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黒き聖女の黙示録《アポカリュプセ》  作者: 黒肯倫理教団
二章 彩戟のクリームヒルト

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20話 稀代の英雄(1)

 街の南部には正門から中央部まで一直線に大きな街道が引かれていた。

 ハンデルの街は伯爵領における交易の中心地であるため、全ての道は石畳によって丁寧に整備されている。

 細部にまで行き届いたデオン伯爵の熟思を感じられた。


 普段は馬車や人の往来が絶えない賑やかな街道だ。

 道の両側には商店が軒を連ねており、様々な品物を買い揃えることが出来る。


 だが、今日は違う。


 街道は今、熱狂する民衆で溢れ返っていた。

 混沌の時代を生きる稀代の英雄。

 彼女の凱旋を一目見ようと、ハンデルに住まう人々が多く集まっていた。


「こりゃすげえな。王族だってここまで人を集められねえだろうに」


 グレンは感心したように街道の光景を眺める。

 一体どれだけの功績を積めば、これほど民衆を熱狂させられるのだろうか。


 大陸各地に様々な強者が存在するが、穢れの影響を受けた魔物に匹敵するほどの技量を持つ者は多くはない。

 その上、『穢れの血』と対峙出来る者となれば数は限られてくるだろう。

 生身でそれほどの力を持つとあれば、人外の領域に足を踏み入れているといっても過言ではない。


 正に天涯だ。

 見上げるほど高い、常人では決して辿り着けない領域。

 そう呼ばれる者たちの中には、当然ながら『狂犬』の異名を持つグレンも含まれている。


「だが、俺が前に立ち寄った時はそんな話は聞かなかった。"英雄"なんて大層な肩書きを持ってる奴がいれば、俺としても見逃すはずがねえ」


 以前グレンが討伐依頼を引き受けたように、デオン伯爵領では外部の戦力に頼ることが多い。

 本来であれば、そういった武力の低い地域は戦争の標的にされやすい。

 しかし、デオン伯爵領では対外的な物資の輸出も行っているため、表面上は周辺地域との友好的な協力関係を築き上げてきた。


 だからこそ、今の状況は好ましくない。

 今の活気に溢れた様子は称賛されるべきだが、行き過ぎた力を保有することは危険だ。

 リスティルが未来予知で反乱の光景を見たというのも、その英雄に関係していると推測していた。


 ただでさえ土地に恵まれているのだ。

 そこに強大な力を持つ存在が加わったとあれば、民衆の心に大きな余裕が生まれてしまう。

 場合によっては、英雄を祭り上げることでデオン伯爵領を手中に収めようと目論む者まで生まれてしまうかもしれない。


 現時点では反乱を食い止める程の力が無い。

 グレンとしては最優先で対応すべきだと感じていたが、リスティルはそれ以上の問題が生じることを予知している。

 今は彼女の言う通りに動くことが正解だろう。


 そして、正門の扉が開く。

 沸き上がる大歓声に迎えられ、一人の女性が街へと入ってきた。


 グレンは彼女の風貌を見て"同業者"という印象を抱いた。

 傭兵稼業に身を置いている者に特有の、仕事に対する矜持が感じられる。

 だが、高名な騎士や魔術師と異なり、そこには大陸各地を巡り歩いてきた流れ者らしい野性味を僅かに残していた。


 一本に束ねられた長い髪は、揺れる度に太陽の光を受けて翡翠のように煌めく。

 理知的な表情を浮かべているが、滾るような情熱も持ち合わせているように見える。


 彼女の背後では、その剣で以て討伐された凶悪な魔物の亡骸が運ばれていた。

 その体躯を見て間違いなく穢れの影響を受けているだろうと思えた。

 確認するように視線を向けると、リスティルは黙ったままうなずく。


 英雄然とした立ち振る舞いだ。

 確かに、彼女は英雄と呼ばれるに相応しいだけの素質を持っているらしい。


「あれが英雄、ですか……」


 いつの間にか情報収集を終えたヴァンが隣に立っていた。

 気味が悪いから急に出てくるな、と心の中で呟く。


「あいつに関して、何か情報はねえか?」

「『彩戟』クリームヒルト・ファルベ・シュタフェライ。ここ一年ほど、デオン伯爵領近辺で頭角を現してきた剣士です」


 やはり、異名を与えられてから日が浅いらしい。

 グレンが彼女の存在を知らなかったのも、一地域に留まっていたために大陸各地にまでは名が伝わらなかったからだろう。


 金属鎧の類は身に着けておらず、丈の長いコートの上から革の胸当てを着けているくらいだ。

