惨劇
部屋に充満する血の匂い。
血にまみれた顔。
胸をえぐられ、腹をナイフか何かで切り刻まれた女の死体……
これが母である、と認識するのにどれだけの時間がかかっただろうか。
そして母の側にぼんやりと座る幼い弟……
「稜! 漣!」
父の声に稜は振り返れなかった。
ただ呆然と惨状を見つめていた。
父は弟を抱きかかえ、叫んだ。
「桐! 稜と漣を宮殿へ連れて行け! 鋼! 護衛を頼む!」
「わかりました」
執事の桐が室内に入り弟、漣を父から預かる。
誰かが稜の肩に触れた。
「稜、宮殿に行くぞ」
その声が父の部下である騎士、鋼爽也ということはわかっていた。
けれど稜は動けなかった。
父は自分の着ていたマントを母にかけた。
うつむく父。
弟を抱えた桐が稜のところへとやってきた。
「稜様、行きましょう。宮殿へ」
稜は小さく頷いた。
鋼に肩を抱えられ、ゆっくりと歩き始める。
いつの間にか兵士や、警官隊の人々が屋敷内にたくさんいた。
稜は一度だけ振り返った。
父は母の手を握り、泣いているようだった。
帝国暦118年、11月。
凪島の北東部一帯を支配する十六夜帝国。
最初は小さな公国であったが徐々に勢力を拡大。
人類の敵、魔物との戦いの果て、建国当初の10倍以上の領土を手に入れた、凪島最大の国家である。
元首は第8代彩夜帝、月夜。弱冠12歳の女帝である。
先帝、第7代彩夜帝、零夜が26歳で崩御したため、8歳で皇帝となった。
国外においては魔物との戦い、拡大する十六夜帝国に警戒感を強める他国との外交。
国内では古き神々を信仰する狂信者たちによる皇族殺害テロ―
そして今回新たなる殺人が行われた。
殺されたのは十六夜家直系、朝海大公夫人、舞。
ナイフかなにかで腹を裂かれ、心臓を抉り取られ腸を引きずり出されていた。
死体損壊に何の意味があるのか。
まるで殺された者に深い恨みがあるようだった。
そして失われた心臓。いったい何に使われるのか。
大公夫人の死は表向きは病死ということにされた。
だが人々は噂する。
大公夫人は暗殺されたと。
無残な殺され方をしたと。
やったのは誰だ? やつらだ。奴らに違いない。
狂信者。神の国を信じ、魔物を神々の使いであると信じる者たち。
奴らは帝国を批判している。
奴らだ。
そうに違いない。
人々はささやき続ける。
皇族の子供たちが宮殿で暮らすことになったらしい。
5人の帝位継承者。
次の標的は子供たちか?
噂は瞬く間に広がり、そしていつしか人の口の端に上らなくなっていた……