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黒き聖女の黙示録《アポカリュプセ》  作者: 黒肯倫理教団
一章 アーラント教区
4/53

4話 森林地帯(3)

 酷い獣臭さが嗅覚を突いた。

 ある程度の知性を持っているにせよ、所詮は魔物ということなのだろう。

 野蛮な者共にかける情けは無い。


 グレンが足を踏み入れると、気配を嗅ぎ取ったモルデナッフェたちが次々と姿を現した。


「よお、猿共。人間様の真似事は終わりの時間だぜ」


 彼らの里は存外に文化的な様相を呈していた。

 だが、人間の姿を見ればすぐに野蛮な本性を露にする。

 多少なりと考える頭はあるようだったが、魔物であることには変わりないようだ。


 グレンを警戒しているのか、即座に襲い掛かっては来ない。

 先ほど逃走したモルデナッフェから情報が伝わっているのだろう。

 その体躯は人間よりも大きいというのに、彼に恐れを成しているのだ。


 かといって、侵入者を放置するわけにもいかない。

 何としても排除をしようと、一匹のモルデナッフェが襲い掛かる。


「つまらねえなあ――」


 その様子を冷静に見据え、直前まで視線を逸らさない。

 飛びかかってきたモルデナッフェは、彼からすれば大きな的でしかない。


 右手に掴んだ重厚な大剣が動き出す。

 それは死を告げる刃だ。

 初速はゆっくりと、しかし極限まで鍛え上げられたグレンの肉体、その膂力によって凄まじい勢いで加速していく。


「――雑魚は失せろってんだッ!」


 一閃。

 たった一振りで以て、巨躯のモルデナッフェを屠る。


 地に崩れ落ちた亡骸。

 その顔に残されたものは驚愕か、あるいは恐怖か。

 大きく開けられた口からは、もう威嚇の声さえ聞こえてこない。


 果たして、その苛烈な猛攻を止めることが出来る者は大陸に何人いるだろうか。

 凄腕の傭兵であり『狂犬』の異名を持つ男グレン・ハウゼン。

 彼の居場所は戦場ここにある。


 一匹の死を切っ掛けに、里中のモルデナッフェたちがグレンへと殺到する。

 常人であれば死を覚悟するであろう光景。

 戦いを生業とする者であっても、どうすれば無事に逃げられるかを考えることだろう。


 しかし、彼は違う。

 如何にして目の前の猿たちを嬲り殺しにするか。

 如何にして尊厳を蹂躙されたベレツィの村人たちの敵を討つか。

 ただ殺し尽くすことだけを考えていた。


 圧倒的な質量を誇る大剣。

 それが振るわれる度にモルデナッフェの断末魔が森中に響き渡る。

 彼の膂力を以てすれば、二匹であろうと三匹であろうと、複数をまとめて叩き切ることも容易い。


 あまりにも一方的すぎる戦い。

 並の魔物程度では、グレンを相手に時間を稼ぐことさえ難しい。


 後方で身を潜めているリスティルとヴァンは息をすることを忘れ、ただその光景に見入っていた。


「馬鹿げた腕力だ。噂には聞いていたが、あれほどとは思わなかった」


 滅多に巡り合えない逸材だった。

 それだけに、リスティルは彼をどうやって引き入れるか悩んでいた。


「悔しいですが、確かに彼は……」


 その先の言葉を紡がないのは、単なる悔しさに過ぎない。

 ヴァンは村での会話を思い出す。


『例えば俺が敵対するようなことがあった時、てめえに俺が止められるか?』


 冗談じゃない、とヴァンは身震いする。

 自分の腕に自信がないわけではない。

 彼もリスティルの旅に付いていくために日々研鑽を積んでいる。


 だが、グレンはあまりにも規格外すぎた。

 普段は粗暴な傭兵にしか見えないが、戦場での彼は違う。


 悪鬼のような形相。

 重厚な大剣を片腕で振るう膂力。

