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黒き聖女の黙示録《アポカリュプセ》  作者: 黒肯倫理教団
一章 アーラント教区
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3話 森林地帯(2)

 北側には村人たちが集まっていた。

 その先頭に立たされているユリィは、体を震わせながら自身の辿るであろう末路を思い浮かべる。


 振り返ると、多くの村人たちが彼女のことを見つめていた。

 哀れむような視線に晒されて、思わず息を呑む。


――私は人柱になるんだ。


 まだ年若い村娘が、故郷のために身を犠牲にする。

 ユリィはこの結末を苦と思うが、自分が逃げ出してしまえば村に残された者たちが犠牲になってしまう。

 最愛の父親が自分のせいで死ぬなど考えたくもなかった。


「さ、猿様だッ」

「猿様がいらっしゃったぞ!」


 村人たちが声を上げる。

 視界の奥の方から、村に近付いてくる複数の影が見えていた。


 それは猿のような外見をしていた。

 赤い顔も長い尾も、確かに猿と同じである。

 だが異常に発達した体躯と、アンバランスなほどに巨大な両腕を見れば、目の前の猿が魔物であると分かるだろう。


――モルデナッフェ。


 森林地帯に生息する魔物だ。

 群れて行動するだけでなく、時には集落を作るほどに知能が高い。

 しかし気性の荒さと残虐さから、亜人として扱われるようなことはない。


 また、モルデナッフェにはオスの個体しか存在しない。

 そのため、彼らは他種族のメスを集落に連れ去って、子を産ませるために飼うことでも知られている。


「ひッ……」


 モルデナッフェたちは村人たちの前に立ち、さも当然のように上から見下ろしていた。

 そして、品定めするようにユリィを見つめる。

 ある個体はこの後を想像してか涎を垂らし、ある個体は鼻息荒くユリィの体を撫でまわす。


 モルデナッフェが顔をユリィの顔に近付ける。

 血走った眼。

 獣臭い体臭。

 唸るような声。


 五感からあらゆる恐怖を感じ取り、ユリィは思わず身震いする。

 助けを乞うように振り返るが、誰も彼女と視線を合わせようとしない。


 怖いのだ。

 迂闊な行動をしてモルデナッフェの機嫌を損ねてしまえば、今度はどのような被害が齎されるか分からない。


 村長が一歩前へ歩み出て、モルデナッフェに首を垂れる。


「さ、猿様。この娘が、今月の貢ぎ物でございます……」


 その言葉の意味を理解しているのかは分からない。

 だが、モルデナッフェは村長から視線を外すと、ユリィへと手を伸ばす。


「い、いやっ……」


 恐怖で身を捩ると、丁度モルデナッフェの手を振り払う形となってしまう。


「あっ――」


 それが癇に障ったのだろう。

 モルデナッフェたちは途端に興奮したように声を上げ始めた。

 牙を剥き出しにして怒りを露にすると、拳を固めてユリィへと突き出す。


 しかし――。


「――そんぐらいにしとけや」


 巨大な金属の塊がモルデナッフェを叩き潰す。

 たった一撃で肉塊へと変貌させた。


 黒い外套を翻し、両手に大剣を一本ずつ。

 酷く苛立った様子で犬歯を剥き出し、グレンはユリィを庇うように立ちはだかる。


「来いよ猿共。躾けてやる」


 挑発の意図が伝わったのか、あるいは仲間がやられたことに憤っているだけか。

 モルデナッフェたちは奇声を上げながら一斉に飛び掛かる。


 だが、グレンは落ち着き払った様子で構え――剣を閃かせる。

 襲い掛かってきたモルデナッフェは胴体を真っ二つに叩き切られ、地に崩れ落ちた。

 血溜まりに沈む亡骸の顔を侮辱するように踏み付け、グレンは威嚇するように睨み付ける。


 殺気に当てられて怖気付いたのだろう。

 残ったモルデナッフェたちが背を向けて逃げ出すと、その姿をグレンは笑い飛ばす。


「ったく、畜生は畜生らしくしてやがれってんだ」


 グレンは満足した様子で大剣を背に収めると、ユリィに視線を向ける。酷く怯えた様子でその場に座り込んでいた。


「おい、大丈夫か」

「は、はい……でも……」


 ユリィが振り返る。

 そこには困惑する村人たちの姿があった。


「お終いだ……みんな猿様に殺しにされるッ」

「ああ、どうすれば……」

「余所者が余計なことを!」


 ユリィは助かったというのに、誰もが絶望しきった様子だった。

