領土争いで失うのは本来の目的に合致しない。


 常に慎重な姿勢でいて、こういった愚行を進めるような人間ではない……と、ゲオルグは確信している。


「猊下……カルネ様とアルピナ卿、お二人の信念あってこその現状なのでしょう」


 そして、シェーンハイトは影すら見かけない。

 何らかの思惑に呑まれたか。

 この大海の如き戦乱の流れを阻める者など存在しないだろう。


 彼女の補佐官であるエルヴィスが、枢機卿の持つ全権を一時的に譲渡されている。

 その方が"都合が良い"のだろう。


「……ッ」


 不意に、腹の中を鷲掴みにされるような気味の悪さを感じ取る。

 不吉な予兆――ではなく、転移による空間の歪み。


「――順調に進んでいるようですね」


 顕れたのは、息を呑むほどに"真っ白な気配"を帯びた女性。

 一切の不浄を感じさせない立ち姿は、逸話で聞くよりも遥かに神秘的だ。


 その誇張され過ぎた"聖女"を見て、ゲオルグは全てを理解する。

 偽りに惑わされるようであれば神父など務まらない。


 皆が熱狂するのも当然だ。

 絵に描いたような希望をそのまま顕現させたのだ。

 清廉な人間がいないわけではないが、カルネは魂そのものを白く塗り潰されている。


 後方にはシェーンハイトが控えているも顔色は優れない。

 補佐官として付き添い、何を見てきたのか。


 そんな彼女を横目に、エルヴィスはカルネの来訪を迎える。


「猊下の指示通り、竜種の核を六つ用意しております。丁度、所定の位置へ移送を始めるところです」

「素晴らしい手腕ですね」


 魔核――魔力を蓄える臓器とされる部位だ。

 血肉ではなく結晶のようなもので、紅い菱形をしている。


 とはいえ、それも遥か昔の呼称だ。

 この時代では魔力を帯びた鉱石等と一絡げに"魔石"と呼ばれる。


「……カルネ卿。竜種の核を何にお使いに?」


 ゲオルグが言葉を挟む。

 荷車に積み重ねられている巨大な魔石は、全てエルベット神教の宝物庫に安置されていたはずだ。


 その出力は語るまでもない。


「貴方は……枢機卿の」

「ゲオルグ・ロイエ・ア・ポステルと申します。かの名高き聖女様にご拝謁でき、至極光栄に存じます」


 拳を掌とを胸元で突き合わせ、一礼する。


「これは儀式方陣に用いるのです。戦場となる聖地を保護するために、守りの加護を展開しなければなりません」


――儀式方陣。


 歴史書では当時多くの儀式方陣が存在したとされている。

 だが、大災禍によって大半は術式が失われ『遺失魔術アルタートゥーム・マギ』と呼ばれるようになっている。


 カルネは魔道の探求者としても有名だ。

 聖地争奪戦争においては、その叡知を用いて兵たちを導いていた。


「現代のエルベットには儀式方陣の使い手が居りませぬ故……カルネ卿の御力は、信徒たちの強い希望となりましょう」

「ええ。闇を照らす灯火のように、皆様の安寧を心から願っております」


 一切の影が無い。

 武人であるゲオルグには、そこにどのような支配が及んでいるのか見破ることは出来ない。

 だが、何らかの形で干渉されていることは確信が持てた。


「戦時には、序列一位……『剣聖』ラインハルト卿と共に参りましょう」

「それは頼もしいですね。活躍に期待しております」


 溢れ出る聖気に呑まれる前に、ゲオルグはその場を後にする。

 佇んでいるだけで大半の人間は心酔してしまうほどだ。

 加護というよりは呪いに近い。


 立ち去ろうとした時に、背中にか細い声を掛けられる。


「ゲオルグ卿……少し、お時間をいただけますか?」


 シェーンハイトが尋ねる。

 様子を見るに、仕事の話というわけではないらしい。


「構いませぬが……そうですなぁ、どこか腰掛けて休める場所であれば」


 腰の辺りをさすって、周囲を見回す。

 体を鍛えているとはいえ、年齢には敵わない……と、最もらしい理由を付ける。


 この場にはカルネとエルヴィスがいる。

 心中を深掘りするには難しい。


「カルネ卿。シェーンハイト卿をお借りしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、構いませんよ」


 微笑んでいるが、その瞳は妖しく光っている。

 用件は手早く済ませた方が良いだろう。


 二人から少し離れた場所で、かつ怪しまれない程度の距離を取る。

 荷置きの木箱に腰掛けて一息。


「シェーンハイト卿。随分と顔色が優れない御様子ですが」

「……そう見えますか?」


 透き通った白い肌が、蒼白く弱々しい色になっている。

 目元にも隈があり立ち振舞いにも普段の凛々しさが欠けている。


 シェーンハイトを知る者なら一目見て分かるほどだ。

 精神的に参っているのは間違いない。


