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黒き聖女の黙示録《アポカリュプセ》  作者: 黒肯倫理教団
三章 殉教者カルネ

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44話 枢機卿の苦悩

 ル・レクシスの街は土地柄、どうにも堅苦しい場所が多い。

 聖者の墓標を中央に据えて栄えているため、あまり豪勢な食事は品がないとして好まれていなかった。


 そんな状況では、当然ながら不満を抱く者も少数ながら存在していた。

 近辺はヘレネケーゼの庇護下にあるとはいえ、魔物の被害が全く無いと言うわけではない。

 日々鍛練に勤しんで、非常時には剣を振るって奮闘するような兵士たちには、聖職者たちが口にする味気無いサラダやスープでは不十分だろう。


「着きました」


 シェーンハイトは足を止めると、目の前にある店を見上げる。

 看板には『白波亭』と記されており、この街には似つかわしくない粗暴な雰囲気を感じさせる。


 だがそれも外観だけで、いざ入店してみれば内装はやけに小綺麗だった。

 第三教区の治安の良さがあってこそなのだろう。


 グレンは背負った大剣を降ろし、適当な席に着く。

 席の一つを取っても、やはり荒れ果てた地域と比べて作りが丁寧だ。

 椅子代わりの木箱や丸太を乱雑に置いたような、外区の酒場とは質が異なる。


「酒場と言うには堅苦しいかもしれませんが……兵士たちからの評判はとても良いみたいです」

「こんな街だからな……ってのは、あんまり言うべきじゃねえか」


 薄味の豆や野菜ばかりでは、さすがに嫌気が差してしまう。

 シェーンハイトには気に障る発言かもしれないと顔色を窺うが、どうやら彼女も同感らしい。


「私も剣を振るう身です。各地でもてなしを受ける際も……正直、物足りないものばかりで」


 闘争本能を滾らせて剣を振るう。

 獣にも引けを取らぬ気迫を、草食動物のような食生活で維持できるはずもない。


「……枢機卿って立場も、思っていたより面倒そうだな」


 他人の信仰にまでケチをつける気はないが、それでもエルベット神教は窮屈に見えてしまう。

 高位の聖職者ほど模範的に、制約に縛られた生活を強いられるのかもしれない。


 食欲に誘われるがままに注文を済ませると、冷えた果実水を飲んで一息吐く。

 爽やかな風味で、脂っこい肉料理との相性は抜群だろう。


「伯爵領で別の枢機卿と会ったんだが……随分と頭の固そうなやつだった。"らしい"と言えばそうかもしれねえが」


 教義は絶対であって、それ以外の要素に判断を左右されることはない。

 まして多くの信徒の上に立つ枢機卿なら尚更だろう。


 戦力差を見せ付けることで退けることは出来たが、もし任務遂行が不可能ではない程度だと思われていたなら交戦は避けられなかっただろう。


「報告は私の耳にも届いています。枢機卿序列三位……『鉄槌』の異名を持つゲオルグを素手で迎え撃とうとしたと」

「無謀に思えるか?」

「いえ、まさか」


 シェーンハイトは肩を竦め、くすりと笑う。

 両者の実力を知る彼女だからこそ、その場の状況は容易に想像出来た。


「その件で、一つ……誤解があるかもしれないので」


 大きな声では言えないので、とグレンに顔を寄せるように言う。

 他の客には聞こえないように囁き声でそっと耳打つ。


「――ベレツィの村人たちは生きています」


 その言葉にグレンは驚きを隠せなかった。

 全員処分したというゲオルグの発言は嘘には思えず、かといってシェーンハイトが嘘を吐く必要もない。


「今の時代では、故郷を失った難民など珍しくありません。アーラント教区から遠く離れた地で、当面の衣食住に困らない程度に金銭を与えて解放しました」


 自身の選択に一切の疑問を持っていない。

 これが正しい事なのだと確信していた。


「きっと何かしらの職を得て、暮らしを建て直している頃でしょう」

「そりゃ助かるんだが……いいのか?」


 グレンは気遣うように尋ねる。

 シェーンハイトの言葉が事実であるならば、彼女はエルベット神教に反抗したということになってしまう。


 虚偽の報告書を提出し、処分されるはずだった村人たちを逃がしたのだ。

 彼らはマルメラーデ監獄での一件に巻き込まれ、エルベット神教上層部に『穢れの血』が紛れ込んでいた事実を知ってしまった。


 口外される危険を抱えるわけにもいかないため、やむを得ず処分するという判断は組織として不自然ではない。

 当然、倫理観は抜きにしての話だが。


