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黒き聖女の黙示録《アポカリュプセ》  作者: 黒肯倫理教団
二章 彩戟のクリームヒルト

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34話 エピローグ

 いずれ人々は思い知るだろう。

 デオン伯爵が如何に優れた領主であったのかを。

 混沌の時代に放り出され、多くの者は何を成すまでもなく命を落とすことになる。


「哀れなものだ。この地はもう、何年と持たずに荒廃していくことだろう」


 掌から溢れていく命にまで感傷を抱いているほど余裕は無い。

 旅の目的は"穢れの奉還"であって、深界と現世との決別を果たさなければならないのだ。


「伯爵領が……ハンデルが、こんな……」


――あまりにも酷い。


 か細い声でシズが呟いた。

 目の前の状況を理解するだけの覚悟が足りていなかった。

 これまで地獄を味わってきたつもりだったが、炎に包まれるハンデルは正しく地獄と言っていい光景だ。


 数多の命が無為に失われていることは理解出来た。

 しかし、なぜ失われる必要があるのかは理解出来なかった。


 幸福を望むことは欲深いのだろうか。

 生き長らえるだけでも恵まれているのだろうか。

 デオン伯爵領に住まう人々は、領外の人々が渇望するものを手にしているというのに、それよりも上を望んでしまった。


「この地にも穢れの流入が始まっている。或いは、ファアスマラクトも予兆だったのかもしれんな」


 穢れの影響が薄いため、これまでは作物も豊富に採れた。

 手を貸す意味もないほど荒れ果てた地に、食糧難を支えてくれるような都合の良い存在はいないだろう。


 リスティルは苛立っていた。

 デオン伯爵の死後、彼の築き上げた努力が凄まじい勢いで食い潰されていくのだ。

 愚かな民衆は、這い蹲って飢えに喘ぐまで過ちに気付かないだろう。


 蒙昧な人間は容易く目が眩んでしまう。

 軽薄な人間がそれに釣られ、更に自我の弱い人間が流され巻き込まれていく。

 ハンデルを包む戦火は、未だに報われると信じて苛烈に唸っていた。


 だからこそ、哀れで仕方がない。


「『英雄』クリームヒルト・ファルベ・シュタフェライ。その生き様を、しかと見届けさせてもらった」


 最期まで抗い続けた気概は本物だ。

 人として在ろうと剣を振るい続けた信念を、その末路までリスティルは見届けた。


 救いは無い。

 始めに未来予知をした時点でクリームヒルトの死は避けられなかった。

 それでも、グレンの尽力によって少しは報われただろうか。


「惨いものですねえ、本当に」


 転移してきたヴァンが肩を竦める。

 祭り上げてきた民衆は、クリームヒルトに何かを返すようなことをしなかった。

 都合の良い拠り所として熱狂していただけで、彼女自身を真剣に見詰める者などいなかったのだ。


「それを覚悟した上で剣を振るい続けたのだろう。軽率に同情しては、その想いを否定することになる」


 故に、その在り方を肯定する。

 献身も慈善も決して貶されることのない尊い行いだ。

 穢れの侵食に抗って朽ち果てるその時まで戦い抜いた姿は『英雄』と呼ぶに相応しい。


 ヴァンはリスティルの考えに感涙すると、亡骸に向かって一礼する。


「非礼をお詫びします……っと」


 報われないことを理解した上で全てを背負う覚悟。

 弱い姿を見せることなく人々の前に立ち続けた勇気。


 自分に同じことが出来るだろうか。

 そう考えた時、どうしても不可能だろうと思ってしまう。

 ある種の諦念じみたものが湧き出て、斜に構えた言動を取ってしまう。


 リスティルは惨状を眺めながら、改めてシズに問う。


「同行するならば、今後もこういった光景に幾度となく遭遇することだろう。私たちの旅はそういうものだ」


 人間にとって脅威である『穢れの血』は、精神構造に異変を来して残虐な思考をする者が多い。

 その犠牲になるのは、当然ながら赤の他人だけではない。


「易々と不測を許すつもりはないが……それでも、穢れと対峙し続ける以上、力無き者にまで命の保証は出来ない」


 リスティルは未来予知によって情報を得ることが可能だ。

 そこに様々な制約はあるものの、本来であれば知り得ないことまで把握し、仲間たちを最善の結果へ向かうように導く。


 グレンには、情報があれば死を退けるほどの技量がある。

 ヴァンには、情報があれば死を回避するほどの器用さがある。


 シズには剣を振るうための腕力も無ければ、諜報を行うための能力も無い。

 容易く命を落としてしまうような存在、ということであれば自身も似たようなものだとリスティルは理解している。


「故に、私は覚悟を問う。この混沌に呑まれた世界を跋扈する邪悪に、命を賭して立ち向かえるのか?」


 逡巡でもすれば断るつもりでいた。

 受け入れてしまえば、彼女の生死にまで責任を持つことになる。

 生半可な気持ちのままではいざという時に足手まといになるかもしれない。


 だが、シズは即座に頷く。


「私に恩返しをさせてくださいっ!」


 頭を深々と下げ、頼み込む。

 長きに渡る奴隷生活から解放されたのだ。

 尊厳を踏み躙られるような日々を脱してから、今に至るまで自分が何をやりたいのか考えていた。


 世界には自分と似たような、或いは自分以上に不幸に見舞われている人間が数多存在している。

 物心付いたばかりの幼子ですら情け容赦無く命を落としてしまう。


 恐れる気持ちは今も変わらない。

 望んでいたはずの死は、眼前に迫って漸く本心ではなかったのだと気付けた。

 地獄のような日々から解放されることこそが願いであって、死することによる妥協と思い違いをしていたらしい。


 平穏な暮らしを望むシズにとって、この旅は真逆を行くことになる。

 それも、ハンデルの光景を見て決心が付いた。

 

