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黒き聖女の黙示録《アポカリュプセ》  作者: 黒肯倫理教団
二章 彩戟のクリームヒルト

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32話 狂劇(2)

 互いに酷い傷を負っていた。

 息も絶え絶えで、漸く訪れた安か堵が苦痛を思い出させた。


 穢れは誰彼構わず切り裂いたのだろう。

 あまりにも邪悪で悍ましい力。

 それでも、満身創痍になろうと、こうして再び相見えた。


「私は……」


 何が起きたのか、何をしていたのか覚えていない。

 ただひたすらに暗闇の中で溺れ続けていた。

 声も光も届かない奈落で、眠りに就く寸前で引き摺り起されたのだ。


 朧げな意識の中でも、その喜びだけは確かに理解している。


「でも、長くは……持たないみたいだね」


 穢れを退けた代償は大きい。

 体から流れ出る赤黒い霞。

 同時に、生命そのものが零れていくような感覚があった。


 もう器が壊れてしまったのだ。

 指先が凍て付いて、思わず身を震わせる。


「すまねえ。俺は――」


 約束を果たせなかった。

 その言葉を遮るように口を塞がれた。


 思い残す事が無いように。

 残された時間を後悔しないように。

 そんな思いで、クリームヒルトは口付けをする。


「貴方は、本当に……本当に私を救ってくれたんだよ」


 涙ながらに感謝を告げる。

 人間として生を終えることがどれほど幸福なのか。

 堕ちた魂を救い出された喜びを噛み締めていた。


 不満が残っているわけがない。

 腕に抱かれ、優しく看取られる幸福は何よりも代え難いものだ。


「焦がれた"傭兵"と肩を並べて戦えた。それだけで、私は満足だよ」


 死の間際に出会えて良かった。

 穢れに抗って、戦い続けたことに意味を与えられた。


「だから、恩返しをしたいんだ」


 再び顔を近付ける。

 潤んだ瞳も、熱を帯びた頬も、先程より落ち着いてきている。

 昨夜のような失態を犯すつもりはない。


 成すべきことを鮮明に思い描く。

 覚悟を決めたクリームヒルトの姿には、思わず息を飲むほどの気迫が備わっていた。


 穢れから解放された今、求めるものはただ一つ。


「――私の生きた証を、貴方に受け取ってほしい」


 今度こそ違えないように、自身に残された全てを。

 魔力と生命力、そして穢れを退けた熱き信念を以てグレンに捧げる。


 穢れの抜け切った体は凍えるようだった。

 しかし、澄み渡るようで清々しい。

 純粋な人間として最後を迎えられることが堪らなく嬉しく感じていた。


 震える手に魔力を灯してグレンの胸元に添える。

 今にも力を失って滑り落ちてしまいそうな手を、グレンは決して離さないように支える。


 熱き魔力の奔流。

 七色に煌めく光が手を伝っていく。


「本当に……貴方に会えて良かった」


 誰にも得られない幸福。

 幼少期に命を救われ、憧れから剣を手に取った人生。

 追い続けた背中に追い付いて、共にファウスマラクトを討った。


 優しく腕に抱かれ、幸福を噛み締めて眠りに就けるのだ。

 クリームヒルトは満足していた。


「だから、貴方に――」


――全てを捧げたい。


 その想いを拒むわけがない。

 流れ込む魔力が、胸元から首筋に掛けて魔紋を刻み込んだ。


 全てを終えると、クリームヒルトは苦しそうに息を吐く。


「……これで、大丈夫」


 安堵した様子で脱力する。

 間も無く命の灯火は消えることだろう。


 魔紋には確かな力が宿っていた。

 暖かさを感じ、手を添えてみると仄かに光を放っていた。


「これは……?」


 特に影響があるようには感じられなかった。

 柔らかな魔力光も落ち着いて、今は黒い痕が残るのみ。


 その問いに、クリームヒルトは微笑む。


