11話 マルメラーデ監獄(5)
その夜もまた、処刑の時間が訪れた。
監獄へ訪れる静寂は絶望によるものか。
暖を取ることすら許されない監獄内で、体の震えは恐怖によるものかさえ分からない。
分厚い鋼鉄の扉が開かれ、処刑人――二体の巨人が箱を運んできた。
不気味な魔力に包まれた魔道具。
その正確な効果は未だに分からないが、少なくと古代の儀式に用いられた拘束用の魔道具であることは分かる。
昨夜はベレツィの村長だった。
老体故に動けなかったのか、それとも対象者の力を完全にかき消してしまうものなのか。
警戒しつつ、その様子を窺う。
少なくとも今晩は安全だ。
自身の立場を示していないグレンとリスティルが投票の対象になるようなことはない。
危惧することがあるとすれば、見知った人間であるクラウスがジェイドと敵対していることか。
「……グレン、お前から見てあの巨人はどう見える」
「間違いなく化け物だろうな。手練れの傭兵を五人は揃えて挑みたいところだ」
硬質な肌を見る限り、生半可な攻撃は通用しそうにない。
だがグレンの持つ二振りの大剣であれば、その体躯を抉ることも難しくはないだろう。
言葉通りであれば、戦力が明らかに不足している。
ヴァンの得物はナイフだ。
彼自身の技量に不安はないが、あの巨人を相手にするには相性が悪すぎる。
ましてリスティルは直接的な戦闘は不可能だ。
彼女を守りながらの戦闘となると、さすがのグレンであっても厳しいかもしれない。
壇上では尊大に両腕を広げたジェイドが、今宵犠牲になる人物を指差した。
ベレツィの村人の一人だ。
体格の良い壮年の男性で、村では農夫をやっていた。
「さあ、僕らの為に犠牲になれ!」
ジェイドが高らかに笑う。
選ばれなかった者たちは憐憫の視線を向けつつも、自分が選ばれなかったことに安堵していた。
また一日、生き永らえることが出来るのだ。
囚人たちの投票によって魔道具が起動し、不気味な色をした霞が噴出する。
それは農夫の体を取り巻いて、そして体内へと侵入していった。
「か、体が……ッ!?」
最早、彼の体は意思を持たない。
糸の切れた操り人形のように、急に脱力してその場に崩れ落ちる。
視線だけが、縋るように周囲の人間を行き来していた。
誰一人として助けの手を差し伸べなかった。
監獄において投票は絶対であり、逆らうことは許されない。
もし反抗するような意思を見せれば、次に餌食となるのは自分の番になってしまう。
「おい、リスティル……」
不味いんじゃないのか、と問いたかった。
しかし、苦々しい表情を浮かべる彼女の姿を見てしまえば、頼るわけにもいかないのだと理解する。
このまま黙って見届ける以外に道は無い。
必死に助けを乞う農夫を二体の番人が掴み上げ、鋼鉄の扉の奥へと運んで行った。
あとに残された者たちは、ただただ恐怖に震えることしか出来ない。
マルメラーデ監獄の夜は絶望の時間だ。
それはジェイドであっても同様。
絶対的な権力を持っているはずの彼ですら、自らが対象にならないとは限らないと怯えている。
所詮、彼は囚人の中で偉ぶっているだけの亡霊に過ぎないのだ。
◆◇◆◇◆
マルメラーデ監獄の監視塔の上で、ヴァンは夜空を眺めていた。
黒いキャンバスを彩る星々の瞬き。
内なる狂気を掻き立てるような青白い月。
ゾクリ、と悪寒がした。
まるで今から処刑される罪人のような気分。
あるいは拷問に掛けられる売国奴の気分。
いずれにせよ、今宵、彼を苛む人物はいない。
苦しみに満ちた生活は過去のことであって、今は聖女に使える忠実な僕。
盗み出した看守の服に着替えると、ヴァンは監獄内を散策する。
それ自体は他の監守がやっている見回りと変わりない。
こうして動き続けることで、不審に見られないように誤魔化しているのだ。
彼の目的は――存外に早く遭遇することとなった。
「離せ……離せぇッ!」
二体の巨人に連行される農夫の姿。
微かに見覚えがあるのは、ベレツィの村人だからだろう。
ヴァンは唇を噛み締める。
助けてやりたい気持ちもあったが、今は与えられた任務が優先。
せめて苦しまずに死ぬことを祈って、その背を見送る。
すると、ヴァンの下にメイド服を着た女性が歩み寄ってきた。
「相変わらず恐ろしい光景ですよね」
「ええ、そうですね」
適当に相槌を打ちつつ、相手を観察する。
ただの雇われメイドのようだったが、今現在いる位置を考えるとそれなりにグレゴール大司教に近い場所で働いているのだろう。
