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黒き聖女の黙示録《アポカリュプセ》  作者: 黒肯倫理教団
一章 アーラント教区

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15話 マルメラーデ監獄(9)

――『六芒魔典ヘクサグラム


 その名を聞いてシェーンハイトの顔付きが険しくなる。

 同時に微かだが危機感を抱いてしまった。


 目の前に佇む巨躯の怪物はシュラン・ゲーテと名乗った。

 その忌むべき名は、大災禍を引き起こした六人の魔術師の一人。

 世に穢れを齎した主犯格である。


「まさか、貴方が……ッ」


 エルベット神教の内部に邪教徒が潜んでいたことが信じられなかった。

 穢れを身に宿しながら、尤もらしい言葉で信仰を説いていたことが腹立たしかった。


 黒い感情が渦巻く。

 目の前の怪物は、気高き思想をも利用して食欲を満たしていたのだ。

 気づかぬ間に一体どれだけの人間の命が奪われてしまったのだろうか。


 断じて許すことは出来ない。

 枢機卿の肩書を背負う者として、邪悪な怪物を放置するわけにもいかない。


「貴方を――排除しますッ」


 瞬時に間合いを詰め、力強く踏み込んで剣を突き出す。

 手応えは予想以上に重い。

 まるで頑丈な鎧に打ち込んだかのように、強烈な反動が返ってきていた。


「くっくっく、非力なものよ。所詮は小娘ということか」

「黙れッ!」


 剣を引き戻し、今度は姿勢を低くして素早くシュランの股下を掻い潜る。

 隙だらけの背中をめがけて魔力を込めた一撃を放つ。


「――蒼閃」


 監獄の番人を容易に弾き飛ばすほどの一撃。

 蒼い魔力を帯びた刃は、しかし、僅かに肉を傷付けるだけに留まっていた。


 あまりにも頑丈すぎる。

 シェーンハイトは反撃を警戒して距離を取るが、シュランは笑みを浮かべたまま佇んでいるだけだった。


 剣士としての技量は確かに一流である。

 体内に保有する魔力量も常人を遥かに上回っている。

 だが、シェーンハイトの戦術はこれほどまでに頑丈な怪物を想定したものではなかった。


 故に、通用しない。

 それを知っていたからこそ、シュランは監獄の番人と勝手に遊ばせて楽しんでいたのだ。

 万全を期して相手をするほどの敵ではないのだと。


「小娘。貴様の肉は、いったいどのような味がするのだろうなぁ?」

「くッ――」


 退くべきか否か。

 幸いにも相手はまだ仕掛けてきていない。

 特に負傷もしていない今ならば、逃げ出すことも不可能ではないはずだ。


 逡巡するが、シェーンハイトは首を振る。

 悪しき怪物を前にして逃走するなど彼女の矜持と信仰が許さないだろう。

 邪教徒死すべし、それが彼女の掲げる目標なのだから。


 習ってきた剣術は、強者の為の剣。

 通用しない相手などいない。

 それを信じて、体中に膨大な魔力を巡らせていく。


 そして――魔力が爆発的に高まる。


「――奥義『瞬魔』」


 踏み込みに合わせ、その一瞬だけ限界以上の身体強化を施す。

 本来であれば体が弾け飛んでしまうだろうが、彼女の奥義は肉体の崩壊速度と拮抗するように治癒魔法を掛けることによって押し留めている。

 強引に人外の領域へと踏み込む禁忌の技だった。


 そこでようやく、シュランが動きを見せた。

 シェーンハイトを迎え撃つように拳を固く握り締め、魔力を迸らせながら突き出す。

 巨躯から放たれる拳打は、その余波で周囲の瓦礫を吹き飛ばしながら捻じるように放たれた。


「――ッ!?」


 単純だが、それ故に凶悪。

 大質量から放たれる神速の拳。

 鈍重な見た目からは想像も出来ない凄まじい突きに、シェーンハイトは防御に意識を回す暇もなく吹き飛ばされてしまう。


「がはッ――」


 シュランの拳は胴体をしっかりと捉えていた。

 体中の骨を砕かれ、肺の中の空気を強引に押し出され、息苦しさと激痛に悶え苦しむ。


「ぁ、く……はぁッ」


 必死に空気を吸い込み、ぼやけた視界の中で嗤う怪物を睨み付ける。

 即座に治癒魔法を施していくが、剣を振るうどころか意識を繋ぎ止めるだけでも精一杯の状況だった。


――敵の力量を見誤ってしまった。


 幾度となく『穢れの血』を相手にしてきたが、目の前の化け物は規格外だ。

 その体表は渾身の一撃ですら軽傷に留めてしまうほどに頑丈で、拳を振るえば一撃で無力化されてしまう。


「なんと脆弱な。どれだけ鍛錬を積もうと、人間の体ではそれが限界のようだ」


 シュランは嗤う。

 極上の囚人の王ディナーを喰らったと思えば、枢機卿デザートまで付いてきたのだ。

 これほど素晴らしい夜は無いと、久しく心を躍らせていた。


 シェーンハイトは既に満身創痍。

 ここから逆転することは不可能だろう。

 純白のドレスから覗く白い柔肌は、きっとショートケーキのように甘美な味だ。


 ゆっくりと歩みを進めようとした時――異様な気配を感じて視線を移す。


「ふむ? まさか先客がいるとは思わなかったな」


 殺伐とした空間に幼い少女の声が聞こえた。

 微かに怒りを孕んだ強い語気で、そして意外そうな表情をして少女はシェーンハイトを見つめている。


「私の見た未来とは少し違うようだが……まあ、これなら想定の範囲内だ」


 傲慢不遜な笑みを浮かべ、少女は腕を組んで頷く。

 月明かりを受けて煌めく艶やかな金髪。

 身に纏った黒い法衣は、吹き抜ける風にひらりとはためいていた。


 この場に相応しくない幼い少女。

 柴水晶のような瞳には確かな理性の色を称えており、ただの幼子ではないことを見る者に思い知らせる。


「貴様は……ッ」


 リスティルの姿を見て、シュランが驚いたように声を発する。

 まるで彼女を知っているかのようだった。


 対するリスティルは、醜い化け物へと変貌したシュランを軽蔑するように見据える。


「濃い穢れの気配を感じる。どうやら『六芒魔典ヘクサグラム』で間違いはないようだな」

「聖女……いや、魔女と呼ぶべきか? 随分と禍々しい気配に変わった」

「私は聖女だ。たとえ何があろうと、それだけは変わらん」


 その問答の意味するところをシェーンハイトには理解が出来なかった。

 少なくとも、枢機卿である彼女よりも上の次元で会話が成されているのは事実だろう。


「贖罪のつもりか……面白い。穢れの力を得て、超越的な存在へと至った儂の力を見せてやろうッ」


 シュランは魔力を迸らせて襲い掛かろうとするが、急にぴたりと動きを止める。


「……儂に何をした、聖女ッ!」


 まるで何かで押さえ付けられているかのように体が動かないのだ。

 

