訓練
帝国の宮殿は涼風庭園を中心に、四つに分かれている。
南に神楽殿、北に青陽殿、西に宵闇殿、東に五陽殿。
神楽殿はおもに騎士や兵たちの訓練所兼、宿舎となっている。
青陽殿は、帝やその家族、そして現在は皇族の王子たちが暮らしている。青い屋根が特徴的な宮殿だった。
それに、奏の実験室がある。もともと神楽殿の一角ににあったが、しょっちゅう実験に失敗し建物を壊してしまうため、賢帝・愛華が青陽殿の一角に離れを作ってそこを実験室とした。
それでもよく、青陽殿の一部が壊される。
宵闇殿は魔術師たちの訓練施設兼宿舎だ。白く高い塔が特徴的な建物である。
最後に五陽殿。いわゆる政府の中央機関。国会議事堂の機能を持っている。
各都市の代表たる議員や、貴族、長老たちが政治を話し合う場だ。
神楽殿の一角。重い金属と金属がぶつかり合う音が、訓練室に響く。
模造刀を手に対峙しているのはふたりの少年――類と静馬だった。
肩で息をしている静馬に対し、類はむすっとした表情をしている。
そんなふたりを訓練室の隅で見つめるのは4人の少年少女だった。
帝、稜、それに胡蝶八剣と伊丹乃亜。
八剣は帝らと同じ12歳で、皇位継承権第4位の王子だ。長めの焦げ茶色の髪に、大きな茶色の瞳。
人懐っこい顔つきの少年だ。
乃亜は13歳。胸元まで伸びた癖のある黒髪をいくつものヘアピンでとめている、蒼い瞳の少女。彼女は静馬と同じ庶民の出だった。
帝国では素質ありと認められた子供たちを宮殿のひとつ、神楽殿に集め、騎士として育てている。
その素質とは、瞳の色に現れる。
この国の住人はたいてい、黒い瞳や茶色い瞳をしている。
だが、素質のある人間は薄い紫や紅、蒼い瞳をしていた。
彼らは一般人よりも高い能力を持つ。
古き戦闘種族――刀――とよばれる人々の血を色濃く受け継いだ存在と言われているが、確かなことはわかっていない。
古い文献では、この地上を神々が戦場としたとき、彼らに対抗するために作られた存在らしい。
圧倒的な力を誇る神の使いたちを殺すために作られた戦闘種族。
だから普通の人間とは比べ物にならない力をもっている。
今いる6人の中で、その力が発現していないのは八剣だけだった。
体力も、筋力も、敏捷性も何もかもが劣るけれど、八剣も剣の訓練は受けている。
自分の身を守るために。
とはいえ、ソードと一緒に訓練などできるわけはない。日ごろは見習い兵と一緒に訓練をしているのだけれど、今日は休日。見習い兵も、騎士見習いも皆、実家に帰っている。
残っているのは皇族の王子たちと、実家が遠い乃亜と静馬だけだった。
暇を持て余し、皆の訓練を眺めていた。
6人とも、ジーパンに長袖Tシャツ、トレーナーと言ったラフな服装をしている。
「類兄さんって、また奏さんと何かあったの?」
八剣が稜を見上げて尋ねた。
皇位継承権第三位であり、類と一番仲のいい稜は、腕を組んで立っていた。彼の足もとには、ショルダーバッグが無造作に置かれている。
さらさらとした茶色い髪、紅の瞳をした稜は、整った顔に苦笑いを浮かべた。
「やっぱり、そう思う?」
「うん。だって、あからさま機嫌悪いし」
「類も放っておけばいいのに、奏の相手をまじめにするから」