「……ッ」


 シェーンハイトの顔が強張る。

 行為の重大さを一番理解しているはずだというのに、覚悟は伴っていないらしい。


 拳を固く結んで、小さく息を吸う。


「……私が動かなければ、聖十字卓議会カルディナール・フィーアは処分を強行していたでしょう」


 心が揺らいでいる。

 己の責務を放棄してまで救った命に、もしエルベット神教の威信が崩されるようなことがあればただでは済まない。

 かといって、見殺しにするほど冷酷にもなれない。


「『六芒魔典ヘクサグラム』の一件で上層部も互いに疑心暗鬼になっています。高位の聖職者に邪教徒が交ざっていたので、無理もありませんが」

「不安要素は潰しておきたいってことだろ。異教徒には改宗を迫って、身内には信仰のために犠牲になれってのは……まあ、横暴も過ぎる」


 規模の大きな組織ほど厄介事が多くなってしまう。

 何かしら不都合な事情に居合わせてしまった信徒が、人知れず処分されていることなど珍しくもないのだろう。


 今回は偶然シェーンハイトの目に留まって命を救われただけのこと。

 似たような境遇の者たちは少なくない。


 とはいえ、弾圧によって維持される秩序もある。

 エルベット神教の庇護下にある多くの信徒たちは、そんなことには縁も無く安寧を享受しているのだ。


「……枢機卿は武威を示すための剣であって、語り継がれるような英雄ではありませんでした」


 その肩書きに憧れがあった。

 しかし実態は、人々を助け悪しきを討つような聖者とは程遠い。


 エルベット神教の方針を全面的に否定しているわけではない。

 残酷ではあるものの、合理的だと感じる部分もないわけではない。


 求められるのは、あくまで治安維持機能としての武力。

 最大多数の最大幸福を実現するための剣だ。

 私情を挟むような不安定な存在ではない。


 必要に迫られた際、少数を切り捨てるような冷酷さを、シェーンハイトは持ち合わせていなかった。


「……近々、第三教区西部に隣接するガルディア帝国との会談が控えています。カルネ卿が甦った今、境にある聖地ヘレネケーゼの領有について話を付けるつもりなのでしょう」

「……戦争を起こすつもりか」


 その言葉にシェーンハイトは頷く。

 混沌極まる現代において、穢れの影響を退ける聖域加護は何よりも価値がある。


「穢れは大地を荒廃させ、作物を満足に得られなくしてしまいます。そんな地域が多い中で、肥沃な土地を巡った争いが起きるのは珍しくありません」


 魔物の凶暴化や『穢れの血』の誕生だけが脅威なのではない。

 木々は枯れ、大地は荒れ果て、飲み水さえ枯れ果てる。

 生活基盤さえ崩壊させる濃度の穢れによって、足を踏み入れられないほど死に絶えた地帯も存在するほどだ。


「実は――」


 シェーンハイトは逡巡する。

 彼を信頼していいのか。

 そして、背信を冒して自身を保てるのか。


 呑み込もうにも、吐き出そうにも、いずれにしても苦痛が伴う選択。

 微かな希望に吐息は熱を帯び、背筋はゾッとするほどに寒気を感じている。


 どこか怯えるような表情に違和感を抱きつつも、グレンは尋ねる。


「……悩みでもあるのか?」

「いえ、その……」


 彼女には、決断できるほど精神的な余力は残されていない。

 カルネに同行して何を見聞きしてきたのか。

 擦り切れて力無い様子は、初対面に見た凛としたシェーンハイトの姿とは程遠い。


「話してくれ。勝手な想像だが……俺達が力になれることもあるはずだ」


 今回の戦争にシェーンハイトは懐疑的だ。

 理屈では分かっていても、精神的な面では反対の立場にいる。


 リスティルはカルネの目論見を阻もうとしている。

 利害が一致している以上、手を差し出さない理由は無かった。


「……不死者という存在について、どこまで御存じですか?」

「死してなお、現世に留まり続ける死霊……特に、穢れの影響が濃い地域に多介多い面倒な魔物だ」


 唐突な質問に、グレンは頬を掻きつつ答える。

 実際に討伐したこともあるが、好んで戦いたいとは思えない手合いだった。


「一般的にはその通りです。が……中でも、知性を残し人間性を保っている個体がいます」

「あ? んなもん、おとぎ話だとか伝承の類いでも聞いたことがねえ……」


 強大な力を持つ死霊が英雄に討たれた話など、エルベット神教の庇護下にある子どもなら飽きるほど聞いてきたことだろう。

 そういった話を旅の途中で耳にしたこともあった。

 しかし物語の中では必ず"知性無き化け物"として描かれていた。

 

