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黒き聖女の黙示録《アポカリュプセ》  作者: 黒肯倫理教団
二章 彩戟のクリームヒルト

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23話 翠嵐鳥(2)

 その後はクリームヒルトの様子も落ち着いていた。

 未だに耐え難い悪食衝動に襲われているようだったが、必死に押し殺しているらしい。

 時折グレンが声を掛けると「大丈夫、ありがとう」と笑みを返していた。


 何を契機として錯乱状態に陥るかは不明だ。

 このまま精神を摩耗し続けると、いずれ心が折れてしまうだろう。

 必要以上に不安を煽るわけにもいかないため、グレンはどう接していいのか決めあぐねていた。


 時間は有限だ。

 彼女を救うためには、僅かな時間も無駄に出来ない。


「……ん?」


 ふと、クリームヒルトは道の先に怪しげな影を見つける。

 何台もの馬車が停まっており、街道を遮るように壁を作っていた。


「交戦中って様子じゃねえな……警戒しとけ」


 グレンは訝しげに前方を見据える。

 日が昇っている内から賊が襲ってくるとは思えない。

 もし敵襲だったとしても、今の戦力で突破出来ないような事態は早々無いだろう。


 であれば、反乱を企てる集団だろうか。

 以前接触してきたことを考えれば、再びクリームヒルトの前に姿を現すことも考えられなくもない。


「多分、私の客人だろうね」


 腰に帯びた剣の柄に手を添える。

 粗暴な集団に反乱の神輿として担ぎ上げられるなど御免だ。

 それに、個人的な事情に巻き込んでまで、皆の手を煩わせるわけにはいかないと考えていた。


 だが、グレンは否定する。


「なら精々、手厚く歓迎してやろうじゃねえか」


 掌に拳を打ち付けて、犬歯を剥き出しにして嗤う。

 少なくとも友好的な集団でないことは確かだ。

 常識的な思考の持ち主ならば、道を塞ぐような強引な手段を選ぶようなことはしない。


 同行すると決めた以上は、どのような面倒事でも引き受ける。

 それが傭兵としての矜持であり人間としての情だ。


 強引に打ち破らんと闘志を高めていたグレンだったが、徐々に近付くにつれて表情が変わっていく。


「おい、あの馬車は……」


 荒れ果てた炭鉱地帯に似付かわしくない、豪華な装飾の施された馬車だった。

 純白の客車を取り巻くように鎧姿の騎士たちが並んでいる。

 何よりも、彼らの掲げている蒼旗に見覚えがあった。


――エルベット神教。


 青地に白十字の描かれた特徴的な旗を見紛うはずもない。

 どうやら、デオン伯爵領まで態々(わざわざ)軍を率いて来たらしい。

 明らかに友好的な集団ではなかった。


 此方こちら側には『穢れの血』が二人いる。

 もし何らかの手段で気配を察知されるようであれば、交戦は免れないだろう。


「……お前らは馬車で待ってろ」


 朧気に顔が認識出来る距離まで近付くと、グレンは馬車を停める。

 御者台から降りて相手の動きを窺うが、即座に襲い掛かってくるような事は無かった。

 先頭には壮年の神父が堂々と佇んでいる。


「俺たちに何の用だ?」


 無手のまま、徐々に歩み寄りつつ殺気を含ませて尋ねる。

 行く手を阻まれている以上、生温い問答は出来ない。


 壮年の神父は臨戦態勢に入りつつ、合わせるように歩みを進めてきた。


其方そちら側に『彩戟』の異名を持つ剣士がおりますな? その身柄を引き渡してもらいたい」

「ふざけんじゃねえ。何の大義名分があって出張ってきやがった?」


 グレンは語気を強める。

 尋ねるまでもなく、相手はクリームヒルトの正体に勘付いている。

 即座に実力行使に出ない辺りは慎重な思考の持ち主なのだろう。


「これは失敬、名乗りがだでしたな」


 彼我の距離は開いている。

 しかし、只ならぬ強烈な殺気がグレンの肌を刺す。

 ただの神父と侮るにしては、随分と場慣れしているようにも見えた。


