12話 マルメラーデ監獄(6)
再び夜が訪れた。
処刑される者を投票で選ぶ、狂気の夜だ。
グレンは監獄の壁に背を預け、腕を組んで投票を見守る。
彼の傍らではリスティルが不服そうな表情で座り込んでいた。
「らしくねえな。どうした?」
「いや、少しばかり違和感を覚えてな。この程度ならば、問題はないと思うが……」
今日のリスティルはグレンと別行動をして、他の囚人たちに積極的に話しかけていた。
意図があって行動を始めたのだろう。
その際に何かあったのだろうが、彼女が黙している以上、グレンも追及するつもりはなかった。
グレンは再度、投票の様子を窺う。
今宵の犠牲者はクラウス。
ジェイドに楯突いた罪は、見逃されるものではないだろう。
だが、その予想に反して選ばれたのは別の者だった。
「どういうことだ……?」
グレンは首を傾げる。
群衆の中にクラウスの姿を見つけるが、その表情は絶望に染まりきっている。
間違いなく彼が犠牲になるはずだった。
力無く項垂れている様子を見る限り、娘を救い出せなかったのは明らかだ。
ではなぜ、彼は目立つような行動をして咎められなかったのか。
二体の巨人が、今宵の犠牲者であるふくよかな中年の女性を強引に連行する。
泣き叫び助けを乞うが、当然ながら手を差し伸べる者はいない。
逃げ出そうにも体が言うことを聞かないのだから、必死に声を上げることしかできないだろう。
「何度見ても、この不愉快な光景にはなれないな」
リスティルは額に手を当て、疲れたように息を大きく吐きだす。
彼女が知っているのはあくまで数多ある未来の可能性の断片のみ。
思い通りに状況を動かせるほど万能ではない。
「お前が責任を感じる必要はねえよ。悪いのは――」
ジェイドに視線を向ける。
彼は取り巻きを侍らせて満足げに腕組みをしていた。
彼はベレツィの村人を犠牲にすることで生き永らえている。
投票制という奇異な制度の穴を突くことで安全を確保しているが、はたしてこのマルメラーデ監獄の中で生き続ける意味はあるのだろうか。
いずれにせよ、必ず誰かが死ぬことになるのだから、こうして自分たち以外の特定の集団を狙い続けてくれるという状況は悪くはない。
それがベレツィの村人では無ければ、の話だが。
「リスティル、明日は何をすればいい」
「まだ出番はない。来るべき日に備えて、力を蓄えてくれ」
その言葉に、グレンは焦れたように頭を掻く。
もう何日も苛立ちを溜め続けているのだ。
一刻も早く解決させて、マルメラーデ監獄から脱出したいと思っていた。
自分は傭兵だ。
戦力として頼られることは歓迎だが、こうも何も出来ない状況が続くとじれったくなってしまう。
枷に掛けられたかのような窮屈さを感じていた。
そんなグレンの様子を見てか、リスティルが再び口を開く。
「一つ言っておくが、私はお前の行動すべてを制限するつもりはない」
「それはどういう意味だ?」
「私の見た未来を気にしすぎるな、ということだ。腕だけを見て勧誘したわけじゃない」
リスティルは眠そうに欠伸をした。
瞼を擦りつつも、少し眠気を堪えて話を続ける。
「可能性というのはな、大体は一点に収束するものだ。いわゆる運命というやつだ。定め、と言った方がわかりやすいか」
「俺が何をしても未来は変わらないってことか?」
「事象にはそれぞれ運命力が定められている。特に強大な運命力を持つ事象――例えば、世に穢れを齎した大災禍は、食い止めるには相応の規模で行動をしなければならなかったわけだ」
言葉通りに受け取るならば、グレンが個人で覆せる運命はマルメラーデ監獄においては些細なものだということらしい。
よほど大きな行動――例えばジェイドを殺すなど――をしない限りは問題ない。
誰と会話をして何を食べてどこで寝ようが、未来に定められた事象からすれば僅かな差異でしかなく、リスティルからすれば気にするほどのことではない。
「お前が必要だと思ったならば、それを成せばいい。その行動が正しいかどうかは、最後にわかるだろうさ」