 否定しようとして、シェーンハイトが首を振る。

 真剣な表情を見れば、冗談を言っているようには見えなかった。


「禁忌とされる"死の超越"は、大衆に秘匿された情報です。現世の秩序が乱されないために、不死を司る魔物に知性は無いものとされています」

「人間らしく喋れる奴は?」

「恐らく、過去に何度か。何らかの強い執着を抱えて、現世に大いなる災厄を齎してきたのでしょう」


 そんな危険因子の存在は、信徒たちの安寧を揺るがしかねない。

 場合によっては、信仰に罅を入れる可能性もある。


「悪魔崇拝や邪教に繋がるような情報は極力隠されてきました。上層部が『穢れの血』や『六芒魔典ヘクサグラム』に殺気立っているのも、そういった面が大きく関与しているのでしょう」


 悪の体現として描かれた存在は、必ず正義の体現によって裁かれる。

 凄惨な結末を残した戦いに不死者が関与していたとなれば、歴史書の中に記されて情報は眠り続けるだけ。


「……先日、西方にある戦跡に不死者が現れました。かつてガルディア帝国の将であった人物です」


 情報を出し惜しみする意味はない。

 縋るのであれば、凭れ掛かるくらいでなければ。


「アルピナ卿に比肩する保有魔力に、不死を司る肉体。その上、彼は『穢れの血』でした」 

「……ッ!」


 冗談のような話だったが、シェーンハイトの表情は至って真剣だ。

 敵側に大きな脅威が待ち構えているのであれば、戦争による被害の規模は想像に難くない。


「双方ともに掲げる旗を得た……ってところか。熱に浮かされた奴らが、躍起になって命を捨てに来るわけだ」

「……その通りです」


 その波を塞き止める手段はない。

 説得したところで聞く耳を持たないだろうし、必死になればなるほど不信を与えてしまうだけ。


「敬虔な信徒ほどヘレネケーゼの奪還を願っています。猊下の……カルネ卿の悲願として、広く知られている逸話ですから」


 エルベット神教に所属する者として、成すべきは打倒帝国のみ。

 まさか戦争に疑念を抱いているなどと、他の枢機卿に知られるわけにはいかない。


 教皇が肯いた今、ヘレネケーゼ奪還は大いなる試練であり、立ち向かうべき聖戦となったのだ。


「聖域加護の占有は、勝者にとっては大きな利益となります。ですが……先を憚らない戦争は、近隣地帯の軋轢を生み、武力を衰えさせるだけで必ず損害を被ることになるはず」


 現状、表面上は帝国と正常な関係を築いているのだ。

 互いに過去を掘り返すような刺激は避け、有事の際は連携を取ることで混沌の時代を生き抜いている。


 信仰に違いはあれど、エルベット神教が交友を結ぶ数少ない勢力の一つがガルディア帝国だった。

 過去の英傑が蘇ったとしても、今更になって戦火を焚き直す必要性は感じられない。


「敵国の将はカルネ卿と同時代を生きた傑物です。無用な命を奪うほど残忍な人物でもありませんでした」

「なら、そいつに接触すりゃいいってわけだ」


 グレンは納得したように頷く。

 とはいえ、現時点で結論を見出だしたわけではない。

 帝国側にも様々な事情があるだろうし、説得したところで掲げた旗を下ろすとも思えなかった。


 それでも、シェーンハイトと連携を取れるならば双方に働きかけられる。

 黙って指を咥えているよりは遥かにマシだ。


「よろしいのですか……?」

「どのみち、『穢れの血』ってことなら放っておくわけにもいかねえしな」


 穢れは精神を蝕む。

 それは理性を保った不死者とて例外ではない。


 聖女カルネの異質さは、その姿を一目見て理解したつもりだった。

 その彼女と戦場で幾度となく争いを繰り広げたというのだから、規格外であるのも間違いないだろう。


 万が一、理性を失ってしまったならば。

 圧倒的な力を誇る強者が魔に堕ちてしまったならば。

 その先に待っているのは、伯爵領で目の当たりにした惨状と同様の光景だ。


