21話 稀代の英雄(2)
ハンデル屈指の高級宿ということもあり、絢爛豪華な家具が並べられていた。
部屋に飾られている美術品は当然ながら全て一級品。
だというのに、品の良さを感じられるような調和の取れた空間が広がっている。
「随分と豪華な部屋だな」
「一応、英雄って呼ばれているからね。体面は気にしているんだ」
クリームヒルトは居心地が悪そうにしていた。
傭兵上がりという素性の為か、こういった場には不慣れらしい。
私物も部屋の隅に纏めて置いてあり、広々とした豪華な部屋を持て余しているようだ。
「優艶な淑女だったら、少しは似合っていたかな?」
恥ずかしそうに頬を掻く。
本人は謙遜しているが、グレンは「そんなことはない」と思っていた。
彼女には"英雄"として相応しい品格が備わっている。
元は傭兵であろうと、今の彼女は万人が口を揃えて称賛するような存在だ。
才色兼備とは正しく彼女のためにある言葉だろう。
クリームヒルトはベッドに腰掛ける。
どこか寂しげな表情を浮かべて、リスティルに向き直った。
「聞くまでもないとは思うけど、君たちは私の事情を知っているんだよね?」
その問いにリスティルは肯く。
事情を全て打ち明けて、その上で信頼を得るべきだろう。
「私たちは、お前が『穢れの血』であることを知っている」
「やっぱりね。特に、そこにいる君からは同族の気配を感じていたよ」
ヴァンに視線を向ける。
同じ『穢れの血』であれば、内に秘めた穢れを感じ取ることが出来るのだ。
先ほど接触した時点である程度は予想していたらしい。
「でも、偶然知ったってことは考えにくいかな。よほど近くにいないと感じ取れないし」
「その通りだ。私は特殊な力を用いて、お前が『穢れの血』であると知った」
特殊な力という言葉が気になったらしい。
クリームヒルトは興味津々といった様子でリスティルに尋ねる。
「その特殊な力っていうのは?」
「――未来予知だ」
その言葉に、クリームヒルトは驚いたように目を見開く。
やはり誰であろうと困惑してしまうのだろう。
グレン自身も初めは半信半疑であったため、今の心境を察することが出来た。
「私は今後起きるであろう事象、その可能性の一端を覗き見ることが出来る。全てが思い通りに運ぶ、というわけではないがな」
未来予知は絶対ではない。
あくまで可能性の一つを知るだけで、それを参考に様々な推測をしているだけだ。
それでもある程度の筋道を立てることは出来るため、見えた光景によっては避けられない運命に言及することも不可能ではない。
「この未来予知を基に、私たちは各地に潜む凶悪な『穢れの血』を討伐するため旅をしている。そして今回、標的となったのが――」
「――私、ということなんだね」
苦しそうな表情で微笑む。
遅からず誰かに危害を加えてしまうかもしれないと、本人も危惧していたらしい。
「……正直、限界だったんだ。戦う度に自分がおかしくなっていくのを実感していたよ。すごく怖かったし、今でも怯えているくらい」
クリームヒルトは憔悴しきった表情で項垂れる。
ハンデルの街に凱旋して、民衆の歓声に応えていた英雄の姿はそこにはない。
今は穢れの浸食に怯える一人の女性として、ずっと隠していた素直な気持ちを打ち明けていく。
「自分が自分じゃなくなってしまうような、そんな気がしてならないんだ。最近は、嫌な欲求が抑えられない」
「悪食衝動は典型的な症状の一つだ。今の様子を見るに、よく堪えている方だと思う」
お世辞ではない。
リスティルから見て、今のクリームヒルトは明らかに限界点を超えている。
人間の血肉を喰らいたい。
そんな悍ましい衝動が心の奥底から湧き上がってくるのだ。
片時も離れずに付き纏ってくるのだから、それは耐え難い苦痛を伴うことだろう。
「だが、結果として侵食は深部まで進んでしまった。『穢れの血』は、同族を殺めることで進行してしまう」
「薄々気付いていたよ。それでも、私は剣を振り続ける事しか出来ないからね」
