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黒き聖女の黙示録《アポカリュプセ》  作者: 黒肯倫理教団
一章 アーラント教区

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17話 枢機卿の慈悲

 まさに酷烈というべき戦いだった。

 神話の英雄ですら、これほどの戦いは稀だろう。

 驚異的なまでに身体能力を向上させたシュラン・ゲーテの拳打を受けて、グレンは改めて『穢れの血』が危険であることを理解した。


 大剣を地面に放り、疲れたように腰を落とす。

 満身創痍の状態で体に鞭打って戦い続けた。

 意識を飛ばないように繋ぎ止めるだけで精一杯の状況だった。


 まだ眠るわけにはいかない。

 グレンはリスティルの方を振り返る。


「役割はしっかり果たしたぜ?」

「ああ……よくぞ、シュラン・ゲーテを打ち倒してくれた」


 相変わらず年不相応な口調で喋るリスティルを見て、やはり可愛げが無いと心の中で呟く。


「ったく、無理させやがって。あの時、もう少しくらいバケモンの足止めをしてくれりゃ楽だったんだが」

「そこまで軟な鍛え方はしていないだろう?」

「まあ、そうだけどよ……」


 信頼の証か、あるいは過信されているのか。

 グレンは困ったように溜息を吐くが、あの時リスティルの声が聞こえてなければ意識を失っていた可能性が高い。

 そう思えば、彼女の選択は正しかったかもしれない。


 未だに体中を激痛が苛んでいた。

 かつて巨竜を討伐した時でさえ、これほど酷い負傷を負いはしなかった。

 今後の旅路を思うと気が重くなってしまう。


 ともあれ、一先ずは勝利の余韻に浸ってもいいだろう。

 限界を超えた戦いを経て、更なる高みへと足を進められた。

 一同は生の有難みを噛み締める。


「さて、それでは私の仕事をするとしよう」


 一息ついたところでリスティルが前に歩み出る。

 穢れを奉還することが彼女の使命であり、そのために自らの肉体に穢れを回収する必要がある。


「……何をするつもりですか?」


 シェーンハイトが問う。

 もしエルベット神教にとって不利益となる行為であるならば阻止しなければならない。

 一時的に共闘したとはいえ、立場としては敵対関係にあるのだ。


 邪教徒死すべき。

 それが彼女が胸に抱く唯一の信念である。


「まあ見てろって。悪いもんじゃねえ」


 グレンが制止すると、シェーンハイトは瞑目して溜息を吐いた。


「グレゴール大司教……いえ、その『穢れの血』を倒した貴方が言うのであれば、仕方がありません」


 負傷している状態のグレンが相手であれば制圧することも難しくは無いかもしれない。

 だが、手負いの獣がどれほど危険なのかは、その戦いを間近で見ていた彼女が一番理解している。


 敵対すべき相手ではないだろう。

 先ほどのやり取りを聞くに、グレンは傭兵として雇われているらしい。

 率先して排除すべき対象ではない……と尤もらしく考えて納得する。


「その前に……治癒魔法を扱える者はいるのですか? その怪我では起きているだけでも大変でしょう」


 グレンは首を振る。

 リスティルはそもそも戦闘において出来ることは無く、ヴァンも様々な魔術を器用に扱うが治癒魔法は習得できていない。

 魔術の習得には相応の修練と生まれつきの才能が必要なのだ。


 それを聞いて、シェーンハイトは嘆息する。


「私が治療します。楽にしていてください」

「……いいのか? 俺たちは邪教徒なんだろう?」

「『穢れの血』であるなら見殺しにしますが……貴方は真っ当な人間のように思えるので」


 グレンの傍らに寄り添い、治癒魔術を行使する。

 淡い光が体を包んで傷を癒していく。

 徐々に体中の痛みが和らいでいくように感じ、グレンは安堵したように息を吐いた。


「では、始めるとしよう」


 リスティルはシュラン・ゲーテの亡骸を前にする。

 何か思うところがあるのか、その表情は深刻だ。

 しかし、すぐに普段通りの様子に戻ると、ゆっくりと手を翳す。


 膨大な量の穢れが亡骸から沸き上がり、リスティルの体へと流れ込んでいく。

 少し苦しげに歯を食い縛り、己の責務を果たすために苦痛を堪える。


 森林地帯で討伐したモルデナッフェとは比べ物にならないほどの穢れだった。

 亡骸から立ち上る黒い霞は徐々に薄くなっていく。

 やがて全ての穢れを回収し終えた時、リスティルは祈るように両手を組んで膝を突く。


 すると、彼女の足元を中心に魔方陣が展開された。

 魔力光が彼女の周囲をふわふわと蛍のように漂い始める。

 足元の魔方陣が優しく明滅し、夜の闇に包まれた監獄内を眩く照らし始めた。


「……声が、聞こえる」


 リスティルが呟く。