 そして、時折見せる笑み。


 彼は心の底から戦いを楽しんでいるのだ。

 だというのに、自身の力量をしっかりと弁え、退くべき所はしっかりと下がっている。


「……知性ある獣、というのは貴方の方でしょう」


 そんな感想を抱いてしまうのも仕方のないことだろう。


 二人の抱く感想などに興味も無く、グレンは殺戮を続ける。

 モルデナッフェは凶悪な魔物だが、手練れの傭兵であれば十分対処が可能な相手だ。

 彼ほどの腕があれば、特に苦戦する理由なども見当たらない。


 だが、それは並の魔物が相手だからこその余裕だ。


 里の奥から鈍重な音が響く。

 一度だけではない。

 二度、三度と続き、繰り返される度に音は大きくなっていく。


 グレンの第六感が警笛を鳴らす。

 ビリビリと肌を刺すような強烈な殺気。

 身の毛のよだつ悍ましい気配。

 迫る魔物は規格外だ。


 モルデナッフェたちが雄叫びを上げ、大地を踏み鳴らす。

 群れの主に相応しい場を用意するかのように、円形に広がってグレンを囲んでいた。


 そして、奥から巨大な影が躍り出る。

 最初それを目にした時、グレンは目の前に大樹が聳え立っているような錯覚をした。


 巨躯を誇るグレンでさえ、目の前の魔物と比べれば幼子と同然。

 否、それ以上の差があるだろう。

 見上げるほどに巨大な体躯を誇るモルデナッフェが、値踏みするように彼を見詰めていた。


――冗談じゃねえ。


 思わず溜め息を漏らしてしまうほどに馬鹿げていた。

 この馬鹿げた巨大猿を相手にしなければならないと思うと、さすがに気が滅入ってしまう。


 群れの主は徐に右手に掴んでいた何かをグレンに放り投げる。

 咄嗟に躱そうとするが、その正体に気付くと両腕を広げて受け止める。


 放り投げられたのは若い女性だった。

 ぐったりと力無く、グレンの腕の中で茫然としている。

 その体は痣だらけで、獣臭い体液がべったりと付着していた。


「お楽しみの最中だったってわけか」


 考えるまでもないだろう。

 この女性は従属の証としてベレツィの村から贈られた先月分・・・で、モルデナッフェたちはそれを楽しんだだけのこと。


「……チッ、吐き気がするぜ」


 苛立ったように舌打つと、グレンはそっと女性を地面に寝かせる。

 これは彼らなりの意趣返しなのだろう。

 同胞を無残に殺されて、その仕返しに汚され尽くした女性を見せ付けてきたのだ。


 視線を戻せば、厭らしく笑みを浮かべる群れの主の姿があった。

 下種が、と心の中で吐き捨てる。


 グレンは大剣を手に取り、再び群れの主と相対する。

 目の前にいるのは『穢れ』の影響を多く受けた特異な個体。

 彼がこれまで相手にしてきた魔物とは別格の存在だ。


 だが、怯む理由はない。

 敵は見上げるほどに大きいが、かつて竜を狩った時も似たような体格差があった。

 同じことをもう一度やるだけなのだから、不可能ではない。


――所詮は獣だ。


 かつて自分は竜をも斬り伏した。

 穢れの影響を受けただけの、卑しい獣如きに後れを取るはずがない。


 自らを鼓舞させ、殺気を滾らせる。

 穢れの影響を受けただけの魔物が偉ぶっていることが腹立たしい。

 どちらが強いのかを思い知らせてやるのだと、犬歯を剥き出しにして嗤う。


「来いよクソ猿。どっちが上か教えてやる」


 挑発するように言い放つ。

 穢れの影響を受けた魔物を相手取ることは初めてだが、負ける気はしなかった。


 群れの主は激怒したように雄叫びを上げてグレンに襲い掛かる。

 大きく跳躍し、大岩のような巨大な拳を叩き付けた。


「うおッ」


 グレンは咄嗟に飛び退き、後方を振り返る。