「この魔紋は、御守り……みたいなものかな……」


 数多の化け物と対峙する過酷な旅路。

 その過程で、多くの『穢れの血』と出会うことだろう。

 戦い続けて穢れに呑まれてしまうかもしれない。


 これは証だ。

 穢れに抗い続けた『英雄』クリームヒルト・ファルベ・シュタフェライとして、生きた証を刻み込んだ。


 最期まで途絶えることのなかった気高き情熱。

 穢れすら退けるほどの強き心を、その体に刻み込んで遺していく。


「本当に……ありがとう……」


 安らかに、眠るように目蓋を落とす。

 その頬を伝う涙は、今度こそグレンの望んだものだった。


 その周囲を、再び黒い瘴気が取り巻く。


「――ッ!?」


 咄嗟にクリームヒルトを抱き抱えて飛び退くが、世界を陥れる邪悪が、そう易々と終幕を許さない。


 穢れは実体を持たない。

 何処からか湧き出して、そして生命を呑み込むのだ。

 全てを捧げた抜け殻に抗う術はない。


「どうなってやがるッ!?」


 取り込まれたら最後、クリームヒルトは魔物と化すだろう。

 幸せな心地で眠りに就くはずだったというのに。

 何処かでは、不条理を齎す存在が愉快に嗤っていた。


「グレンさん……ッ」


 苦悶しつつ、必死に懇願する。

 やはり避けられない。

 これだけ穢れに蝕まれて、一度は身を黒く染め上げて、それでも幸福を願うことが間違っていたのだろうか。


「私を……早くッ」


――殺してほしい。


 もう猶予は無い。

 十分すぎる程に戦い抜いて、漸く幕を閉じるはずだった。

 その魂すら貪り喰らう、穢れとは一体何なのか。


 意味が分からなかった。

 理解をしようとも思えなかった。

 あらゆる邪悪に憤慨し、憎悪し、そして殺意を抱く。


「くそッ――」


 氷塊を抱いているように冷たい。

 己の無力さを恨み、この不条理に唇を噛み締める。


 せめて人間でいる内に介錯しなければ。

 震えながら首に手を掛けると、覚悟も決まらないまま、グレンは歪な顔をして叫ぶ。


「――くそがぁぁああああああああッ!」


 無情の雨が降る。



   ◆◇◆◇◆



 誰もが皆、平等に不幸な結末を迎える。

 穢れとは"悪意"そのものだ。

 刃先は老若男女を問わず、善人であろうと悪人であろうと関係無く向けられる。


 だが、もし純粋な悪意で満たされた人間がいたとしたら。

 塵ほどの善意すら持たないほどに黒い心を持ち、穢れに迎合するような邪悪が存在したら。


「――見付けたッ!」


 混沌としたハンデルの中で、リスティルは微かな気配を手繰って探し出した。

 指差した方向にヴァンが駆ける。


 降り始めた雨も楽しみながら、教会の屋根の上に薄汚れた身なりをした男が佇んでいる。

 立派な鐘を讃えた塔は特等席だろう。

 街中の至る所で起きている殺し合いを嗤いながら愉しんでいた。


 隙だらけの立ち振舞いは素人そのものだ。

 強者特有の萎縮してしまうような覇気は感じられない。


 決して逃がさないように、今この場で確実に終わらせるように。

 リスティルの指示の下、毒刃を手に駆け抜ける。


 不意を打つように肉迫し、瞬時に喉元を掻き切ろうとする。

 しかし、刃を振るう前に男が襲撃に気付く。


「――あァ?」


 気怠げに緩慢な動きで視線を向けたかと思えば、次の瞬間には強烈な蹴りを放つ。


「ッ!?」


 咄嗟に腕を交差させて受け止めるが、あまりに重い一撃に驚愕する。

 かと思えば、次の瞬間には魔力を帯びた貫手が襲い掛かった。


 その攻撃は空を切った。

 影を渡って瞬時に背後を取ると、ヴァンは再び毒刃を振るう。


 それも届かない。

 確実に背後を取ったはずだというのに、次の瞬間には距離が開いていた。


「――テメェ、穢れの血か」


 男は漸く興味を持ったように向き直った。

 その風貌を見てヴァンは確信する。


「……シャーデン・フロイデ」


 グレンが追い続けている仇敵。