 心此処に在らずといった様子で、朧げな意識で紡ぐ。


 彼女の脳内に無数の光景が浮かび上がる。

 次々と景色は移り変わっていく。

 そして、その中に絶望に囚われた剣士の姿を見る。


「……華々しい栄光の凱旋……志半ばで果てた者たち……英雄……?」


 何故だか心が締め付けられるような感覚がしていた。

 まだその光景に出会ったわけでもないというのに。

 悲劇が待ち受けている気がしてならない。


 そして、視界が元に戻る。

 リスティルは酷く疲れた様子で、荒い呼吸をして肩を上下させていた。


「何をしたのですか……?」


 シェーンハイトは疑問を抱く。

 今の魔方陣は大陸各地を飛び回っている彼女でさえ見たことが無い。


 それも当然のことだろう。

 常識的に考えれば、未来予知という荒唐無稽な発想に辿り着く方が困難だ。

 故に、目の前で起きた異常な光景に疑問を抱く事しか出来ない。


「未来予知ですよ。リスティル様は"聖女"ですからねえ」


 ヴァンは笑みを浮かべて言う。

 これで頭の固い枢機卿でも理解しただろうと、満足げに。


「まさか……『遺失魔術アルタートゥーム・マギ』ですら、未来予知など聞いたことがありません」

「だが、実際に目の前で起きた光景は事実だ」


 リスティルはシェーンハイトに向き直る。

 その顔には疲労の色が見られたが、気丈に振舞っていた。


「私は今後起きるであろう事象、その可能性の一端を覗き見ることが出来る。未来予知というには稚拙だがな」


 決定された未来ではない。

 あくまで不確定な未来の可能性を覗き見るだけ。

 そうリスティルは謙遜するが、シェーンハイトにとっては信じ難いことだ。


「この監獄内での出来事も予め知っていたと?」

「断片的な情報だけだが、まあその通りだ。前回の未来予知は森林地帯で、穢れを身に宿したモルデナッフェを討伐した時のことだ」


 それを聞いて、シェーンハイトはベレツィの村での出来事を思い出す。

 穢れの影響を受けた魔物の噂を聞きつけて討伐隊を率いて向かったが、確かにグレンたちが討伐したらしい。

 リスティルの言い分には一つの矛盾点も無い。


 俄かには信じ難い話だ。

 実際に魔術を行使する姿は見たものの、周囲の人間が未来予知によって情報を得られるわけでもない。

 口から出任せを言うことだって不可能ではないはずだ。


 即座に判断出来るだけの情報が無い。

 様子を見るには危険な存在だが、何故だか邪教徒と思えなかった。


「信じられないのも無理はないだろう。だが、いずれお前も理解する時が来る」

「……それも未来予知ですか?」

「そこまで万能ではないさ」


 リスティルは自嘲するように呟く。

 常に自信に満ちた表情を浮かべているというのに、時折こういった顔を見せるときがあった。


 周囲を見回すと、先ほどの襲撃を逃げ延びた囚人たちが集まってきていた。

 元からマルメラーデ監獄に収監されている者たちと、連行されてきたベレツィの村人たち。

 随分と弱り切った様子でシェーンハイトのことを見つめている。


 シュラン・ゲーテ亡き今、彼女には囚人たちの処遇を決める権限がある。

 罪人が相手であれば即座に斬り捨てることも可能であり、邪教徒が相手であれば拷問の許可もされている。

 教義に忠実な枢機卿であれば、冷酷な判断を下されてもおかしくはない。


 グレンはどうしたものかと思案する。

 罪を犯して捕まった人間ならば情けを掛ける必要もないが、ベレツィの村人たちは魔物に従属させられていただけだ。

 エルベット神教の教義に反する行いだとしても、死の恐怖から言いなりになってしまうのは仕方がないだろう。


 これで処刑されてしまっては情が無い。

 理不尽に命を弄ばれて死んでいくなど許容できない。


「なあ、シェーンハイト。こいつらの処遇はどうするつもりなんだ?」


 問いかけると、彼女は困ったように腕を組む。

 即座に冷酷な判断を下すようなことはないらしい。


 教義に反した罪は重い。

 命が惜しいからとはいえ、魔物に従属するなど人間のすることではない。

 幼少期よりエルベット神教の教えを絶対的なものとして与えられてきたシェーンハイトにとって、ベレツィの村人たちの判断は到底許容出来ないものだ。


 以前は連行することを選んだが、マルメラーデ監獄に収監したのは自身の判断ミスだった。

 それを含めた上で改めて処遇を考えなければならないだろう。

 ある程度は情状酌量の余地もあるかもしれない。


「……この監獄の運営方針には不自然な点が多々あります。よって、全ての囚人はアーラント教区中央教会に連行し、再度その罪を審議します」


 この場で即断することは難しい。

 中央教会であれば時間をかけて審議することも出来るだろう。


 グレンは渋い表情を浮かべる。