 殴られた地面が大きく陥没しているところを見ると、その腕力は見掛け倒しというわけではなさそうだった。


 群れの主は再び雄叫びを上げてグレンに拳を突き出す。

 その攻撃は全てが致命の一撃。

 鎧を身に着けていようと、掠るだけでも生身の人間では酷い怪我を負ってしまうことだろう。


 だが、グレンは常人の域に留まらない。

 長年積み重ねてきた経験が、突き出された拳の軌道を見切る。

 身を捻るように体を動かして躱し、勢いをそのままに大剣で斬り付ける。


「――チィッ」


 存外に手応えは鈍い。

 穢れの影響を受けているせいか、群れの主は外皮が硬く変異しているようだった。

 異常に発達した筋肉も合わさって、グレンの一撃を以てしても浅い傷を付けるだけに留まっていた。


 だが、倒せないほどではない。

 鎧として用いられる竜鱗と比べれば脆いものだと、即座に意識を切り替える。


 最初の交戦は不本意な結果に終わったが、群れの主はそうでもないようだった。

 攻撃を容易く躱されて傷まで受けたのだから当然だろう。

 激高した様子で声を上げ、グレンへと掴み掛る。


 体躯の大きなグレンだが、こういった手合いが相手の時の心得もあった。

 体格差があるからこその戦い方もあるのだと、今度は自ら懐へと飛び込んでいく。


 眼前まで迫り――体勢を一気に低くする。

 まるで獣のように身を屈め、地を這うように群れの主の足元を潜り抜けていく。

 その動きを追うことが出来なかったのだろう。

 群れの主には、グレンの姿が突然掻き消えたように見えていた。


 背後を取ると、隙だらけの背中に強烈な一撃を叩き込む。


「喰らいやがれ――剛撃ッ」


 魔力を込めた強烈な一撃を叩き込む。

 背中を抉るように斬り付けると、直後に群れの主が苦痛に声を上げた。


「図体がデカいだけじゃ、俺には通用しねえよ」


 もう一撃を喰らわせたい欲に駆られるが、相手は穢れを身に宿す魔物。

 下手に攻め込むと痛い目に遭うだろう。

 即座に距離を取って機を窺う。


 相手の膂力は異常だが、所詮は獣。

 磨き上げられたグレンの剣を前にして、群れの主は一撃さえ当てられずにいた。


 グレンは侮っていたわけではない。

 群れの主は命の危機を覚えるほどに凶悪な魔物だ。

 その一挙一動に警戒して、自らの命を最優先に行動している。


 だが、彼は知らない。

 穢れを身に宿した魔物と対峙するということが、どれほど危険な事なのかを。


 突如、群れの主が咆哮する。

 地鳴りのような重低音が森に響き渡る。


 それは合図だった。

 闘争心と生物としての本能が衝突し、その力を求めた。

 その結果として齎されたものは至極単純。


「がはッ――」


 群れの主が瞬時に加速し、拳を突き出した。

 圧倒的質量を誇る体躯から繰り出される一撃。

 それを目で追うことさえ出来ず、グレンは容易く吹っ飛ばされる。


 痛みは無い。

 理解が追い付いていないのだ。

 目まぐるしく視界が回り、そして止まる。


 遅れて激痛が体中を駆け抜けるが、呻いている暇はない。

 グレンはよろめきつつ立ち上がる。


 幸いというべきか、相手は穢れを自在に扱えるという訳ではないようだった。

 ほんの一瞬、群れの主の内側で様々なものが噛み合っただけのこと。

 もし追撃があれば、グレンの命はそこまでだっただろう。


 荒く息を吐き出し、歯を軋らせる。

 傭兵としての勘が彼の命を繋ぎ止めた。

 常人であれば、先ほどの一撃を予測することもかなわず、身を守ることは出来なかっただろう。


 グレンはまるで堪えていないといった様子で再び群れの主と対峙する。

 それは戦士としての意地であり、傭兵としての矜持でもある。

