1話 プロローグ
寂れた荒野を馬車が行く。
日は沈みかけていたが、目的の町まであと半刻と経たないで辿り着くだろう。
そのため、危険を冒して夕闇に染まる街道を進んでいた。
薄暗い街道を馬が戞々と駆ける。
木の車輪が乾いた音を響かせながら轍を引いていた。
御者台に座る男は、手綱を引きながら荷車にいる男に問いかける。
「それにしても、この辺りは酷い有様ですな。こんな土地では作物が碌に育たない」
酷く濃い『穢れ』が、瘴気となって大地を衰弱させていた。
街道は往来する馬車などによって踏み固められていたが、少し外れると乾燥のあまり罅割れてしまっている。
そんな光景を見続けていると、渇き切った大地に住む人々の悲痛な叫びが聞こえてくるようだった。
「私のような行商人からすれば、稼ぎが得られる都合の良い場所でしかありませんがね」
そう言って御者の男は愉快に笑う。
商売としては正しい考え方なのだろう。
荷車で揺られている男は、聞こえない程度に嘆息する。
彼は傭兵だ。
各地を転々と巡り歩き、護衛や魔物討伐などの依頼を受けて日々の食糧にありつく。
剣のみで生きていくのは過酷だが、男は今の生活を苦と思ったことは無い。
「いやはや、本当に今回は運が良い。まさか『狂犬』の異名を持つ貴方を、この程度の金銭で雇えるとは思いませんでしたよ」
「偶然行き先が同じだっただけだ。次は正規の料金で頼むぞ」
今回は都合良く目的の地へと向かう馬車があった。
そうでなければ、彼のような商人が熟練の傭兵を雇うことは出来なかっただろう。
――『狂犬』グレン・ハウゼン。
彼は名の知れた傭兵だった。
恵まれた体格と鋭い眼光。
そして、背負った二振りの大剣を見れば、その名を思い出すことだろう。
グレンが傭兵を目指した理由は一つ。
この過酷な世界で生き延びるため、力が必要だったからだ。
「にしても、なぜアーラント教区に?」
「少し気になることがあってな。大した用じゃない」
そう言いつつも、彼はアーラント教区でのことを真剣に考えていた。
詮索を許さないといった様子でしばらく黙っていたが、徐に立ち上がると御者の男に声をかける。
「……馬車を止めてくれ」
「何か問題でもありましたか?」
「仕事の時間だ」
待ち兼ねたと言わんばかりに笑みを浮かべる彼を見て、御者の男は慌てた様子で手綱を引く。
よほど馬車の中でじっとしているのが窮屈だったらしい。
馬車が止まると、グレンは荷車から降りて背負った二振りの大剣を構える。
夕闇に紛れてか、即座に敵の姿は見えない。
だが、戦士としての直感が襲撃の気配を感じ取っていた。
「出て来いよ。つっても、魔物に言葉は通じねえか」
グレンは挑発するように笑みを浮かべる。
感覚を研ぎ澄ませ、襲撃に備え――。
「――おらぁッ!」
剣を一閃。
遅れて、頭部を叩き潰された魔物が地に崩れ落ちる。
それを合図に無数の足音が急接近する。
どうやらホルンヴォルフと呼ばれる一角狼の群れのようだった。
街道にまで出張ってきた彼らと運悪くかち合ってしまったらしい。
出来れば先を急ぎたいところだったが、ホルンヴォルフは足が速いため馬車で撒くことは出来ない。
無理に突破しようとすれば、すぐに追いつかれて馬が餌食となってしまうことだろう。
群れを成しているため数は多く、放置するにも危険な相手だ。
だが、この程度の事はグレンからすれば大したことではない。
傭兵稼業を続けていれば、こういった敵と戦闘になることは日常茶飯事。
悪知恵の回る賊などを相手にするよりはずっと楽なくらいだった。
分厚い鋼鉄の大剣を振るう。
それも左右の手に一本ずつ持っているのだから、常人からすれば馬鹿げた腕力だと感じるだろう。
極限まで鍛え上げられた肉体が、常識外れな戦い方を可能とするのだ。
そうして、グレンは瞬く間にホルンヴォルフを殲滅すると、大剣にこびり付いた血を振り払ってから馬車に戻る。
「……もう、終わったんですか?」
「ああ。歯ごたえのねえ相手だったぜ」
御者の男は信じられないといった様子だったが、グレンはつまらなさそうにため息を吐く。
護衛依頼を受けるだけでは、歴戦の傭兵である彼が満足できるだけの敵と出会うことは少ない。
そろそろ討伐依頼でも受けようかと、町に到着した後のことを考える。
間もなく夜が訪れる。
既に辺りは暗闇に包まれており、地平線に僅かに夕日の名残が残っているばかり。
