パーティー
少年はひとり宮廷のバルコニーに立っていた。
秋の風は心地いい。眼下に広がるのは宮廷内の森と、夕暮れの街をみつめる。
いや、そんな場合じゃない。
「あいつ、何でいないんだよ」
少年はひとりごちた。
ここは十六夜帝国の宮廷。そして、帝の私室である。
「ふつー、自分の誕生日パーティーを蹴って出かけるか?」
その問いに答える者はない。
ことが起きたのは1時間ほど前。
今日は帝の誕生日。元老院に貴族たち。それに近隣の国々から貴賓客が招かれている。
そのパーティーが始まるまであと1時間少々というときに、とつぜん帝は刀を手に言った。
「行ってくる」
少年に帝の正装たる着物を押し付けて、帝はバルコニーを飛び出した。
いったい何だって言うんだ。
「静馬さん……帝はまだ戻りませんか?」
部屋の中からメガネをかけた少女が出てくる。
黒いワンピースに白いエプロン。エプロンにはこの国の紋章が蒼で刺繍されている。
少女は帝付きの女官で、名を雨宮睦月といった。
年下で、しかも庶民の出である涼城静馬にまで敬語を使う。
少女は不安そうな表情で外を見つめる。
「もうすぐ始まってしまいます。なによりも類様が超が付くほど不機嫌になっています」
「げっ……」
類というのは静たち騎士見習いの中でリーダー格の少年だ。静馬よりも二つ歳上の14歳。おまけに皇位継承権第1位でもある。
そして、帝のこととなると我を忘れる傾向にある。
「類様も皇位継承者ですから……帝を探しに行くわけにはいかないようで。
たくさんの貴族の方や各国の首脳の方などに囲まれて……なのでかなり不機嫌です」
静馬は頭を抱える。
たぶんきっと後で八つ当たりされることだろう。
さらに追い討ちをかけるように、睦月は言った。
「おまけに奏さんが絡んでいて……かなり険悪です」
その言葉で、静馬はその場にしゃがみこんだ。
八つ当たりどころか、宮廷のどこかが破壊されるんじゃないだろうか?
それだけ危険な状況といえる。
類と奏は犬猿の仲だ。根っからの騎士である類と、科学馬鹿の奏。二人は同い年だが、奏がしょっちゅう類に絡み、険悪なムードを作り出す。
それで宮殿の一部が壊されることもよくある話だった。
扉の開く音が聞こえ、ふたりは振り返った。
静馬と睦月はあわてて頭を下げた。
帝の母、愛華皇太后。この国を政治的に支える賢帝だ。
彼女は侍従たちを廊下に待たせ、ひとり室内に入ってくる。
「顔をお上げなさい」
優しく愛華は言った。
その言葉に静馬と睦月は顔を上げる。
愛華はバルコニーに出ると街を見つめた。
「あの子にも困ったものね」
なぜか微笑を浮かべている。
「もうすぐ帰ってきますよ。ほら」
愛華の指が宮廷の外に広がる森を指差す。森から誰か出てきたかと思うと、刹那、バルコニーに向かって跳んだ。
ちなみにここは3階だ。
「帝様」
睦月が声を上げる。
愛華は微笑したまま言った。
「お帰りなさい、帝。無事で何より」
まるで何をしに言ったかわかっているかのような口ぶりだ。
静馬は少女と愛華を交互に見た。
このふたりの絆はかなり強いらしい。
少女は刀を静馬に押し付けると、短く言った。
「このままいく」
「え、でも……」
睦月が着物を手に戸惑いの声を上げる。
帝はそんな睦月に向かって、
「正装用のマントを。それだけでいい」
その言葉に睦月はあわてて着物を放り出しクローゼットに走っていく。
真っ白な布地に蒼い紋章。
帝はそれを身に着けると儀礼用の刀を腰に差した。
その少女に、睦月は豪奢なネックレスをつける。
「では帝。参りましょう」
愛華の言葉に帝はうなずいた。
宮廷の大広間。
日ごろ、半ば静馬たち騎士見習いの遊び場と化している場所に、たくさんのテーブル、椅子、様々な調度品が並べられ、またたくさんの料理が用意されていた。
広間の中央にある大階段の横。
ひとり不機嫌そうに爪を噛む少年がいる。
黒い髪に薄い紫の瞳。白いスーツに白地のマント。マントには帝国の紋章。
第1皇位継承権をもつ姿月類である。
彼は皇帝一家の分家のひとつ、姿月家の次期当主でもある。先帝にひとりの娘しかいなかったことから、彼が第1皇位継承権を持つこととなった。
彼にとってはどうでもいいものであるが、周りはそうでないらしい。
今日集まっている元老院の長老たちに貴族。近隣諸国の王族、各都市の首長。
皆、お世辞の言い合いに腹の探り合いをしている。
多くの人が彼の元に挨拶に訪れ、様々な言葉で彼を褒め称えた。
それが類には気に入らないことだった。
今の帝は8歳で即位した。
周囲にたくさんの反対があったこと。そして、類を皇帝に据えようとした勢力があることも彼は知っている。
そして。若くして皇帝が亡くなる可能性が高いということ。
この国の皇帝は帝国を守る鎧であり刀でもある。
皇帝が戦場の最前線に立つことが建国以来からの決まりごとだった。
故に、どの皇帝も短命だ。
過去には婚姻前に崩御した皇帝がおり、皇族の暗殺事件までおきている。
また同じことが起きるのではないか? しかも帝国始まって以来初の女帝。女帝が帝国を支配できるのか?
皇帝の重圧に子供が耐えられるのか? 早くに亡くなったら。
婚姻前になくなれば同じことが起きる。それは国民の不信を招く。はたしてそれでよいのか?