 自然豊かな地域に合わせるためか服装は深緑を基調としている。

 どちらかというと斥候のような軽装だったが、腰に帯びた剣を見る限りでは直接的な戦闘も不得手というわけではないようだ。


「……あのクリームヒルトって奴を勧誘するのか?」


 リスティルに尋ねるが、彼女も判断に悩んでいるようだった。

 グレンに接触した時のように正面から声を掛けられない事情があるらしい。


 深慮の末に、どうにか言葉を絞り出す。


「今回標的となる『穢れの血』は――彼女だ」


 小さな手でクリームヒルトを指す。

 グレンは何度も確認するように視線を動かすが、間違いなくリスティルは彼女のことを示していた。


 何故、という疑問を抱かずにはいられない。

 傍から見た限りでは、彼女は英雄と呼ぶに相応しい立ち振る舞いをしている。

 はにかみながらも民衆の歓声に応えるように手を振る姿を見て、やはり彼女が『穢れの血』だとは考えられなかった。


「あぁ……そういえば、貴方は穢れの気配を感じられないんでしたねぇ」


 ヴァンが愉快そうに嗤う。

 同じ『穢れの血』である彼には、クリームヒルトから穢れの気配を感じられるようだ。

 穢れの影響を受けた手合いとの実戦経験に乏しいグレンだと、現時点ではシュラン・ゲーテのように異常な量の穢れを身に宿した相手でなければ感じ取ることは難しい。


「あれが『穢れの血』だとして、どうしろってんだ。十分すぎるくらい理性を残しているように見えるぜ」


 たとえ逆立ちしても、人間に害を為す存在のようには到底思えない。

 民衆の熱狂ぶりを見れば彼女が歓迎されている事が分かる。

 幼子の歓声に手を振って応える姿は明らかに善人だ。


 それに、クリームヒルトは"英雄"と称えられるほど穢れの影響を受けた手合いを打ち倒してきたのだ。

 彼女が助けた人間の数を考えれば標的にする理由が分からない。


 リスティルは複雑な表情を浮かべていた。

 どこか哀れむように、観衆の声に応えるクリームヒルトを見詰める。


「……彼女は手遅れだ。既に、穢れは深部にまで浸食している」

「どうにも出来ねえのか?」

「残念だが不可能だ。そう遠くない内に、理性を失って魔物となってしまう」


 それは、リスティルが見た未来の光景だ。

 英雄と呼ばれるほどの剣士が、穢れによって守ってきたはずの人間を喰い殺す。

 あまりにも悲惨な末路だ。


「『穢れの血』は、同族を手に掛けることで微量だが穢れを取り込む。まして英雄と呼ばれる彼女であれば、耐えがたいほどの衝動に襲われていることだろう」


 戦い続けたことで、彼女は取り返しがつかない状況に陥ってしまった。

 少なくともリスティルが見た限りでは助からないという。


 そこで、グレンはふと疑問を抱く。


「ってことは、俺たちも同じ状況に陥る危険があるってことか?」


 困惑したように二人に視線を向ける。

 ヴァンは『穢れの血』であるため、クリームヒルトと同様に理性を失う恐れがある。

 穢れを回収して体内に保有しているリスティルも危険なのではないか。


 その疑問は正しかったのだろう。

 リスティルは腕を組み、複雑な心境の中で思案する。


「少なくとも、私は問題無い。穢れに対して体が"適応"しているからな」


 故に、聖女として活動することが可能なのだ。

 自身の過去については深く語らないが、そうなってしまうような事情があるのだろう。


 しかし――。


「……ヴァンは、いずれ彼女のように理性を失う」


 悲痛な表情を浮かべていた。

 旅の目的を成し遂げるためにはヴァンの協力は必要不可欠だ。

 かといって、このまま旅を続ければ彼も同じ末路を辿ることになってしまう。


 それだけは何としても避けたい。

 信頼しているからこそ、ヴァンが魔物と化してしまうのが辛いらしい。


「その程度の事、気にする必要はありませんね」


 ヴァンは両手を挙げて肩を竦めた。

 当該者だというのに、全く気にしていないといった様子でリスティルに向き直る。


「僕はリスティル様に拾っていただいた身ですから。まあ、出来れば最後まで見届けたいと思ってはいますけど……道半ばで倒れたとしても悔いはありません」


 大した忠誠心だ、とグレンは感心する。

 行き過ぎた信仰を抱いている節はあるものの、基本的に彼はリスティルに忠実に従っている。

 そういった点から、敵対するようなことは有り得ないと考えていた。


 だが、その意思とは関係の無いところで問題が生じてしまう。

 もしヴァンが穢れによって理性を失ったならば、その時はグレンが止めなければならないだろう。