そう言うと、リスティルは壁にもたれかかって瞼を閉じた。
語るべきことは全て語ったらしい。
「運命力、か……」
運命に抗うには相応の力が必要だ。
過去に妹を魔物に食い殺されてしまったことも、力があれば覆せたのかもしれない。
グレンがアーラント教区を訪れた目的は、彼の故郷を滅ぼした『穢れの血』の男を殺すためだ。
もう十年近く前のことだが、未だに抱いた殺意は揺らがない。
最大限の苦痛を味わわせてから殺してやろうと思っていた。
あの男の不愉快な哄笑が未だに耳から離れない。
涙で滲んだせいではっきりと顔を見ることはかなわなかったが、今でも不愉快な笑い声だけは鮮明に思い出せた。
――こんな監獄なんざには用はねえ。
少しでも手掛かりが欲しい。
だが、今はリスティルとヴァンに付き合って牢の中だ。
そんな状況をじれったく感じるが、『穢れの血』を追うのであれば行動を共にした方が都合が良いと理解していた。
穢れの影響を受けた者は強い。
優れた腕を持つ傭兵であるグレンだからこそ、その事実を余計に感じ取りやすい。
ベレツィの村を襲ったモルデナッフェの群れの主。
他の個体と比べて明らかに魔力も身体能力も格が違う、正真正銘の化け物だった。
もしあれだけの能力に"技量"が兼ね備えられたならば、きっと常人では対処しきれないだろう。
最も身近にいるヴァンでさえグレンからすれば脅威足りえる存在だ。
戦闘においては勘が働く方だが、ヴァンの暗器を用いた搦め手を全て退けられるとは思っていない。
手の内を殆ど明かさない彼が敵に回ったとして、無傷で勝てると自負するほど愚者ではない。
穢れの力を把握し、戦闘技術として磨き上げた者は脅威だ。
グレンの追う男はいったいどれほどの技量を持っているのか。
僅かな手がかりさえ掴ませないことを考えるに慎重な人物なのだろうが、戦闘面においてどれほどかは実際に対峙してみるまで分からないだろう。
傭兵界隈では名を知らぬ者はいないほどの実力を誇るグレン。
だが、その心に慢心は無い。
常に格上の存在を想定して鍛錬を積み重ね、そして更なる強さを求めて鍛え上げるのだ。
百九十センチを超える恵まれた体格。
極限まで追い込むことで、二振りの大剣を自在に操れるほどに鍛え上げられた肉体。
それを持ってしてもなお、グレンは満足しない。
標的は『穢れの血』なのだ。
どれだけ鍛錬を積んでも過剰ということはないだろう。
これからの旅においても、その力はリスティルたちにとって心強いものとなる。
「……豪胆なもんだ」
すでに寝息を立てているリスティルを横目にグレンが呟く。
監獄に来て三日が経過しようとしている。
明日の夜までにジェイドに従うか否かを答えなければならないのだから、猶予はないというのに。
あるいは、それすらも彼女の想定内ということだろうか。
その思惑を全て把握することはできないし、リスティルが具体的な指示を出すわけでもない。
三人の中で自分だけが焦燥に駆られているのではないだろうかと、グレンは困ったように腕を組む。
ヴァンはリスティルを盲目的に信頼している。
だからこそ、己の役割を把握して行動することが出来るのだろう。
行動を制限するつもりがないのであれば、グレン自身が考えて行動すること自体は問題ないのだろう。
このマルメラーデ監獄で出来ることは少ない。
かといって、ただ黙して待つというわけにもいかない。
既に夜も深く、視界に映る囚人たちは皆が眠りに就いている。
少し思索に耽っていたつもりだったが、存外に時間が経っていたらしい。
気がかりなのはユリィだ。
彼女はジェイド派閥に従属することを選んでしまった。
クラウスの様子を見るに連れ戻せなかったのだろうことは明らかだが、今どうしているのかは分からない。
「……チッ」
不快感が心を満たしていた。
せっかくモルデナッフェから解放されたというのに、再び従属を選んだのだ。
これでは助けた甲斐が無い。