この場所から大司教の部屋まではそう遠くない。
「生憎、僕は新人でして。何時の頃から、ああいった処刑方法がなされるようになったんですか?」
「私も配属されたばかりですので……すみません」
ヴァンは心の中で舌打つ。
有用な情報を得られないのであれば、このメイドに用はない。
適当にあしらってその場から去ろうとすると、メイドが気になる話題を出してきた。
「運ばれていった囚人たちがその後どうなったかご存知ですか?」
「さて……あの二体の巨人に縊り殺されたとかですかね」
ヴァンの言葉に、メイドは首を振った。
そして、怯えるような表情で、声を震わせながら囁くように言う。
「消えてなくなるんです。処刑を名目にグレゴール大司教の部屋に連行されて、その後に部屋から遺体が出てきたことなんて一度もないんです」
「消えてなくなる……ですか」
あまりにも不自然すぎるだろう。
一介のメイドですら疑問を抱いてしまうほどに粗末な手口だ。
グレゴール大司教が如何にして処刑をしているのかは分からないが、おおよそ想像は付いていた。
「後で大司教様の部屋を掃除するんですけれど……その場に血の跡がびっしりと残っているんです」
「グレゴール大司教が直々に手を下しているんですか?」
「少なくとも私は、そう思っています」
メイドは確信めいた様子で、農夫の男が連れていかれた先へと視線を向ける。
その表情に浮かぶのは疑心でも好奇心でもなく、恐怖心だ。
ヴァンは存外に良い情報を得られたと満足げに頷く。
この情報をもとに、新たに有用な情報を探ってみようと考えていた。
「私は早々に務めを辞退しようと考えています。あなたも、お気をつけて……」
去っていくメイドの背を見送りながら、ヴァンは考える。
グレゴール大司教の正体は『穢れの血』である可能性が極めて高い。
自分たちが未来予知によってこの地に導かれた理由もこれだろう。
(死体が無いとなると……食べているのか。悪食は『穢れの血』が進行している証。まあ、いざとなれば……)
そこで思い浮かぶのはグレンの顔。
馬鹿げた膂力を誇る彼であれば、相手が『穢れの血』であろうと後れを取ることはないだろう。
悔しいことに、技量で彼に勝てるとは思えない。
いざというときにリスティルの身を守るのも彼だろう。
彼の力量は、単に歴戦の傭兵であるだけ、というようにはとても思えない。
(何を思ってあれだけの鍛錬を積んだのか……)
ヴァンも鍛錬を怠っているわけではない。
純粋な技量だけでなく、暗器の扱いなども学び自分独自の戦い方を確立している。
彼は決して弱者ではない。
この大陸において屈指の暗殺者として名を挙げられることだろう。
しかし、グレンは異常だ。
ヴァンのように『穢れの血』というわけでもないというのに、その驚異的な戦闘センスと極限まで鍛え上げられた肉体を以て穢れを身に宿した化け物を圧倒せしめた。
その実力は未だに底知れず、傭兵として名を挙げていることも納得できる。
初対面の時点ではリスティルの意図が理解出来なかったが、今ならば分かる。
――『狂犬』グレン・ハウゼンは英雄の域に達している。
歴史書には数多くの英雄が記されている。
誇張されているのか事実かは不明だが、その力量は人の領域を超えているかのように記されていることが多い。
だが、彼からはそういった英雄性は感じられない。
もっと凶暴で獰猛な、獣のような心。
穢れの影響を受けたモルデナッフェとの戦いから感じたそれは『狂犬』という異名からも間違いではないのだろう。
普段の様子は理知的で、情に厚い。
彼ならば旅の同行者として迎え入れてもいいかもしれない。
そう思う一方で、自分がリスティルの一番でありたいという嫉妬心を抱いてしまう。
「貴方には、負けません……」
そう決意を口にするも、語気は弱々しかった。
◆◇◆◇◆
グレンはどうしたものかと思案していた。
この閉ざされたマルメラーデ監獄では目立つことが命取りだ。
迂闊な行動もできないために、苛々と唸ることぐらいしかすることがなかった。
一方でリスティルはというと、ほかの囚人たちに声をかけて回っているようだった。
そこにどのような意図があるのかは知らないが、ジェイドの絶対的な支配を受けているこの場所では意味を成さないだろう。
ふと視線を向けると、そこには一人でどこかへと歩いていくクラウスの姿が見えた。
「おい、クラウス。どこへ行くんだ?」
「娘を取り返すんだ。ユリィをあんな男に預けておけない」