「――私はエルベット神教、枢機卿序列三位『鉄槌』ゲオルグ・ロイエ・ア・ポステルと申します」


 丁寧に一礼する。

 その所作一つを取っても隙が無い。

 枢機卿の肩書きを背負っているだけあって、相応の実力を備えているように思えた。


「して、今回の目的ですが――この度、聖下の元に神託が下りました。この地に蠢く邪悪な存在について、まさか心当たりが無いとは言いますまい?」


 その問いに、グレンは苦虫を噛み潰したような顔をする。

 事実であれば誤魔化しは無意味だ。

 馬車に身を潜めているリスティルであれば、上手く話を運べただろうか。


 現時点では、荷車から様子を見ることを選択したらしい。

 二人が即座に飛び出して来ないということは、即座に危険な状況に陥るようなことは無いのかもしれない。


 後方を窺う。

 待つように伝えたはずだったが、御者台に座っていたクリームヒルトが此方に向かってきていた。

 焦燥に駆られたように歩みを進めている。


 それだけ責任を感じているのだろう。

 エルベット神教に目を付けられたのは自分のせいであって、グレンにまで重荷を背負わせるわけにはいかないと考えていた。


 何か問題が生じたとしても戦力的に不足しているという事は無い。

 練度の高い騎士が相手であろうと、グレンからすれば脅威足りえない。

 ゲオルグと名乗った神父だけが気掛かりだが、それ以外はどうにでもなるだろう。


「……私に用があるんだよね?」


 クリームヒルトの顔色は酷く悪かった。

 その頬や首筋を汗が伝う。


 彼女の姿を見て、ゲオルグは目を細める。


「この気配……実際に対峙してみてすぐ分かりました。その方は紛う事無き『穢れの血』のようですな」


 処刑の宣告に等しかった。

 エルベット神教の枢機卿に目を付けられたとあれば、如何にクリームヒルトと言えど逃げられないだろう。


「大人しく処刑を受け入れると宜しい。調査をする上で貴女の活躍は度々聞き及んでおりますが……それとこれとは、話が違います故」


 エルベット神教の教義に反する者は問答無用で処刑する。

 それは、英雄と呼ばれるほどの功績を積んでいたとしても例外ではない。


 ゲオルグは本気で彼女を殺そうとしている。

 表面上は穏やかな様子で振舞っているものの、その内では荒波のような殺意が渦巻いている。

 よほど『穢れの血』を憎んでいるらしい。


 話し合いは無意味だ。

 彼を退けるには実力行使をするしかないだろう。

 だが、クリームヒルトの表情は硬い。


「こうなることは、覚悟はしていたよ。私は、もう……人間じゃないからね」


 震える声で呟く。

 極めて不味い状況であることを理解していた。

 もし強行突破を図るのであれば、グレンたちにまで迷惑を掛けてしまう。


 エルベット神教の勢力は大きい。

 それこそ、この時代において最も力を持っているといっても過言ではない。

 もし手配書を出されるような事態になれば、今後の活動に大きな影響が生じることだろう。


 既に精神は限界を超えている。

 このまま耐え続けられるとは到底思えない。

 であれば、この機会に死を選んだ方が賢いのではとクリームヒルトは考えていた。


「利口ですな」


 ゲオルグは拳を構える。

 得物の類は持っておらず、その体格の良さからも拳闘士であることが窺えた。

 その拳に驚異的な量の魔力が宿る。


 ゆっくりと歩みを進めるゲオルグに対して、グレンは殺気を露にして警告する。


「こっちはデオン伯爵から直々に依頼を受けてんだ。邪魔立てするなら容赦はしねえぞ」

「はて、そうは思えませんな。既に彼女は死を受け入れているご様子」


 横目で窺えば、クリームヒルトは黙ったまま佇んでいた。

 抵抗するような素振りも見せない。


 ゆっくりと息を吐き出し、ぎゅっと目を瞑る。

 震える拳を固く握り締めていた。

 英雄と呼ばれる彼女であっても、死は耐え難い恐怖を感じてしまう。


 ゲオルグは瞬時に間合いを詰めると、凄まじい勢いで拳を突き出す。

