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黒き聖女の黙示録《アポカリュプセ》  作者: 黒肯倫理教団
二章 彩戟のクリームヒルト

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22話 翠嵐鳥(1)

 炭鉱地帯はハンデルから見て北西に位置している。

 デオン伯爵領は物資流通のために街道が整備されており、特に移動で困るようなことは無い。

 一行は馬車を借りて、先ずは炭鉱地帯にあるエルツの村を目指して移動していた。


 しばらくは草原地帯の移動が続くだろう。

 緑豊かな景色が続き、柔らかな草々のそよぐ香りが心を落ち着けさせる。


 緩やかで平坦な道だった。

 街道は往来する馬車などに踏み固められ、暖かみのある茶褐色の土が露出している。

 御者台に座るグレンは、心地よい日差しを浴びながら手綱を握る。


「良い景色だ」


 思わず呟いてしまう。

 これまでの彼は、復讐の為に力を追い求めるだけで精一杯だった。

 以前伯爵領に立ち寄った際も、こうして景色を眺めるだけの余裕は無かった。


 デオン伯爵から借りた馬車は随分と乗り心地が良かった。

 車輪に何かしらの仕掛けを施しているらしく、他の馬車と違い揺れが軽減されている。

 こういった技術が今の時代に発展していることにグレンは感心していた。


 改めて平和の有難みを噛み締める。

 混沌の時代において、これほど素晴らしい領地経営を成せるのはデオン伯爵くらいだろう。

 同時に、この安寧を乱そうとする輩が許せないと感じていた。


「グレンさん、ちょっと横に座ってもいいかな?」


 荷車からクリームヒルトが顔を覗かせる。

 彼女もまた、辺りに広がる平穏な光景を楽しみたいのだろう。


「ああ、構わねえぜ」


 グレンが横に詰めると、空いた場所にクリームヒルトが座る。

 どうやら荷車の中が窮屈だったらしく、気持ち良さそうにぐっと伸びをした。


「やっぱり、景色を眺めていると心が安らぐね」


 嘘だ、とグレンは感じた。

 表面は上手く取り繕っているように思えるが、本当の彼女は憔悴しきっている。

 耐え難い悪食衝動に現在も苛まれているのだ。


「……そうだな」


 言葉にはしない。

 少しでも気が休まるのであれば、話を合わせる方が良いはずだ。


「この光景はデオン伯爵だけの手柄じゃねえ。ここらを拠点に活動してる、お前の手柄でもある」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、私は大した人間じゃないよ」