馬車が目的地に着いたのは、ちょうど星々が瞬く頃合いだった。
◆◇◆◇◆
依頼の報酬を受け取ると、その場で商人と別れた。
グレンは空腹を満たそうと町の酒場を訪れる。
席に着いてしばらく待っていると、注文した料理が並べられた。
貧しい地域で食べるにしては贅沢な食事だ。
それも、普通の家庭であれば何人かで分けて食べる量だろう。
酔っぱらった荒くれたちが不愉快そうに視線を向けるが、グレンの顔を見て慌てて目を逸らした。
殆どが同業者なのだろう。
傭兵界隈で名の知れているグレンを相手に難癖を付けるほど愚かではないらしい。
そうでない者もいたが、彼の風貌を見て萎縮してしまっている。
こうして大量の肉を喰らう者がいる一方で、日々の食事にありつけないで飢えている者もいる。
だが、グレンはそれを気に留めない。
自分で稼いだ金なのだから、どう使おうと文句を言われる筋合いはない。
それに、彼の鍛え上げられた巨躯を維持するには相応の量が必要だ。
こうして喰らったもの全てが彼の血肉となり、力となる。
中途半端な食事量では不足してしまう。
「――ふむ、随分と豪勢な食事だな?」
よく通る声だった。
気付けば、対面の席に少女が座っていた。
いつの間に現れたのかとグレンは首を傾げる。
酒の入ったコップを傾けつつ、困惑したように少女を見つめる。
少女の正体に心当たりはなかった。
全身を黒を基調とした服で統一しており、細部には豪華な装飾が施されている。
煌びやかな金色の長髪も相まって、貴族の令嬢のようにも見えた。
しかし、少女は明らかに十五にも満たないであろう幼い容姿である。
不遜な笑みを浮かべていたが、その紫水晶のような瞳を見ていると"この少女は只者ではないのでは?"とさえ感じてしまう。
酒場の客たちも少女の様子が気になっているようだったが、グレンがいるために手を出してくることは無かった。
「ガキが来るような場所じゃねえぞ」
「なんだ、この私がわざわざ来てやったというのに」
腰に手を当てて、わざとらしく頬を膨らませる。
少なくとも目の前の人物に心当たりはない。
誰とも知らぬ少女に声を掛けられて、グレンはどうしたものかと思案していた。
相手が薄汚い乞食であれば、殺気を放つことで容易に追い払うことが出来るだろう。
襲撃されたところで、傭兵である彼が幼子に負けるようなことは万が一にも起こり得ない。
問題は、目の前の少女が高貴な身分である可能性が高いことだ。
下手に刺激して恨みを買われるようなことがあれば面倒なことになってしまう。
目的を持って大陸各地を旅するグレンにとって、そういった事態に陥ることは一番避けたかった。
如何にして穏便に済ますか思案する。
ふと、少女の視線がテーブルに並べられた食べ物に向けられていることに気付く。
「お前、もしかして……腹が空いてるのか?」
問いかけるが返答はない。
沈黙を貫いているが、少女の様子からして空腹なのは明らかだ。
もう夜遅いというのに夕食を取っていなかったらしい。
グレンは仕方ないといった様子で溜め息を吐く。
「ったく、仕方ねえな。追加で注文してやるから、食いたいなら好きにしろ」
「いいのか?」
「この程度の出費を惜しむほど金に困っちゃいねえよ」
グレンは並べられた食べ物を少女の方に差し出す。
幸い、護衛の仕事を終えたばかりで懐は暖かい。
たかが幼子一人に食事を奢ったところで大した痛みにはならないだろう。
少女は何やら考え込んでいたが、空腹には抗えないらしい。
意を決して皿に手を伸ばすと、大きなステーキを器用にナイフとフォークで切り分けた。
「ん、悪くはないな。こっちも……なかなかいけるじゃないか」
美味しそうに肉を頬張り、少女は次々に胃の中へと収めていく。
あまり関わったことのない手合いに困惑しつつ、グレンはどうしたものかとため息を吐いた。
貧困層が乞食に来たというわけではなさそうだ。
少女の身なりは整っており、それこそグレン自身よりも裕福である可能性の方が高い。
食事の所作一つを取っても優雅なもので、余計に少女の正体を掴めずにいた。
「お前は……情報屋か?」
「情報屋なら、こんな素顔で姿を現すわけないだろう。ああ、そこの小娘。肉を追加で持ってこい」
少女に声を掛けられた店員は、困惑した様子で厨房へと向かっていった。
言われてみれば、確かに少女の指摘は正しい。
酔いが回りすぎただろうか。