 エルベット神教から手配書を出されるほどの悪人だ。


 リスティルが未来予知で見たという異質な力を持つ男。

 全てを覆し得る運命力の持ち主。

 彼が気紛れに動けば、それだけで多くの人間が不幸になる。


「知らねェつらだなァ……誰の差し金だ?」

「さて、誰でしょうねえ」


 肩を竦めて戯けてみせる。

 笑みを絶やさず、細めた目元から敵を観察する。


 先程の交戦で相当な手練れであることは思い知らされた。

 まさか不意を突くような強襲を退けられ、影渡りですら瞬時に見切られてしまうとは想定外だった。


 それ以上に気になることが一つ。

 シャーデンが間合いを取る際の不自然な魔力の歪み。

 それは『穢れの血』による能力とは異なり、純粋な魔術の行使による力の流れが感じ取れた。


 空間転移は『遺失魔術アルタートゥーム・マギ』の一つ。

 既に失われた術式を再現し、さらに戦闘に応用出来るほど瞬時に展開するなど常軌を逸している。


「――影縫縛鎖エイヴィヒ・ヴィンター


 無数の鎖が至るところから伸び、シャーデンの体を縛り付ける。

 穢れの力によって構築された術は易々と引き千切ることは出来ない。


 当然ながら不可能では無い。

 マルメラーデ監獄で対峙したシュラン・ゲーテは力任せに破ってみせた。

 恐らくは、グレンも同じ芸当が可能だろう。


 上品に影に縫い付けるよりも、強引に縛り付けた方が手っ取り早い。

 強者には相応の対処が必要になってくるだろう。


 眼前に佇むシャーデンには余裕があった。

 強引に突破するほどの膂力があるようには思えないが、ブラフのようにも見えない。


 警戒を緩めず、体を圧迫するように鎖を強く締め上げる。

 大木すら圧し折るはずだが堪えている様子はない。

 厭な笑みを浮かべたかと思えば、直後に無数の糸がヴァンを縛り付ける。


「……へえ」


 一本だけでは視認するのが困難なほどの細さで、それがシャーデンの手元から無数に伸びている。

 縛られている状態で器用なことをしたものだと感心する。


 糸から穢れの気配を感じる。

 強度も高く、易々と逃れられるようには見えなかった。


「ですが……この通り」


 するり、と糸が解けて地面に落ちる。

 こういった芸当はヴァンが最も得意とするところだ。

 易々と拘束されるつもりはない。


 だが、シャーデンは嗤う。


「――そりゃ、お互い様だなァ」


 唐突に鎖が消滅する。

 何を仕掛けられるでもなく、勝手に霧散した。


「……ッ」


 ここで漸く、リスティルが彼を警戒していた理由を悟る。

 危険な思考や戦闘技術を持っているから、というだけではない。

 その程度の悪党など腐るほどいて、その中で頭一つ抜けていたとしても対処出来ないことはない。


 しかし今回ばかりは違う。

 シャーデンは鎖を構築する"穢れ"そのものに干渉して消し去ったのだ。

 あまりにも馬鹿げている。


 明らかに異質な存在だった。

 一人で対峙すべき相手ではないのだが、増援は絶望的だろう。

 亡骸の前で膝を折り、不条理に慟哭するグレンの声が聞こえてきた。


 その姿を見て、嘆き悲しむ声を聞いて、シャーデンは心底愉快そうに嗤う。


「他人の不幸は蜜の味ってか? 良い言葉だよなァ、最高だぜェ」


 悍ましい悪意の塊。

 齎された悲劇は数知れず、貪り尽くした後のことには興味を持たない。

 嘲笑ってきた無様な顔さえ三日も経てば忘れてしまう。


 彼が『穢れの血』として目覚めてしまったのは偶然に過ぎない。

 万象全てが見落としていたというのに、不運にも彼に邪悪な力が渡ってしまった。


「大層な肩書きを持った英雄様も結局はこのザマだ。死ぬ前に愚図共を喰らっておけば幸せだったろうになァ」


 魔物に堕ちて人を殺めても、その血肉を喰らうようなことは最期までなかった。

 その気高き心さえもシャーデンは冒涜する。


「カス共は御輿を担いで散々騒いで、ぶっ壊れてんのに気付こうともしねェ。哀れなもんだ」