彼女はこれまで、穢れの影響を受けた魔物や人間を幾度となく手に掛けてきた。
その度に自分の変化を感じていたのだから、気付かない方が不自然だろう。
しかし、クリームヒルトは戦い続けた。
決して折れること無く、英雄として在り続けることを選んだのだ。
最後まで抗う意思は手放さないつもりでいるらしい。
そんな彼女の様子を見て、グレンが疑問を抱く。
「なんで、そうまでして戦い続けるんだ?」
当然の疑問だろう。
彼女ほどの精神力を以てすれば、ある程度の衝動は堪えられるはずだ。
侵食度合いの浅いヴァンを見る限りでは、特に残虐な思考に堕ちて魔物と化すようなこともない。
「……恥ずかしい話だけれど、聞いてくれるかな」
視線を逸らしつつ、頬を赤くさせる。
他人に話すには少々恥ずかしい事情があるらしい。
「昔、私の故郷が魔物に襲われたことがあったんだ。小さな村で、抵抗するほどの力も無かった。当時の私は幼かったから戦うことも出来なかったんだ」
名も無い辺境の村に、突如として凶悪な魔物の群れが押し寄せたのだ。
当然ながら、そのような貧しい村に抗う術は無い。
それまでの生活も平穏とは縁遠かったが、その時ばかりは己の不運を強く呪った。
幼い彼女にとって悪夢のような光景だった。
村人たちは死を覚悟して必死の抵抗を試みたが、その殆どが何かを成すことも出来ずに命を落としていった。
だが、奇跡的に救いが齎された。
「村の近くを偶然通りがかった傭兵に助けられてね。その雄姿を見ていたら……私も強くなりたいって、そう思えたんだ」
それは、クリームヒルトが傭兵を目指す切っ掛けだった。
日々鍛錬を重ね、村近辺の魔物を討伐して経験を積んでいき、そして故郷を旅立った。
「私は"強さ"というものに憧れているんだ。だから諦められないし、剣を捨てるようなことも出来ない。下らない拘りだと、笑ってくれても構わないよ」
「そんなことはねえよ」
グレンは力強く否定する。
穢れに侵食されてまで戦い続ける覚悟は並大抵の人間には出来ない。
自分でさえ、同じ状況に陥ったらどうなるか分からないくらいだ。
「お前は強い。それは誰もが認めている事実だ。その期待を裏切らないためにも、謙遜なんてするんじゃねえ」
「……ありがとう。やっぱり、グレンさんは凄いね」
クリームヒルトは笑顔を取り戻す。
少しだが、気が和らいだようだった。
「でも、私に"英雄"なんて称号は勿体無いよ。『穢れの血』に目覚めてから以前より強くなったけど、それでも一流じゃない」
長年を掛けて磨き上げてきた技術に『穢れの血』としての力が上乗せされたのだ。
それによって今の地位を築き上げたが、本人としては不服らしい。
「グレンさんは生身の人間なんだよね?」
「まあ、そうだな」
「私は『穢れの血』だけど、それでも貴方には勝てない。実際に会ってみて思い知ったよ」
剣を交えるまでもない。
対峙しただけで彼我の差は歴然であると理解してしまった。
本物の一流というのは、そもそも穢れの力など必要としていないのだ。
グレンのような規格外の存在と並べられてしまうと、どうしても劣等感が勝ってしまう。
故に、今の自分の状況が堪らなく悲しかった。
英雄などと持て囃されているものの、その正体は悪食衝動を抑えられない『穢れの血』だ。
彼女の本心としては、生身の人間としてその領域に踏み入れたかった。
「……それで、どうやって私を救ってくれるのかな?」
「残念だが、今は手段が無い。理性を失わないように見守り、支えることが精々だろう」
リスティルは腕を組んで思案する。
流石の彼女も、生者から穢れを回収出来るほど器用ではない。
「十分だよ。いざという時に私を止めてくれる存在がいるなら心強いしね」
これまで一人で抱え続けてきたことを考えれば、頼れる仲間がいるだけで随分と気持ちは楽だった。
死を畏れる気持ちはあったが、それ以上に魔物となって人を殺めてしまうことが怖いのだ。
自分が暴走した時は迷わず殺してほしい。
そう言外に仄めかしつつ、クリームヒルトは寂しげに微笑む。