 もし中央教会に連行されたならば、頭の固い聖職者たちによって厳しい刑に掛けられることは間違いない。

 監獄を出られたとしても処刑は免れないはずだ。


 しかし、シェーンハイトは首を振る。


「少なくとも、この監獄での生活は不必要な誅罰を与えてしまいました。それも考慮した上で、私の方から情のある判断をするよう口添えをしましょう」


 本来受ける必要のない苦痛まで与えてしまった。

 もう十分な償いとなっただろう。

 故に、ある程度の刑罰は覚悟しなければならないが、重い刑に処すつもりはないと意思を示していた。


 厳格な枢機卿として知られるシェーンハイトとは思えないほど温情のある判断だった。

 グレンは意外そうに彼女を見つめる。


「そこまでしてくれて良いのか?」

「少し甘い気もしますが……何よりアーラント教区の管理者グレゴール大司教が『穢れの血』だと見抜けなかったのは我々の落ち度です。このような異常な監獄を運営させてしまったことを考えれば、多少の減刑は仕方がありません」


 建前だった。

 これまでの彼女であれば、間違いなく重い刑罰を与えていただろう。

 そうでないのは、先ほどリスティルの未来予知を見て僅かに信仰に揺らぎが出てしまったからだ。


 シェーンハイトは自身の変化に気付いていない。

 今もなお、彼女の中ではエルベット神教が絶対であり、邪教徒に対しては強い嫌悪感を抱いている。

 だが、グレンたちをただの邪教徒として片付けるには難しい心境だった。


「他に何か望むことはありますか?」

「いや、十分だ。これ以上はお前の立場にも関わるだろう」


 枢機卿という立場にあるのだから、教義に反した者に対して甘い処遇を与えすぎるわけにはいかない。

 場合によっては彼女の信用問題に関わってしまう。

 シェーンハイトは自身の対応出来る中では最大限の譲歩を示してくれていた。


「逆に、俺たちに何か要求はねえのか? 一応は反逆罪に問われている身なんだが」


 ベレツィの村で冷静さを欠いたヴァンが襲撃してしまっている。

 事情はどうあれ、大陸に広く信仰されるエルベット神教に対して明確な反逆行為を働いてしまったのは事実だ。

 元々はそれが原因でマルメラーデ監獄に連行されたのだから、グレンとしては自分たちの処遇の方が気掛かりだった。


 場合によっては力尽くで突破しなければならないだろう。

 ヴァンやリスティルはともかく、グレンは雇われた傭兵の身だ。

 一応は加担しているとはいえ、強大な戦力を保有するエルベット神教に敵対したいとは思っていなかった。


「……さて、私には何を言っているのか理解できません」


 シェーンハイトは軽く微笑み、肩を竦める。

 人形のように無表情を崩さなかった彼女が初めて人間らしい所作を見せた。


「辺境の森林地帯に出没した変異種の討伐。マルメラーデ監獄におけるグレゴール大司教の調査協力及び討伐。いずれの功績も、称賛されることはあっても非難されるようなことはないと思いますが?」


 罪に問われるようなことは何一つ起きていない。

 その功績のみを上層部に伝え、余計な面倒事は全てさっぱりと忘れ去る。

 これ以上も無いほど好意的な判断だった。


「すまねえ。助かる」


 グレンは頭を下げる。

 元はといえばヴァンが暴走したことによるものだったが、彼自身もシェーンハイトに対して誤解をしていた節がある。

 それも含め、誠実に謝意を示した。


 その姿が粗暴な外見に似合わず、シェーンハイトはくすりと笑う。


「……大災禍によって穢れが蔓延した今の時代において、貴方のような『穢れの血』と互角以上に渡り合える優秀な戦士は貴重な存在でしょうから」

「そんな立派な存在じゃねえ……が、名高い枢機卿さんに褒められたってのは悪い気はしねえな」


 グレンは頬を掻く。

 傭兵として技量に自信はあったが、シェーンハイトのような大陸中に名の知れた剣士からの称賛は素直に嬉しく感じていた。


 シュラン・ゲーテとの戦いは苛烈さを極めたが、同時に成長へと繋がった。

 人智を超えた怪物と如何にして立ち回ればいいのか、それを実感することが出来たのは大きい経験だろう。

 唯一心残りがあるとすれば失われた命に対する後悔だけ。


 だが、ある程度は割り切っていた。

 傭兵稼業を続ける中で、死の運命というものは易々と逃がしてくれるような存在ではないと理解している。

 今は生き延びた者たちと勝利の余韻に浸っていても咎められることはない。


 その様子を遠くから見守っていたベレツィの村人たちが集まって一斉に頭を下げる。

 シェーンハイトの慈悲とグレンたちの雄姿に感謝を示す。

 微かに差し始めた希望の光に、クラウスとユリィは抱き合って涙を流していた。


 夜明けは近い。

 僅かな休息を取り、一同は戦いの傷を癒した。

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