「平穏を取り戻すお手伝いを、私にさせてくださいっ!」


 リスティルが崇高な使命の下に旅していることは薄々気付いていた。

 常人とは違う存在なのだと、その力強い瞳から感じ取れていた。

 付き従うことで何か役立てることがあるかもしれない。


 リスティルはどうしたものかと思案する。

 覚悟は本物だが、過剰な希望を抱いているようにも見えたからだ。


 純粋な少女が凄惨な死を遂げる必要はない。

 果たすべき崇高な使命、それに伴う危険は今回の一件に留まらないだろう。

 鎖に繋がれていた時が恋しくなるほどの地獄を味わうかもしれない。


 常人では想像が付かないような邪悪を相手にしなければならないのだ。

 どうにも判断を渋ってしまう。


 そうして悩んでいると、前方を見据えていたヴァンが愉快そうに声を漏らした。


「全く、彼という人は……」


 炎に呑まれ崩落する屋敷。

 そこから脱してきたグレンは、外套に包まれた幼子を背負っていた。


 ヴァンは肩を竦めて苦笑する。

 彼の善性に呆れつつも、それを愚かだと断じるようなことはしない。

 その様子を見て、リスティルも仕方ないと肩を竦めた。


「子守りが必要だな」


 視線を向けると、シズは目を輝かせて頷く。

 身の回りの世話であろうと同行する理由になるのであれば構わなかった。


 グレンは合流すると、背負っていた幼子をリスティルに見せる。


「デオン伯爵の娘なんだが……こいつは『穢れの血』とは違うよな?」


 安堵した様子で眠る姿は愛らしい。

 だが、人間と呼ぶには変質した姿をしており、濃厚な穢れの気配を無視するわけにもいかない。


「……或いは、より厄介かもしれん」


 リスティルは興味深そうにユノを見詰める。

 奥底に眠る"何か"を見過ごすほど無知蒙昧ではないが、今すぐに対処する必要があるとも思えない。


「敵対するような存在ではない……が、連れていくなら目を離さぬようにしなければな」

「良いのか?」


 グレンが感じ取った異質さをリスティルも気付いている。

 その上で、旅に同行させることには反対しなかった。


「気掛かりではあるが……幼子を放っておくわけにもいかないだろう」


 その言葉にグレンは微妙な引っ掛りを覚えつつ飲み込む。

 それでも表情から察したらしく、リスティルは機嫌を損ねたように口を尖らせた。


「まだ何も言ってねえだろ」

「物を言わずとも、顔を見れば言いたいことは分かる」


 お前も子どもだろう、と思ってしまったのは仕方がない。

 上手く隠せるほどグレンは器用ではない。


「それは、リスティル様への侮辱ですか?」


 この手の話題はヴァンにとって地雷だ。

 彼は盲目的にリスティルの全てを賛美している。

 初めてシェーンハイトと対峙した時に見せた殺意は本物だった。


 理解した上で飲み込んだつもりだったが、まだ甘かったらしい。

 それでも以前のようにナイフを取り出さないのは、冗談と受け取ったからだろうか。


「全く……外見に囚われて本質を見抜けないようでは、この先が思いやられる」


 本質を見抜くのは極めて難しい行いだ。

 胸元から首筋にかけて刻まれた魔紋に手を添え、グレンは溜め息を吐く。


 これで本当に良かったのか。

 クリームヒルトの亡骸、その顔には簡素な布切れが掛けられていた。


 この魔紋は一つの救済として象られていた。

 魔力を流すと彩鮮やかに光を帯びて、心の奥底から力強い希望が湧き上がってくる。

 生きた証を、その信念と共に刻み付けたのだ。


 屋敷で魔力外皮を安定させたように、今後の旅の助けとなるだろう。

 死して尚、彼女は人助けを止めるつもりは無いらしい。


 そんな高潔な人間が惨い死を迎えることが耐え難く腹立たしかった。

 そして、それを嘲笑った仇敵が憎かった。


「……リスティル」


 微かな苛立ちと、気遣いへの感謝が混ざってしまう。

 正解は今でも分からないが、自らの手で選択すべき事柄であるのは確かだ。


「シャーデンを捕捉したら必ず伝えろ。それが護衛を引き受ける対価だ」


 クリームヒルトが穢れに呑まれていく光景が網膜に焼き付いていた。

 死を懇願する姿を見せられて何も感じない人間はいないだろう。


 グレンの目的はあくまで仇敵を仕留めることであり、同行する意味もそこに見出だしている。

 協力を得られないのであれば、時間を割いてまで腕を貸す必要はない。

 始めから優先順位は復讐が上だ。


 無意味に黙っていた訳でないことは理解している。