「明日にはデオン伯爵の屋敷に向かうつもりだけど、君たちも付いてくるかな?」
「ああ。俺たちも、そいつには聞きたいことがあるしな」
不穏な動きを見せる民衆について。
そして、急速に広まりつつある悪評の真偽について。
デオン伯爵には色々と確認しなければならないことがある。
「……」
会話が進んでいく中、ヴァンは黙り込んでいた。
気高い志を持つクリームヒルトの姿を見て、どうしても今の自分と比べてしまう。
崇高な使命を持って行動しているのは確かだ。
リスティルを敬愛しているのも事実で、彼女の征く偉大な道程を共に歩けるだけで最上の喜びを感じられる。
だが、自分は従者として相応しいのかと、時折疑問を抱いてしまうこともあった。
「それでは明日、デオン伯爵の屋敷に向かうとしよう」
話が纏まると、リスティルは満足げに頷く。
如何にしてクリームヒルトを穢れの侵食から救い出すのか。
即座に案を出すことは難しいが、行動を共にすれば何かしら思い浮かぶかもしれない。
そして、今晩は解散となった。
◆◇◆◇◆
ハンデルの中心部には高級街が広がっている。
そこでは各地との交易で成功を収めた商人や、領外から移住してきた貴族などが裕福な暮らしを送っていた。
中でも一際目を引く建物は、やはりデオン伯爵の屋敷だろう。
繁栄の象徴でもある伯爵領、その領主の邸宅となれば規模が違う。
煌びやかで華美な外装と、手入れの行き届いた優雅な庭園。
衛兵に守られた物々しい門を潜れば、きっと別世界に来たような心地を味わえるだろう。
クリームヒルトは面会の約束があるため、彼女に付き添うグレンたちも問題無く足を踏み入れることが出来た。
案内役の兵士に連れられ、面会室へ向かう。
「いやはや、豪勢ですねぇ。いかにも貴族って感じがしますよ」
「そいつは同意見だ。どうにも、こういった雰囲気は性に合わねえ」
不愉快そうに溜息を吐くヴァンに、珍しく気が合うと思いつつ賛同する。
どうやら彼も美術品の類に関心は全くないらしい。
グレンとしてもそういったものに理解は無いため、似たような居心地の悪さは感じているのだろうと考えていた。
「私も全然慣れないなぁ。雨風が凌げて、温かい食事さえあれば十分だよね」
クリームヒルトも窮屈そうに内装を見回す。
元傭兵ということもあって、今までに何度も野宿をするようなことがあった。
勿論、高級な食事を楽しむことも嫌いではないが、テーブルマナーが付き纏ってくるため少しばかり面倒だと感じてしまう。
一方でリスティルは理解があるらしく、時折気に入ったものを見掛けると魅入ったように眺めていた。
デオン伯爵の財力を体感し終えたところで、丁度面会室に到着する。
上質な木製の扉を開けると、そこには険しい表情を浮かべた壮年の男性が座っていた。
「よくぞ来てくれた、クリームヒルト卿」
貴族というよりは武人に近い風貌だ。
年の割には鍛えられており体格はしっかりとしている。
太く頑丈そうな手元を見れば、熱心に鍛錬を積んでいることが分かる。
「此度はご苦労であった。卿の活躍には、領主たる余としても常日頃から感服している」
「あはは、ありがとう」
クリームヒルトは気恥ずかしそうに頬を掻く。
英雄と讃えられるようになって時間が経ったが、こういった称賛には未だに慣れていないらしい。
「して、そこの御仁は『狂犬』グレン・ハウゼン殿か。久しいな。用があって来たのだろう?」
「話が早くて助かるぜ。確認したいことがあってな」
面識があるため、素性を疑われる心配は無い。
次に、デオン伯爵はリスティルとヴァンに視線を向ける。
「其方は聖職者と従者のように見受けられるが……」
黒を基調とした服装が怪しく感じたのだろう。
訝しげな視線を受けて、リスティルは疑心を解くために名乗る。
「私はリスティル・ミスティック。こっちは従者のヴァンだ。大陸各地を旅しているが、今は訳あってクリームヒルトに同行している」
「もう少し詳細に話せないかね?」
「残念だが、全てを打ち明けるには難しい事情がある。中立的な見地でこの場に立っていることだけは、偽りでないと誓おう」