 だが、とシャーデンは続ける。


「あんなんで持て囃されて喜んでる英雄様も、救いようがねェな」


 不気味な哄笑がハンデルの街に響き渡る。

 彼にとって今この場で起きている全ての事象が娯楽なのだ。


「アレが阿呆の末路だ。まァ、割りと楽しめたな」


 もっと喰えば、もっと愉快だった。

 彼はその程度の感想しか抱いていないのだ。


 この惨状では誰もハンデルを支配できない。

 狂劇からは何も生まれない。

 クリームヒルトを止められる人間がいなければ、被害は遥かに大きくなっていただろう。


「テメェも『穢れの血』なら、この魂が揺さぶられるような感動も分かるだろ?」

「興味ないですね」


 同意するような要素は一つも無い。

 シャーデン・フロイデという男の全てを嫌悪していた。


「人形遊びに興じるのは構いませんが……生憎、児戯で喜ぶ程度の人生ではないので」


 本当に下らない。

 崇高な使命を果たすための旅路で、巫山戯ふざけた男に耳を貸すほど暇ではない。


「あァ、そうかよ」


 シャーデンは呆れたように首を振る。


「なら、テメェの末路も――」


 続けようとして、口を噤んだ。

 臓腑を震わすほどの怒号が響き渡ったからだ。

 グレンの放つ強烈な殺意の奔流がハンデルを揺さぶる。


 仇敵に気付いたわけではない。

 だが、この狂劇の中で関わっていると確信していた。


 街中に漂う嫌な気配。

 魂の奥底に刻み付けられた光景にも同じものがあった。


 無数に絡み合った思惑の、一つとて報われない結末。

 愚者に嘯くだけで姿を現そうとせず、最後には必ずどこかで嗤っている。

 運良く居合わせたとしても見付け出すことは不可能だった。


 だが、この日は――。


「此方ですよっと」


 足下の影がグレンを呑み込み、ヴァンの真横に転移させる。

 この様子であれば、死を悼むあまり剣が鈍ることもないだろう。


 漸く見付け出した仇敵を前に、グレンは何を話すわけでもなく襲い掛かる。

 両手から繰り出される大剣による猛攻。

 怒号を上げながら荒々しく暴れる姿は、これまで見せたことがないものだった。


「傭兵なんざに恨まれる覚えはねェんだがなァ?」


 シャーデンは転移を繰り返し、糸を手繰り、どうにかしてグレンの動きを止めようと試みる。

 だが、転移をしても直感的に位置を悟られ、糸は引き千切られ、徐々に動きにも慣れていく。


 休む間も無く繰り出される剣戟。

 普段の冷静な判断や、強敵と対峙する時のような覇気は無い。

 純粋な殺意の塊が暴れている。


 グレンは魔力の全てを肉体強化に注ぎ込んでいた。

 身体中が悲鳴を上げるが知ったことではない。

 目の前の男を殺せさえすれば、その後の事はどうでも良いと思っていた。


「はァ……興冷めだ」


 シャーデンは面倒そうに頭を掻くと、距離を開けるために転移する。

 真正面から殺り合うのは分が悪いと判断したらしい。


「死ぬのは御免なんでなァ、此処等ここらで失敬」


 嘲笑うように手をヒラヒラと振る。

 逃げることを目的として転移されてしまうと、流石に追い縋ることは不可能だ。


 シャーデンは態々わざわざ足元に魔方陣を展開させる。

 戦闘用に改良したものとは違う、長距離の移動を目的とした本来の転移魔法だった。


「待ちやがれぇぇえええええッ!」


 魔法の発現を阻止せんと駆ける。

 後先を考えずに、一撃を叩き込むことだけに集中して。


「あァ、最後にイイコト教えてやんよ」


 転移する寸前、シャーデンは薄ら笑いを浮かべながら伯爵の屋敷を指差した。


「あの屋敷にゃ、デオン伯爵のガキが隠されてんだ。早く行かねえと愚図共に嬲り殺されちまうぜェ?」


 振り下ろした大剣が地面を抉る。

 仇敵の姿は無い。


 雨の降り続けるハンデルに、再び震えるような怒号が響き渡った。


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