様々な大人たちの思惑の中、第8代十六夜帝国皇帝 彩夜は即位した。
彼の前に現れる大人たちは、もし類が即位した場合の時のことを考え、気に入られようとしているのだ。
帝の覚え明るいとなれば、出世の道は大いに開ける。
そう彼らは思っている。
それが類には気に入らないことだった。
彼が皇帝に即位することを望む、ということは現皇帝の崩御を望むことだ。
類が、皇帝の死を望むわけがない。
幼い頃からともに育った少女。妹のように可愛い少女の死を誰が望もうか?
そして、彼が不機嫌な原因はこれだけではなかった。
帝がどこかに姿を消した。しかも刀を持って。
すぐに追いかけたかった。
だがそれはできなかった。大人たちに阻まれて動くに動けなかった。さらにそんな自分をからかう奴がいる。
「大変だなあ。第1皇位継承権をもつっていうのは」
こげ茶の髪に薄い紫の瞳。メガネをかけた、いかにも軟派な雰囲気をもつ少年が、彼の側によってきて言った。
少年は目立たないようにのつもりか、ギャルソンの格好をしている。
類は少年をにらみつけた。
「好きでなったんじゃない」
たまたま皇族の中で一番年上の子供ってだけで、そうさせられてしまった。
「君の大好きな帝はまだ戻られないのかねえ」
ニヤニヤして少年が言う。
つかみかかりたい衝動を抑え、類は言った。
「っていうかお前、何でそんな格好しているんだよ。奏、お前、ギャルソンなんかできるのかよ」
すると奏ははっはっは、と笑う。
「僕は天才なんで。なんでもできるんだな~、これがまた」
と言った。
なにを根拠に言っているのか理解しかねるが、まあいい。こいつはまともに相手したら負けだ。とは思うものの、奏はさらに追い討ちをかける。
「僕が想像するに、彼女は国境まで行ったんじゃないかなあ」
その言葉に、類の表情が動く。
国境? どうやって?
類はじっと、奏を見つめる。彼はニヤニヤして言った。
「最近の僕の発明はすごいんだ。瞬時に人を違う場所に送ることができるんだ。その実験を今日やったんだな、これがまた」
すると類の目がかっと開かれる。
まさか。不安が一気に広がる。
「お前……」
奏は目を輝かせてあらぬほうを見つめる。
「僕の発明は完璧だ。僕の発明は成功だった。いや~、よかったよかった」
恍惚とした表情になる奏。殴りかかりたくなる衝動をぐっとこらえる。
こいつは……こいつは俺を不機嫌にさせたいのか?
ちらっと、視界の端に女官の雨宮睦月の姿が映った気がする。
何かあったのだろうか?
奏のしゃべりは止まらない。
どんなに自分の発明がすばらしいかとくとくと語っている。
奏の雰囲気が危ないからか、誰もふたりに近づいてこようとはしなかった。
気にいらない連中の相手をしなくてすみ、いいかもしれないが……こいつの相手をするのとどちらがましか。
悩むところだった。
「僕のような天才、そうはいないと思わないか? なあ」
ぽんと、肩を叩かれる。
確かにいないだろう。
ただし、それは天才ということではなく、天災という意味で。
絶対こいつは神が与えた災害だと思う。
こいつと関わっていては命がいくつあっても足りないだろう。
先月は宮殿爆発事件。
宮殿の一部が崩壊したのだ。
そんなことは年に数回起きていて、宮殿の人間はみな慣れてしまった。
今までけが人が出ていないのは奇跡か。
類が声を上げようとしたとき、それまで騒がしかった大広間が静まり返る。
大階段の上の扉が開かれ、一人の少女が現れる。
真っ白なマント。そして白いジャケットに黒いスカート。
腰にさした刀は初代彩夜帝から伝わる宝刀。
子供でありながら、他を圧倒する威厳を身に着けた、今日で12歳になるこの国の皇帝。
彼女は階段の踊り場まで降りると、頭を下げ、凛とした声で言った。
「本日は、わたくしの誕生日のためにお集まりいただき、心より感謝いたします」
帝の挨拶の間、奏がにやりと笑い、類に向けて言った。
「間に合った間に合った。僕の発明は本当に素晴らしいよ」
殴りつけたい衝動を抑え、奏を睨み付ける。
帝は短く挨拶をした後、階段下まで降りてきて、各国首脳の挨拶を受け始めた。
少し前まで類を持ち上げていた口で、帝を褒め称える大人たち。
正直反吐が出る。
「何をそんな怖い顔をしているのさ?」
笑いを含んだ声が、耳元で響く。
奏は類の肩に腕をかけて言葉を続ける。
「大人は自分の利益のために動くのさ。当たり前だろ、そんなこと」
「……お前、俺に喧嘩売ってるのか?」
「まさかー。俺が類に勝てるわけないし」
嘘を言うなと声をあげたい衝動を抑え、奏を睨み付ける。
奏は剣術も魔力もずば抜けているにもかかわらず、科学以外に興味を示さない。
彼が本気になれば、たぶん類でも勝てないかもしれない。
それくらいわかっている。
「そんな顔してないで、愛想ふりまいといたら? そんな顔していたら女の子たちが怖がっちゃうよ?」
会場には首脳陣だけでなく、その娘たちもたくさんいた。
類と同じく皇位継承権をもつ少年たちが、笑顔で彼女らの相手をしているのが見える。
遠巻きに自分たちを見ている少女たちもいる。
そんな娘たちに、奏は笑って手を振る。
「彼女らの相手をするのも外交だよ。八剣ですら相手しているんだから、君が相手しなくてどーすんの」
言いながら、奏は類の背中を押した。
確かに彼の言うとおりだが、正直面倒だ。だがそうも言っていられない。類は仕方なく作り笑いを浮かべ、人の輪に入って行った。