 自分が『穢れの血』であることを重く感じているようだった。

 生身の人間とは違い、穢れの影響を受けた者は身体能力も魔力量も飛躍的に向上する。

 全て自分の功績とまでは胸を張って言えなかった。


「それに、グレンさんは穢れの影響を受けてないよね? 本当の一流っていうのは、こんな悍ましい力に溺れたりはしないんだ」


 クリームヒルトは自嘲気味に笑う。

 与えられた"英雄"の肩書きを背負いきれていないらしい。

 元は流れ者の傭兵であって、腕に自信はあるものの万人から称賛されるほど優れてはいないと感じていた。


 故に、彼女が大切に抱えているのは『彩戟』の異名のみ。

 磨き上げた技術だけは自分の価値だと信じたい。

 そんな思いがあるからこそ、穢れの侵食を畏れつつも剣を捨てるような真似は出来なかった。


「そんなことはねえ。手にした得物を如何に活用して死線を潜り抜けるか……それが重要だ」


 たとえ『穢れ』であろうと、生き延びるために利用する。

 仕事を成し遂げてこそ一流の傭兵だ。

 そのために手段を問う必要はない。


「高潔な騎士や聖職者なら違うかもしれねえが、傭兵稼業ってのはそういうもんだろ?」


 その言葉にクリームヒルトは目を丸くする。

 英雄という肩書きを背負ってから、深く考えすぎていたのかもしれない。


「……あはは、そうかもしれないね。ちょっと難しく考えすぎたかな」


 安堵したように脱力して、後ろにもたれた。

 彼女は真面目過ぎる節がある。

 そのせいで、自身を律しすぎてしまうところには危うさを感じるほどだ。


 良くも悪くも彼女は善人だ。

 その技量も相まって、英雄として祭り上げられるのも納得してしまう。

 彼女の手によって命の危機から救い出されたなら、きっと誰もが感謝と共に尊敬の念を抱くだろう。


「そういえば、さっきから気になっていたんだけど……それは何をしているのかな?」


 そう言って、クリームヒルトはグレンの体を見詰める。

 正確には、その表面を覆う魔力を指していた。


「ああ、こいつか。前に戦った『穢れの血』が器用に体表を魔力で覆っていたんだ。随分頑丈だったから、俺にも真似出来ねえかと思ったんだが……」


 マルメラーデ監獄で対峙したシュラン・ゲーテは驚異的な肉体強度を誇っていた。

 苛烈な猛攻を素手で迎え撃つほどの頑丈さで、守りに関してはヴァンやシェーンハイトでは深手を与えることが厳しいほどだった。

 それを自身も習得できたなら、きっと今後の旅にも役立つことだろう。


「厳しいな。俺は元々器用な方じゃねえ。魔力量に余裕はあるが、これだと実戦で使うには不十分だ」


 体表を覆う魔力外皮には全体的にむらが目立つ。

 肉体強度を上げるにしても、このままでは実戦で任せられるほど信頼出来ない。


 本来は鍛え上げた肉体を活かして戦うのがグレンのやり方だ。

 大技に魔力を注ぎ込む以外は、ほとんど自身の身体能力だけで大剣を振り回している。

 こういった細かい技術の習得は不得手な方だった。


「確かに、難易度の高そうな技術だね……」


 クリームヒルトは熱心に魔力の流れを観察する。

 常人から見れば十分すぎるほどの完成度だ。

 少なくとも、危機を察知して咄嗟に守りを固めるには十分なように思えた。


 だが、グレンは其処そこで満足しないのだろう。

 これまで攻撃に重きを置いてきた彼の魔力は、唸る荒波のように暴れていた。


「……もっと、繊細な魔力操作が必要かもしれない。少し触れてみてもいいかな?」


 頷くと、クリームヒルトは魔力外皮にそっと手を添える。

 瞑目して魔力の流れを感じ取り、波を鎮めるように意識を集中させていく。


「……ん?」


 グレンは違和感を抱いた。

 普段とは異なる質の魔力が流れ込み、徐々に流れが緩やかになっていく。

 こうして直接干渉することで、成功時の感覚を掴み易いようにしているのだろう。


 暴力的な魔力行使だけが技術ではない。

 クリームヒルトのような精密な操作もまた、一つの技術だ。


「これでどうかな。何か掴めそう?」

「ああ、何となくだが……」


 一人で鍛錬を積むよりも遥かに有益な時間だった。

 謙遜しているものの、やはり彼女の磨き上げてきた技術は一流だ。


 穏やかな魔力の流れを感じる。

 先ほどよりもむらが無く、全体的に魔力の流れが均一になっていた。

 まだ実戦で使うには不安が残るが、修行を重ねていけば精度は上がっていくことだろう。


「ほんと、すごい向上心だね」