 鈍い音が荒野に響き渡った。


 だが、その表情は険しい。


「……それはエルベット神教に対する敵対行為、と捉えてよろしいですな?」


 彼の拳は、グレンの手によって阻まれていた。

 敵対する危険性と天秤に掛けても、やはりクリームヒルトの命の方が遥かに重い。


「敵対だぁ? 勘違いしてんじゃねえよ。てめえを殴って説得するだけのことだ」


 背負った二本の大剣を抜くことはしない。

 そうなってしまえば完全に敵対の意思を示したことになってしまう。

 グレンにとって、これは交渉なのだ。


「ついでに一つ聞かせてもらうが……マルメラーデ監獄から移送された囚人たちは今どうしてんだ?」


 その問いに、ゲオルグは興味を抱いたようにグレンを見詰める。


「何故、それをお尋ねに?」

「その場にいたからな。枢機卿ってんなら、その後の処遇くらいは聞いてんだろ?」


 シェーンハイトの口添えがあるとはいえ、相手は厳格な教義を重んじるエルベット神教だ。

 実際に聞くまでは安心出来ない。


 そこでゲオルグは察してしまう。

 以前の会議でシェーンハイトが"ラインハルト卿に匹敵する"と褒め称えた傭兵の存在を思い出したのだ。

 その特徴を見れば、確かに目の前の戦士は情報と一致している。


 ゲオルグは困ったように肩を竦める。


「残念ですが、その者たちは全員処分しました」

「……なんだと?」


 事実を濁して伝えるのは、後々に禍根を残してしまう。

 もしシェーンハイトの見立てが正しければ敵対すべきではないだろう。

 ゲオルグとしても、それほどの強者を相手取りながらクリームヒルトの命を狙う余裕は無い。


 この場で怒りを買ってしまうことは諦めていた。

 囚人を処刑するという判断は合理的だが、倫理的に正しい行いであるとは思っていない。

 だからこそ、今出来るとすれば事情を誠実に説明するのみだ。


「当然、此方としても本意ではありませぬが……『六芒魔典ヘクサグラム』が暗躍している以上、不要な危険を抱えている余裕は有りませぬ故」


 クラウスとユリィの姿を思い出す。

 監獄から解放された直後の、希望に満ち溢れた笑顔が忘れられない。


 きっと希望を抱いて中央教会へと移送されていったのだろう。

 漸く訪れた解放の時。

 僅かな労役は課されるだろうが、いずれ自由になれると信じていたはずだ。


 それを、エルベット神教は問答無用で処刑したというのだ。

 到底許せるはずがない。


「……てめえを殴るのに、十分すぎる理由が出来たぜ」


 グレンは拳を構え、殺気を滾らせる。

 命までは取らないつもりだが、この怒りが収まるまでは容赦しないつもりだった。


――『狂犬』グレン・ハウゼンは、確かに報告通りの傑物だ。


 その凄まじい剣幕に、ゲオルグの額から汗が伝う。

 これまで感じたことのない強烈な気配。

 たったそれだけで萎縮してしまい、成程と納得したように頷く。


「クリームヒルト。お前は下がってろ」

「けど、私は……」

「いいから、任せておけって」


 いずれにせよ交戦は避けられない。

 ゲオルグには教皇より与えられた大義名分があるが、グレンは力尽くでその権利を奪い取ろうというのだ。

 彼女の生死を決めるのは強者であって、どれだけ口が回ろうと今の時代においては無意味。


 クリームヒルトは嬉しさのあまり、思わず笑みを零す。

 自分のためにここまで尽くしてくれた者など他にいただろうか。

 英雄と呼ばれる彼女は、常に与える側の存在だった。


 だからこそ、彼の期待に応えたい。

 穢れの侵食に負けていられない。

 そんな想いがあった。


「……ありがとう。少しだけ、勇気が貰えたよ」


 そして、勇ましく剣を抜き放つ。

 日差しを受けて刀身が眩く輝いていた。


 死にたくない、穢れに呑まれたくない。

 そうやって恐怖に抗い続けるだけだった。

 その感情が今、強い覚悟によって支えられた"生きたい"という希望へと変化していた。


「……いいのか?」

「大丈夫。私だって、腕に自信はあるからね」