「元より、取るに足らない人生でしたし。リスティル様の偉業をお手伝いさせていただければ、それだけで僕は満足です」


 ヴァンは感涙していた。

 リスティルは自分の事をこんなにも気に掛けてくれていたのだと。

 深い慈愛に触れて、心の底から湧き上がる無上の喜びを噛み締める。


 暴走し始めそうなヴァンを横目に、グレンは本題へと戻す。


「あいつは罪人じゃねえ。今後のことも考えるなら、クリームヒルトを助ける手段が無いか探るべきだ」


 同じ状況に陥った時、先例があるなら行動がしやすいだろう。

 それにクリームヒルトはデオン伯爵領近辺の安寧を守る重要な人物だ。

 彼女を救う手段があるならば、今後の為にも出来る限りのことは尽くさなければならない。


「それは同意しよう。しかし……希望は無いと、予め心構えをしておけ」


 リスティルは悲惨な末路を知っている。

 そして、それが避けようのない強力な運命力を持った事象であることも。

 希望を抱いてしまえば、それだけ失敗した時の落差は大きい。


「私は彼女の意思を尊重したい。全てを打ち明けた上で、協力を申し出ようと考えている」


 未来予知によって覗き見た情報を開示する。

 それが信用を得るために有用な手段であることは、初対面の時に言い包められてしまったグレンも良く理解している。


「けどよ、どうやってあいつに声を掛けるつもりなんだ」

「それは容易だ。そうだろう、ヴァン?」


 その問いにヴァンは頷く。

 凱旋するクリームヒルトに視線を向けると、微かに目を開いて笑みを浮かべる。


「尾行して宿の場所を特定します。その後、夕食時を見計らって接触しましょう」


 ヴァンの能力は隠密に長けている。

 よほど勘の良い手合いでなければ気配を察知することは厳しいだろう。


「それでは、後ほど」


 ヴァンは一礼すると、人混みに紛れて尾行を始める。

 こういった技術に関しては、熟練の傭兵であるグレンから見ても一流だと思えるほどだ。

 旅を続けるには彼の力に頼らざるを得ないことを改めて実感する。


 此方の事情を真摯に説明すれば納得するだろうか。

 リスティルは如何にして信用を得るか思案する。

 実際に声を掛けてみなければ、現時点での浸食度合いは分からない。


 ヴァンが戻るまでの間、二人は反乱について事情を探りつつ夜を待った。



   ◆◇◆◇◆



 ハンデルの街には高級宿が幾つか存在する。

 基本的には商人や貴族などが立ち寄った際に宿泊するのだが、大陸各地で功績を上げているような戦士なども利用することもある。


 その一つに"英雄"が好んで利用している宿があった。

 街の中央部に位置する高級街、中でも特に評判な宿がこの『ルーム・フォン・ハンデル』だ。


 各部屋には、今の時代では希少となった質の高い調度品を取り揃えている。

 さらには過去の遺物とされる美術品の数々が華やかな内装を彩り、一晩宿泊するだけで誰もが王侯貴族の暮らしを堪能出来ることだろう。


 だが、それは彼女の目的ではない。


 クリームヒルトは食事を待ち侘びていた。

 体の奥底から湧き上がる昏い感情。

 耐えようのない衝動を、必死に押し堪えて空腹を満たさなければならない。


「お待たせ致しました」


 配膳人が料理を並べていく。

 近辺の水場で取れたばかりの川魚を、香草や香辛料と一緒にワインで煮込んだカルプフェンブラオ。

 その傍らには蒸した小さなジャガイモを三つと白アスパラを添えてある。


 小麦を練った生地で挽肉とほうれん草、香り付けにナツメグ加えて包んだものを、彩り鮮やかな野菜と共にコンソメスープで煮込んだマウルタッシェ。

 焼き上がったばかりのバゲット、熟成された香り豊かなチーズが並べられると、空腹に限界が来て微かに手が震えてしまう。

 じわりと湧き出した唾液を嚥下して、瞑目して祈りを捧げる。


「……恵みに感謝を」


 思い切って豪快に食べたかったが、ここはハンデル屈指の高級宿だ。

 不慣れなナイフとフォークを手に取って、周囲の視線を気にしつつ川魚の身を小さく切り分ける。


 丁寧な所作で口元に運び、落ち着いた様子で咀嚼する。

 淡白な見た目とは裏腹に奥深い味わいが口の中に広がり、香草などの風味も心地良い。

 その旨さに、クリームヒルトの食欲は加速していく。


 次はチーズを薄く切るとバゲットに乗せ、小さく齧る。

 小麦の香ばしさと、ナッツのような風味を感じさせるクリーミーなチーズのまろやかさが絶妙に合わさって、思わず「ほう」と感心する。


 ふと、白ワインのグラスが視界に映った。

 そっと手を伸ばして優しく摘み、テーブルの上に小さな円を描くように軽く揺する。