酒の入ったグラスを手で押し除け、少女を見つめる。
しかし、その正体は分からない。
焦れたグレンが正体を尋ねようとすると、少女は手で制止する。
「まあ待て。食事中くらいは仕事の話をしたくないだろう?」
「仕事を持ってきただぁ? お前が?」
グレンは驚いた様子で少女を見つめる。
目の前の少女が、なぜわざわざ自分のような傭兵に声をかけるのか。
しばらく食事を続け、ようやくひと段落着いたところで少女が口を開いた。
「『狂犬』グレン・ハウゼン。お前の力を見込んで仕事を頼みたい」
肘をついて手を組み、少女は本題に入ろうとする。
だが、グレンは首を振る。
「悪いが厄介事は御免だ」
「どうしてそう思う?」
「まず身なりからして怪しい。それに、年不相応なその言動もな」
異様な気配を纏う少女。
その内に秘めた思惑が何かは分からない。
そんな相手を簡単に信用していられるほど傭兵稼業は甘くないのだ。
グレンの指摘に、少女はどうしたものかと腕を組んで思案する。
言うべき内容は決まっているが、口にする言葉を選んでいるようだった。
「――お前の個人的な事情にも関係することだ、と言ったらどうする?」
「なんだと?」
グレンは警戒した様子で少女の顔を見つめる。
そこに敵意は感じられない。
少なくとも自分に不利益を齎そうとしているようには見えなかった。
否とは言わせないだけの圧を感じていた。
まさか『狂犬』と呼ばれるほどの男が、ただの少女に気圧されるはずがない。
だとすれば、目の前の少女は一体何者なのか。
「安心するといい。これはお前にとっても旨い話だ」
「……一方的に要求を呑まされるようにしか見えないんだがな」
グレンの言葉に少女は愉快そうに笑う。
それがまた腹立たしかったが、相手が自分のことをどこまで知っているか分からない現状では、あまり迂闊なことは出来ない。
――信用出来ないと判断したら殺す。
それまでは、従うフリをして様子を窺った方がいいだろう。
何者かは分からないが、用心するに越したことは無い。
「悪いが今晩はここまでだ。仕事の話をするなら明日にしてくれ」
「ふむ……まあ、いいだろう」
少女は頷く。
これで、一晩は考える時間を確保することが出来た。
依頼を受けるか否かは内容次第だが、その前に相手の目的を探る方法を考える必要がある。
グレンは自身の思考力を信用していない。
傭兵稼業に明け暮れてある程度の判断力は培ってきたが、知恵の働く手合いは彼が最も苦手とする相手だ。
ただの幼子と侮るには、あまりにも堂々としすぎている。
故に、先ずは目的を探ることが優先だ。
この怪しげな少女は自分のことを知っているような口振りでいる。
どれだけの情報を持っているのかは不明だったが、危険が及ぶほど情報を握られているのであれば相応の対処をしなければならない。
「なら、明日の朝に中央街道で待ち合わせをするとしよう」
そして、少女は酒場から出ていった。
一人残されたグレンは、テーブルに並べられた大量の皿を見てため息を吐いた。
◆◇◆◇◆
翌日の朝。
気分に反して、見上げた空は清々しいほどに晴れ渡っていた。
小鳥の囀りが聞こえてくるほど長閑な街ではなく、まだ朝早いというのに街道は行き交う人々で溢れていた。
彼らにも成すべき仕事があるのだろう。
その中には同業者も多いようだが、何人かはグレンの姿に気付いて足早に去っていく姿が見えた。
それだけグレンの風貌は目立つのだろう。
恵まれた体格を限界まで鍛え上げ、体の至る所には死線を潜り抜けた際に受けた傷跡が刻まれている。
そして、その背には鋼鉄を叩き上げた片刃の大剣が二振り。
巨大な鉄塊の如き存在感を放つそれは、常人では一本を振るうことさえままならないほどの重量を誇る。
はたして、その苛烈な猛攻を前に捌ききれる者は何人いるだろうか。
傭兵としての彼は、少なくとも同業者の中では知らぬ者の方が少ないほどに名が知れ渡っていた。
かつて巨竜と一騎打ちをした際には、獣のように唸り、咆哮する様子から『狂犬』の異名で呼ばれたくらいだ。
あの時は若かったとグレンは苦笑する。
技術面では成熟したが、性格は昔と比べて随分と落ち着いてきたように思える。
己の力量を把握している今では、難敵に対して無謀に喰らい付くようなことは殆どしなくなっていた。
そんな彼を悩ませる怪しげな少女。
彼女の正体は不明瞭だが、少なくともまともな人間ではないことは確かだろう。