 グレンの優しさに甘えたいという弱さもある。

 しかし、自分の力で道を切り開くことも重要だと実感している。

 誰かに頼るばかりでは、それこそ存在意義を見失いかねない。


 故に、クリームヒルトは英雄として剣を振るうことを選択した。


「致し方ありませんな」


 ゲオルグは静かに拳を構える。

 卓越した武の心得があるのだろう。

 寂れた荒野に、微かに風が吹く。


 英雄と称されるほどのクリームヒルトを相手にどれだけ通用するかは不明だ。

 しかし、目の前にいる『穢れの血』を見逃すわけにもいかない。


「いざ――参るッ」


 外見に見合わない素早い身のこなしだった。

 ゲオルグは瞬時に間合いを詰めると、腰を低く落とし、突き上げるように拳を繰り出す。


 洗練された動きだった。

 日々の鍛錬が窺える、優れた一撃。

 クリームヒルトは感心したように笑みを浮かべると、迎え撃つように剣を振り下ろす。


「――ッ!?」


 手応えは予想以上に鈍い。

 素手だというのに、その拳は金属の塊の如き硬質さと重量を感じる。

 腕に自信のあるクリームヒルトだったが、ゲオルグの優れた技術によって初撃は拮抗していた。


「未だ未だぁッ!」


 気迫に満ちた咆哮と共に、ゲオルグは両手を組み合わせて振り下ろす。

 込められた魔力量を警戒して後方に飛んで回避する。

 その直後、攻撃の余波で先ほどまで彼女が立っていた地面が大きく陥没した。


 正しく『鉄槌』の肩書きに相応しい戦いぶりだった。

 武器を持たずに戦うだけあって、彼の体術は紛う事無き一級品だ。


 絶え間なく放たれる拳打。

 両腕で交互に繰り出されるのだから、剣一本で捌き切るには厳しい状況だ。

 苛烈な猛攻に晒されて、程良く闘志を刺激されていく。


 一見すると温厚な神父のようだが、内に秘めた闘志は極めて獰猛。

 磨き上げた技術と膨大な魔力量。

 確かに枢機卿の肩書きを背負うだけの事はあるだろう。


 しかし、彼女とて場数は踏んでいるのだ。

 特に『穢れの血』として目覚めて以降は強者との戦いに事欠かなかった。


 ゲオルグは実力の高い相手だが、常人の範疇に収まっている。

 技術的には特別大きな隔たりは無い。

 元々直接的な戦闘は得意な方ではなかったが、穢れの影響によって魔力も身体能力も飛躍的に向上している。


「さあ、いくよッ!」


 剣を虚空に滑らせると、軌跡に色鮮やかな魔力光が走る。

 彼女の持つ『彩戟』の異名、その真価が解き明かされていく。


「――紅棘こうし


 素早く肉迫し、急所を狙った刺突を放つ。

 ゲオルグは咄嗟に拳を繰り出して迎え撃とうとするが、直後に異変が起こった。


「これはッ!?」


 剣閃は拳で受け止めた。

 そこまでは何の問題もない。

 だが、剣の纏った紅い魔力光が、ゲオルグの脇腹を掠るように穿っていった。


 クリームヒルトは好機と見ると、休む暇無く次へと繋げる。


「――碧波へきは


 剣がみどりの魔力光を帯びる。

 ゲオルグは先ほどの一撃を警戒して後方に飛び退くが、その間合いから逃れられない。

 横薙ぎに振るわれた剣は、本来の間合いよりも遥かに長く空間を断ち切る。


 腕を交差させて防ぐが、クリームヒルトの剣戟は膨大な魔力が込められている。

 常人の肉体強度では当然ながら防ぎきることは不可能だ。


「くッ――」


 切断を免れたのは、彼が肉体の強化に重きを置いて鍛錬を積んできたからだろう。

 それでも両腕に耐え難い激痛が走り、思わず呻いてしまう。


 まだ傷は浅い。

 この程度であれば戦闘を継続することは容易だ。

 後方に待機させた騎士も参戦させれば、彼女一人であれば取り押さえられるはずだった。


 しかし、グレンの存在がそれを許さない。

 二人の戦闘を最も近い位置で眺めながら、騎士たちが介入出来ないように目を光らせている。

 もし僅かでも不穏な動きを見せたなら、彼は容赦無く背負った二本の大剣を手に取ることだろう。


(さて、どうしたものか……)