「今は枢機卿の身ですが……元は神父ですからな。抱えた苦悩があるならば、私に打ち明けてみるのも一つの手ではありませぬかな?」

「ゲオルグ卿……」


 安堵の色が窺える。

 悩みを相談できるような相手が身近にいなかったのだろう。

 もしくは、親しすぎて打ち明けられずにいたのか。


「猊下……カルネ卿の言葉が、常に私を苛んでいるんです。まるで魂に揺さぶりを掛けてくるように」

「ふむ……」


 行動を共にして様々な物を見聞きしてきた。

 その度に、枢機卿シェーンハイト・ヴァレンティという実像に靄が掛かる。


「私が何を望んで剣を手に取ったのか……分からなくなってしまったんです」

「迷っている、ということなのでしょうな」


 ゲオルグから見て、彼女は生き急いでいるように見えていた。

 積み重ねた功績は数知れず。

 多くの邪教徒を討ってきた道筋は、血肉に彩られた凄惨なものになっている。


 己の行いに疑問を抱いてしまったのだろう。

 冷徹な枢機卿として知られるシェーンハイトには、同様の志を持った者たちが部下として集っていた。

 補佐官を務めるエルヴィスもその内の一人でしかない。


「常人であれば誰もが一度は道半ばで立ち止まり、熟考せねばと自問自答する時期に入るのです。打ち明けられずにいたのは、さぞ苦しかったことでしょう」


 今回の戦争について、シェーンハイトは明らかに賛同側には立っていない。

 でなければ権限を補佐官に譲渡するようなことは有り得ない。


 ふと、ゲオルグは疑問を抱く。

 譲渡せざるを得ない状況に身を置くとしても、カルネはなぜ補佐官として連れ回すことにしたのか。


「カルネ卿を畏れているのではありませぬかな?」

「――ッ!?」


 そんなまさか、といった様子で首を振る。

 だが、ゲオルグは自身の経験から確信を持って話を進める。


「猊下はあまりにも澄み切った存在。対比してしまうことで、自身の心に潜む闇が浮き上がってしまっているのでしょう」

「私の心に、闇が……?」


――何処に巣食っている?


 シェーンハイトは胸元に手を当て、苦しそうに呼吸をする。

 思い当たらない節が無いわけではない。


 剣戟さえ鈍っている。

 信念が、思うような刀身に乗らない。

 思考の停滞はいつまでも、迷い続けるしかない哀れな子羊。


「……まさか」


 シュラン・ゲーテ――邪悪な魔道の探求者『六芒魔典ヘクサグラム』の一人。

 彼と邂逅した時点で既に予兆はあった。


 途端に背筋を寒気が襲う。

 あってはならない凶念に駆られ、それを深呼吸でゆっくりと鎮めていく。


「うーむ……随分と御加減が悪いようですな」


 ゲオルグから見えるのは"苦悩"まで。

 魂そのものまで覗くことが出来るなら、一つの解を示せたかもしれない。


「シェーンハイト卿。貴女は聖地争奪戦争に反対している……と、そのような理解で宜しいですかな?」

「いえ、反対とまでは……しかし……」


 血を流すほどの意義を見出だせない。

 これまでの彼女であれば、聖域加護を不当に受けていると見做して帝国を討とうとしたはずだ。


 だというのに、今の彼女は。

 腰に帯びた細剣の柄に、手を添えることさえ躊躇してしまう。


「……私には、そうまでする意義を見出だせません」


 過度な邪教徒弾圧を推進してきたはずのシェーンハイトが、何を切っ掛けにしてか穏健派に心変わりしている。

 ゲオルグとしてはその方が話しやすくもある。


「それに関しては、私も同じ考えですな。過去はともかくとして……帝国との和平及び軍事提携こそ、今の時代に最も必要なもの」

「ですが、聖下の御意志を捻じ曲げるわけにも……」


 教皇テオは開戦を承認した。

 その事実だけで、全ての信徒は剣を持つ大義を得る。


「カルネ卿の掲げる"過去の清算"とは、禍根を断つための血塗られた争いでした。この混沌の時代に……ッ」

「ふむ……?」


 その様子を見てゲオルグは首を傾げる。

 らしくもない怒気が感じられる。

 険しい目付きも、固く握られた拳も、世評における彼女とは似ても似つかない。


「私は、この剣をッ――」


 心配するような視線に気付いたのか、シェーンハイトは慌てて深呼吸をする。

 脈拍が落ち着くまでに随分と時間が掛かりそうで、平然を装って取り繕う。


「……見苦しいところを見せてしまいました」

「構いませぬ。シェーンハイト卿にも、それだけ堪えてきたものがあるのでしょう」


 それだけではない……と、ゲオルグは推察する。

 この予兆に、枢機卿として長く任務に当たってきた彼が気付かないはずがない。


 だが、発するべき言葉を無理矢理に飲み込む。

 幾度も仕事を共にしてきた間柄だ。

 憔悴しきっている状態に、追い討ちを掛けるような真似はできなかった。

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