外見は十五にも満たない、下手をすれば十二ともとれる程の容姿。
年不相応な言葉遣いも相まって、余計に怪しさを増して見える。
何故グレンを選んで接触してきたのかは不明だが、相手の言葉通りに受け取るのであれば事前に色々と調査をしたうえで声を掛けてきたのだろう。
どのようにして個人的な都合を知り得たのだろうか。
もしかすれば、適当な出まかせを口にしただけかもしれない。
だが、少女はこれを「お前にとっても旨い話だ」と言った。
もし彼女と契約することでグレンに利が齎されるのであれば、安易に断るわけにもいかない。
いずれにせよ、今は様子を窺うことしか出来ない。
彼女の思惑を明かすには共に行動を共にする必要がある。
その過程で信頼出来ないと判断した場合、グレンは容赦なく背負った大剣を手に取るだろう。
少しして、昨夜の少女が現れた。
その傍らには同じく黒一色で統一された服を着る男の姿もあった。
男の瞳は糸のように細められており、どこか胡散臭いように感じる。
従者として相応の力を持ち合わせていることは、その隙の無い佇まいから察することが出来る。
しかし彼は二十歳を過ぎたくらいだろう。
その年齢もあってか技量は成熟しきっていない印象を受けた。
「待たせたな。さっそく本題に入りたいところだが……その前に、自己紹介といこうか」
そう言って、少女は仰々しい法衣を翻す。
右手を胸元に添えて、尊大な笑みを浮かべた。
「私はリスティル・ミスティック。気軽に聖女様とでも呼んでくれ」
「聖女だぁ?」
グレンはその姿をまじまじと見つめる。
目の前の少女――リスティルは確かにそう名乗るだけの存在感を放っていた。
自信に満ちた表情を見れば、年不相応なほどに場慣れしていることが感じられる。
だが、彼の思い浮かべる聖女像とは純白の法衣に身を包んだ清廉な淑女であって、逆立ちしてもリスティルのような小娘を聖女と見紛うはずがない。
訝しげなグレンの視線を感じ取ってか、リスティルはやや不満そうに頬を膨らませる。
「そんなに不自然に見えるか?」
「当たり前だ。そんな不敬な冗談を言って、エルベット神教の司祭共に目を付けられても知らねえぞ」
エルベット神教とは神の存在、そしてその有難い御声を賜る聖女を信仰する宗教だ。
大陸で最も多くの信徒を抱えており、厳格な教義も相まって正式に国教として取り入れている国家も多い。
半面、異教徒や背教者に対しては非常に強い憎悪を向けられている。
もし聖女を自称するようなことがあれば、冗談であろうとタダでは済まないだろう。
「リスティル様が聖女でないと?」
付き従っていた長身の男が口を開いたかと思うと、グレンに詰め寄って睨み付ける。
その瞳には強烈な敵意――いっそ殺意と呼んでもいいほどの狂念が宿っていた。
辺りに剣呑な空気が漂う。
この男は危険だと、グレンの直感が訴えかけていた。
いつ襲い掛かられても大丈夫なように身構えようとするが、間に割って入るようにリスティルが声を上げる。
「頭を冷やせ、ヴァン。その男は私たちの旅に必要だ」
「リスティル様がそう仰られるのであれば……」
そう言って男は引き下がる。
だが、リスティルはその先を促すように視線を向けた。
「……僕はヴァン・ヘレです。よろしくお願いしますねっと」
本心ではそう思っていないのだろう。
ヴァンは渋々といった様子で名乗り、グレンに一礼する。
仕方なくグレンも名乗り返し、形だけ握手を交わした。
グレンは面倒な輩に目を付けられたものだと嘆息する。
聖女を騙る怪しい少女に、狂信的な従者の男。
こんな相手と長く行動を共にしていたら、自分まで頭がおかしくなってしまうのではと不安になるほどだった。
勘弁してくれ、とグレンは心の中で呟く。
「それで、お前たちは俺に何を求めている? 護衛か? 殺しか?」
「両方だ。私たちの目的が達成されるまで、戦力として旅に付き合ってもらう」
「冗談じゃねえ。第一、俺に何の利益がある?」
「昨日言っただろう。これは、お前の個人的な事情にも関係することだと」
そう言って、リスティルは腕を組んで笑みを浮かべる。
よほど交渉に自信があるらしかったが、現状では判断のしようがない。
「その個人的な事情に関係するってのは、どういうことを言っているんだ?」
「具体的なことは言えない。だが、お前はきっと満足して旅を終えることだろう。それだけは、私の名において保証する」