 名残惜しそうに手を離すと、クリームヒルトは感心したように頷く。

 彼女が傭兵として各地を巡り歩いていた時、その噂を幾度も耳にしていた。

 実際に出会ってみて噂は誇張されているわけではないと確信を持ち、同時に"それ以上の強さを求める必要はないのでは"とさえ感じてしまう。


 だが、グレンは首を振る。

 未だ復讐は成し遂げておらず、さらに今後も『六芒魔典ヘクサグラム』のような強大な敵を相手にするには力量不足に感じていた。


「鍛えて困るようなことはねえからな。備えあれば憂いなしってやつだ」


 混沌の時代を生き抜くには力が必要だ。

 どれだけ強かろうと過ぎるような事は無い。


 ハンデルから離れるにつれて、徐々に緑が失われていく。

 土の香りだけが周囲を取り巻いて、道もひび割れて起伏も激しくなってきた。

 荷車で揺られていたリスティルが顔を覗かせる。


「ふむ、そろそろ見えるかもしれんな」

「何が見えるってんだ?」


 その問いにリスティルは上を指差す。

 視線を向けると、見渡す限り澄み渡った気持ちの良い空が広がっていた。


「奴が姿を現すぞ。恐らく問題は無いはずだが……一応、警戒しておけ」


 リスティルは懐から羊皮紙を取り出す。

 デオン伯爵から受け取った討伐依頼の内容が書かれている書類だ。

 どうやら、件の魔物が縄張りとしている地域に近付いてきたらしい。


 その時――遥か上空から、乾いた大地に影が落ちた。


「――ッ!?」


 思わず言葉を失ってしまう。

 太陽の日差しを遮るように、巨大な怪鳥が雄大な蒼穹を切り裂く。


――『翠嵐鳥』ファウスマラクト。


 の魔物は、竜と見紛うほどに大きな体躯をしていた。

 胴体は闇色の羽毛に覆われて、尊大に広げられた両翼は翡翠のように透き通っている。

 長い尾が風を受けて艶めかしく揺れていた。


 そこらを跋扈する魔物の類とは明らかに格が違う。

 モルデナッフェと対峙した時を想起させるような濃い『穢れ』の気配。

 大きな鉤爪には、どこからか連れ去ってきた家畜の牛が力無く掴まれていた。


「こいつは、ちっとばかし骨が折れそうだ」


 久々に狩り甲斐のある魔物だ。

 ここしばらくは移動続きで、苦戦を強いられるような強敵と遭遇することが無かった。

 戦士の血が苛烈な闘争に飢えていた。


「ちょっと厄介そうだね。空を飛ばれると攻撃手段が限られちゃうし」


 クリームヒルトも意識を切り替えて思案する。

 地上で戦うのであれば十分すぎるほど頭数は揃っている。

 しかし、こうして上空を飛ばれてしまうと、特に近接戦に特化したグレンは戦い辛いだろう。


「どこかで魔術師を雇えればいいんだけれど……相応の使い手ってなると探すのは難しいかもしれないね」

「最低でも第三階梯魔法の行使ができなければ戦力にならん。反乱までの猶予を考えるに、悠長に探している暇は無さそうだ」


 そう言って、リスティルは困ったように嘆息する。


 体系化された一般的な魔術は第一階梯から第七階梯まで分かれている。

 特に高位の魔法を行使するには並外れた才能と魔力量が必要であり、実戦で役立つ段階まで習熟させるには途方もない努力も要する。

 そのため、今の時代では体を鍛えて武器を振るう者の方が圧倒的に多かった。


 また、反乱の規模によっては助力する必要性も生じるかもしれない。

 今後の事を考えると、ファウスマラクトの討伐に必要以上に時間を割くことは出来ないだろう。


「ってことは、俺たちだけでどうにかしねえとな」


 ファウスマラクトの巨躯は危険だ。

 上空からの強襲を繰り返されると此方こちらが疲弊してしまう。

 予め対策を練って、上手く対応する必要があるだろう。


 グレンは荷車にいるヴァンに声を掛ける。


「ヴァン、何か有効な手はねえか?」


 すると、ヴァンはリスティルにならって荷車から顔だけを覗かせる。

 胡散臭い糸目も相まって少々不気味に感じた。


「……お前がすると気色悪いな」

「煩いですね。貴方たちが御者台で睦み合ってるせいで、顔を出すくらいの隙間しかないんですよ」


 激しく咎めるほどではないが、少々癇に障ったらしい。

 ヴァンは呆れたように溜息を吐く。


「まあ、手段は幾つかありますけど。僕としては、あまり手の内を晒したくないのが本音ですが……今回は仕方がありませんね」


 ヴァンの器用さはグレンも高く評価している。

 既に空間収納や転移、諜報能力など様々な点で活躍しており、だというのに未だ隠している技術が多いと言う。