 中にはグレンの行動を咎める者までいて、予想外の反応にグレンは戸惑う。

 困ったようにグレンが腕を組んでいると、少ししてリスティルたちがやってきた。


「ふむ、やはりお前はその選択をしたか」

「どういうことだ?」

「簡単なことだ。この村の者たちは、自分可愛さに魔物に媚び諂って生きているのさ」


 リスティルは蔑むような眼で村人たちを見回す。

 酷い言い様に反感を抱く者もいたが、彼女の言葉に反論出来る者はいなかった。


 クラウスはユリィの元に駆け寄ると、涙を流しながら思いきり抱き締める。


「すまない、ユリィ。私はお前を守れなかった。旅の方たちに縋るくらいしか出来なかった……」


 ユリィの頭を撫でながら、クラウスは何度も謝罪する。

 しばらくそれを続けていたが、少ししてグレンたちの方に向き直る。


「すみませんでした。本当だったら、もっと早く話すべきでしたのに」

「構わねえよ。この村にも色々事情があるんだろう」


 クラウスがグレンたちを泊めたのは打算によるものだった。

 ここで恩を売っておけば、モルデナッフェの魔の手から娘を助けてもらえるのではないか。

 そんな期待からの行動だったが、実際にグレンの雄姿を目の当たりにして、それは正解だったと感じていた。


「ある時、どこからか魔物が移り住んできたのです。我々村人は安全を確保するために戦いを挑みましたが、結果はこの通りです」


 若い男たちはほとんどが戦死し、残された者たちは搾取されることになってしまった。

 農耕を主とするベレツィの村人たちは土地を手放すことも出来ない。

 そのため、定期的に若い娘を差し出すことで彼らの機嫌を取り生き永らえていたのだ。


「どうりで誰も口を利かねえわけだ。こんな状況、恥ずかしくて話せねえ」


 グレンは納得する。

 だが、同時に苛立ちも感じていた。


 魔物に屈してしまうことなど言語道断。

 今の村人たちは家畜同然の扱いだ。

 そうまでして生きていても、何一つ良い事などないだろう。


「討伐依頼は出さなかったのか? アーラント教区なら、流れ者の傭兵なんて幾らでもいるだろう」

「そうしたかったのですが、群れの主が『穢れ』の影響を強く受けているようで。エルベット神教にも村の者を使いにやったのですが……」

「『穢れ』か……」


 穢れとは、世界に蔓延する災禍の根源。

 その影響で魔物は活性化し、特に強い影響を受けた魔物は変異することもある。

 そして、それは人間も例外ではない。


 穢れを多く取り込んだ者は魔物のような変異を引き起こす。

 特に酷い者は理性を失ってしまい、魔物同様に人を襲い始めてしまうこともあった。

 半人半魔という特異な存在であるために、人々から『穢れの血』と恐れられている。


 グレンはなるほどと納得する。

 確かに穢れによって凶暴化した魔物が相手では、引き受けてくれる傭兵は全くいないだろう。

 たとえ受けられる実力の者が通りがかったとしても、この貧しい村が相応の対価を支払えるようには到底思えない。


 それだけ『穢れ』を取り込んだ魔物は危険なのだ。

 変異を起こすほどの個体は、グレン自身も傭兵稼業を始めてから相対した事は一度もない。

 特異な個体と遭遇すること自体が極めて稀であり、もし出会ってしまったならば自身の不運を呪うことだろう。


「だから、抗うことをあきらめて畜生に成り下がったってわけか」


 グレンは呆れたように溜息を吐いた。

 実際、力無き者たちが生き延びるにはそうせざるを得なかったのだろう。

 魔物に従属して村娘を差し出して、偽りの生を謳歌する。

 そうしなければ無残に殺されるのみだ。


 だが、グレンからすればベレツィの村人たちは死んでいるも同然だ。

 プライドを捨ててまで生きていることに意味は感じられない。

 我が身可愛さに村の娘たちに凌辱されることを強いるなどもっての外だ。


「それで、てめえらはどうしたいんだ?」


 真剣な表情で問う。

 村人たちは変異種に怯え切ってしまっており、グレンがモルデナッフェを殺めたことで自分たちが殺されるのではないかと絶望していた。

 誰もが声を発せない中で、ユリィが一歩前へと踏み出す。


「……私は、死にたくありません」


 震える声で小さく呟く。

 先ほど感じた恐怖は、今でも鮮明に思い出せる。


「魔物の慰め者になるなんていやです! お願いします、どうか私を助けてください!」


 今度はしっかりとした声でグレンに助けを乞う。

 先ほどの戦いを見て、彼ならば村を救えるのではないかと期待していた。