流石に此方の事情を説明をするには厳しい手合いだろう。
その理知的な顔付きを見れば、下手に誤魔化すような手は通用しないと強く認識する。
混沌の時代に平穏を維持しているだけあって、やはり知略に秀でている。
デオン伯爵は存外に口の回るリスティルに内心では感心しつつも、それを表に出さず会話を続ける。
「先程の発言を考えるに、領内の事情を理解しているように思えるが……一応、話を聞こう」
傭兵として名の知れ渡っているグレンや、領内で英雄と讃えられているクリームヒルトに同行しているのだ。
故に、相応の力量を持っているのだろうと推測していた。
「ならば、率直に言わせてもらおう。私たちは領内での不穏な動き――反乱について、デオン伯爵の見解を聞きたい」
その言葉に、デオン伯爵の表情が険しさを増す。
真意を測ろうとリスティルに問い掛ける。
「大陸各地を旅しているにしては、領内を事細かに把握しているように思えるのだがね」
威圧的な態度で、鋭い眼光で見据える。
やはり武人という言葉が相応しい。
混沌の時代に抗うだけあって、その精神は極めて強靭だ。
常人であれば殺気に当てられて萎縮してしまうだろう。
だというのに、リスティルは毅然とした態度で追及を続ける。
「平穏を乱すであろう危険因子について、伯爵に心当たりはあるか?」
有無を言わさぬ圧があった。
まさか成人も迎えていないような娘に、ここまで胆力を見せられるとは思わなかったらしい。
「……致し方あるまい」
デオン伯爵は観念したように瞑目する。
これ以上は試す必要もないと感じたのだろう。
少なくとも、この程度の情報であれば開示しても害は無いと判断していた。
「幾つかある。一つは、私欲に眩んだ賊の集団だ」
伯爵領は非常に恵まれている。
特に周辺地域や更に貧しい地域から来た者からすれば顕著に見えることだろう。
生きる事に必死だったはずが、平穏な暮らしを手に入れることで欲を加速させる。
より安全に、より快適に、より贅沢に。
そうして余裕が生じることで、今度は賊に身を落としてまで私欲を満たすことを考えてしまった。
「領外と比べ、ハンデル近辺は賊が多い。余の首を狙う輩も、これまでいなかった訳ではない」
もしデオン伯爵領を占領することが出来たなら、と考えるような愚者もいる。
この平穏が彼の卓越した手腕によって維持されているのは周知の事実だ。
たとえ掌握したとしても、専門的な教養も持たない賊などに経営出来るとは思えなかった。
「そりゃ物騒だ。馬鹿に構ってる暇はねえってのによ」
グレンは呆れたように肩を竦める。
この時代においても悪人は絶えず出現する。
彼が追い続ける仇敵のように、残忍な思考を持つ者はどうしても根絶することは出来ない。
「二つ目は周辺地域からの刺客だ。表面上は友好的に接しているが、やはり此の地は魅力的に映るらしい」
自陣の勢力拡大を狙う領主は多い。
この時代だからこそ、強大な力を持つことで安全を確保したいのだ。
如何に協力関係を築いているとしても、隙あらば立場の逆転を目論む者は多い。
「そして、三つ目だが……」
デオン伯爵は少々窮した様子で溜息を吐く。
彼自身も頭を抱えるような話題らしい。
「……此の頃、根も葉もない噂を広めている輩がいる。其れを聞いて確認しに来たのであろう?」
リスティルは肯く。
それは未来予知に無かったはずの現象だ。
原因を突き止めるためにも、本人に確認するより他は無い。
「私たちは領内で様々な噂を聞いた。娘を屋敷に連れ去られたという話もあれば、屋敷に悪魔を飼っているという話もある」
「……出鱈目だな。調べれば余の疑いは晴れるだろうが、そういった手合いは聞く耳を持たん」
デオン伯爵も同様の情報を得ているようだ。
領内に広く諜報網を張っているらしく、事細かに把握していた。
「余の妻アレクシアは十年前、腹に宿した赤子共々命を落とした。彼女を失って以降、女に触れたことは一度たりとて無い」
「……悪いことを聞いてしまった。非礼を詫びよう」