 ファウスマラクトを討伐するにあたって、彼は重要な役割を担うことだろう。


「器用だね。私はそういった技術はないから、ちょっと羨ましく感じるなぁ」

「僕ですからね。当然でしょう」


 謙遜することもなく、ヴァンは当たり前のことだと認識していた。

 実際に多才な芸当を見せ付けられているため、否定出来ないのが悔しく感じた。


「対策は後ほどエルツの村で練るとして、優先して話すべきは反乱についてですかね」


 ヴァンはハンデルの街に到着してから率先して情報収集を行っている。

 ある程度の情報はデオン伯爵から得られたが、全てを鵜呑みにするのも危険だろう。

 可能な限り、自分の足で探した情報を利用したいと考えていた。


「伯爵の言っていた反乱因子に関しては、疑問を挟む余地はありませんね。事実として、彼の首を狙っている人物は多いですし」


 周辺地域からの刺客や、賊などの襲撃。

 ヴァンが調べた限りでは、実際に領内各地で起きていることが確認出来た。


「反乱の元凶になるような存在は分かるかな?」

「残念ですけど、そこまで正確な情報は手に入りませんでした。ですが、最近は野蛮な集団が勢い付いているようです。貴女も心当たりがあるのでは?」


 そう言われて、クリームヒルトは「あっ!」と思い出す。

 どうやら思い当たる節があるらしい。


「結構前だけど、変な集団に声を掛けられたことがあったんだ。デオン伯爵について不満は無いかって聞かれたよ」

「あぁ、十中八九それでしょう」


 ヴァンは納得したように肩を竦める。

 手元にある情報と照らし合わせて、十分推測出来ると判断していた。


「問題は、伯爵の悪評を流している輩の足取りが全く掴めないことですかね」

「何も分からなかったのか?」

「妙に引っかかる事は何度もありましたが……どうやら、巧妙に隠されているみたいです」


 グレンはどうしたものかと腕を組む。

 知恵の働く手合いは彼が最も苦手とする相手だ。

 リスティルの未来予知やヴァンの情報収集から逃れるだけの能力があるとすれば、非常に厄介な事態だろう。


 その人物は今回の反乱に深く関わっている可能性が高い。

 どれだけ大きな影響を及ぼすかは未知数だが、少なくとも現時点では対応のしようがない。


「動向から察するに、件の輩は一人か……或いは、数人でしょう。大規模な集団であれば、もっと直接的な行動を取れるはずですし」


 危険な人物が暗躍している。

 本来は小規模で収まるはずだった反乱を、リスティルの未来予知から大きく逸脱するほど拡大させたのだ。

 当人は矢面に立たず裏で糸を引いている辺り、大胆な行動とは反対に慎重な思考の持ち主なのだろう。


「今はデオン伯爵に任せるしかないだろう。黒幕を捕らえられずとも、反乱を鎮圧するくらいは可能だ」

「悪評に騙された領民は解放したいけど……ちょっと難しそうかな」


 クリームヒルトは悔しそうに唇を噛む。

 必死に守ってきた無辜の民が巻き込まれてしまうのだ。

 それが堪らなく悲しかった。


「俺たちは神じゃねえ。全てを救おうなんて行き過ぎた事を考えるのは傲慢ってもんだ」

「それでも、私は救いたいんだ……誰一人として死なせたくない……ッ」


 その想いから"英雄"の肩書きを背負うことを選んだ。

 どれだけ穢れが侵食しようと、決して剣を手放すようなことはしない。


 瞳から徐々に理性の色が失われていく。

 禍々しい瘴気が漏れ出して、クリームヒルトから生気を奪っていく。


「私は、ダメなんだ……本当に、誰かが死ぬことだけは……ッ」


 酷く怯えていた。

 反乱によって死んでいく人々のことを想像してしまったのだ。

 それが、彼女の内に秘めた狂気を刺激してしまう。


「また……私のてのひらから、零れ落ちていくんだ……ッ」


 取り零した命が彼女を苛む。

 その度に心が蝕まれていく。

 気付けば、彼女の行く道は黒く染まり切っていた。


「私は、私は……ッ!?」

「――おい、クリームヒルトッ!」


 グレンは咄嗟に肩を掴んで激しく揺さぶった。

 明らかに今の彼女は錯乱している。

 このままでは、理性を失って魔物と化してしまうおそれがある。


「うぁ……」


 大量の涙が溢れていた。

 クリームヒルトは過剰なまでに人を救うことに執着している。

 大勢を救ってきた事実よりも、少数を失う恐怖に意識が向いてしまうらしい。


 あまりにも真面目過ぎる。

 いっそ狂気と呼んでもいいだろう。

 既に精神に限界が来ているためか、余計に際立って人間性が見えてきた。