 単独で制圧するには厳しい相手だ。

 この場にもう一人くらい枢機卿がいれば事態は違ったかもしれないが、それは無いもの強請りというものだ。

 現状を打破するにはゲオルグ自身で道を切り開かなければならない。


 実力自体に大きな差は無かった。

 精密な剣閃から一定以上の理性も見て取れる。

 目の前の『穢れの血』は、確かに"英雄"と呼ばれるのも納得が出来る器だった。


 彼女一人を相手取るにも苦労するというのに、その後ろではグレンが目を光らせている。

 これではあまりにも分が悪い。

 もし本気で殺し合いをするとなれば、結果は考えるまでもない。


 その様子から勝敗が付いたと察したのだろう。

 クリームヒルトは殺気を僅かに落ち着かせると、険しい表情を浮かべているゲオルグに尋ねる。


「この辺りで終わりにしない? このまま帰ってくれるなら、私としては有難いんだけどなぁ」


 追撃は仕掛けずに交渉を試みる。

 相手は悪人ではなく、まして世界の秩序と安寧を維持するために戦う枢機卿なのだ。

 ここで殺めてしまうような事があれば、それこそ彼女の意思に反してしまう。


 故に、一瞬の打ち合いにおいても手加減をしていた。

 僅かな時間の中で、こうまで差を見せられてしまえばゲオルグも黙らざるを得ない。


「……不本意ですが、敗者に物申すことは許されませぬ故。この場は潔く撤退しましょう」


 構えを解除して、殺気を鎮める。

 もう戦う意思は無いと示すと、クリームヒルトもそれにならって剣を収めた。


 ゲオルグは真剣な眼差しで、今度はグレンに視線を向ける。


「しかし、穢れとは徐々に進行していくものです。聞くまでもないこととは思いますが……当然、理性を失った彼女を殺す覚悟がお有りでしょうな?」


 クリームヒルトの力量は把握出来た。

 それ故に、もし理性を失ってしまえば、彼女を止められる者が限られてしまう危険性も考慮しなければならない。


「そんな事態にならねえように、俺たちが同行してんだ」

「それでは甘い……甘すぎるのです。『穢れの血』は、貴方が想像しているよりもずっと恐ろしい」


 その言葉には恐怖と、そして微かに憎悪の色が感じられた。

 何かしらの因縁があるのだろうか。

 グレンがシャーデンを追っているのと同様に、彼にもまた事情があるのかもしれない。


 ゲオルグは再びクリームヒルトに向き直る。


「英雄に光を見出している民衆は多いでしょう。その期待に応えたいという貴女の想いも尊重されるべきでしょう。ですが、穢れの侵食に抗うなどという絵空事は、どこかで捨て去らねばなりませぬ」


 少なくとも、ゲオルグが接触してきた相手は皆全て平和を脅かす危険な存在だった。

 一度足りとて理性を保った試しがない。

 エルベット神教では、これまで何体もの『穢れの血』を捕縛してきたが、最後まで理性を残した者は一人もいなかった。


「『穢れの血』となった以上、貴女は人間ではない。その力は少々惜しい気も致しますが、理性が残っている内に自害なさるといいでしょう」

「忠告は受け取っておくよ。でも、私は最後まで諦めないよ」


 危険は承知の上で、こうして戦い続けることを選んだのだ。

 ゲオルグの言葉が正しいことは理解している。

 だからといって、道半ばで歩みを止めることなど考えられなかった。


「それに、いざとなればグレンさんがいるからね」


 信頼している、といった様子で視線を向ける。

 もし理性を失ってしまったとしてもグレンならば止めてくれると信じていた。


「……ああ、そうだな」


 だが、グレンの態度は煮え切らない。

 クリームヒルトが錯乱してしまった時は全力で正気に戻そうと尽力するだろう。

 もし理性を失って魔物となってしまったなら……と考えることは、酷い苦痛を伴うため避けてしまっていた。


 未だに覚悟は出来ていない。

 彼女は根っからの善人であって、決して無残な最期を遂げるべき存在ではないのだ。

 当然ながら最後まで努力するつもりだが、その手で殺めるには抵抗があった。


 その様子にゲオルグは不服そうな表情をしていたが、先ほど宣言した通り、これ以上続けるつもりはないようだった。

 彼が手を下さずとも、近い内に理性を失うことは目に見えている。


「それでは……失礼致します」


 背を向けて、馬車の方へと去って行った。

 彼にも正義があるのだろう。

 決して間違った考えではないだけに、その言葉を咎めるようなことまではしない。


 馬車に戻ると、リスティルが満足げな表情で出迎えた。


「感心したぞ。まさか、あやつの拳を阻むとは思わなかった」

「大したことじゃねえよ。俺は請け負った仕事を果たしたまでだ」


 そうは言うものの、先ほどの行動は感情に支配されていた。

 理性的に考えればゲオルグに従う方が犠牲は出さずに済むだろう。

 それでもグレンが抵抗することを選択したのは、やはりクリームヒルトに情が移ってしまったからだろうか。


 いずれにせよ、何か問題が生じればリスティルが指示を出していただろう。

 後方にヴァンが控えていたため、特に心配するような要素も無かった。


 そして、馬車は再び街道を進み始める。

 最初の目的地であるエルツの村は目前に迫っていた。


「じきに村に到着するが……被害は甚大だ。予め、腹を括っておけ」


 リスティルはクリームヒルトに視線を向ける。

 彼女が村の光景を見た時に、理性を失わずにいられるか危惧していた。

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