リスティルは素直に頭を下げる。
確認のためとはいえ、辛い記憶を思い出させてしまった。
彼は天涯孤独の身だ。
最愛の家族を失ってしまったというのに、今もなお過酷な世界を生きて領民のために尽力しているのだ。
積み重ねてきた功績も相まって、これほど立派な領主は他にいないと思えた。
「構わぬ。必要なことなのだろう?」
「すまない、感謝する」
実際に言葉を交わすことでデオン伯爵の人柄が見えてきた。
グレンの言う通り、裏で疚しいことをするような人間には思えない。
リスティルは納得すると、今度は自分たちの番だろうと判断する。
「謝礼代わりに、私からも情報を開示するとしよう」
「ほう、聞こうではないか」
デオン伯爵は興味を示す。
対面に座る少女が何を言い出すのか興味があった。
「反乱は遅くとも半月以内に起きる。規模を考えるに、最大限の警戒を以て対応すべきだ」
「其の根拠を聞きたいところだが……これも、話せない事情があると?」
その問いにリスティルは肯く。
未来予知を出来るなどと宣えば、逆に信用を失う危険もある。
現時点では証明する手段も無い。
デオン伯爵は深く考え込む。
今さらリスティルの言葉を疑うようなことはしなかった。
彼自身としても、話の内容には思うところがあったらしい。
「……不自然ではないな。ある程度の予測はしていたが、リスティル殿の話を聞いて再度確認する事が出来た」
急速に広まる悪評や、領内各地で活発化する賊の動向。
手元に集めた情報を整理すると、半月以内に反乱が起きてもおかしくないと判断していた。
「忠告は留意しておくとしよう。余の領地から安寧を奪おうとする愚か者には、相応の対処をさせてもらう」
デオン伯爵は険しい声で宣言する。
領内の平穏を脅かす存在がいるのであれば、厳格な処置を取る心算でいた。
「さて、それとは別件だが……今一度、クリームヒルト卿に討伐依頼を受けてもらいたい」
事前に用意していた羊皮紙を取り出し、テーブルの上に滑らせる。
そこには依頼内容が詳細に記されていた。
「――『翠嵐鳥』ファウスマラクト。恐らく、領外の穢れの濃い地帯から移り住んできた魔物だ」
濃い穢れの影響を受けて凶暴化した魔物だった。
どうやら、巨大な怪鳥による被害が炭鉱地帯で頻発してるらしい。
「帰還して早々に恃むのは気が引けるが、事態は深刻だ。放置すれば各地へ流通するはずの石炭に影響を及ぼすだろう」
「それは大変だ。私も休んでいるわけにはいかないね」
石炭は主に鍛冶の燃料に必要とされる。
日用品から武具の類まで用途は様々であり、採掘が中断されてしまうと多大な影響が出ることだろう。
交易に力を入れているデオン伯爵としては何としても避けたい事態だ。
反乱の危険性を考慮すれば、遠方まで私兵を派遣することは難しい。
故に、クリームヒルトに依頼をする他に無かった。
「つい先日傭兵に依頼をしたのだが……想定以上に手強いらしく、逃げ延びるだけで限界だったようだ」
穢れの影響を受けた魔物は厄介だ。
それこそ、熟練の傭兵であっても対処出来る者は殆どいない。
空を自在に飛び回る怪鳥となれば、余計に経験が重要となる。
「先程、貴殿らは事情があって同行していると言っておったな? 可能であれば、討伐に手を貸してもらいたい」
「構わねえぜ。こっちとしても、穢れの影響を受けた魔物には用がある」
ファウスマラクトを討伐すれば再び未来予知を行うことが出来る。
ズレを修正するためにも依頼を引き受けるべきだろう。
視線を向けると、リスティルも頷く。
「いいだろう。その依頼、私たちが引き受けた」
不遜な笑みを浮かべてリスティルが受諾する。
反乱に関してはデオン伯爵に任せるしかないだろう。
噂の真偽は兎も角として、彼という存在は今の時代に必要とされているはずだ。
人柄を見る限りでは悪評が事実だとは到底思えないが、それは後ほどヴァンに調査をさせれば問題無い。
依頼書を受け取ると一同は屋敷を後にする。
炭鉱地帯に向けて、旅支度を始めた。




