町
誰もいない家。
休日だというのに、町の喧騒は全く聞こえてこない。
当り前か。
ここはいわゆる高級住宅街の一角。
そして、皇族の家であったのだから。
周囲は木々に覆われ、道路に出るまでしばらく歩かなくてはならない。
しばらく前まで住人がいた家。
今はだれも住んでいない。
住人達はセカンドハウスとして利用していた家に移っている。
子供たちは宮殿に住むことになった。
惨劇のあった家に、帝はひとり立っていた。
いつもは胸に皇族家の家紋が刺繍された白いジャケットに、黒いひざ丈スカートといういでたちだが、今日はごく一般的な、ひざ上のスカートに黒いパーカーを羽織っていた。
街で同じ年ごろの少女たちがしている恰好と同じ感じのものである。
帝が今立っているのは、屋敷の二階。
ベッドと、子供の遊び道具が転がる二十畳弱の寝室だ。
この部屋で、朝海麻衣は殺された。
既に鑑識による捜査は終了している。
掃除された後とはいえ、絨毯のおびただしい血の跡は消えぬまま残っている。
暗殺者は窓から侵入。麻衣を殺害したのち、死体を損壊。その後逃亡した。
犯行にかかった時間は5分もないと思われる。
現場に残されていた足跡から、ひとりもしくはふたりによる犯行と思われる。
単独か、複数か特定できないのには理由があった。
現場から発見された二種類の足跡。
ひとつは、人間のもの。
ひとつは、人間とは違うなにかのもの。
その足跡がいったいなんなのか、特定されていない。
おかげで捜査は行き詰っている。
そして帝は現場にやってきた。じっとしていても何も動かない。
謎があるのなら自らの目で確かめねば。
床にしゃがみ、血痕以外に何か残されていないか念入りに調べる。ここに誰かが侵入したのは確かなのだ。であれば、何か痕跡が残されているはずだ。
どれくらい時間が経っただろうか。
人の気配に気が付き、彩夜は捜索を中断する。
足音は徐々に近づいてくる。彩夜はじっとしゃがみこんだまま入口を見つめる。そこに現れたのは、この屋敷の主の少年だった。
茶色い髪に深い赤の瞳が特徴の朝海稜だ。
彼は彩夜の姿を見て、目を瞬かせている。
「……なにを………しているんですか?」
「捜査」
「え? 捜査。え?」
少年、稜は彩夜の言葉にえ? え? と何度も繰り返している。
「稜はひとりか?」
「え、あ、はい。服、置きっぱなしだし、漣のおもちゃも……足りないもの、たくさんあって」
「ひとりでよく外に出られたな」
「自分だってそうじゃないですか」
呆れ顔で稜が言う。
「テロは貴方も狙ってるんですよ」
「お前もだろう」
テロリストの目的がいまいちわからない以上、一人での行動は控えるように言われている。だが王子や帝も誰も守っていない。
「荷物準備しますので、できましたら一緒に帰りましょう。で、一緒に怒られましょう」
言って、稜は部屋を出た。
その間、彩夜は部屋の中を探索したが特に何も発見できなかった。
今のところ、テロで狙われているのは力のない皇族や貴族ばかりだ。本人が狙われるより精神的なダメージは大きい。
国を守る力はあっても、家族を守ることができない。そんな現実。
しばらくして、大きなスポーツバッグを抱えた稜が戻ってきた。
「お待たせしました。では、行きましょう」
「ああ」
二人は、屋敷を後にした。
高級住宅街を抜け、商店街に差し掛かる。
今日は月に一度のバザールの日だ。
外国からの商人たちが集まり、店を出している。
それを目当てにたくさんの人々が集まっていた。
人ごみにもまれながら、広場へと差し掛かる。
広場の中で、稜は声を上げた。
「ちょっと寄り道していっていいですか」
稜はひとつのテントの前で立ち止まった。
そこは小さな子供向けの商品を扱ったお店だった
網目状のボールや、木の馬車、ボールを落とすと音が鳴る木の形のおもちゃなどが売られていた。
帝には目新しいものばかりだった。
「なにがいいかな」
そうつぶやいて、稜は商品を物色する。
どうやら弟に買っていくつもりらしい。
稜の弟、漣は2歳になる。
まだ言葉もままならなかったが、母親が亡くなってから一切喋らなくなってしまった。
漣はたぶん犯人を目撃している。しかし二歳の子供からそのことを聞き出せるわけもなく。
捜査は難航するばかりだ。
稜は網目状のボールのおもちゃと木の馬車など、いくつかのおもちゃを購入した。
彼はおもちゃの入った袋をぶら下げて、帝のところへと戻ってくる。
「それでは戻りましょうか」
ふたりは再び歩き始める。
広場の片隅では、宗教団体のバザーや募金活動が行われていた。
「孤児たちのためのご寄付をお願いいたします」
そんな女の子たちの声が、雑踏の中響き渡る。
少し、心が痛む。
四年前の大戦の折、たくさんの兵が死んだ。そのことにより、孤児が増えた。
帝は子供で、戦争に参加したわけではないけれど、孤児たちに何かしてやれるわけでもなかった。
見舞金などは出ているはずだが、それも十分ではないだろう。
孤児たちの多くは、宗教団体の施設や、国の施設が面倒みているはずである。
ひとりの人間が生活し成長していくのにどれだけのお金がかかるか、帝はよく知らない。
帝は足を止め、募金活動をしている少女たちへと視線を向ける。
お金など持ち歩いていない。
だから募金などできない。それに今、自分がわずかな金を募金したところで大したことはできないだろう。
自分にできることはなんだろうか。
相手は古神教――しかも、帝国に仇なすと噂のある者たちである。
古神教は、表向きふつうの宗教だが、裏に回れば過激思想――魔物を古き神々と信じ、魔物と戦う帝国を敵視しているという噂がある。
孤児の面倒をみたり、慈善事業に熱心で支援している貴族や商人がたくさんいる。
ゆえに、帝国としても弾圧するわけにもいかなかった。
「えーと……あーと……月夜、行きますよ」
呼び方に悩んだようで、稜の戸惑った声が聞こえる。
名前で呼ばれたのは久しぶりな気がする。
「ごめん」
短く謝り、雑踏を後にした。