「――影縫縛鎖エイヴィヒ・ヴィンター


 瓦礫の影からヴァンが姿を現す。

 影を地面に縫い付けて、強引にシュランの動きを封じ込めたのだ。


「簡単なことでしょう。貴方はこの場で死ぬ。それだけです」

「貴様も『穢れの血』かァッ!」


 シュランが咆哮する。

 目の前のいる暗殺者は随分と穢れの力を制御できているらしい。

 膨大な力を扱いきれずに持て余すシュランにとって、厄介極まりない相手だった。


「……構わん。聖女諸共、恐怖で屈服させてやろう」


 シュランから膨大な魔力が溢れ出す。

 全身の筋肉が大きく膨張し、禍々しい瘴気が立ち昇る。


 そして、強引に拘束を打ち破る。


「馬鹿な――ッ」


 ヴァンは驚愕する。

 旅の途中で幾度となく強敵と対峙してきたが、力任せに術を打ち破る輩など見たことが無かった。


「だから、脳筋は嫌いなんですよ――っと」


 危険を察知して影へと沈む。

 月明かりに照らし出された瓦礫だらけの部屋には、彼が身を潜められる場所が多く存在していた。


 地の利は自分にあるのだ。

 敬愛するリスティルの為にも、無様を晒しているわけにはいかない。

 最大の標的である『六芒魔典ヘクサグラム』が目の前にいるのだから、この場で仕留めたいという欲が出てしまうのも仕方がないだろう。


 影から影へと移り渡り、シュランの猛撃を軽やかに躱していく。

 表面上は笑みを絶やさずにいるものの、ひ弱なヴァンの体では掠るだけでも致命傷だ。

 敢えて怒りを煽るように、至る所から顔を出して嘲笑をしていた。


「なぜ邪教徒が同士討ちを……」


 シェーンハイトは治癒魔法を自らの身に施しつつ、苛烈さを増していく戦いを見守っていた。

 一見すればヴァンが優勢に見えるが、果たして彼にシュランの頑丈な守りを突破するだけの手立てはあるのだろうか。


 困惑する彼女のもとにリスティルが歩み寄る。


「邪教徒ではない。ヴァンは私の従順な信徒だ」

「貴方はいったい何者なのですか……?」


 その問いに、リスティルは待ってましたと言わんばかりに笑みを浮かべた。


「私は『聖女』リスティル・ミスティック。世界に変革を齎す者だ」

「聖女……」


 彼女の言葉には疑問が残るものの、ただの幼子ではないということは確かだろう。

 そうでなければ、この戦いを前にして平然としていられるわけがない。


 枢機卿の肩書を持つシェーンハイトとしては邪教徒として処刑すべき相手だ。

 エルベット神教の掲げる聖女とは『殉教者』カルネを指し、その名の通り既に亡き存在だ。

 それ以外の人物が聖女を名乗るなど許されることではない。


 しかし、何故だろうか。

 目の前にいる幼子は、堂々たる態度で凶悪な『穢れの血』と対峙している。

 戦う力も持たないというのに。


「今は信じなくていい。だが、やるべきことは分かるだろう?」


 リスティルは交戦中の二人へと視線を向ける。

 未だにシュランはヴァンの動きを見極められずにいるらしく、苛立った様子で拳を振り回していた。

 対するヴァンは、何度か攻撃を試みたものの頑丈な守りに阻まれ傷を付けることが出来ずにいる。


 シェーンハイトは体をゆっくりと起き上がらせる。

 二人が時間を稼いだことによって辛うじて動ける程度には治癒が進んでいた。

 これならば、戦闘を継続することが出来るだろう。


「邪教徒に手を貸すのは癪ですが……仕方がありません」


 体中に魔力を巡らせていく。

 先ほどの奥義『瞬魔』は肉体への負担が大きすぎるため、現状では発動することが難しい。

 戦闘後への影響も大きいため、本来であれば使用することを避けたいくらいだった。


 だが、それしかシュランの頑丈な守りを突破する手立ては存在しない。

 そう意気込んで魔力を練り上げていくが――。


「必要ない。今は温存しておけ」

「なぜです……?」

「そのために傭兵を雇ったのだ。必要以上に消耗して、途中でくたばられても困るからな」