 急な変化に動転しつつも、グレンは一先ず落ち着かせるべきだろうと考え、何度も「大丈夫だ」と繰り返して必死で背中を撫で続ける。

 異常なほどの体の震えが手を通して伝わってきた。

 気高い志を持つ彼女でさえ、穢れの侵食には抗えないのだと再認識してしまう。


「ッ、はぁ……はぁ……」


 徐々に落ち着きを取り戻してきたのか、その呼吸が鎮まっていく。

 最後に残された人間らしい理性を手放さないように、グレンの体が痛むほどにしがみ付いていた。


 それからしばらく深呼吸を繰り返していたが、ようやく我に返ったのか気まずそうな表情を浮かべて顔を上げる。


「……ごめん。迷惑かけちゃったね」

「気にする必要はねえよ。そもそも、俺たちはお前を助けるために同行してんだ」


 クリームヒルトは平常心を取り戻したように見える。

 だが、先ほどの様子を考えると再び同様の事態に陥る危険は極めて高いだろう。

 何を切っ掛けに理性を失ってしまうのか、原因を突き止める必要がある。


 これほどの恐怖を一人で耐えてきたのだ。

 その根性は尋常ではない。


 ヴァンは思わず黙り込んでしまう。

 この光景は他人事ではない。

 穢れを大量に取り込んでいる以上、彼も旅を続けていけばクリームヒルトのように追い込まれる可能性が高い。


「……負の感情に囚われすぎるのは好ましくない。思い詰めると、いずれ呑まれてしまう」


 この様子では長く持たないだろう。

 本来であれば、既に理性を失っていてもおかしくないはずだ。

 気丈に振舞っているものの、限界はうに超えている。


 生者から穢れを回収することは出来ない。

 命を奪うわけにもいかない。

 精々が延命する程度だ。


 重苦しい沈黙が訪れる。

 現時点ではクリームヒルトを救い出す術が無いのだろうか。

 グレンは困ったようにリスティルに視線を向ける。


「……以前話したが、私の使命は全ての穢れを奉還することだ。如何なる手段を用いても、それは成し遂げると決めている」

「それがクリームヒルトを救うことに繋がるのか?」


 その問いにリスティルは頷く。

 一つだけ、方法が無いわけではない。


「――儀式方陣《バロティアの魔喰門》だ」


 其れは、世界に蔓延する穢れを喰らい尽くす儀式方陣。

 深界へ全ての穢れを奉還する事こそが旅の最終目的だ。

 十分な穢れを回収した後に発動すれば、『穢れの血』も例外無く解放することが出来る。


「これは『穢れの血』から回収することが出来る唯一の方法だ。無論、理性が残っている内は命を奪うようなこともない」


 説明の内容には希望が持てるが、何故だかリスティルの表情は暗い。

 その様子から尋ねるまでもなく察してしまう。

 しかし、聞かずにはいられなかった。


「……それは、最低でどれくらい掛かるんだ?」

「遥か先だ。少なくとも『六芒魔典ヘクサグラム』全員から回収しても不十分だろう」


 グレンは思わず頭を抱えてしまう。

 それでは間に合うはずがない。

 今この瞬間も、彼女は理性を手放さないように必死に耐え続けているのだ。


 あまりにも理不尽で、残酷な運命だった。


「……そっか、だいぶ先になりそうだね」


 クリームヒルトが寂しげな表情で呟く。

 最後まで抗う意思は手放さないつもりでいるが、現実的に考えると厳しいだろう。

 それを理解しているからこそ、最悪の場合を想定しなければならない。


「でも大丈夫。ほんの少しかもしれないけど……それでも、希望があるなら頑張れるよ」


 どうにか強がって見せるが、その笑みは歪だ。

 今の彼女は明らかに無理をしている。


 しかし、その強い意志こそが彼女を繋ぎ止める重要な鍵だ。

 安易に気を休めていいと言ってしまえば、その緩みから瞬く間に穢れが侵食してしまうことだろう。


「……期待しろとまでは言えねえが、何でも頼ってくれ。俺は出来る限りのことを尽くすつもりだ」

「ありがとう。やっぱり、グレンさんは優しいね」


 クリームヒルトは安堵した様子で脱力する。

 必死に自分という存在を取り繕っている中で、それだけは本心だった。


 リスティルたちが荷車に戻るが、クリームヒルトは御者台に残っていた。

 先ほど錯乱していた時と比べれば、随分と呼吸も落ち着いてきている。

 グレンの横に座っていると気が休まるらしい。


 気付けば、周囲の景色から完全に緑が消え去っていた。

 炭鉱地帯は目前に迫っている。

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