 リスティルも悩んだ上で、クリームヒルトに向き合えるように不要な情報を与えなかったのだろう。

 それは、ある意味では正解だったが、不正解でもあった。


「……すまない。私が不誠実だった」


 リスティルは重大な過ちに気付く。

 そして自身の傲慢さを詫びる。

 他者よりも"多くの物事"が見えてしまうからこそ、自らの手で進めようとしすぎてしまった。


 仮にそのことを知っていたとして、どのように動くかまではリスティルには分からない。

 強さの根底にあるのは復讐心であって、それが関わらないところで優しさが成り立っている。

 だからこそ、全てを伝えた上でグレン自身に選ばせなければならなかった。


「……それで、奴はどう見えた?」


 グレンが問う。

 異質な存在であることは確かで、その正体は漠然として掴めずにいた。


――シャーデン・フロイデ。


 薄汚い身なりをした三白眼の男。

 易々と『遺失魔術アルタートゥーム・マギ』を操り、穢れの力を行使し、さらに穢れそのものに干渉する。

 ハンデル中に響き渡る、嫌な哄笑が耳に残っていた。


「邪悪を極めて却って濁りがない。あれは……少なくとも、『穢れの血』として捉えるべきではないだろう」


 どうしたものかと思案する。

 リスティルから見ても、やはりシャーデンという男は条理から逸脱した存在のように見えていた。


 そして、旅の目的を考えれば無視出来る相手ではなかった。

 穢れの奉還を最終目的とする以上、あれほどまでに穢れを溜め込んだ相手を見逃すわけにはいかない。


「状況次第だが……狙える状況ならば最大限手を貸そう。これは私にとっても利益に繋がる」


 多量の穢れを得られれば、それだけ大規模な未来予知を行うことが出来る。

 幅広く詳細な情報を集めることで目的を達成する手助けとなるだろう。


 それに、とリスティルは続ける。


「あのような存在を放置するわけにはいかない。私は"聖女"だからな」


 その言葉には何故だか重みが感じられた。

 自身の立場と果たすべき使命を理解しているからこそ、無責任な態度にはなれない。


 リスティルは英雄の亡骸に向き合うと後方を一瞥する。

 未来予知のために死者の体を利用するのだ。


 だが、グレンには拒む理由が無い。


「俺には構わずやってくれ」


 穢れに蝕まれて死した姿は痛々しい。

 人間として埋葬することで気持ちも少しは和らぐだろう。


「……それが弔いになる。そうだろ?」

「まあ、多少は」


 ヴァンは普段の調子で、しかし声色は至って真面目に返す。

 その死を侮辱するほど堕ちてはいない。


 了承を得ると、リスティルは再びクリームヒルトに向き直る。


「では、始めるとしよう」


 朽ちた英雄の姿に同情してしまう。

 幸福を得られる道は始めから存在していなかった。

 どう足掻いても穢れから逃れられる運命にはなかったのだ。


 それでも、生きた証を遺した彼女の気高さは称賛に値する。

 その生き様を、その在り方を胸に刻み込んで歩むことを心に誓った。


 手を翳すと、膨大な穢れが亡骸から湧き上がってきた。

 それはファウスマラクトの時とは比べ物にならず、シュラン・ゲーテの時に並ぶほどの量だった。


 これほどの穢れに蝕まれて尚、人としての心を抱え続けたのだ。


 リスティルの足元を中心に魔方陣が展開された。

 周囲を魔力光が漂い始め、焼け付くようなハンデルの街を淡く照らし始める。


「……声が、聞こえる」


 数多の可能性を教授される。

 様々な未来の光景が一度に浮かび上がって、可能な限り掴み取っていく。


 得られるのは数多の未来の可能性、その一端に限られる。

 この能力は全てを見通すほど万能ではない。

 それでも手にした穢れの量は尋常ではないため、より深層まで枢軸に迫ることが出来る。


「……血塗られた救済……世界を……殉教者……ッ!?」


 途端に意識が覚醒する。

 リスティルは酷く焦った様子で、己の見た光景を整理していく。


 そして、理解する。

 これから何が起きようとしているのかを。

 ただ抗い続ければ食い止められるような生温い相手ではないのだと再確認する。


 未来予知で何を見たのか。

 仲間たちの視線が集まる中、リスティルは忌々しそうに口を開く。


「――"次"を用意してきたというわけか」


 思い知ってしまったのだ。

 穢れの齎す惨劇は、未だ序章に過ぎなかったのだと。

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