 リスティルは先を見据えている。

 今の戦いだけではなく、その遥か先の未来まで。


 その意図を全て把握することは出来なかったが、シェーンハイトは一先ず加勢すべきだろうと駆け出す。

 接近に気付いたシュランが拳を突き出すが、即座に反応して剣で受け流す。


「――詠月」


 力任せに振るわれる拳は脅威だ。

 しかし、彼女の技術を以てすれば受け流せないことは無い。

 刃を滑らせるようにして腕を大きく斬り付け、そのまま駆け抜けて距離を取る。


 金属の塊を引っ掻いているかのように手応えは鈍い。

 やはり、全力の一撃でなければ浅い傷を付けることさえ厳しいようだった。


 だが、その一合いによって生じた僅かな隙。

 それを狙い続けていたヴァンが仕掛けていく。


「油断しすぎですよっと」


 転移したのは化け物の眼前。

 シュランは咄嗟に腕を交差させて身を守ろうとするが、それよりも早くヴァンの刃が巨大な目玉を目掛けて突き出された。


「――ガァアアアアアアアアアアアッ!」


 眼球を抉るように突き入れ、即座に転移する。

 シュランはあまりの痛みに悶絶し、憤怒に吼える。


「小癪な……貴様らは絶対に許さんッ」


 荒い呼吸で右目を押さえていた。

 頑丈な肉体を持っているようだったが、生き物ということには変わりないらしい。

 ここに来て初めてシュランは血を流していた。


 シェーンハイトは警戒して距離を取っていた。

 先ほどまではシュランも遊ぶような様子が目立っていたが、ここから先は全力で殺しに来るだろう。

 強烈な殺気を全身に浴びて、微かに体が震えてしまう。


「おや、怖いんですかぁ?」


 その姿をヴァンが愉快そうに嗤う。

 共闘しているものの、彼はシェーンハイトを味方と認識していない。

 もしリスティルが命じたなら即座に首を狙いに行くことだろう。


 そうでないが故に手は出さない。

 嫌な気配を感じつつも、シェーンハイトは平常心を保とうとする。


「……邪教徒に恐れを抱くほど未熟ではありません」

「へぇ、そうですか」


 ヴァンはつまらなさそうに視線を戻し、シュランを警戒する。

 この場で彼女の命を狙うほど愚かではない。

 少なくとも、リスティルの前では。


 状況は思わしくない。

 シェーンハイトとの共闘によって戦力は当初の想定より多いものの、目の前に佇む怪物は此方を大きく上回る実力を持っている。

 これほどまでに凶悪な力を持っているとはリスティルも想定していなかった。


 彼女の記憶にあるシュラン・ゲーテとは、多様な魔術と体術を織り交ぜた拳闘士である。

 穢れの力によって姿は大きく変貌したが本質は変わっていないようだった。

 であれば、万が一にも負ける要素は無い。


「――随分面白そうなことをしてんじゃねえか」


 分厚い金属の扉を蹴破って、待ち兼ねた最大戦力が到着する。

 辺りに満ちた穢れの気配に臆することもなく、悠然とした表情で背負った二振りの剣を抜き放つ。

 鉄塊の如き二本の大剣は月明かりを受けて鈍色に輝いていた。


「何者だ、貴様は」


 突然の来訪者に視線を向ける。

 恵まれた体格を極限まで鍛え上げた肉体。

 鋭く細められた眼光は、強烈な殺気を以てシュランを見返していた。


「そこの偉そうなガキに雇われた、ただの傭兵だ」

「傭兵だと?」


 訝しげに見つめるが、グレンからは穢れの気配を感じられない。

 どう見てもただの人間だった。

 今更増えたところで脅威になるはずがないだろう。


 だが、リスティルは勝利を確信していた。

 大陸屈指の実力を持つ彼ならば、たとえ『穢れの血』が相手だろうと互角以上に渡り合えるのだと。


 グレンは落ち着いた様子で息を吐き出すと、大剣を構えて戦闘態勢に移る。


「さて、仕事の時間だ」


 漸く訪れた戦場で、狂犬が牙を剥く。

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