「ったく……ただでさえ酷い時代だってのに、遥か昔の諍いなんか持ち込むなっての」


 グレンは呆れたように肩を竦める。

 そのせいで多くの命が失われるのだとすれば、馬鹿馬鹿しいにも程がある。

 聖人だの偉人だのという肩書きは、彼からしてみれば何ら意味を成すものではなかった。


「貴方は……ふふっ」


 シェーンハイトは呆然として、そして小さく笑う。


 語り継がれる聖人を相手に酷い物言いだった。

 だというのに、何故だか心がすっと晴れるように清々しい。


「変なことでも言ったか?」

「いえ……ただ少し、気が楽になりました」


 安堵など久々だった。

 気を休める暇もない日々から、知らないうちに心労が溜まっていたのかもしれない。


 食欲が湧いてくるほど気力が戻ってきた辺りで、折よく料理が到着する。

 しばらく力が出るようなものを食べていなかったと思い、並べられた料理に目を向けた。


 中心に据えられたのは、豚肉を薄く叩き伸ばし、衣を付けてカリッと揚げたシュニッツェルだ。

 細かく刻んだパセリを散らして、そしてレモンが添えられている。

 傍らの小さなカップには複数の果実を煮込んだらしいソースが入っていて、ほんのりと甘い香りが漂ってきた。


 別の皿には、素揚げにしたアスパラガスや皮付きのじゃがいもが盛られている。

 軽く塩が振られていて、グレンにとっては良くも悪くも見慣れた付け合わせだった。


 そして、最後に厚くスライスされた肉料理が並んだ。

 濃い色をしたソースと絡められているが、どうやら煮込まれたのではなくローストされているらしい。

 こちらも仄かにフルーティな香りがするが、グレンには馴染みのない料理だった。


「これは何だ?」

「ザウアーブラーテンです。牛肉をワインや香辛料などを混ぜた汁に漬けてからローストした、大陸北部で広く知られている料理ですね」


 各地を旅しているだけあって、シェーンハイトは食文化に詳しいらしい。

 食べること自体が趣味なようで、話す姿は珍しく楽しげだ。


「北部ってーと、森林地帯を越えた辺りか?」

「ええ。旧ハイデリア公国領の郷土料理で、近隣ではなかなか味わう機会がないものです」


 漬け込むことで柔らかくなった牛肉を、仄かな酸味やデミグラスソースの豊かな風味と共に楽しむことが出来る。

 味付けの嗜好が異なるのか、北部を離れると全く見かけない料理だった。


「……悪くねぇな。ちょっと品が良すぎる気がしなくもないが」


 肉質が柔らかいのはワインをベースとした漬け汁のおかげだろう。

 噛み締めると肉汁が溢れ出るが、酸味が脂っこさを程よく抑えることで、デミグラスの濃い味付けにもしつこさがなかった。

 

「……では、私も」

 

 シェーンハイトは礼式に沿って手を組み、感謝の祈りを捧げる。

 想像以上に疲労が溜まっていたのだろうか。

 普段よりも強い、耐え難いほどの空腹を体が訴えていた。


 テーブルマナーは言うまでもなく、洗練された美しい所作で手早くシュニッツェルを切り分ける。

 そして、待ちきれないと言わんばかりに口元に運んだ。


「……っ」


 言葉を発することもなく、無心で咀嚼する。

 サクサクとした小気味良い食間と、溢れ出る肉汁。


 すぐに嚥下するには名残惜しいほど上等な味わいだったが、空腹が食べ進める手を加速させていく。

 その様子にグレンも驚いてしまうが、たまには羽目を外すのも大切だろうと肩を竦めた。


 だが、食べ終えたシェーンハイトの心には不満が残る。


――どうして、物足りない。


 空腹は満たされたはずだ。

 これ以上の量を食べたところで苦しくなるだけ。

 だというのに、何故だか餓えるような気持ち悪さが残っていた。


 食後の祈りを捧げる余裕もない。

 ぎこちない表情で、そっとナイフとフォークを置いた。


(――から、食欲が満たされたことがない)