 彼が傭兵として初めて剣を手に取った時、たとえ命を落としても屈しないと覚悟を決めたのだ。


「ぶっ潰すッ」


 大きく跳躍し、両手に握りしめた大剣を脳天に向けて振り下ろす。

 群れの主は両腕を突き出そうとして空を見上げる。

 しかし、グレンの背には太陽が眩く輝いていた。


「――おらぁッ」


 眼がくらんでいる群れの主の脳天に、魔力を込めた全力の一撃を叩き込む。

 群れの主は二三歩後ろによろめき、そして仰向けに倒れた。

 血だまりに沈む魔物は、もう人間を苦しめることはないだろう。


 囲んでいたモルデナッフェたちが騒がしく鳴き声を上げながら逃げ去っていく。

 その背中を鼻で笑い、グレンはその場に座り込んだ。


「見事な戦いぶりだったな」


 リスティルとヴァンが歩いてきた。

 どうやら二人を満足させるだけの力を示せたようだった。


 何か言い返そうかとも考えたが、戦いの疲労が勝っていた。

 グレンはゆっくりと深呼吸をするとリスティルに話しかける。


「次はお前が示す番だ、リスティル」


 グレンは力を示した。

 であれば、次はリスティルが彼の信頼を得るべく力を示す番だろう。


「――いいだろう」


 リスティルは迷い無く頷き、群れの主の亡骸に手を当てる。

 すると、黒い霞のようなものが立ち上り、リスティルの体へと流れていく。


「何をしているんだ?」

「こやつの体に染みついた『穢れ』を回収した。これが、私の目的を果たすための重要なカギとなる」


 リスティルは徐に膝を突くと、両手を祈るように組み合わせる。

 すると、彼女の足元を中心に魔方陣が展開された。


 魔力光が彼女の周囲をふわふわと蛍のように漂い始める。

 足元の魔方陣も優しく明滅し、まるでリスティルを彩るように輝いていた。


「……声が、聞こえる」


 リスティルが呟く。

 心ここに在らずといった様子で、朧げな意識で紡ぐ。


 すると、突然視界が暗転して切り替わる。

 薄暗い部屋の中で、人々が聖女の像に祈りを捧げていた。


「……虐げられし者の声……閉ざされた世界……晩餐……?」


 その映像は靄がかかったかのように肝心な部分が欠けていた。

 だが、何か重要な事であるのは間違いない。


 そして、視界が元に戻る。

 リスティルは酷く疲れた様子で、荒い呼吸をして肩を上下させていた。


「今のがまじないってやつか」

「ああ、そうだ。稚拙な未来予知というべきか。私は今後起きるであろう事象、その可能性の一端を覗き見ることが出来る」


 グレンはその言葉に驚愕を隠せないでいた。

 一介の魔導士では難しい。

 高名な術師でさえ、それを成せるかは分からない。

 そもそも未来予知などという魔術をグレンは聞いたことがない。


「これで分かったでしょう。リスティル様は聖女なんです」

「……ああ、そうかもな」


 未来予知が事実であるかは確認しなければ分からない。

 彼女の言葉通りであれば、あくまで未来に起こり得る可能性の一つを見たに過ぎないのだ。

 確信を持てるだけの情報が今後得られなければ、それは紛い物である。


 だが、グレンの中には何か確信めいたものがあった。

 リスティルは只者ではない。

 もし優れたペテン師であったなら、それは自分に見る目がなかっただけのこと。


「仕方ねえ。もうしばらく力を貸してやる」


 拒むほどの理由はない。

 もう少しだけなら、彼女たちの旅に付いて行ってもいいだろう。

 そう思える程度には心を許しているようだった。


 そうして三人はベレツィの村へと凱旋する――はずだった。

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