部外者である自分でさえこうなのだから、父であるクラウスの絶望は計り知れないだろう。
グレンはやるせなさを感じつつ、そろそろ寝ようかと目を瞑る。
その時――。
「――嫌ぁッ!」
奥の部屋から微かに悲鳴が聞こえてきた。
ジェイド派閥の人間が占領している方向だ。
聞き覚えのある声に、眠気が吹き飛んで意識が覚醒する。
横に視線を向けるが、リスティルは穏やかに寝息を立てていた。
わざわざ起こす必要はないと考え、グレンは息を押し殺して奥の部屋へと向かう。
近付くにつれて、男たちの下卑た声が聞こえてきた。
壁に耳を当てると会話が鮮明に聞こえてきた。
「ほら、さっさと服を脱げよ」
「やめてください、離してッ!」
「へへへ、暴れても無駄だぜ。誰も助けには来ないからな」
気づかれないように中の様子を窺うと、ユリィが男たちに強引に迫られていた。
その目には涙が浮かんでいる。
「大人しく言うことを聞かねえとジェイド様に言いつけるぞ? そうしたら、嬢ちゃんの親父はどうなるか……わかるよな?」
「そんな……」
その言葉にユリィは息を呑む。
純朴な村娘の彼女は、ジェイドに従属をするということがどういうことか理解していなかった。
ただ媚を売れば父親が投票の対象にされないようにできると思っていたのだ。
グレンは事情を察し、先ほど抱いた邪推を心の中で謝罪する。
彼女はクラウスを助けるために自らを犠牲にしたのだ。
考えは甘かったにせよ、その決断をするには相応の苦痛を伴ったことだろう。
「もしかして処女か? だったら残念だな。こんな監獄で散らすには惜しいが、外に売りに行けるわけでもねえしなぁ」
だからこの場でいただく。
そう言って、男たちは下卑た笑い声をあげる。
ユリィは村娘だが、その容姿は非凡な可愛らしさを持つ。
監獄内の飢えた男たちにとって、彼女は絶好の獲物なのだ。
恐怖で震えているユリィを見てグレンは葛藤する。
――俺はどうするべきだ?
行動するべきか否か。
リスティルの未来予知は絶対ではない。
もしここでユリィを助けようとしたことによって道から外れてしまうとしたら、これまで耐えてきた意味が無くなってしまう。
それに自分が問題を起こして隔離されてしまった場合、リスティルを守る者がいなくなってしまう。
ヴァンであれば陰から守ることも不可能ではないかもしれない。
だが、そうなった場合はこれ以上の情報を集めることが不可能になり、ベレツィの村人たちを救うことは諦めるしかなくなってしまう。
しかし、これは見過ごせる事態ではない。
グレンが覚悟を決めかねていると――。
「娘を放せええええええッ!」
悲鳴に気づいていたのだろう。
声を荒げて、威勢良くクラウスが殴り込んでいった。
もはや考えている暇はない。
グレンも覚悟を決め、拳を固く握りしめる。
「ああクソッ、やってやるッ!」
部屋の中に殴り込むと、ちょうどクラウスが男の一人を殴り飛ばしたところだった。
他に男が三人残っている。
とてもクラウスだけでは対処しきれないだろう。
相手は素人だ。
傭兵稼業に明け暮れるグレンにとって、この程度の相手は脅威足りえない。
剣が無かったとしても、自分には鍛え上げた肉体がある。
「うおおおおおおッ!」
先ずはユリィの救出が優先だ。
彼女のことを拘束している男に瞬時に肉薄し、力任せに拳を振るう。
「がはっ」
手加減したつもりだったが、その拳は深々と男の腹部にめり込んでいた。
これでは臓器が破裂して助からないだろう。
男は吐血すると、苦しそうに悶えながら地面に転がった。
この事態に苛立っていたのだろう。
そのせいで過剰に力を入れてしまったが、相手は罪人なのだから気にする必要はない。
「クラウス、ユリィを守れ!」
「ああ!」
怯えるユリィのもとにクラウスが駆け寄る。
「お父さん、ごめんなさい。私……」
「ああ、わかっている。お前がどうしてジェイド派閥に行ったのか、ようやく理解できた」
すまない、と何度も謝罪をする。
クラウスとユリィは互いに目に涙を溜めていた。