ため息交じりに呟く稜。
「適当にあしらっとけばいいのに」
八剣の右、膝を抱えて座る帝が前髪をいじりながら言う。
八剣は笑って、
「最近、奏さんの相手、誰もまともにしないよね。
静馬と類兄さんくらい? あ、ふたりとも妙にまじめだよねそう言えば」
「あの馬鹿の相手したって、ストレスたまるだけだろうに。なーんで相手するかなあ」
稜は呆れ顔で言った。
奏は、人をからかうのを趣味としている。
飄々として、おもちゃにできそうな相手を探し、観察している。
その標的にされているのが類と静馬だった。
類は奏を無視しようとはするようだが、結局、奏の言葉にのってしまう。
静馬は真正面から奏の相手をする。
類はそれでストレスをため、静馬や稜を相手に打ち合いをしてストレス発散するのが常だった。
類は強い。
7人いる騎士見習いのなかでトップクラスであり、騎士団の中で一番若い夏樹和哉と同等レベルだった。
ゆえに、類とほぼ互角に渡り合える者は少ない。
静馬は類に比べたらかなり劣るが、やる気だけはあり、よく類の相手をしていた。
模造刀が静馬の腹に打ち込まれ、彼はその場に膝をついた。
痛そうにうめき声をあげている。
類はめんどくさそうな顔をして模造刀を肩にのせ、静馬に近づいた。
「大丈夫か?」
そんな類に向けて、静馬は精一杯、模造刀を振るった。
「おっと」
声を上げて、類はその場で跳ねる。
「あー!」
静馬の悔しそうな声が響く。
類は呆れた顔をして、
「しばらく動けないと思ったのに、よく動けたな」
と言う。
静馬は膝をついたまま、悔しそうな顔を見せた。
「いけると……思ったのに……!」
痛みに耐えた声が、広い訓練室に響き渡る。
「無理でしょ」
苦笑して、八剣が呟く。
帝は長く伸びた前髪を触ったまま、
「やる気だけは、確かに認めるけどまあ、無理ね」
と言う。
「ねえ、気になってたんだけどいつまで触ってるの?」
帝の横で足を伸ばして座っている乃亜が、彼女の顔を覗き込みながら声をかけた。
「いや、前髪気になって。切ろうかどうか悩んでるんだけど、前髪だけ切るのも面倒だなと思ったら切れなくて」
「ピンで留めたら?」
言いながら、髪につけているピンを、乃亜は外した。
帝はそれに手を伸ばしながら、
「ありがとう」
と応えて受け取り、指で前髪を梳いて髪を留めた。
「にしても、暇すぎるわねえ。いつまでここにいるの?」
乃亜の問いに、帝は膝を抱え、うーん、と呻った。
「宮殿内で遊ぶにしても、限界があるしねえ」
八剣も膝を抱え、小さくため息をつく。
訓練に飽きたのか、類が模造刀を壁際の棚に片づけてこちらに歩いてくる。
静馬は訓練室の中央に寝転がって、天井を見上げている。
「類、はい」
稜が足もとに置いてあった鞄から、水の入ったボトルを取り出して投げた。
それを左手で掴むと、無言でキャップを開けた。
「まだ10時よ? することなさ過ぎて」
「図書館にでも行けば?」
なげやりに類が言う。
乃亜は不満そうな顔をして、彼を見上げた。
「えー? 最近図書館ばっかりだしいい加減飽きたわ」
「じゃあ、外に行って来れば?」
「ひとりで行っても面白くないわよ。
だいたいなんであんたたちまで外出ちゃいけないの?