 甘酸っぱい香りがふわりと広がると、口元に運んでグラスを傾けた。


――やはり、物足りない。


 白ワインに問題があるわけではない。

 瑞々しい果実感の溢れる、仄かに甘みのある芳醇な味わい。

 後味はすっきりとしていて、クリームヒルトは気持ちの良い余韻に浸る。


 だが、求めている味とは違う。

 彼女の内側では、既に抑えようのない欲求が渦巻いていた。


「――ふむ、なかなか豪勢な食事だな?」


 不意に声が聞こえてきた。

 視線を上げると、いつの間にか対面に少女が立っていた。

 その身なりから聖職者のように見えなくもないが、黒を基調とした法衣など見たことが無い。


 明らかに成人していない年齢だ。

 どこか異様な気配を感じる。

 その小さな体から、得体の知れない強大な"何か"を感じていた。


 何者かと、尋ねようとして気付く。

 少女の傍らに立つ二人の男。

 その一人には心当たりがあった。


「その風貌、その大剣。もしかしなくても、貴方は『狂犬』の――」


 震える声でグレン・ハウゼンと呟く。


 クリームヒルトは驚きを隠せずにいた。

 どうやら、彼女はグレンのことを知っているらしい。


「確かにそう呼ばれているが……」

「やっぱり! 一度会いたいと思っていたんだ!」


 興奮した様子で立ち上がると、テーブルマナーも気にせずにグレンに歩み寄る。

 吐息が掛かるほどに接近されて、グレンは思わず一歩下がってしまう。


「俺の事を知っているのか?」

「もちろん。私は傭兵上がりだからね」


 それを聞いてグレンは納得する。

 彼女の姿を見た時に"同業者"という印象を受けたが間違っていなかったらしい。

 今は英雄という大層な肩書きを背負って行動しているが、元々は傭兵として各地を旅していたようだ。


 言葉を交わしただけでは、彼女が『穢れの血』であるようには思えなかった。

 熱っぽい視線は少し気になるものの、今まで見てきた者たちと比べると随分と理性を残しているように見える。


「それで、グレンさんは私に用があるのかな?」

「ああ、そのことなんだが――」


 グレンはリスティルに視線を向ける。

 幸いなことに、傭兵という共通点から警戒されずに接触することが出来た。

 ここから先はリスティルの仕事だ。


「本題に入りたいところだが……先ずは場所を移すべきだろう」


 ここでは他人に話を聞かれてしまう危険がある。

 流石に未来予知の内容をこの場で話すわけにはいかない。

 そのため、出来れば人目の無い場所で話したいと考えていた。


 仕事の話だと思ったのだろう。

 少し考え込むと、クリームヒルトは頷く。


「……何か事情があるみたいだね。私に協力できることがあるのなら力になるよ」

「いや、違う。その逆だ」


 その言葉に、クリームヒルトは少し困惑したようにリスティルを見詰める。

 年不相応な表情と堂々とした佇まいに違和感を抱き始めていた。


 異様な気配を感じる。

 奈落のように底の知れない気配。

 そこには強者特有の気配は感じられないが、存在自体に疑問を抱いてしまうような異質さがあった。


「率直に言おう。私たちは、お前を救いたいと思っている」


 リスティルは真剣な表情で伝える。

 今回は此方こちらの持っている情報を隠す必要もない。

 誠実に意図を伝え、信頼を獲得するしかない。


 しかし、クリームヒルトの反応は予想とは違った。


「本当に、私を……」


――救ってくれるのか。


 声が震えていた。

 もはや真偽を確認する余裕も無いのだろう。

 形振り構わず頼ることでしか、人間としての理性を残す手段は残されていない。


 その場に跪くと、クリームヒルトは縋るように肩を掴み問いかける。

 だが、リスティルはゆっくりと首を振った。


「……確約は出来ん。だが、最大限の努力をすると誓おう」


 希望を与えすぎてしまうのは、時として残酷な行いになってしまう。

 それでは気休めにしかならない。

 故に、正直に伝えようと考えていた。


 どこか安堵した様子でクリームヒルトは頷く。

 現時点では助かる可能性は限りなくゼロに近い。

 尽力したとして、最終的に彼女を殺めなければならないのであれば苦痛は増すことだろう。


 それでもクリームヒルトは頼りたいと考えていた。

 英雄としての矜持を失わないために、そして混沌の時代を生きる人々のために。


 そうして、一同はクリームヒルトの部屋へと移動する。

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