 ユリィに引っ張られるように、村人たちが一斉に助けを乞い始める。

 無様だが、彼らはそうするしか生き延びる道はないのだ。

 死にたくない、助けてくれと、村人たちが膝を突いて懇願する。


 グレンはというと、そんな彼らの様子を好ましく思っていた。


「クソ猿共の討伐は任された。だが、相応の報酬は用意してもらうぞ?」


 高名な傭兵であるグレンを雇うには莫大な金額が必要となるだろう。

 この貧しい村にそれほどの余力があるようには見えない。

 不安そうな村人たちの視線を受けて、グレンはユリィに視線を向ける。


「そうだな……戻ってきたときに旨い飯が食いたい。それで手を打ってやる」


 その言葉を聞いて、村人たちは顔を明るくさせた。

 リスティルはその様子を満足げに見つめ、グレンに歩み寄る。


「外見に似合わず、随分とお人好しだな?」

「ただの気まぐれだ」


 グレンは鼻を鳴らしてそっぽを向く。

 傭兵らしからぬ行動だった。

 報酬を求めないとまでは思っていなかったが、リスティルはこれまでのやり取りで多少なりとグレンの人柄が分かってきた。


 粗暴な外見をしているが、その内面は非常に理知的。

 そして人間らしい情を持ち合わせている。

 狂犬という異名を持つにしては、随分と"まともな人間"のように思えた。


 そんなリスティルの視線を受けて、グレンはやりづらそうに頭を掻いた。



   ◆◇◆◇◆



 一行は再び森の中を進んでいた。

 不自然なまでの静けさも、村の事情を知った後では疑問に思うようなこともない。


「猿共が食い散らかしてやがる」


 グレンは不愉快そうに顔をしかめる。

 進むにつれて動物などの死骸が増えてきていた。

 中には大型の魔物の骨などもあり、モルデナッフェたちの狩猟能力の高さが窺える。


 森林地帯の魔物は気性の大人しい草食のものが多い。

 そのため、ベレツィのように農耕を主とした小さな村でもやっていけるのだ。

 時折行商人が訪れることもあったが、今は不自然な森の様子に恐れをなしてか、村に近付こうとする者は少ない。


「おい、リスティル」

「なんだ?」

「お前はどうやってこの情報を手に入れたんだ?」


 グレンが尋ねる。

 傭兵である彼でさえ、アーラント教区にこんな異変が起きているという情報は得られなかった。

 そんな情報を如何にして得たのか気になっていた。


 ベレツィの村は完全にモルデナッフェの手に落ちている。

 場合によっては監視されているかもしれない。

 そんな状況では外部に助けを求められるはずもなく、この危機を知り得る手段など存在しないのだ。


「ふむ、それが知りたいのか」


 リスティルは感心したように頷く。

 彼女はある目的を持ってベレツィの村を訪れたのだ。

 それを感じ取ったグレンの直感と知性は侮れない。


「そうだな……話すよりは、実際に見せた方が早いだろうな」


 そう言いつつも、リスティルは何かをするそぶりを見せない。

 今すぐ見せることはできないらしい。

 グレンは街での会話を思い出し、その正体に辿り着く。


「例のまじないってやつか?」

「ああ、そんなところだ。実際に見せるのは、モルデナッフェを討伐してからにするとしよう」


 リスティルの勿体ぶった態度にグレンはため息を吐く。

 そう易々と見せられる代物ではないのだろう。

 ある程度の信頼を築いてからでなければ、彼女の腹の内を知ることはできない。


 進むにつれて血の臭いが濃くなっていく。

 すぐ近くにまで来ているのだろう。

 グレンは先頭に立って周囲を警戒しつつ進んでいく。


「猿共と遭遇したら俺が相手をする。ヴァン、お前はリスティルの子守でもしてろ」

「またリスティル様を侮辱して……ッ!」


 反論しようとするが、それよりも先に敵の気配に気付く。

 どうやらモルデナッフェの集落は目前のようだ。


 グレンは背負った二振りの大剣を手に取る。

 重厚な鋼鉄の大剣。

 その重量は、常人では持ち上げることさえ難しいほど。


 黒い外套を翻し、ゆっくりと息を吐き出す。

 精神を研ぎ澄ましていくが、そこには鋭いナイフのような殺気もあった。


――これが『狂犬』グレン・ハウゼン。


 一流の傭兵が魅せる、戦場での顔。

 視界一杯に広がる絵画のように、逞しく勇ましい。


「行くぞ」


 モルデナッフェの集落を蹂躙すべく、歩みを進める。

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