彼女の末路は目に見えているだろう。
父として、クラウスはユリィをジェイド派閥の魔の手から救いたい。
性奴隷に身を落としてまで生きながらえることに価値があるとは思えないからだ。
クラウスは震えていた。
当然だろう。
このまま歩みを進めてジェイド派閥に向かって声を上げれば、今晩処刑されるのは間違いなく自分だ。
「グレンさん。貴方の手を借りられないだろうか」
「……この監獄じゃ、俺も無力だ。悪いな」
断るしかない。
ここでクラウスに手を貸すと自らの命を危険に晒してしまう。
そうなってしまえば、今度はリスティルを守るものがいなくなってしまう。
ヴァンであれば、陰からリスティルを見守ることも出来るかもしれない。
しかし、それでは諜報に力を入れられず、結果として多くの村人が処刑されることになってしまうだろう。
固く握りしめられた拳は震えていた。
本心では今すぐにでもジェイドの顔面を殴り飛ばしてやりたいくらいだ。
ここ二日で苛立ちは限界を迎えている。
目の前で無辜の人間が死の運命を宣告されるのだ。
だというのに、これ以上耐え続けろというのはあまりにも酷ではないか。
「抑えろ、クラウス。必ず、俺たちがどうにかしてやる」
「分からないのですか。今も娘は娼婦のように媚を売って、少しでもいい待遇で迎えられようと愛想を振りまいている。私は、一刻も早く彼女を助けなければならない」
クラウスの体も震えていた。
彼の震えは恐怖によるものだ。
死を覚悟して、その上で娘を連れ戻そうと考えているのだ。
「それが、父親としての責務です」
その表情には一切の恐怖も感じさせないだけの力強さがあった。
本当は逃げ出したいほどの恐怖を感じているというのに、父という肩書はこうも人を強くするものなのかとグレンは感心する。
グレンが道を開けると、クラウスは再び歩き出した。
そして覚悟を以てジェイド派閥へと乗り込んでいく。
そこで目に映ったのは、大勢の女性囚人がジェイドに媚び諂う姿だった。
満足げに笑みを浮かべるジェイドが許せず、クラウスは歩みを進める。
「娘を返してもらおうか」
「あん? まさか僕のお楽しみの時間を邪魔しようだなんて、考えていないよなあ?」
鋭い視線。
殺気の籠った瞳に射抜かれ、クラウスは動けなくなってしまう。
それだけでなく、膝を折ってその場に手を突いて這い蹲ってしまった。
ジェイドはそれなりに武術の心得があるのだろう。
殺気を露にした状態で、部下に命じる。
「どうやら娘に会いたいらしい。連れてきてやれ」
「かしこまりました」
部下が駆けていくと、ジェイドは改めてクラウスを観察する。
そこには彼が欲しいと思えるだけの輝きはない。
彼が求めるのは美女か、従順な部下のみだ。
「連れて参りました」
部下がユリィをクラウスの前に立たせる。
見上げれば、そこには最愛の娘の姿があった。
だが、その目は父を軽蔑するかのように細められている。
「なんで来たの」
「お、お前を、ジェイドの手から取り戻そうと……」
言葉を続けることも許さず、ユリィはクラウスの顔を平手打ちする。
乾いた音が監獄内に響き渡った。
クラウスは何故といった様子で頬を抑えながらユリィの方に視線を向ける。
「私は助けてほしいなんて頼んでない。迷惑なことをしないで」
その言葉にクラウスは絶句する。
ユリィがこういった言葉を言い放ったことがないからだ。
彼の知る娘の姿は、いつでも善良な心を持っている素朴な村娘だ。
だというのに、今の状況は何なのか。
ユリィは項を撫でられて抱き寄せられても嫌な顔一つしない。
ジェイドは悪い笑みを浮かべながら、クラウスに言い放つ。
「まあ、親離れってやつだ。事実を受け入れて、今夜、大人しく処刑されるといい」
「まって、ジェイド様。他に処刑すべき人を見つけたの」
「ほう? ユリィがそう言うなら、まあ後回しにしてやってもかまわないが」
そう言って、ジェイドはキスをする。
ユリィは拒む様子も見せず、クラウスの目の前だというのに舌を絡めて見せた。
「そういうことだから、お父さん」
「待ってくれ! ユリィ!」
呆然と固まるクラウスをジェイドの部下が連れ出す。
自身の命は救われたが、それ以上に大切なものを失ってしまった。
夢中になって舌を絡める娘の姿が頭から離れず、クラウスは遂に泣き出してしまった。
己の無力さを嘆いた。
ユリィを助け出せない不甲斐なさを嘆いた。
情けない父であることを嘆いた。
どれだけ彼が望んでも、娘は戻って来ない。