そうしている間にグレンが部屋の中にいた男たちを片付け終えていた。
「……二人は早く戻れ。マルメラーデ"監獄"ってんだから、この事態も看守共に見られているはずだ」
悪ければ即日処刑。
良ければ、ヴァンと同様に隔離されることだろう。
恐らくは後者だろうとグレンは踏んでいるが、実際にどうなるかは分からない。
「すまない、恩に着る」
クラウスは手早く挨拶を済ませると、ユリィと共に村人たちが集まっている区域へと逃げていく。
再び部屋の中に視線を戻せば、ジェイドの配下たちが血溜まりに沈んでいた。
胸糞悪い光景を見せられたのだから当然の報いだ。
グレンは検視を剥き出しにして嗤う。
どうせならば、このままジェイド派閥の人間を減らしてしまおう。
「窮屈で色々溜まってんだ。暴れさせてもらうぜ」
殺戮の夜が始まる。
先ほどの騒ぎでジェイド派閥の者たちが集まってきていた。
凄惨な光景に呆然としていたが、そんなことをしている暇は無い。
狂犬が牙を剥く時、巨大な体躯を持つ地竜でさえねじ伏せられてしまうのだ。
非力な囚人たちが少し集まったところで、グレンを止められるはずもない。
単純なことだ。
ジェイド派閥が大きい顔をしていられるのは人数が多いから。
マルメラーデ監獄においては数こそが絶対的な力となる。
だが、その数を物理的に減らしてしまえばどうなるか。
ジェイドに不満を抱く者たちとの力関係が逆転し、その後どうなるかは考えるまでもない。
――ジェイドを吊るし上げてやる。
拳を固く握り締め、殴りかかろうとしたその時。
「――随分と暴れてくれたみたいだなあ?」
ジェイドが姿を現した。
自信に満ちた表情でグレンと対峙している。
本命が姿を現したのだ。
この場で殺してしまえば、わざわざ投票に持ち込む必要はなくなるだろう。
そう考えたが、先ほどリスティルと話した運命力について思い出す。
ジェイドを自らの手で殺すわけにはいかない。
はたしてその選択は正しいのか。
逡巡するが、やはり生かしておくべき相手ではないと思った。
「てめえのやり方は気に入らねえ。ぶっ潰させてもらうぜ」
「そうか、お前はそれを選択したんだな?」
ジェイドは一瞬不愉快そうに眉を顰めたが、すぐに自信に満ちた笑みを浮かべる。
「この監獄を知ったつもりでいるみたいだが……残念だったな」
そして、二体の巨人が姿を現す。
――監獄の番人。
グレンは息を呑む。
優に三メートルは超えるであろう身長は、対峙しているだけで気圧されてしまいそうになるほどの威圧的なものだ。
身構えるが、得物が無ければ厳しい相手だ。
巨人たちはそれぞれ巨大な斧と鉈を構えてグレンの方を見つめている。
この場で処刑をするつもりなのだろう。
「チィッ――」
先ほどのジェイドの様子から察するに、監獄の番人が現れることを知っていたらしい。
長いことマルメラーデ監獄に囚われていたのだから、似たような事件が起こっていたとしても不思議ではない。
このままでは不味い。
如何にしてこの状況を脱するか思案するが、自分一人で出来ることは限られている。
ジェイドが愉快そうに嗤っていた。
囚人たちを従えるだけあって、確かに相応の頭を持っているらしい。
もしかすれば、この状況さえ彼が仕込んだ可能性がある。
覚悟を決めて監獄の番人に立ち向かおうとしたその時――。
「真夜中に騒々しいと思えば、貴方でしたか」
現れたのは枢機卿シェーンハイト・ヴァレンティ。
グレンたちを監獄に連行した人物だった。
シェーンハイトは周囲を見回して状況を把握する。
倒れている男が三人。
拳を血に染めたグレンが一人。
そして、ジェイド派閥の者たちと、監獄の番人。
「……彼は独房に隔離します。異論は認めません」
そう言うが、エルベット神教の枢機卿を相手に異議を申し立てられる者などこの場にはいないだろう。
監獄の番人も武器を下し、道を開けた。
「ついてきなさい」
両手首に金属製の枷をかけると、シェーンハイトはグレンを独房へと連行する。