類や稜を襲う馬鹿なんているの? 襲ったら最後、確実に死を見るじゃないの」
「襲われて何が起きるかっていうことよりも、襲われるっていう事実のほうが重大かな?」
言って、稜が苦笑する。
「どういうことなの」
首をかしげる乃亜に、稜は言葉を続けた。
「俺たち皇族だからね。現実問題襲われたら処罰受ける人っていうのが確実に出てくるし。俺たちの問題ってだけじゃ済まないからね」
「あ、そっか」
乃亜には思いもよらないが、たぶん、想像以上の人数が処分を受けるのだろう。
「じゃあ、どうするっていうのよ」
「別にゲームするとかいろいろあるだろ」
「えー?」
類がなにか提案しては、乃亜が不満の声を上げるというやり取りがしばらく続く。
彼らを横目に、八剣は立ち上がった。
「ねえねえ稜兄さん。水まだある?」
「ああ、ほらこれ」
八剣はボトルと受け取ると、まだ寝転がっている静馬に駆け寄った。
静馬の横にしゃがむと、彼の顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
水のボトルを差し出しながら、静馬に尋ねる。
彼はそのボトルを受け取ると、上半身をおこし、ボトルの口を開け、中身を頭からかけた。
「ちょっと、そういうことするなら一声かけてよ。水かかるじゃない」
言いながら、慌てて八剣は立ち上がる。
「あ、ごめん」
静馬は言いながら半分ほどに減ったボトルを口につけて、一気に飲み干した。
「……あー、なんで勝てないかなあ」
「無理でしょ、絶対」
そう言って、八剣は静馬の足もとに座った。
不満げな顔で、静馬は彼を見る。
「絶対とかいうなよ」
「いやあ、無理無理。絶対に無理。かけてもいいよ」
八剣がぱたぱたと手を顔の前で振りながら言う。
「希望ぐらい抱かせろよ」
言って、静馬は口をとがらせた。
「はいはい。で、いつまで座り込んでるの。
もう大丈夫でしょ?」
「大丈夫じゃねーし。痛いんだぞけっこう」
言いながら静馬はシャツをめくった。
彼の腹に、模造刀の痕がくっきりと、赤く一筋ついている。
それを見て、八剣は感心した。
けっこうな衝撃だったろうに赤く腫れるだけで済むのか。
普通の人間である自分が喰らったら、腫れるどころか内臓がやられているんじゃないかと思う。
「どうして神様は君たちみたいな人間を作ったんだろうね」
「え? なんだって?」
「なんでもないよ。それよりこの後どうするかってみんなで話してるんだけど」
「することなんてねーじゃん。どうせここからお前ら出られねーんだろ?」
言われて、八剣は苦笑する。結局その話に行きつく。
宮殿内でできることなど限られている。
だから皆こっそり宮殿を抜け出して、街に出て遊んでいた。
事件が起こる前は皆大目に見ていたけれど、最近はかなり厳しい。
先日、稜と帝が勝手に外に出てこっぴどく叱られたばかりだ。
息苦しく思うけれど、今は仕方ない。けれどいつまでこんな生活続くのだろうか。
テロリストを捕まえれば、前みたいに外に出られるだろうに。
捜査はしているだろうけれど、証拠も少ないらしく、犯人の特定には至っていないらしい。
「早く犯人捕まえて、こんな生活終わらせたいよね」
脳裏にある人物の顔がよぎる。
あのひねくれた頭脳なら、一般人が思いつかないようなことを思いつくんじゃないだろうか。
ただ彼に頼むくらいなら死んだ方がましだ、とか、類は言いそうだ。
静馬は立ち上がり、壁際の棚に模造刀を片づけて皆のところに歩いて行く。それを見て、八剣もそれに倣う。
「嫌だってば。なんであいつのところになんか行かなきゃいけないんだ!」
珍しく類が声を上げる。
「あのひねくれた頭脳なら、解決の糸口くらい発見しそうじゃない?」
どうやら乃亜は八剣と同じことを考えたらしい。
しかし類はあからさまにいやそうな顔をしている。
「嫌だ! だれがあいつのところなんかに」
「まあ確かに奏なら何か思いつくかもしれないけれど、興味持つかな。あいつひねくれてるし」
「帝の言うとおりだろ? あいつが協力なんてするわけないじゃないか」
「俺としてはさっさと捕まってほしいし、そのために奏がうごいうてくれるならそれにこしたことはないかな」
稜の言葉には、さすがに何も言い返せないらしい。類は唇を噛んでいる。
稜はこの中で唯一、親が殺されている。
犯人をもっとも憎んでいるに違いないだろう。
帝は立ち上がると、類に向かって、
「まあ、お前がいると話が進まないだろうし。
私はあいつのところ行ってくる。
興味を持たなくても暇つぶしくらいはできるだろうし」
と告げた。そして出入り口へと歩いて行く。
その後を、乃亜と静馬、そして八剣が追いかけて行った。
稜は苦笑いを浮かべて類を見る。
彼はしかめっ面をしてそっぽを向いてしまっている。
「俺も行ってくるよ」
「勝手にしろ」
稜は小走りに、皆を追いかけていく。
ひとり残された類は、髪の毛をくしゃくしゃと掻いて、訓練室をあとにした。