余計に意図が見えない。
グレンは焦れたように頭を掻く。
「その根拠はどこにある?」
「根拠はないさ。しいて言うならば、まじないのようなものだと言っておこう」
グレンは再び溜め息を吐いた。
確かに、リスティルの外見は占い師のようにも見える。
聖女と呼ぶよりもずっと似合っているとさえ思った。
呪術の類でグレンの未来を漠然と把握している。
そう言いたいのだろうが、不確定な情報が多すぎて信用するには足らない。
リスティルは何か重要なことを隠している。
グレンは直感的にそれを理解していた。
何らかの事情があるのかもしれないが、それを隠されてしまっては友好的に振る舞うことすら難しい。
――あるいは、自分を見極めようとでもしているのか。
グレンがリスティルを信用出来ないように、その逆もあり得るのだ。
もし本当に呪術によって未来が見えるのだとしても、今の関係はほぼ初対面と変わらない。
そう考えればリスティルの態度も理解出来なくはない。
だが、契約するには不十分だ。
この話には肝心なものが欠けている。
「俺には同行する理由が見当たらねえ。傭兵を雇うには何が必要かくらいはガキでも分かるだろ?」
要は金銭だ。
信用させるに足る理由が無いのであれば、手っ取り早く対価を支払った方が話は単純だろう。
彼女の予言めいた発言には現時点で何の交渉材料にもならない。
従者を連れている点からして、リスティルは高貴な身分である可能性が高い。
ある程度の身分があれば傭兵を雇うくらいのことは容易いはずだ。
もし報酬を支払えないのであれば、その時点で依頼を断ろうと考えていた。
「……ふむ、そうか。であれば仕方がない」
リスティルは観念したように肩を竦める。
雇うために必要な金銭は提示できないらしい。
その様子から諦めたのだろうと思い、グレンは呆れたように首を振る。
「そういうことだ。傭兵を雇いたいなら他を――」
「――お前の旅の目的は"復讐"だ」
凛とした声で言い放つ。
その瞳には理知的な色が宿り、先ほどまでとは明らかに様子が違う。
「現時点では、仇の足取りはおろか名前さえ知らない。アーラント教区を訪れたのは、僅かな手掛かりでも見つかればと、霞を掴むような心境だった」
捲し立てるように情報を羅列していく。
その全てが事実であり、何一つとして偽りは無い。
だが、グレンはそういった話を誰一人として打ち明けていなかった。
本来であれば知りえない情報だ。
グレンの心を読むか、あるいは本当に呪術の類で知ったのかもしれない。
彼女が握っているのは傭兵稼業に関わるようなものではなく、グレンの個人的な事情に関わる内容だった。
「お前、どこでその情報を……」
思わず疑問を口にしてしまう。
誰も知らないはずの情報を如何にして手に入れたのか見当も付かない。
リスティルは自信に満ちた笑みを浮かべる。
興味を抱かせた時点で、既に決着はついたと言わんばかりの様子だった。
「私が聖女だからだ。依頼を受けるのであれば、この恩恵に与ることも出来るぞ?」
金銭は支払えない。
情報源もすぐに開示することは出来ない。
そんな常識外れの契約など、普段のグレンであれば馬鹿馬鹿しいと一蹴していたことだろう。
しかし、不服だが彼女の話に魅力を感じてしまったのも事実だ。
同行することで欲しい情報が得られるのであれば、当てもなく仇敵の足跡を探し続けるより遥かに良いだろう。
元より手掛かりを見つけられる可能性は無いに等しい。
それを理解しつつも、グレンは復讐のために人生を賭けて足掻き続けてきた。
僅かでも希望があるならば、試しに短期間依頼を受けるくらいなら支障はないはずだ。
結局は言い包められてしまった。
グレンは仕方がないといった様子で了承する。
「……少しの間だけ雇われてやる。それ以上契約を続けたいってんなら、信用に足るだけの態度を見せてもらうぜ」
見極めるのはリスティルではなく自分だ。
そう言わんばかりの表情で、グレンは挑戦的な笑みを浮かべた。
「それじゃあ契約成立だ。頼んだぞ、グレン」
グレンは頷く。
リスティルの態度は癪に障るが、何故だか不愉快には感じなかった。
「はあ、面倒な人が増えてしまいましたねえ」
ヴァンは残念そうに肩を落とす。
本心からグレンの同行を嫌がっているらしい。
しかしリスティルが決めた以上、異論を唱えるつもりはないらしかった。