 手だけそれらしく組み合わせて祈りを終える。

 不自然な振る舞いになっていないだろうかと心配になるが、グレンは気付いていないようだった。


 寂しさと安堵が入り交じって、シェーンハイトは力なく微笑む。


「……連絡用の魔道具をお渡ししておきます。エルベットの証印も刻まれているので、通行時にも役に立つでしょう」


 テーブルに置かれたのは指輪型の通信道具だった。

 対となるものはシェーンハイトが身に付けていて、遠くはなれていたとしても情報伝達に不便はない。


「こんなもん、貰っちまっていいのか?」


 双方を特殊な波長の魔力で繋いで、声そのものを届ける上等品。

 滅多に御目にかかれない貴重なもので、間違いなく古代の遺物だった。

 神殿等の施設に置かれているような、羊皮紙に文字を浮かび上がらせるだけの伝達魔法とはワケが違う。


 その上、これを身に付けているだけで各教区内で通行証代わりにもなると言うのだ。

 枢機卿から直に受け取ったとなれば、信用という意味では最上級に近い。

 部外者に渡すには過ぎた代物だろう。


 その疑問に、シェーンハイトは真っ直ぐな瞳で断言する。


「信用していますから」

「ったく……後ろめたい事には使えねえな」


 肩を竦めるも、元よりそんなつもりはない。

 シェーンハイトの反応を見るに、意外と冗談が通じる性格なのだろう。

 楽しげに笑みを浮かべる姿は、任務に当たる際の冷徹な彼女とは似ても似つかない。


「帝国に向かうにしても、先ずはリスティルと相談しねえとな。進展がある度に報告すりゃいいか?」

「ええ。私は内部から戦争を食い止められないか模索してみます」


 独りで抱えているよりはずっとマシな状況だ。

 グレンたちは聖十字卓議会カルディナール・フィーアに比肩する戦力だ。

 彼らを率いるリスティルも『遺失魔術アルタートゥーム・マギ』を行使する才覚を持ち、ただならぬ風格は聖女を自称することさえ自然に思えてしまうほど。


 それでも尚、エルベット神教とガルディア帝国の戦旗を降ろさせることは困難を極める。

 より多くの味方を得られなければ、阻止することは不可能だろう。


「他の枢機卿はどうなんだ? 好戦的な奴ばっかりってんなら、どうにもならねえが……」

「第三教区を治めるアルピナ卿は肯定的です。以前、敵将に打ち負かされたことを気にしているのかもしれません」


 ラムファレル戦跡での大敗を思い出して、シェーンハイトは頭を抱える。

 枢機卿ともあろう者が、討つべき『穢れの血』に敗北し、あまつさえ命を奪われずに見逃されたのだ。


 本来あってはならない醜態。

 敵将の理性的な一面を窺えたことは数少ない収穫ではあるが、不死者は存在自体が赦されないものであって、剣を降ろす理由にはならない。


 葛藤は残る。

 教義は絶対であって、見逃してはならない邪悪だと認識している。

 だが、ラースヴァルド将軍という人間性を垣間見ては、一方的に攻撃を仕掛けていいものなのだろうか、と。


「……『穢れの血』とは、どのような存在なのでしょうか」


 困った様子で、解を求める。

 自問自答を繰り返したところで、自身の中に答えが転がっているようには思えなかった。


「そう、だな……」


 信仰が大きく揺らいでいる。

 傍目から見ても、彼女の心には以前のような忠誠心は感じられない。


 苦悩を終わらせるには、一番楽な答えがある。

 それこそが"教義"であって、盲信することで全ての悩みを捨て去ることが出来るだろう。

 道を見失った者に"邪教徒を殺せ"と優しく囁けば、殺戮の使徒が完成する。


 彼女の心は反発している。

 本来であれば、枢機卿になるような人物ではなかったのだろう。

 過去に何があったのかは不明だが、信仰に縋らざるを得ない状態に陥っていたのかもしれない。


 グレンは暫く沈黙を続ける。

 安易な返答は出来ない。

 シェーンハイトの剣には、多くの邪教徒の血が染み付いているのだから。


 とはいえ、熟考の末に道筋を示せるほど大層な人間でもないと自分を認識していた。

 何かしらの手掛かりにでもなれば、それで十分だ。 


「……デオン伯爵領の『英雄』は知ってるか?」

「そうですね……私の担当ではありませんでしたが、少しだけなら……」


 その剣士が『穢れの血』であることは知っていた。

 穢れの侵蝕によって理性を失った状態で内乱に巻き込まれ、残虐な行いの末に命を落としたという。


「あのジジイ……ゲオルグに会うついでに聞いてみりゃいい。丁寧に顛末を教えてくれるだろうよ」


 デオン伯爵領の英雄は、グレン自身も『穢れの血』への認識を大きく変えられた存在だった。

 ゲオルグとは一度敵対したが、少なくとも身内に嘘を教えるほど曲がった性格はしていないと感じていた。


「……分かりました」


 疑問を抱きつつも、グレンの言葉を一先ずは信じることにした。

 ぼんやりとしたものでも道筋が見えるなら、暗闇の中に囚われているよりずっと気分は楽だった。


「将軍への接触は危険が伴うと思いますが……よろしくお願いします」

「構わねえよ。俺は普段通り依頼をこなすだけだ」


 罪悪感を抱く必要はないと示す。

 命の危険を恐れているようでは傭兵など務まらない。

 強者との対峙に期待して武者震いする程度には、自身も戦闘狂であることを自覚していた。


 心根まで曇りないグレンの逞しさは、シェーンハイトから見て羨ましく感じるほど。

 一片の危うさも感じさせない泰然とした振る舞いを見て、ようやく安堵できた気がした。

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